01.XS



 ある晩、少年は夢を見た。

 見たこともない、誰もいない草原に忘我となって立っている少年は居て。

 風に運ばれてやって来た若々しい草の匂いにはっとなって少年は顔を上げる。

 目の前には、もう一人の自分が立っていた。

 ちょっと気にしている、人より小さな背丈と、茶色い髪の毛に、少し大きな茶色い瞳。
鏡でいつも見る、疑いようのない自分自身の顔である。

 ああ、これは夢なのだなと少年が感じると…
もう一人の彼自身は屈託のない微笑を浮かべて、つやと光る唇を動かす。

 そう、もう一人の彼自身はそこで何かを
言葉を
喋った筈なのだ。

 草々のそよめきや、強い風の鳴る音を少年は耳にしていた。

 しかし、目の前のもう一人の少年の声は
そこだけ世界からぬけ落ちた空白であるかの様に少年には届かなかった。

 何、と少年は聞き返そうとした。

 もう一度、もう一人の少年は微笑んだ。



 その次の瞬間、バシッと乾いた、大きな音が響く。
もう一人の少年の、あどけない微笑に、陶器に入ったひびを思わせる太い亀裂が走る。

 少年は思わず目を見張って、後ろに一歩退いた。

 もう一人の少年の顔の亀裂、そこはめくり上がるように蠢動をして、
押し出される様に内側からピンク色の肉塊が外側にせり出してくる。
その肉の塊は肉を裂き、骨を砕く恐ろしい音を立てながらある形をとり始める。

 背中を丸めたもう一人の少年の頭部を覆う巨大な瘤のようになったそれは…
恐ろしい速度で少年の体を包み込み、別の恐ろしい生き物の形になり始めていた。

 少年は思わず尻餅をつく。

 これは、人間がこのように形を変えるのは知っている。

 少年は無意識に口を開き、この世界で広く知られ、最も恐怖される…その種の名を叫ぶ。



 「ルサンチマン!」





 そこで、少年の世界は暗転して、夢は終わった。





















 少年が悪夢から開放された同じ頃、同じ国ナイトガルドの東南方に位置するニムロデ峡谷に駐留する一団があった。

 林に囲まれた廃寺院を寝床にしているのか、
ぼろぼろになった石造りの建物を取り囲んで、軍事用と思しきテントが並ぶ。

 幾人かの兵士が焚き火で暖を取る姿が見て取れるが、
異様なのは
そのテントの外側に人の背丈の五倍や六倍はあるかという人型が座している光景である。

 胴は一つに、腕が二本。足が二本。その大まかな形は守りながらも、
対比や、シルエットは人間とは様々に異なり、全身は金属で出来ているように見え、
それらは全身隙間の無い装甲で武装した人間をそのまま巨人にしたような風ではあった。
その、巨大で奇妙な人型達は登り始めた朝日の光を受けて、
装甲の端々に鋭いハイライトを作り出している。
座した人型は、五体は並んでいるだろうか。
その更に後には砲塔を尖らせた八本の脚の付いた、巨大なドームの様な鉄の塊が鎮座している。

 焚き火の周りに座した人間の兵士たちは皆、
一様にややふくよかなシルエットの薄汚れたパンツに革のブーツ、
それにごく簡素な半そでのシャツといういでたちである。
腰に剣を帯剣し、拳銃のホルスターを吊っているところから…
兵士の集団であろう。



 焚き火を囲む兵士達が干し肉を齧りながら談笑して居ると、
焚き火に近いテントの幕が上がる。

 簡易化した装甲を所々に貼り付けたボディースーツのような作りの、
全身を覆う黒いスーツ(彼らの間では、 防護服と呼ばれている)の上に、
深緑色のミリタリー・コートを羽織りながら一人の兵士がテントの中から姿を表す。

 コートを着ていながらにして、
痩せ型でありながらも彼の肉体は兵士として十分に鍛えられた、
締まった肉体である事が十分にわかる、そんな美しいシルエットである。

 まだ青年と思しきその兵士は、寝癖を治すように手ぐしでもって、茶色い肩まで届く長髪を撫で付ける。
向かってやや左から分けた髪の毛、その生え際の下には、
古傷であろう…生々しく、物凄いバツ印の刀傷が刻まれている。

 振り向いて、そのバツ印を視界に入れた丸坊主の筋肉質の兵士が、大分年下で有ろう、その、コートの男に声を掛ける。

 「エクス・ノア班長、珍しく早起きだことで」

 声を掛けられたエクスは手を覆う厚手の茶色い手袋を嵌めた右の掌を軽く上げて、丸坊主の兵士に答える。

 「茶化さんでくれ、マルコ・ガチ。
本部から飯の種になる連絡があったなら早起きはせざるをえない。こいつは、ビジネスだ」

 エクスの猛禽を思わせる殺気を漂わせた眼の縁がぎらりと光り、マルコは深く頷いて言葉を返す。

 「次の目的地の連絡がありましたか」

 マルコの言葉に、おお、と周りの兵士達が驚嘆とも歓喜ともつかない声を上げて、二人の方を注視する。

 「ここから三日ほどのエルフォレストの近辺でルサンチマンが出現した。古城の近くだ。毎月毎月、よく出る事だ、全く!」

 エクスは、後ろの兵士達を見回すと言い含めるように、把握した事情を説明して、肩を竦めて溜め息を一緒に吐き出した。

 「いつもどおりですか?」

 「ああ、ルサンチマンども、最も近くて大きいシール市に一直線だろう。

シール市の常駐正規軍と連携をとって挟み撃ちにすれば、どうって事はない規模だ」

 「まぁ、我々と言わずどこの傭兵部隊がやってもいい簡単な仕事ですわな」

 「そうだな…確認できた現在の連中の規模は小型20、中型5、大型1と有った。
まぁ時間的に増えてもそう問題はない数のはずだ。報酬も安い」

   「食える時に食っておかないと…ルサンチマンが出るか出ないかに
左右されるのが我々の食い扶持ですからなぁ。四の五の言ってる事柄じゃあありませんや」

 「全くだ。報酬が安いのは、狩る軍事力に対して食うべき
ルサンチマンが多すぎるって証明なくらいだものな」

 マルコがエクスのその言葉を機として立ち上がった。
マルコの筋肉質な体は巨人の様で、エクスより頭二つ分は高い。

 マルコが、自らの首から下げた質素な首飾りを指先でつまんで、
鈍く光る丸いペンダントトップを口元まで持ってくる。

 「傭兵部隊、ゴールデンコヨーテ第三班エクス・ノア配下のオクトパスに出撃要請だそうだ、
魔装鎧の調整、出来ているな??」

 若い兵士の一人が、耳朶の外に掛けた細長い金属板に指をかける。

 「あれ?俺の遠隔通話魔装効いてない?
魔装ローカル・ネットワークのチェック、出来てないのか?」

 エクスがその言葉を聞いて肩を竦める。

 「魔装鎧の方に据えつけてあるのを使え。個人装備は道すがらなおせばいい
…テントを畳む前に、起動だけしておくンだ」

 淡々と指示を述べてそのまま向きを変えると、
エクスは自分たちを取り囲む金属の巨人…魔装鎧へと足早に歩を進め、マルコもそれに追従する。

 焚き火を囲んでいたのは皆この魔装鎧という金属の巨人を駆るパイロットたちであり
…同時にそれを主戦力として運用する傭兵部隊、ゴールデンコヨーテの兵士たちである。

 では、それをつかって彼らが戦うべきルサンチマン、とはなにか。
それを語るにはまだよい機会という訳ではない。後の章にそれは譲るとしよう。
魔装鎧の後に鎮座するオクトパスの、
天にも届きそうな丸い司令塔に当たる上部に無数に設置されたシャッターの一枚が開いて、
乗員の一人が何事か叫ぶ。

 本部からの敵の監視データのリアルタイムな受信が
暫く途絶えるという意味合いのことらしい。

 エクスは顔をそちらに向けずに右手を挙げて答えると自らの乗機の足元で歩を止めた。

 巨大なライフル銃を肩から吊って腰を下ろした格好の黒メインの機体は、
人間に比して異常に胴体が細く、
左側の腰には、固定武装と思しき巨大な刀と太刀が上下並べて据え付けてある。
四肢…特に前腕部は異常な長さがあるようだ。
その手にあたる部分の五本の指を包むように、
左右それぞれ二本の凶悪な殺気を孕んだ持つ爪が手の甲から伸びている。
背後、肩の辺りには無骨なシルエットの細長い金属板が背後に背負うような形に、
やはりこれも左右対になって設置されている。
そして…その頭部は。人間を模した、むき出しの歯と歯茎…犬歯だけが誇張されているのか、
不気味に鋭い…が彫刻によって細工され…その上はまるで、
作りかけの彫刻のようにつるりとした曲線になって、眼も鼻もない、といった態の頭部が載る。

 その魔装鎧の細い脚と脚の間からその不気味な顔を見上げるとエクスは一人口の中で呟く。

 「おはよう、デアブロウ。また今日も俺達の悪夢を見る時間だ」

 魔装鎧、デアブロウがその呟きに答えたかのように、装甲の滑らかな面がチカリと光って、エクスの眼を刺した。




















 日はまだ東の空の、まちの城壁から頭を出して間もない。
街の通りには、まだ時間が早いためかあいている店は殆どなく、間食を売る屋台もポツリポツリとしか出ていない。

とにかく…今はまだそう多くもない人通りの中、白い石で舗装された街の道路を、少年はまだ眠そうに欠伸をしたり、
指で眼をこすりながら歩いている。

 こうして朝の光を浴びながらいつもの様に平穏な通学の路を歩いていれば、
今朝見た恐ろしい夢は殆ど頭のすみに追いやられてしまって、彼の頭の中はもう課題のことや実技テストのことで一杯になっていた。

 紺の詰襟の通学服が持つ硬質なシルエットをしならせて、歩きながら茶色い革の通学かばんを持ち上げて背伸びをすると、
んん、と彼は伸びやかに声を漏らす。
 その背中が、後から走りよってきた誰かに軽くはたかれた。

 「おはよう、ザノン・シール」

 「ああ、おはようヒサノ。それにヘキサも。」

 振り返るとそこには同じ制服の見慣れた学友の姿が有った。

 ザノンに比べて少しだけ背の高い少年が、
少し長めの黒いぼさぼさの髪を掻き毟って、心底眠そうにねみいーと大声を上げる。
その大声がおかしかったのか、
横に並んでいた少女は朝日に反射してガラスの様に美しく光る美しいショートカットの金髪を揺らしてころころと笑う。

 もう、その二人の学友の顔をみた事でザノンの心は決定的に解れて、
今朝の夢のことなどは、
漠然とした後味の悪い気分と共に、完全に頭の中からどこかに行ってしまった。

 「一年魔装鎧のクラスは実技の授業どのくらい進んでるんだぁ?」

 気になるポイントなのか、それとも話題の提供なのか
ヘキサがやはり眠そうなままザノンに問うた。

 「えっと…シビリアーを改造した奴の基本兵装は大体触れるようになったかな。
次が軽装で…その次が重装。
軍用の機体とか、騎士仕様の機体が実習で使えるのはまだ先だね」

 「それでも面白いだろ?いいなぁ〜、戦車運用組なんかひたっすらツールのお勉強と戦術だぜ、
座学多過ぎだよ。実習なんか一ヶ月に一回、あるかないかだもん。それも役割持ち回りでさ」

 ちょっと目尻がたれた人の良さそうな印象のある眼を軽く瞑ると、
はぁ、と溜め息をついて、ヘキサは頭を軽く左右に振る。

 ヒサノがまた楽しそうにころころと小さい鈴を鳴らすような声で笑った。

 「兵装整備なんか大変よ〜
やることが一番めまぐるしく変わるんじゃないかなぁ?
魔法の勉強やってたと思ったら次の授業では
兵装整備用の魔装合成金属の精製だもん。ただでさえ大変なのに今、二つドック埋まってるしね」

 性格だろうか、ヒサノはそれでも楽しそうに笑いながら自分たちのカテゴリの苦労話を屈託なく話す。

 「ドックって、また騎士団の機体?」

 ヘキサが問うとヒサノがうんと答える。

 「うちの学校は機材なり何なりとにかくそろえてるものはイイよね?そりゃ騎士団の機体も来るって物だよ」

 「そんな学長でもあり、領主でもあるレオン・シールの息子、
ザノン君?毎日うまいものをいやってほど食べてるんだろうなぁ?
メイドたちにかしずかれてさぁ…ウェッヘッヘッヘッ」

 ヘキサがからかう様にザノンに視線を送るとザノンは何サ、その笑い、と頬を膨らませてちょっとむっとした顔をする。

 「まぁ、でもそんなザノン君は模擬戦で無敗の一年期待のホープなんだから…ちょっとできすぎ。
だけども、こうして私たちも将来魔装需要の世界でやっていく為に今の内から仲良くして顔売っておかないとね。」

 二人の年上の幼馴染にからかわれてザノンは手も足もでないのか、先生が良かったからだよ、と苦笑いで返す。

 「そう!思い出した!」

 ヘキサが急に背筋を思い切り伸ばしてさっきの二倍も大きな声を上げる。

 「なに、急に…」と大声に驚いて眼を白黒させながら、ザノンとヒサノが同時に問うた。

 「そのザノンの個人的なお師匠の、ナイトガルド十聖槍のグレン・オウディス卿がうちの学校…
つまり、盾の騎士団付属学園に特別講師に近いうち来るような雰囲気らしいぜ!
ああ…魔装ガルドネットで手に入れた情報、朝一で話そうと思ってたのに眠くて忘れてた…」

 それを聞いて今度はヒサノが黄色い歓声を上げる。

 「本当!?」

 え、何々、と当惑気味なのはもっともその人物…
話題に上ったグレン・オウディスという人物にかかわりの深いはずのザノンである。

 「グレンさんってそんなに皆知ってるくらい偉いんだ?」

 やや二人の熱気に押されたように呟いてしまったが最後、ザノンは同時に二人に睨まれた。

 「…あんたって子は…グレン卿は、ルサンチマンの発生元であるローカル・マザーを一年にニ基ペース、
合計これまでに十八基も滅ぼした英雄よ、百年前からルサンチマン達に悩まされているこの国では有数の英雄だわ…
何より甘いマスクにあの物憂げな雰囲気…騎士の模範のような紳士そのものの行動。
間違いなくこの国の女子人気はナンバーワンのお方だわ!そのお方を捕まえて…さも親しげにグレンさん呼ばわり…
憎いッ、あんたって子が憎いッ」

 女子ってなんだようと口答えするザノンの両の頬を捕まえてヒサノがつねるように引っ張る。

 「三十一の若さにして相当高位の銀盾騎士階級になったってだけじゃあないぜ。
グレン卿専用にカスタムチューンの施された魔装鎧【ダィンスレー】の挙動は本人の技量も合わせて
その筋のマニアの間では芸術とまで言われているんだ。みれるだけで眼福なのだぜ?」

 やっぱりザノンは、ヒサノに頬をつねられながらも僕はマニアじゃないよと口答えする。



 「羨ましい」



 ヒサノとヘキサの二人が同時に口にすると、それを機としてヒサノがザノンの頬から、ぱっと手を離す。

 「…あれ?」

 頬をさすりながらザノンが街の遠くの塔を見ながら呟いた。

 「ルサンチマンが出現ってニュースがあって…哨戒機はもう出たんでしょ?
基地のほう、なんかちかちか光って信号出てるよ。
…もう一回哨戒機がでるのかな?」

 「はぁ?なんでよ」

 とはヘキサは口にはしてみたものの、ザノンが指し示すほうをみると確かに信号らしき光が塔の上で瞬いている。

 「まぁ、いんじゃない?あたしらまだ騎士団所属じゃないんだし、本業に勤しみましょ」

 ヒサノが興味ない、という風に言葉を発すると、左右それぞれの手でザノンとヘキサの尻を軽くたたく。

 ちらりと横目で塔からの光を見たザノンの…頭の中から消え去った筈の悪夢が何故だかザノンの脳裏を一瞬掠め飛んだ。

 それでもザノンは、掠め飛んだものを首を振って頭の中から払い落とすと、歩調を速めた二人に追いつこうと、小走りに二人を追いかける。
 一日ほど前に出発した空戦魔装鎧は、ルサンチマン達に撃墜されて、乗員は殉職していた。
















 肩まで届くつやつやとした美しい長髪をなびかせて、
朝から修理や機材の搬出入で慌しい盾の学園整備棟の、
ドッグ設備の一棟の門をくぐった男がある。その姿を見てすれ違った女生徒が思わず振り向く。
 黒で統一されたカソックを思わせる詰襟のロングジャケットに、手を覆う皮手袋。
それに軍用パンツにブーツのその人物の、
一瞬ちらりと見えたその大理石の様に美しい頬には細長い一条の刀傷が走っている。
 女生徒は我が眼を疑った。

 この国有数の英雄にして、騎士の中の騎士と呼ばれる人物が
朝のこんな何でもない時間に自分とすれ違う事など、これは夢なのかしらと。

 「グレン・オウディス様であらせられますこと…?」
 夢うつつのまま、思わず震える喉は女生徒の声を上げさせていた。
小声では有ったが、聞こえたのかグレンは脚を止めて、肩を揺すると振り向く。
 「若き淑女、私の名を呼ばれましたかな」

 「あ…申し訳ございません、高名なグレン様がいらしたのでつい…その、お名前を」

 思わず少女はかちかちに固まった変な笑顔を言葉と共に返す。

 グレンの武人らしからぬ端正な顔が真正面から視界に入ると少女の心臓は大きく高鳴った。

 細いながらも非力な印象を微塵も感じさせないしなやかな体の線。
 猫のように狭い額に、高いながらもバランスの取れた鼻、シルクのように美しく滑らかな髪、
優雅な猛禽の翼を思わせる滑らかで鋭い眼…。
それがにこりと微笑んで自分のぎこちない笑顔に微笑みを返してきた瞬間、
女生徒は興奮のあまりその場に卒倒してしまいそうになった。
また、同時に…アア、これがと彼女は心の中で深く相槌を打つ。
まるで宗教画から抜け出てきた古代の英雄がそこに立っているようではないか。

 「お名前が淑女のお耳に届いて、眼にかけて頂いたとは騎士として光栄に思います」

 グレンが手袋を取って右手を差し出す。
不遜な行動であるはずだが、それは、彼の自信の顕れの一つなのだろうか。

 「失礼でなければ、握手と、貴方のお名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」

 「は、はひっ、もひろん!」

 噛んだ。ともあれ女生徒はグレンの差し出された手にかじりつく様に握手に応じ、名乗る。

 「ウルスラ・アガペと申します!お見知りおき下さい、グレン様!」

 「ウルスラ様、これをしおに、より学業の邁進に励んでいただければ幸いです」

 「は、はひっ、もひろん!」

 また噛んだ。

 とにかくグレンは幸福の絶頂に達したウルスラの手から手を離すと、ウルスラに言葉をかける。

 「あなた方の先生の一人を今、探しているところなのですが
…何番ドックにおられるか、ウルスラ様はご存知ありませんか?」



 整備兵の知らせを受けてドッグの入り口まで、
厚手のシャツの上に、作業用のオレンジの繋ぎを着込んで袖をまくって逞しい腕を露にした体格のいい、
毛むくじゃらの大男がグレンを迎えに姿を現した。

 「お久しぶりです、パイスタス殿」

 おお、とその熊のような大男、整備の教諭兼責任者パイスタスは黒く、針金の様に太い眉毛を八の字に崩し、グレンの右手とがっちりと両手で握手を交わす。

 「グレン卿、予定より随分早いのではないのですか?」

 「いえ、なにね…ダィンスレー・リファインがロールアウトされてここで面倒を見ているというのと…
例のあれの仕上がりはどんなものなのか気になってしまいましてね…はは、子供ですね私も」

 「得物の出来を気にしない騎士様なんぞはおりませんぜ!そいつは自然なことであらせられますよ…
やはり、クロウス卿との友情は今もたしかなものなのですなぁ…」

 パイスタスの言葉に少しだけ困ったような顔をして、グレンは表情をくもらせた。
が、直ぐに微笑を浮かべてその不穏を表情から消すと、力強くグレンは言葉を紡ぐ。

 「勿論です。我々は昼は切磋琢磨する好敵手で有りながら、
夜は共に酒を酌み交わす同胞であるはずだと、私は今も彼との友情を信じております」

 「そうでしょうとも!
クロウス卿はあんな卑しい企みをするはずはないって私にはわかっているんです!
グレン卿のお力で何卒…潔白を証明して差し上げてください!」

 パイスタスは、心からの嘆願をグレンの手を離して身振りを交えて強く表現する。

 「ええ、それは私の名に賭けて必ずや」

 強く吐き出されたグレンの言葉に感動したのか、パイスタスは崩れた相好をさらにくしゃくしゃにする。

 「そうすれば、クロウス卿も晴れて今ドッグの奥に眠ってるあいつのシートに納まれるってもんです、
あいつはクロウス卿を信じる民草の意思が成し遂げた機体なんですから…」

 「ええ…ここの整備機器であれば早かろうとお願いしたのは正解でした。見せて、いただけますか?」

 その問いを待っていたとばかりにパイスタスは深く頷くと、手を差し伸べてグレンを奥へと招く。

 「…クロウス卿…カリバーンも私が預かっているのだぞ…」

 奥へと続く仄暗い通路の奥を見つめて…グレンは誰にも聞かれない大きさの呟きを漏らした。