022.Shadow Run:4_Shadows_Tail(tuned.2)





 「くそうっ」

 幾日かが過ぎ、慌しい動きの中で殺気立つモルレドウ領、モルレドウ市に近い傷の騎士団基地のドックのひとつ。
展開されたままの、魔装鎧のコクピットの中で
ノーバは叫んで。力任せに拳で正面のコンソールを叩く。

魔装鎧のコンソールは、エラーメッセージと思しき「nevar」という表示を映し出し、
その白い装甲の機体は、ノーバのもう幾度めかも判らない起動の要求を、やはり幾度めかも判らない拒絶をしたのだ。

 「有り得ないだろう、これだけ手を尽くして、
何故マシンの使役者権限が得られない!意味がわからない!今時単一契約しか認めない魔装鎧などと!」

 クンダリニ領、それに便乗するシール領の破落戸紛いの連中に領土を踏み荒らされるかもしれず、
ノーブルマシンがあればあるだけ必要なこんな時に、
どうしてマシンが言うことを聞かずに苛立つなどという無様に甘んじなければいけないのかと思うと、
ノーバは余計に業腹が煮えてくる。
この難儀な白いマシンは、年貢を早期に納めた対価に、
モルレドウ領に女王から半月前に下賜されたマシンだとノーバは聞いていたが、
有事の際に使えないのでは話にならない。

 「こやつを起動するための解析はまるで進んでいないのですか!」

 ノーバは、自身の耳朶に指を掛けて焦る気持ちをドックの技師の一人にぶつける。

 「やってはいるのですが、複雑すぎます。
設計したという人物、
オウディス家に仕えるニーズホッグ卿も連絡が付きませんし、
プロテクトが強力すぎて、契約の初期化もできません。
現状、そのマシンに関しては、すぐに成果を期待されては困ります」

 「やれといって判らないなどと言うのは答えとは言えませんぞ!」

 ノーバは感情をむき出しにして、
技師に怒鳴り散らすと、
磨きこまれたコンソールに写りこんだ、
左右にぎゅうと頬骨の張った輪郭に張り付いた
口を大きく開いて、とがった前歯を晒す己の憤怒の表情を、目の当たりにする。

 見開いた眼は血走り、眼の周りは黒ずんでいる。
それであるのに顔などは血の気が引いて奇妙に青白く、
唇などは血が通っていると思えない白さである。
己のものでないかのような醜い表情は、
胸の内に焦燥の炎が上がっている故であるということは確かだが、
酷い表情だとどこか冷めた気持ちで見ることも出来る己もいる事に彼は驚く。

 「──くそッ、戦争狂どもめ。私がどんな普段
どんなに苦労しているかも判らずに気軽に侵攻などといいおって…くそッ、
あやつら、あやつらめが──」



 「よう、あんちゃん、靴磨き一足いくらだい」

 広大な王都の、人でごった返すある商店街の通りの一角で、
靴磨きを営む少年の視界に泥と埃で汚れた革のブーツが割り込む。

 今年で十歳になるというその少年は、そばかすの目立つ顔を上げた。
客の男の伸ばしっぱなしのぼさぼさの金髪と、
しゃくれた顎に乗った無精ひげの縁が逆光でちかりと光り、
目を刺す光に、少年は思わず眼を細める。
 少年の前に立っているのは薄汚れたなりの男だ。
王都に宿を求めてやってきた旅行者だろうか?
男は垢じみたシャツに、緑のベストを重ね、
ゆったりしたパンツを履き薄汚いコートを引っ掛けている。
木でできた細長い鞄を肩から下げて、小脇には紙袋を抱えていた。
金持ちではなさそうだが、無一文というわけでもなさそうだ。

 「いらっしゃい、お客さん。100グレイルだから、士貨一枚だけど、いいかい?」

 少年が木製のボロボロの踏み台を押し出すと、
客は、やってくんなと答えて、
重そうな作りの、拍車のついた無骨そのもののブーツをその踏み台に乗せる。

 「ブーツの靴磨き?お客さん、珍しいね。
こいつ、器械作業用とかの靴でしょ。魔装鎧に乗るときに使うようなさ」

 少年は注意深く、丹念に、ブラシでブーツの埃を落としながら口を開く。

 「ナニ、昨日賭けカードで勝ったモンでね。
他に金の使い道なんて思いつくでもなし、あぶく銭でたまには磨いておいてやろうというワケさ」

 あはは、そりゃ良い心がけだし、なによりありがたいと少年が笑ったところで、
男が煙草でも吸うのか、マッチをこする音が少年の頭上からした。

 「そのまま、顔を起さないで、手も止めないで聞いてくれ。
チップは弾むぜ。
俺の後ろ、俺から見えないところに、立ち止まってるヤツはいるか?」

 煙草を吹かして問うた男の質問に
少年はオヤと不審な気持ちを抱いたが、
たいしたことは無いだろうと言われたとおり、
顔を起さずに男の背後に視線を走らせる。
言われてみれば、往来の絶えないこの通りで足を止めて
こちらを伺っている風な人物が距離を置いて三人いると見えた。

年恰好はばらばらだが、
全員、共通して帽子や防塵マスクで顔を見えないようにしているのが、不自然といえば不自然である。

 「──いるね、大体、三人くらいかな。
通りの反対側とか、向こうの通りの曲がり角からこっちをちらちら見ているような」

 客の男が、踏み台から右足を外して、今度は左足を踏み台の上に置く。
男が煙を大きく吐き出す吐息の音が聞こえる。

 「しょうがねえな、
昨日ツケといた宿場の近所の飲み屋の鼻のきくことときたら。
女王のお膝元で商売しようってんだから、伊達じゃねえな」

 「なんだ、俺てっきりおじさんが悪いことをして、人に恨みでも買ってるのかなって思ったよ」

 「言ってくれるな、悪人面は百も承知だぜ、坊ちゃん」

 機嫌よく煙草を吹かしながら、男はひゃっひゃと笑う。

 「この辺はまだ来たばっかりなのかい?」

 「ああ、そうだな。ちょいと仕事で寄る用事があってな」

 少年は大変だねぇとかなんとか言いながら、
ブラシを布切れと油に持ち替えて、慣れた手つきで靴に塗りこんでいく。

 「オ、いいね。早いし、どうだい、俺の草臥れた靴が新品みてえな風合いになったじゃねえか」

 少年が職人らしいてきぱきとした手際で仕事を終えると、
男は喜んで靴を履いた足を軽くあげたり下げたりしてはしゃいでみせる。

 「毎日やってるからね、褒めたって負けないぜ」

 得意になって少年が背筋を伸ばしてそばかすののった小さな鼻の下をこする。
ハハッと男が鼻で笑って、腰の手垢塗れの薄汚い巾着袋からコインを取り出して指で少年のほうへ弾く。

 「ヘッ、貧乏人は金を持ったた却ってけちな事はいわねえもんさ。
ほら、細かいのがねえし、どうせ飲み屋に取られちまうもんだ。取っときな」

 両手でコインを挟むように受け取った少年は眼を丸くして、わっと声を上げて驚く。

 「おじさん、こいつは冠貨じゃないか。幾らなんでも、間違ったんじゃないのかい?」

 「チップは弾むって言ったろう?冠貨だけに、女王陛下のお恵みだとでも思って取って置けよ」

 脇に抱えていた小さな紙袋を開けてごそごそとやって、
ドーナツを一つ取り出すと、男は少年にその紙袋も投げ渡す。

 短くなった煙草を、陶器の小さな器に押し込めて
男は手に持ったドーナツを一口かじる。

 「ドーナツもやるよ。甘いもんはすぐにエネルギーになるぜ」

 「悪いね、ずっと仕事してたから腹減ってたんだ。」

 「おお、そんじゃ俺はもういくぜ、あんちゃん、有難うよ」

 「こっちこそありがとう、おじさん、またな!」

 くるりともう背中を向けていた男はおうと答えて軽く手を上げると、人ごみの中に消えていく。
立ち止まって様子を伺っていた連中も、
目配せを交し合うと人ごみの中を浮き沈みするその男の背中を追って歩き始めた。

 「へぇ…大げさで、変なの。おじさん、そんなに飲んだのかな?」

 少年はドーナツの紙袋を抱えて椅子に腰を下ろすと、男が消えて行った人の波間、
その、全体の形を守りながらも絶えず循環し変化する往来をぼうッと眺めはじめた。



 小一時間ほども歩き回って、人通りの見えない、住宅街の外れ、
再開発の為の立ち退きによって生じた廃屋の並ぶ通りまで来ると、
先ほどのブーツの男がプイッ、と路地を曲がる。
距離を保って男を追っている動きを見せていた三人は、この動きを見て、やや足早に路地の曲がり角まで足を運ぶ。
各々、一定の距離を取りながら、先頭の一人が路地の外角からあえて距離を作り、路地の中を覗き込んだ。
覗き込んだ男は、ゆったりとした帽子の鍔を持ち上げてちらと後ろの二人を振り返ると首を横に振って、
ついで二人の方に上体を向けると、掌を立てて、横に振ってみせる。

 なんだ?と首を傾げる二人の耳に、
微かに、ジョロジョロとなにか水を流すような音が
路地の中から聞こえてきて、男はその音の意味を了解したつもりになった。
距離を取りながら、並んでいた後ろの二人の内、男の方が横の女を見て苦笑いする。

 「立小便だ。つけられてるとも知らないで」

 苦笑いをした男が、周囲を憚って小声で囁く。
フッと女が鼻で笑う音が空気を漂い、
今しがた路地の中を覗き込んだ
男の左のこめかみが、弾けるように赤色を吹き出してびくりと痙攣し、
男の身体がゆっくりと横倒しに倒れるのが、
後方の男の目に写る。

 「──あ」

 何が起こったのか。
それを目の当たりにした男は、その光景の意味から反射的に、意識の中で眼を背けた。
答えにたどり着く事を拒んだ意識は、空中を彷徨い
虚無を顕す。
しかし、その事実は、疑いようも無い事実そのものであり。
男は、一拍置いてその事実をようやく了解した。
激発音こそしなかったものの、
倒れた男は、今路地の中に隠れた男に銃で頭を撃たれたのだ。
 路地の中から、金属製のキャップを閉めたままのウィスキーの瓶が飛び出てきた。
ウィスキーの瓶は、倒れた男の身体の上でバウンドして、割れずに地面の上を少しだけ滑る。
キャップにナイフで穴でも空けたのか、ウィスキーが僅かにちょろちょろと
瓶から流れて、石畳の上にじわと広がる血溜まりに混ざっていく。

 男は、コートの懐から、女は腕に掛けていたバスケットの中から拳銃を取り出し、反射的に構えていた。
男が、手振りで自分が先に路地の中を確認することを女に示す。
じりと男が路地の入り口に対して角度をつけながら、慎重に歩みを進める。

 手練だとは聞いたが、
尾行に気づいたからといって相手の事を街中で、
問答無用で撃つとは、
二人にとっては思いもよらなかったと見える。
動揺を移して、ぎこちない動きで、じりじりと路地の入り口に迫る男が、
構えた銃の銃口を振って一気に手前側の壁に向き直るが、遅かった。
男は無音の銃弾に眉間を撃ち抜かれて、
引けた腰で銃を構えていた為に前のめりの姿勢で倒れる。

 女は、見切りをつけて踵を返して
逐電を決め込もうとするが、路地から飛び出してきた男の銃に踵を撃ち抜かれてヒャアと絶叫する。

 「チンピラか」

 へっへと陰惨に笑いながら、呟く嗄れ声が、女の背後から鳴った。
ヂャリと拍車を鳴らして背後の男は倒れた女に歩み寄る。
男の名は、メーテ・マリシン。

 「ただのチンピラなら、殺したらまずかったかもな…まぁ、いい。
めんどくせえ、どうせ人様尾行する性能見たら十把ひとからげ、おたくらワンセットで叩き売りだ。
叩き売りの安い命の後始末はお偉いスポンサーを当てにするとしよう」

 這いずる様に足掻く女の背中を、女に追いついたメーテが踏みつける。

 「イラッと来るな。殺すなら殺す、逃げるなら逃げる。
半端はよくねえぜ、おたくみたいな半端はナ。
おたくのざまからは、打算も根拠も信念も、狂気も。何も見えてこねえ。
見えてこねえつうかあるとは思えねえ。
命を使って何がしてえんだよ、おたくは。
わかってんのかい?そんなだから安いんだよ。ネーチャン。え」

 また、激発音をさせずにメーテのピストルが銃弾を吐き出して、
その銃弾は今度は女の腰の骨を砕いて刺さる。

 ア"ーッと女が半狂乱になって叫んだ。
ヒョウッとメーテが叫んで己の耳に指を突っ込むとひゃっひゃと笑って指を外す。
おどけてメーテは、石畳をブーツの踵でもって鳴らす。

 「ぴいぴい鳴くところを見ると、プロじゃねえな?
俺のなり見て金目当てにヤマ張ったなんてのはまず無えよな。
よう、興味本位で知りてえんだけど、おたく、誰に雇われた?」

 痛みに喘ぐ女の脇腹に靴の爪先を引っ掛けて、
メーテは女を仰向けにさせてから、再び女の腹を踏みつけると上から銃を突きつける。

拳銃を取り落とした女は、両の掌を開いて上に向け、降伏の意思表示をしている。
女の服装は、白く質疎な麻のワンピースであるが、
清潔な印象のある服装と、派手派手しくないものの、
安物ではない耳飾りや装身具を見る限りでは、
卑しくない立場の、市民階級の女と見えるが。

 「おい、言うつもりはあるかい?あるのかないのか、はっきりしなよ。
まぁ、喋っても喋らなくても殺すから、おたくには損にも得にもならねえし、気分で決めていいぜ。
十秒考える時間をやるよ」

 女は、メーテの非情な言葉にショックを受けて言葉にならない声で喉を震わせ、
見開いた眼を涙で震わせて首を横に振る。
顔を見れば、三十とか、四十の妙齢の女性である。

 「十数えるから、喋るなり、クソ漏らすなり、諦めるなり、泣き喚くなり、格好付けるなり、
好きなようにするがいいぜ。
充実した時間だな!やったね!ハイいーち」

 「待っ…」

 女は、声を上げようとする。声を発しかけるが、メーテが言葉を被せる。

 「じゅーう」

 ハンマーの落ちる音と共に、
銃弾が女の前歯を粉砕し、銃弾は開いた口を通貨する。
メーテはアズィーゼムス民主主義連合国製の最新鋭携帯兵器、
消音ピストルの引き金を更に続けて二回絞る。
カチリという音と同時に、
眼を見開いた女の顔に合計三つの穴が開いて、
震えるように跳ねた
女の上体は、糸の切れた操り人形に似た無機質な動きで地面に横たわって
血袋に変わり果てた女の身体は、音も無く血の池を広げ、
広がる血溜まりは、僚友の死体の血と交わる。

 「言い忘れたが、俺の世界は二進法計算だ。今決めた」

 腰に吊るしたホルスターに拳銃を治めると、メーテは煙草を銜えて憂鬱そうに溜息をつく。

 「…ったく、どこのどいつの手先かしらねえが、
人がマックスハートしてる所につまらねえ奴をよこしやがって。
消音ピストルはなかなかのもんなのは判ったが、最初の相手がこんな連中じゃ、甲斐がねえな」

 死の匂いの吹き荒れる血溜まりの花畑の真ん中で、
メーテがマッチを擦る火花と、煙草の煙が浮かび、
メーテの陰惨な響きの笑い声は死の流れる血の河と化した床の上を、滑らかに滑る。

 「俺の自前のピストルは使い物にならねえんだから、
前座なら前座で、もっと命の摩擦を感じ合えるヤツをよこしてほしいね。
…ヘヘッ、自分で言うのも何だが、俺相当変態だな」





 ナイトガルド王都。王城の中枢である禁殿の、その中にある地下の一室で。
地下の、肌に染みる薄寒い空気を纏いて佇む、人物が一人。

全身を覆う、長く、ゆったりとした法衣の上に首飾りを二重に掛けたその人物は
腕を柔らかに払って、法衣の長い袖を畳むと、厳かに床に腰を下ろす。

 服装に拠らず、その仕草だけで人品卑しからぬ人物だと察することの出来る、
その壮年の男性は、ごく短くした、清潔な艶を放つ黒い縮れた髪を乗せた頭を少しだけ垂れて
気品漂う鳳眼を、伏せて半眼にしてから、足を組む。
年の頃は五十か六十であろう、年相応の年輪というのもその顔に刻まれてはいるものの
人物の顔は、三十や四十代の様にも見える気風がある。
そこに見えるのは、滾る様な精気ではないが、
音も無く、静かに燃える炎の如し厳かな気配が
彼の立ち居振る舞いからは漂っている。

 彼が腰を下ろした冷たい石の床一面には、白墨で魔法陣が描かれていた。

その中心に腰をおろしたその人物、
宰相──法騎士シツダ・ルタは深呼吸をゆっくりと三度ばかりして、
半眼に開いていたその眼をゆっくりと閉じる──。
 どぷん、とどこかで静かに水を打つような音が彼の耳に届いて…
シツダは、眼を閉じた闇の中に潜る。

 魔術に力を借りての事ではあるものの、彼は今、彼自身の異能力を以って、
ナイトガルドの地下のそう広くも無い一室にいながらにして、
魂を、ある深淵へと潜らせていた。

 ただ、ひたすらに深淵の奥へ、奥へ…。
シツダは、意識を無に、
ただ、その闇の持つ力の流れに身を任せ、意識は闇の中を確かに泳ぐ。
彼の意識は、冷たい闇の温度と、ぬるりとした闇の肌触りを彼に伝え、
彼の肌がその冷や水に湿ってくるようでさえあった。

 一体、その無限とも思える深淵は、どこに続いているのだろう。
彼はひたすらに意識だけでその闇の中を泳ぎ続ける。
 暫しの静寂を経て、
彼を包む闇の気配がゆらと揺らぐのを彼は感じた。
続けて、びくり、と彼の周りの闇が震えたような気配が運動すると
彼は全てを了解して、今度は眼を閉じたまま少しづつ、
自分の元の形をイメージし…
己の意識を段々と明確に復元しだす。

 (私の声が聞こえるか)

 意識に言葉を描いたシツダの周りの闇が少しづつ、
漣のように一定の周期で運動するのを、シツダは感じた。

 段々とその闇は彼の眼前に集まって、何かの形を形作ろうとしているようにも感じられる。

 (シツダ・ルタか)

 水中に出来る気泡の様に、
色の無い世界、一面の暗闇の中でぼこりと音を立てて眼前に一つの闇色の球が形成され、
続けて、その闇色の球の気配から、
硬く冷たい鉱物のような気配を伴って、気配は自分の
在る場所の近くを通って、巡り、網の様に縦横にそこかしこに張り巡らされたと、
シツダには──その様に、感じられた。

 (左様、道具を介さずに、御身の表層意識の欠片をここに寄りあわせ、それに直接語りかけておる)

 シツダの感じる気配の中心は、シツダの呼びかけを受け止めて、
しばし揺らめいていた。
ゆらゆらと揺らめくその存在の気配は
伸び、縮み、浮き、沈み、やがて収束し、元の、球を中心に網を巡らせた輪郭を持ったまま
はっきりとある男の気配を醸したとシツダの感覚は訴える。

 (──シツダ、結論から言おう。
毒を煽ってからいまだ、生体活動は回復しないが、
恐らく、戻ってくることは、できると感じられる。)

 (…うむ…。こうして、会話が出来るということは、
未だ御身は、御身自身であると思ってもよろしいか)

 (ルサンチマンが取り込もうとした生体──つまり、俺──が
即死をしたのは、やはり、劇的に効果はあったと感じられる。
しかし、ルサンチマンと同化した部分は、
抗体を生成し、毒を浄化して、俺の身体を作り変えるだろう。
しばし、俺の意思に従って。
…判るんだ、ルサンチマンも俺の一部となったからな。
劇的に力が弱まったとはいえ、ごく小さな物でも、俺の中にルサンチマンが息づいた事だけは確かだ。
俺は、近いうちに…)

 その男の気配は、火が燃える時のようにゆらりと小さく揺らめいたとシツダは感じる。

 (…御身の覚悟、私も胸を裂かれるようだ。
…しかし、先走った御身を止む無く退けたあの時と同じく、
未だあの女王を討つのは賢明とは言えない。
今討たば、ナイトガルドがどんな状態になるかは判らない。
領主からナイトガルドが
預かっている人質の中に
どれだけ人でなくされてしまった者がいるかも、
恥ずかしながら現状では未だに調査が終わってはおらぬ、
禁殿の内や、
騎士団の中にもそれらがいることを考えれば、
今すぐに女王を討つのだけは容赦してはいただけぬか)

 (千年続いたいまを壊すのは、怖いか。シツダ)  シツダは、彼の懸念の中核を一突きで貫かれて息を呑む。

 シツダと対峙する、言葉を投げかけた丸い影の気配が再び揺らめく。

 (──あれから、一年が経っている。事態を放っておいて今より良くなることは何一つ無い)

 (…すまない。御身の心情を理解しながら
今はそう云う事しか出来ない我が身の不肖、末世までの恥だ。
しかし、恥を恐れずに言うならば、もう少しだけ時間をくれ。
事情を知るものとて、この禁殿の中で、戦っているのだ。
あの、史上最悪のルサンチマンと…)

 (俺は、俺の道を行く…貴公らは、貴公らの道を行けばいい)

 (ナイトガルドも、禁殿の内部も、事情は判っておらぬものの方が多いのだ。
汚名を着せたまま、鎧の家系の全てをナイトガルドの人柱にしてしまっては、
我々とて末世までの恥をそそげぬまま、世代を重ねねばならない。
全て無様な言い訳なのは判っている。
だが、そうまでしても…。
欲する理想の道があるのだ。
…もう少しすれば、道は、必ず交差する!待てぬのは承知している、しかし、枉げて頼む!)

 (…迎えが、もうすぐ来る。
俺一人では、どの道今は女王に近寄れもしないだろう。
どうするにせよ…もう一度外へ逃げるさ…)

 (…グレン卿がレストアしていた黒い鴉を王都が差し押さえたものが、
禁騎士団補充倉庫地下に眠っている。私の、誓いの証だと思って、持っていってくれ)

 (黒い鴉、か…)

 一拍の沈黙が訪れる。

 (シツダ)

 男の気配が、シツダの意識へと問いを発する。

 (うむ)

 (なら…白い鴉はどうしているのか聞きたい。
…あいつも、王都にいるべきものじゃあない。
運命を感じさせる出来事が、あった。
仕えるべき主の元にいないのは、哀れだ。
…それに、俺も、この道の半ばで倒れたときに、
託すべきもの、この身の上でありながら、
世代を重ねるものになにかを残したいという欲を持ち始めているのかも、しれない)

 揺ぎ無い厳かさを保ち、意識との対話に当たっていた
シツダの気配が、一瞬揺れた様な、とエクスは、揺らめく幻のような闇の世界で感じていた。