017.X XS_An_Imitation_Sword_Of_Testament(tuned:1)





 「音楽が、消える」

ラスは、唐突に呟く。
呟いて彼は目の前のグラスの中の琥珀色の液体を一息に干す。
喉の焼けるような感覚と、痛烈な旨み、熱をもつものと錯覚するような熱さが、
喉を通り抜けて臓腑へと達するのを感じて、彼はアア、と酩酊で焼けた溜息を漏らす。

酒場は先刻吟じた彼の詩に誘われてか、
今や遊び人や、文人、女達といった客で繁盛の様相を見せており、
音楽を奏でた詩人はカウンターの片隅で小さく丸まって酒を煽っていた。

 「鴉、どこへ行く。
お前は常世から来たのか。それとも、常世へ行くのか。
お前の身体はいつ、夜の色に塗り潰された。
鴉よ、夜を、教えてくれ。
私は、光のもとでは生きられない。
見えないところへ。

私には、影の無い世界は地獄だ。
お前しかいないのだ。
私は影を失った。
私の影になってはくれないか。
お前の夜の色は、私には青く見える。
あの、懐かしい地獄へと私の事を導いてくれ。
私は、なにもかもを失いたいのだ。
それは、人の身には過ぎた願いとお前は嗤うのか。
夜を纏いて空往くもの」

 何、と女が振り向いた。

神秘的な言葉で抒情詩を吟じるラスの横顔に鈍い輝きを感じて、女がラスの元へと歩み寄る。

ラスの背後にたどり着くと、女はラスの左肩に
そっと右の掌を添えて、人生の釘に触れた気配を漂わせた女は、十人並みの顔に、独特の妖艶さを見せて笑う。

 「あたしもさ、夜鷹だよ──あんたさん、続き、歌ってくれないか」

 ラスはチラリと女の顔に目をやると酒をグラスに注いでそれをまた一息に干す。

 「アア、酔っ払った!蛙のばけものみてえなのが、絶世の美女に見えちまっている!」

 ガラガラ声で叫ぶが速いかラスの空いた左手が
ひょうッと走って、バチッと音を立てて女の鍋のごとし低い鼻を打つ。

 ギャアと叫んで、鼻を拳で砕かれた女が打たれた勢いそのままに、固い床にしりもちをつく。

 ラスは、振り返りもせずに背を仰け反らせて、ゲラゲラと笑う。

 「一辺よぉ、絶世の美女の顔を思いッきり殴ってみたかったんだ、俺はよぉ!
ヘッヘ、中々出来る体験じゃねえ!」

 なにするんだいと剣幕を変えた女の声を聞きつけると、緩慢な動作でラスは椅子から立ち上がり
どけよ、と低い声で呟くと、千鳥足でまだ床にはいつくばったままの女に歩み寄り
「パッション!」と一声叫ぶやいなや、女の顔を容赦なく
木靴の爪先で捕らえて蹴り飛ばす。

 「人間の声が、邪魔だ。人間の立てる音が、邪魔だ。
俺は、あの、終わってしまいそうな哀れな音楽を耳を澄ませて聴きに行く。
あの美しい音楽に、最期まで、そうとは知られずに寄り添っている
どいつも、こいつも。
…俺の通り道でぼけッとかかしみてえに突っ立って、人並みの口聞いてくれてるんじゃねえ。
愛すべき、出来損ないども」



 オクトパスのバニシングレイは、
魔装鎧の猟犬の群れに追い詰められて退路を絶たれたニュクスタイプを二体同時に貫き、焼き払う。
盾の騎士団と、ゴールデン・コヨーテの相対したルサンチマン達は遂に、その全てを浄化され、状況は、終了した。

 はー…ッ、と、長い息を吐いて、
ザノンはアイギスの両膝を地面につけると、シートにもたれる様に背中を預け、ぐったりと四肢を投げ出す。
彼の額にはじっとりと脂汗が浮かび、肋骨の痛みはずきずきと胸全体を焼いている。
それでも、地獄のような戦闘から解放されたその解放感にザノンは、呆けたように身も心も委ねきっていた。

 「イブ・ヒューズ・・コヨーテの兵隊さん・・ペイン卿、盾の騎士達…」

 うわごとの様に、命を失った者たちの名前を呼ぶと、ザノンは重いまぶたを閉じて、瞼の裏の、暗闇を見る。

 「誓って、今日のことを──
貴方達のことを、僕は、忘れません。願わくば、傍でナイトガルドの事をお守りください」

 ──目を開いた世界のどこを探しても、彼らはもういない。
それぞれの道の途中で、紛れも無く彼らの生は今日、手折られ、もう二度と未来を刻むことは無くなった。

もう二度と、彼らの魂と交わることは出来なくなったのだ。

 しかし。
それでも。
紛れも無く、彼らの生は自分と交差して…
そして、名を刻んだ。自分の世界に。

目に見える世界から立ち去った彼らは、
暗闇に、何も見えない世界の中には、いてくれるような気がする──。

 魔法が万能ではないとしても、科学と収束しだしている今があるのだとしても人の精神に、触れる事は出来ると。

 計算で全てが導き出せるのが世界の真実だとしても。

世界には、1と0しか存在しない事にだれしもが気づき始めているのだとしても、
受肉した物質だけがすべてなのだとしても。

 誰も気づかない世界の狭間は、きっと、有って──。
いつか、0に還ったものたちと、心を交える事を出来ると。

 未来に作った、優しい思い出を誇り、彼らに、笑って貰うために。
失われた者たちに、よくやったと自分を褒めて貰うために。

 ──ザノンはそう思いたい。

 「始末がついたところで…。クロウス・アーメイ卿。御身の始末も済ませてしまいたいと思うわけだが」

 ザノンの渦を巻き始めた思考が、通信で耳に入ってきた、シャックスからの威圧的な声色でばッと霧散する。
事情は話したのに、そういうことを言うか!?とザノンは胸中をざらつかせたが、間髪いれずにシャックスは

 「御身が、エクス・ノアという名前を騙っているのは既に我々は把握しているのだぞ」

 ザノンは言葉にならない叫びを上げて、思わず身を乗り出す。
シャックスは、最初から全てを把握していたのだ、とザノンは瞬時に理解した。

 「どういうことなの…」

 アイギスから少しはなれたところで、デアブロウも両膝を地に着けて、コクピットハッチが展開するのが、ザノンの目に写る。
グングニルは、その正面に当たるところに、ちょうどアイギスに背中を向ける格好で仁王立ちをしている。

 「通信を、勝手ではあるが、聞いていたさ、シャックス・ブローバーとやら」

 展開されたコクピットハッチの上に、マスクとフリッツヘルムで顔を覆ったままのエクスが姿を現すが、
すぐさまエクスはフリッツヘルムを脱ぎ去り、
コクピットの中に後ろ手に投げ込むとマスクを下ろしてその素顔を白日の下に晒して、頭上のグングニルをぎろと睨む。

 風がびゅうと吹いて、エクスの素顔を晒させるように、櫛も通していないのか彼のあちこちに枝を伸ばす暗い茶色の髪を持ち上げて、その貌の全容を見せる。

 刃物を思わせる鋭い眉に、高くは無いものの、ぴしりと鼻柱の通った硬い鼻。硬くはあるが、バランスの取れた逆卵型の輪郭。
何よりも、向かって左の額に刻印の如く刻まれた物凄い刀傷と、猛禽を思わせる、曲線を残しながらも鋭い目。
グレンのような繊細な美しさとは反対の、
見るものを萎縮させる気配を持った美丈夫の顔は、紛れも無い、逐電したクロウス・アーメイその人のものである。

 顕れたその顔に、クロウスがこの場所にいると思ってはいたものの、あらぬ方向から出てきた
事実に、生き残りの盾の騎士団がざわと声を上げて騒ぐ。
 「外野は静かにして頂きたい!」

 シャックスが大声を上げて、盾の騎士団の騒ぎを鎮めてから、クロウスに呼びかける。

 「クロウス卿、どうやら、話は早いようだな。神妙に、同道して頂こうか。
グレン・オウディス卿と、その、物騒なノーブル・マシンに乗った学生君にも同道願いたいところだが。
…付け加えるなら、悪あがきをなさっても、グングニルの前では無駄だ。
よからぬことを企んでも、
状況を見るに、
この場にいるもので、私と、グングニル一騎で始末をつけられぬものは居ないということだけは言っておこう」

 エクスは、フン、と聞こえよがしに鼻を鳴らす。
グレンが、デアブロウの足元まで駆け寄ってくる。

 「こいつらは、俺の役に立ってくれた」

 右手の親指で、貌も向けずにグレンを指し示すエクスの言葉に、ほぉうと興を覚えたらしきシャックスの相槌が重なる。
グングニルも地面に片膝をつけて、コクピットハッチが展開させられる。

 グングニルの胎内から、金髪碧眼をたたえた長身の美しい若き豪傑が姿を現す。

短い金髪に、細い目、やや大きな口を持つその男は、
やや筋肉質な体型を黒い防護服で覆い、じろと眼下を舐めるように一瞥する。

 がちりとエクスと、その男…言うまでもない、シャックス・ブローバの視線が噛み合うと、エクスは言葉を続ける。

 「俺が無実だといって見せたら、そうだったのかと勝手に思い込んで──はっは、そりゃもう色々手を焼いてもらった。
バカとはさみは使いようという事だ…
嘘を信じてまんまと利用されてしまうようなマヌケどもから得るものがあると思うなら、勝手にしたらいいんじゃないか?
こいつらこの通りのバカだから、聴取に骨が折れるのだけは保証するが、ね」

 コクピットハッチを開放したザノンは、エクスの言葉の微妙なニュアンスに感づいて、グレンへと視線を送る。
グレンは、顔を蒼白にしてわなわなと肩を震わせている。

 「…クロウス…また、己は…」

 呻くように、グレンは呟く。

 エクスは、偽証している。口裏を合わせろ、とエクスはグレンとザノンに、目配せを送るが。

 「──茶番だなぁ、クロウス卿。
そんなものは調べればすぐ判る事だ。」

 シャックスの言葉を聞いたエクスは表情を変えずに、しかし、ほんの少し身体を硬くして身構える。

 「…しかし、私とてバックのいる領主の息子や、
評判の高い剣の家系の騎士相手に、うまみも少ないのに揉め事を起こすのは御免だ。
その茶番に一口乗っておいてやろうか。
それとも、牢に禁じられる、尊敬する十聖槍への、
私からのはなむけとでも言っておこうか」

 シャックスはさも愉快そうに唇の端を歪めてくっくと含み笑いを漏らし、肩を揺する。

 コクピットから飛び降りたシャックスは、ゆっくりとデアブロウの方へと歩を進めながら、
ちらりとアイギスの方を見やり、続いてグレンを見る。

 エクスも、コクピットハッチを降りて、シャックスを待ち受ける。

 地面で渦を巻いた風が地を舐めて跳ね飛び、再びエクスの茶色い髪を持ち上げ、揺らす。

 シャックスは、エクスの正面で歩を止めると、
にやにやしたまま二、三度頷き、エクスの顔を覗き込む。

覗き込んだシャックスは、他の誰にも聞き取れぬほどの小声で、ぼそりと呟く。

 「あれは、もう女王陛下ではないわけだが」

 さッとエクスの顔を、動揺するクロウスの気配が走るが、
眼を覗き込むシャックスの言葉が終わる前に、その気配はエクスの鉄仮面に隠されていた。

 しかし、シャックスはその一瞬の変化を見逃すような男ではない、と
エクスの目には映っていたし、それはシャックス自身も事実、にたりと歯を見せて、その動揺を見たぞと言外に語っていた。

 「御身では、駄目だ。
御身にはバツ印がついているだろう?」

 軽く手を振って持ち上げると、シャックスの右手のグローブの人差し指は、エクスの額の古傷を指差す。

 エクスは、その人差し指の向こうで炎を燃やすシャックスの眼の奥に何があるのか見極めようと、じッとシャックスの眼を見る。

 「御身に女王を取られては、俺の計算が狂う。
今取っても、何の得にもならん。
あれは、もっと泳がせておいてから、俺が取ると決めている」

 小声で呟くシャックスの言葉にエクスはぎろと目を剥いた。
一拍の沈黙のあと、エクスも口を開く。

 「シャックスとやら…知っているのか?」

 エクスの古傷を指差していたシャックスの右手が走って、エクスのコートの襟を掴むと、ずいとシャックスはエクスに歩み寄る。
この男は、自己顕示欲が強い割りに慎重だな、と感心しながらエクスも脚のスタンスを開いて顔を寄せる。
周囲の人間にはなにか言い争いをしているように見えるだろう。
そして、その構えは、周囲の人間を近づけない口実にもなる。

 「ああ、知ってるね。
だが、この俺の名を刻む為の大事な敵だ。
誰にも出し抜かれるつもりは、ない。
つまり、邪魔者の貴公には、終生臭い飯を食っていて頂きたいと言っているんだ」

 シャックスの言葉が終わると、エクスの左手のグローブがシャックスの右手首を掴む。

 ム、とシャックスが掴まれた手首を一瞥する。

 「言わねばいいものを。お前は構えを見せた。」

 ぎしとシャックスの腕の骨が鳴いた。万力で締め付けられるような痛みにシャックスは思わず歯の根をがちりとかみ合わせる。
唇の端を歪めて、エクスは、ゆっくりと言葉を続ける。

 「ハッハ、覚えておく。お前の見せびらかした野心、言いはしないが、俺の戦いの参考にしておいてやろう」

 エクスの声の凄みと、剛力に気圧されたのか、シャックスは掴まれた右手を勢い良く払って、エクスの手を振りほどく。

 「負け惜しみだな!」

 カッ、と愉快そうにエクスは笑う。
エクスの、人よりも発達した犬歯が見えて、シャックスは一瞬ぎくりとする。

 「貴公、狼狽して吠えるのは、言うなら、勝ち惜しみか?勝って落し物をなさったようだが」

 「うぬめが、減らず口をッ!」

 パァン、と乾いた音が鳴り響いて、エクスの面に向けて打ち出されたシャックスの右拳がエクスの掌の中に納まる。

 周囲のものたちはその異変に思わず身を乗り出すが、エクスは興を殺がれた様に鼻を鳴らすと、押し戻すようにシャックスの拳を突き放し
ゆらりと身体を後方に運び、シャックスとの間合いを離す。

 そうしておいてから、エクスはコートのポケットに右手を突ッ込むと、煙草の入った紙袋と、マッチの箱を掴んで取り出す。

 「やれやれ、なかなかの企みごとを案じる割には、底を簡単に見せおって。
─まぁいい、行ってやらんでもない。煙草くらい吸わせろ」

 エクスは、煙草の紙袋を掴んだ手を上げて制止するようなジェスチャーを取ってから、
煙草を口に銜えて、マッチを左手全体を覆う皮手袋でこすって火を点す。

 シャックスは無言で、腰の剣の柄に手を掛けてエクスを睨みつけている。

その沈黙を奪って、グレンが一歩エクスへと歩み寄る。

 「何か言いたい事でもあるのか」

 エクスは、グレンの方に顔も向けずに両切りの煙草に火を付けると呟く。

 「…」

 グレンは、懸命に言葉を探す。しかし、探しても探しても、見つかった言葉は、ままならないものであった。
恐れと、そして、一応の建前とは言えエクスの立ててくれた偽証をひっくり返すような予感と。

 「…何度、裏切れば…気が、済むのだ」

 「時と場合による。運命に聞いてくれ」

 やっとの思いで搾り出したグレンの問いは、エクスに即答される。

 「なら、貴公の本当の目的は、なんだ。女王陛下のお命を狙ったといわれる、その理由は!」

 エクスは、煙草の煙の向こうのグレンの表情を見やる。
 怒り心頭といった様子である。しかし、それだけではない複雑な心境はグレンの表情に浮かび、漂っている。

 「適当にお前の中で理屈をつけろ。それが正解でいい」

 煙たそうに眼を細めると、エクスは煙を吐いて、グレンの問いを遮断する答えを発する。

 「あると思います」

 ザノンが、横合いから静かに声を上げる。
いつの間にか、ザノンは彼らの直ぐ近くまで歩み寄っていたのだ。

 エクスが、今度はザノンの方に向き直った。

 「何かがあると思うから、僕はその理由を考えたいと思います」

 エクスはその言葉を聴いて、眼を伏せると、一拍置いて、そうか、と答えた。
風がまた、エクスの長い髪を揺らして、今度は、彼の表情かおを隠す。

 「もし、正解に辿り着けたら…その時は、ちゃんと、答えあわせをしてください。それだけは、誓ってください。クロウス卿」

 「俺は、重犯罪者だぞ。生きて再び会えると思っているのか?」

 「今、こうして会えているという前例があります。
なにかあって特例恩赦ということだってあるかもしれないじゃないですか。
未来は、判らないんです──」

 「交わる事が、あると──いいな。君や、グレンや…皆と。その希望に灼かれながら、牢の中で空を見るよ」

 フフ、とクロウスは笑って、手櫛で髪を掻き揚げた。

 「しかし、クロウス・アーメイの名前はもはや捨てている。
─もし──その時が来たならば。
君達があるとした俺の答えを知った時には、正しく答えることをエクス・ノアの名前において、誓おう」

 そうか、とエクスは胸中で一人頷く。

 「──騎士の、その勲冠頂かぬ偽りの名に。
また、罪と罰に折れた偽物の剣に。しかし、私の、持ち得る全ての誇りに掛けて、誓う。約束だ」

 人間にはこういう答えに辿り着くものがいるということを、彼は、ずっと忘れていた。