024.Intermission:jam_S/R





 ガーハートは、教官室の椅子に座して、手にした大振りのナイフの鏡の様な刀身を見つめて何事か思案していた。

 「どうしたんです、そんなものを眺め回して、考え事ですか?」

 背後から同僚の男性の声が聞こえたので、ガーハートはナイフを握り締めたまま、上体を回して振り返る。

 ガーハートの背後には、声を掛けて来た
踝の辺りまでの動きやすい木綿のパンツと、ゆったりした上着を着た、骨太で体格のいい男性が立っていた。
身体を動かしてきたのか、モノトーンで纏められた服装の、
上着に懐手をして、下に着込んだ黒いシャツからは汗の匂いが漂ってくる。
髪の毛も、まだ乾いていないのか、頭の側面のものを刈り込んで、
頭頂部のものを残した黒いモヒカン・ヘアーが汗でぬれ、光を反射し、てらと光っている。

 「コッポラ教官。こんなものはね、おもちゃなんです」

 ガーハートの言葉を聴いて、やれやれ、と言った風な表情でコッポラと呼ばれた男性は、大げさに肩をすくめて見せた。
ガーハートは、言葉を続ける。

 「…考え事は、私が引率する志願兵の事なのですけど」

 「志願兵が多いから、一年から三年までのクラスで分けて籤をひいたら、
一年のパイロットクラスなんでしたね。心配事でもありますか」

 今授業を終えてきたところなのだろうか、コッポラは顔の上を
滝の様に流れる汗を大きな掌でごしと拭うと、大きな目を怪訝そうに細めてガーハートに向ける。
ガーハートは肩を軽く竦めると、その質問には答えずに話題を変えた。

 「ザノン・シールは、格闘術、器械格闘術の授業ではどうなんです?」

 「ああ、あいつもメンバーでしたな。
…そうですね、言わせてもらうなら、さすがに、魔装鎧の模擬線では無敗でも、生身では勝手が違うと見えます。
可も無く、不可もないというところでしょうか。
勝てないのは勝てないんですが、怪我はしません。
あいつの体格を考えたら、それなりには出来ているのではないかと思いますよ」

 それなり、と鸚鵡返しに呟くと、ガーハートは。顔をコッポラの方に向けたまま、足を組見直して
ナイフの柄を人差し指で弾き、キリリと指の周りを周回するように回してみせると、再びナイフの柄を掴む。
ぴゅうと口笛を吹いて、感心したようにコッポラが賞賛の言葉を口にする。

 「器用に道具をつかうものですな」

 「どうも。ふむ…魔装鎧では強いのに、生身では満足に動けない…か」

   ギシと椅子を鳴らして、ガーハートが机に向き直るのを機としてコッポラも踵を返して、自分の机へと向かう。
ガーハートは抜き身のままのナイフを机に置いて、顎に手をあてがって、また、思案を始めているようだった。



 放課後、ザノンはアッシュから、ガーハート教官が八番ドックで呼んでいる旨の伝言を聞いて思わず首を竦めた。

 「…何だろうか」

 コメントに窮して、動きを止めてから困惑したようにアッシュを見て、ザノンはアッシュに聞くが、アッシュは首を横に振る。

 「さぁ…判らないけどさ、正直、平手のサービスはまず覚悟しておいたほうがいいだろうな」

 がしっとザノンがアッシュの二の腕を掴んで嘆願するように声を上げる。

 「アッシュ、一緒に行かない?いや、ぜひ行こう。それがいい。
志願兵の編成班同士じゃないか!友達は、苦しみを分かち合うべきだと僕ぁ思うんだ!」

 「いや…すまない。俺は、今日はブルーと買い物の約束をしているんだ」

 ついと顔を伏せて横を向くや、
アッシュは思い切り後ろに跳ねてザノンの手を振りほどくとくるりと向きを変えて、教室のドアの方に走っていく。

薄情ものー、とザノンが叫ぶ頃にはアッシュはもう教室のドアを飛び出してもうその姿は見えなくなっていた。

 「おい」

 アッシュに逃げられて、溜息をつくザノンを背後からリブラが呼び止める。
少々気まずい相手だが、ザノンは声の主に向き直る。
リブラは、制服のパンツのポケットに手を突っ込んでザノンが振り向くと、言葉を続ける。

 「八番ドックなら、一緒だ。俺はバッソウの感覚を掴んでおきたいから八番ドックに自習しにいく」

 切れ長の目を細めたリブラの表情から察するに、機嫌は良さそうではないが、
とにかく、リブラはぶっきらぼうにザノンに同行してもいいと告げ、ザノンは目を丸くする。

 「リブラは、バッソウにもう慣れているじゃないですか。まだ何か気になるところがあるんですか?」

 「慣れている訳じゃなくて、バッソウが扱いやすいだけだ。なんなら一緒に行ってやるから、シミュレータ・モードの模擬戦に付き合えよ」

 「それくらい別にいいですけど…本当にいいんですか?」

 「リブラはガーハート先生みたいなのが好きなんだもんねー」

 リサが、ザノンの背後からリブラに声を掛ける。こちらもあまり機嫌は良くなさそうだ。

 「違うって、ガーハート先生が気に入らないから認めさせてやろうって話」

 リサのほうを振り向いたザノンが顔を戻すと、リブラの顔は、驚くくらい赤くなっていた。

 「…それって意識してるから気に入られたいって聞こえる」

 リサがそばかすの目立つ肌を赤くして憮然としている表情を見て、
ああ、とザノンは一歩下がって二人を交互に見ると、リブラに
「先に行ってます。シミュレータの準備出来たら声かけてください」とだけ告げて、その場を後にする。



 せんせい、とザノンはドックの入り口で声を上げた。

 八番ドックの巨大な門扉は解放されてはいるものの、珍しい事に誰も居ない様子だ。
周囲をきょろきょろと見回しながら、ザノンはドックの奥に向かう。
ザノンは歩きながら、そういわれれば、ガーハート先生は美人だよなぁ、と、
先ほどのリブラの反応を思い返して漠然と物思いに耽る。
赤みがかった金髪に、切れ長の涼しげな青い眼、シャープでどこか刃物を思わせる輪郭に、
つんと外側にカールさせた髪の毛は一見硬そうだが、
実は、細く、柔らかいらしい。
ザノンは教官室で彼女がなにげなく
ブラシをかけているのを見たことがあるが、ブラシに吸い付くように滑らかにブラシが滑っていたのを覚えている。

 ──いつも防護服に、盾の騎士団のイングニシアの入ったジャケットシャツか、コートだよなぁ、黙っていればもてそうなのに。──

 そんな事を思いながらも、ザノンがドックの奥へ足を進めていくと、
やがて、新造機バッソウが左右それぞれ二体ずつハンガーに身体を預けているのが見えてくる。

 「バッソウ・ツインストーム、か」

 見るとも無しに、ザノンはバッソウの巨体を見上げ、
気がつくと自分の搭乗するバッソウのハンガーに足を運んでいた。
スレイプニルのシステムにバックアップされていた
アイギスの戦闘データをマリーが移植して調整された、二本の剣を主武器として操る
ザノンのバッソウに与えられたコードネーム、それが、ツインストームである。

 学園に配備されたバッソウは全て、
データ収集の為に
それぞれ特別に志願兵の能力と傾向に合わせた調整が施されており、
ザノンのツインストームは、さしずめ、接近戦強化型と言った風合いである。

 「ザノンくん、こっち」

 ハンガーの周りに積み上げられたコンテナの陰から、
女性の声がしたのをザノンは了解し、周囲をきょろきょろと見回す。
ガーハートの声の様に聞こえたが、何か違和感がある。

 カッと靴を鳴らして、声のした方角と思しきコンテナの陰をザノンが覗き込んで、
先生、と大きな声で呼ばわると、コンテナの陰の奥の方──壁に挟まれている上に、コンテナの陰になっていて、
暗くてよく見えない奥の方で白い手がゆらゆらと手招きするのが目に入った。
なに、とザノンがコンテナと壁の隙間の、窮屈なスペースを覗き込む。
スペースは、細長い通路状になっており、そこに恐る恐る足を踏み入れて、ザノンは足を進める。
物陰に成っているスペースなので、奥のほうは良く見えない…。

 「わ」

 顔を上げて異変に気づいたザノンが声を上げる。
その隙をついて、前進してきていたガーハートがザノンの制服の手首を掴んでぐいと引き寄せた。

 ばッとザノンは反射的に手を払い、足を踏み出して崩れそうになった姿勢をリカバリーする。

 (ちょっと待て、どういうことだ…)

 ザノンは、マリーのシルエットを睨むや、違和感を覚えて、ごくりと唾を飲んで身構える。
警戒の意思はザノンの身体をじりと一歩下がらせた。
確かに、声の主はガーハートだった。そして、その姿を目で見れるくらいの距離にザノンは近寄ってもいた。
しかし。

 (ガーハート先生が…まさか…)

 「ザノンくん、そんなに構えないで、聞いて欲しいの」

 ザノンの目には、ガーハートの足元でひらと黒いもの揺れるのが見えた。

 (防護服じゃなく、スカートを履いている…!?)

 自分を呼び出したガーハートのなりは、
白いブラウスに、ジャケットシャツ、脇に長いスリットの入った黒のロングスカートという出で立ちだった。
恐らく、そんな格好をしているのを、学校の生徒も、教師も誰も見たことはないだろう。
彼女はいつも防護服の上に上着を着る格好で通勤している。
その彼女が、防護服以外の服を着ている事実はザノンの頭を相当に混乱させた。

 「先生、どうしたんです?」

 「どうしたって、何が?」

 よくよく見れば、ガーハートは、花弁を優雅に裾にあしらった手袋をはめて、靴までパンプスを履いている。

 自らの手袋の、人差し指の背を唇に当てて、警戒の姿勢を崩さぬままザノンはもう一歩後ろに下がる。

 「変、かな…?」

 ぞれを追う様に、ガーハートがずいと一歩を踏み出して、半身に身体を開いて身構えるザノンの顔をじっと見つめる。

 「ガーハート先生、わざわざ着替えてどうしたんです」

 意地の悪い事を聞くのは気が引けるが、ザノンはガーハートの顔を見上げて問う。

すると、ガーハートは逆にザノンから目を逸らして、もじもじと身体を揺する。
ザノンは言いようのない違和感を覚えて、その場から逃げ出したい衝動に駆られるが、
それを見透かしたようにガーハートの眼鏡が光る。

 「ええとね…聞いてくれる?」

 「待ってください。授業とか、学校に関係する事ですか?」

 猛烈に嫌な予感がする。ザノンはその予感が胸の内でどんどん膨らんでいく事から眼を逸らす事が出来ないで居た。

 「違うよ」

 「何か、僕が怒られるような事をしてて、それに気づいていないとか」

 「そういうことでもないんだ」

 ガーハートは顔を伏せて暫し沈黙する。

 重い沈黙に、嫌な予感はいや増すばかりだが…それから眼を逸らし続けていられるザノンではない。
結局、彼はその事実と具体的に対峙するべく、暫くの沈黙の後意を決して問うた。

 「…どういう事なんでしょう?」

 ガーハートは顔を伏せて、身体を左右に揺らしていいあぐねている風だった。
手などは、腰の後ろに回してもじもじと肩を揺らしている。

 やはり、ザノンに取っては耐え難い沈黙が暫く続く。

「その、ザノンくんって、今、付き合ってる女の子なんているかな…?」

 ザノンは、パリーン、とガラスの陶器か割れるような音が頭の奥で鳴ったような錯覚を覚えた。



























 なんということでしょう。



予想を超える事態にザノンの頭は一瞬思考を停止し、真っ白になった。
ザノンはその質問にどう答えるべきか、その答えを持ち合わせていなかった。

 落ち着こう、とザノンは一拍の間を置く。

 ──そんな事を聞かれたからと言って、答えたときに続くであろう相手の発言を想像するのは邪推というものだ。
答えたからと言って、自分が想像するような事を言われるとは限らない。
いや、それはうぬぼれというものだ。
しっかりしろ、ザノン・シール。 彼女に何か自分を好きになる材料が有るか?
どこを取ってみても、見当たらない。
きっと何か教育の為に必要な疑問が彼女の中にはあって、自分の答えを参考にしたいだけなのだ。きっと。

うん、そうだ。よし、そういうことなら。──

 「居ないなら、私と付き合って欲しいの」

 ザノンの儚い希望は一瞬で打ち砕かれた。

 「…っちょっ…」

 ザノンは顔を青くして後ずさる。
その表情を見て、ガーハートは目に涙を溜める。

 「駄目なの?」

 この人は本当にあの、鬼教官リー・ガーハートなのか、とザノンは逡巡する。

 「や、やですね、先生、からかったら駄目ですよ」

 真っ青な表情のまま、ザノンはこの場を切り抜けようと乾いた笑い声を上げるが、
じりじりとガーハートは間合いを詰めてきている事実にも気付く。

 「背が低くて、可愛らしいあなたのこと、入学してからずっと見ていたの、
もうすぐ戦争に行くかもしれない、死ぬかも知れないって状況じゃあ…もう、気持ちが抑えられないの。どうしても駄目なら…」

 ガーハートが、右手をスカートのベルトの背部に回す。
ザノンは、はッとした。その動きを見て、混乱しているものの、幾分かの冷静さを取り戻し、鋭く声を上げる。

 「先生」

 ぎらと金属の光に目を刺され、うッと声を上げて、ザノンは本気で身構えた。

 ガーハートの手には、殺気を漲らせる大型ナイフが握られていたのだ。

 「…冗談では、ないんですか?」

 「こんなものまでを持ち出したのが、私の気持ちよ」

 ザノンは、戸惑い、思考を巡らせる。
ガーハートが本気でこんなものを持ち出すとは思えない。
打ち明けてきた好意もそもそも、本当かどうかわからない。
彼女が自分の事を好きになる材料というものだって自分には判らないのに、彼女は自分の事を好きだといい、
その目星にも思い当たらない内に、彼女はナイフを抜いた。

今の時点で判っているのは…行動から服装から、目の前のガーハートは、普段と異なったガーハートであり
そして、手にはナイフを握って自分の前に立っているということだ。

 「考え直してください」

 「嫌。考え直して欲しいなら、私のものになりなさい」

 ガーハートが身体を半身に開くや、カツと床を蹴る音が響く。
狭い壁とコンテナの隙間で、一瞬に間合いをつめて飛んできた
ナイフの一突きを、ザノンは足の位置を踏み変え、右半身を下げてかわす。
戯れではない殺気。当てる積りのスピードと身体捌きだとザノンは感じ、強く、鋭く一叫する。

 「リー・ガーハート先生!」

 ガーハートは呼びかけに答えず、代わりにシャッ、と叫ぶや、
腰を返してナイフを引き、
ザノンはその動きからと身体の動きからガードを固める動きを作る。
ガーハートの脚はザノンの脇腹を狙って短い軌道の中段回し蹴りを繰り出し
ザノンは半身に身構えたまま、肘の位置を更に落とし、膝を上げ、
シャープな蹴りをブロックすると、蹴られた勢いを殺す様に小さく跳ね、
壁を自分の横…上体がぎりぎり回せるほどの距離に置く。

 (…本気だとは思えないけど…本気じゃないと言い切る材料も、確定していない。
ふざけた事を言った後に、殺気を見せて刺しに来る!
…なんなんだ、ナイフは奪っておかないと何も確かめられない!)

 打ち込みづらい配置に陣取ったザノンに、ガーハートは手を出しそびれ、じりじりと間合いを計っていたが、
業を煮やして構えを逆向きに
──右手のナイフを奥に、左手を前に──
構えなおし、床を再度蹴って、鋭く踏み込む。

 ガツッという物音と、硬い感触を伴って、ガードを上げたザノンの腕に鈍い痛みが走る。
かわす事も難儀な狭い場所で、ガーハートが踏み込みながらの拳の一撃をガードの上から見舞ったのだ。
予想外の重い一撃は、左手と左足を同時に出して、ワンアクションに体重を乗せる
古式格闘術の当身技に由来するものだとザノンは了解し、
あえて身体を開き、ガードが開いたときに続くであろうナイフの一撃を誘う。
ここまではザノンの予想通り、ナイフは、ぐいとガーハートの豊かな胸元に引き上げられ、突きの挙動でザノンを狙う。
 (──ここだ!)  飛んで来るであろう突きの軌道を計算して、
ザノンは、構える足をスイッチして、ナイフの軌道が背中側を通るように左手を相手の左半身に向かって鋭く伸ばす。
ガーハートの、右腕の下を潜り抜けるようにザノンの身体が旋回した。伸ばした手は、ガーハートの左襟をまず掴む。

 「かかったな、短小野郎!」

 ガーハートは叫び、伸ばしきった右手に持ったナイフを空中できりりと回し、
柄を逆手に持ち直すと、がら空きになったザノンの背中めがけて突き立てようとする。
しかし、その動きを見越していたザノンは、
構えをスイッチした際に
前に出ていた左足を、小さく円を描くように相手の左足にかけて、切るように鋭く右へと払う。
足払いを掛けられて足を浮かせた
ガーハートの身体は、バランスを崩し、振り下ろされるはずのナイフは空中を泳ぐ。
バランスを崩している状態であるから、ザノンは今度は掴んだ左襟を思い切り手前に引き、
そのまま、左腕を下まで払い、相手を力の流れそのままに、うつ伏せに転ばせる。

 バチと音を立てて胴を強かに硬い床に叩きつけられたガーハートの背中に、
すぐさまザノンが身体を横向けに被せ、二本の手でガーハートの右腕を掴み、
右膝を立てて右脇でガーハートの右腕を挟んで、自分の右ひざに固定すると、
二本の腕で手首をねじ上げて、手首を極めに掛かる。

 曲がるはずの無い方向に負荷を掛けられたガーハートの腕の骨は
ギチリと鳴き、かぁッとガーハートが苦悶の叫び声を上げた。

 「おい…ッ、馬鹿ッ、止めろ、折るんじゃない!お前にはパパとママの愛情が足りていないのと違うか!」

 「折れる前にナイフを放してください…!」

 ザノンとて、訳のわからない内に自分の教官の腕の骨は折りたくない。
かかる力は相手が逃れられない程度に抑える手心は加えているが、
比較的非力なザノンのことである。
ガーハートを抑えておく腕力が無尽蔵に続くというわけでもない。

 しかし、ザノンの意に添わず、ガーハートはナイフを離さずに粘る。

 ううッ、とガーハートが毛色を変えた涙声を上げた。

 「…ザノンくん、痛い…ごめんなさい、私がいけなかったのね。判ったから、痛くするのは止めて…?」

 「…(キリないな、よし、折ろう)」

 しおらしい声でしなを作って見せたガーハートの声を無視して、
息を強く、短く吐くと、ザノンは腕に掛ける力を強めた。

 ぎゃあーッ、とガーハートが一際大きな声で絶叫し、彼女の腕の骨が軋む。
本気で折りに来たと観念したのか、彼女はザノンが力を強めた途端、あっけなくナイフを手放した。
ザノンは、腕の力を弱め、靴の爪先で、彼女が落としたナイフをコンテナの向こうまで弾き飛ばす。

 「…判った、降参だ。離せ。…離せったら…」

 ガーハートの言葉に、ザノンは不承不承手を離し、 ナイフの方角を背にして、ガーハートがナイフを回収できないように視界を遮る。

 「くそッ、やっぱりか…セイウチのケツにド頭突っ込んできてしまえ、
この仮性野郎。擬態なんぞ使いおって」

 ぜーぜーと荒い息で忌々しそうに呟くと、
ガーハートは仰向けになって、ロックされていた腕をさすって折られていない事を確かめる。

 「先生、どういうつもりなんです?話して貰えますよね…」

 「仮性野郎、貴様、格闘術の授業で手を抜いてるな?」

 ザノンは、ガーハートの真意を悟り、眼を見開く。

 「…すみません」

 ザノンが、気まずそうに謝るとガーハートは上体を起して、床の上に胡坐をかいて、溜息を付く。

 「グレン卿と、クロウス卿に心得と手習いを
教わった奴が中の下の成績なんて事があるか。馬鹿者が。
授業を舐めるなと言ったばかりだろう。
その調子で戦場でもお利口に加減していたらケツにエナジーボルトをぶち込んで貰えるぞ。
貴様のケツはシール領のものだろうが。
理由などどうせ、周りのヤツへの遠慮だろう、
いいか、次にこんな話を耳にしたら泣いたり笑ったり出来なくなるくらい貴様の事を可愛がってやるぞ」

 「なるほど…それを確かめたくて、
かく乱の為にさっきみたいな事を言って、真意を悟らせないようにしたんですね」

 安心したようにザノンが両手を広げて溜息を付くと、ぎろりとガーハートがザノンを睨む。

 「…フフフ…魔装鎧志願兵班のケツは、シール領のものだ。
…ということは、全員上官である私のものだ。少年少女がよりどりみどりというものだ」

 冗談なのか、本気なのか。
ガーハートの眼鏡は薄闇の中でちかりと光ってその真意を覗く事は出来そうにない。
ザノンは首を軽く横に振って、もう一度溜息を付く。



 「あれ?ネル、何してるんだ?あと、なんだ、その格好」

 コンテナに張り付いて、ザノンたちの様子を伺っていたネルに、恐る恐る防護服に着替えてきたリブラが声を掛ける。

 「マリー先生の作った実験用の防護服だって。恥ずかしいからコメントはしない」

 ちらりとリブラの方を見るとネルは落ち着かない様子で、
防護服と揃いになった頭半分を覆う角付き帽子の位置をなおし、足元から、腿の大半を覆っている
厚手のタイツを、立てひざで座ったままの姿勢で引き上げてなおす。

 「レッグウォーマーと腕と、腰までの防護服でツーピースになってるのかそれ。
…背中も丸出しじゃないか。見るなといわれても、眼のやり場が無いぞ」

 リブラが言うように、ネルが着用している白と赤のツートンの防護服は、
実際露出が多くなっており、リブラでなくても、
通常の防護服を知るものであれば、反応の大小の差はあれど驚くであろう作りのものになっていた。

 「こっち見んな。そんな所見てるくらいなら、この奥を覗いてみてたほうがきっと楽しいよ」

 言葉とは裏腹に、不機嫌な様子のネルの反応に怪訝そうに眉をしかめると、リブラはネルに問う。

 「そんな狭いところに何があるんだ?」

 「ザノン君とガーハート先生が暗いところでイチヤイチヤニヤンニヤンしておる」



 ところで、とザノンがガーハートに問う。

 「さっきのナイフって本物ですか?」

 いや、と答えるガーハートが立ち上がって首を振った。

 「木製の玩具に金属塗料でメッキしたダミーだ。
スポーツの馬上槍試合に使う槍と同じで、衝撃を与えると入れてある筋が割れて壊れるが、 魔法が掛かっていて花火に似た音と光が発生する。
訓練用に納品して貰うかなんかするらしいのを、一本拝借した」

 なら、よかったとザノンがガーハートに背中を向けると、
コンテナの向こうで嘘だッ!という叫び声がして、ビタン、と誰かが転ぶ音の後に、爆竹が百辺も鳴ったような
凄まじい破裂音が同時に鳴って、コンテナの向こうで昼間になったかと
錯覚するような物凄い火花が上がるのが認められた。

 「…ぅゎぁ…もうちょっと、音と火花は抑えて貰ったほうがいいですよ、あれ…」

 「……貴様が作ったヤツのケツにその意見をねじ込んで来い。あれはもとは、マリー・ワンド筋のジョークアイテムだ」



 「傷、もう大丈夫なのですか?」

 アルバは、屋外の畑道に姿を現したベディヴィアの姿を認めると、歩み寄って心配そうに声をかけた。

 「何、ちょっとひりひりしますが、治りますよ。跡が残るのは仲間を死なせてしまった私への、小さな、戒めです」

 長い赤みがかった金髪をベディヴィアは普段、後頭部中央で縛って束ねており、
頬の火傷の跡に軟膏を練りこんだ湿布を貼りこんである相が痛々しくも露になっている。
二十歳の若さでありながら、彼はその肌に己への十字架は刻まれたと言う。
ベディヴィアは実際そう思っているだろうし、
兄の様に慕っていたベティヴィアがそんな風に自分を責める姿を見ると、アルバの胸はちくりと痛む

 「小さすぎて、罰となんら変わりません、こんなものは…」

 切りそろえた前髪の下の眼を細めると、ベディヴィアは眼を伏せて、独り言の様に小さく、呟く。
彼の眼にかかった長い睫は、その眼の奥にあるものを覗き込まれるのを拒んでいるかのようであった。

 「申し訳ありません…」

 アルバも、大きな黒い眼を伏せて、ベディヴィアへの侘びの言葉を漏らす。
一年前、臣下を守れなかったエドワード卿の罪を、詫びているのだろう。
そして、ベディヴィアと徒党を組んで
ルサンチマンと戦っていた騎士達を助けようとして、間に合わなかった自分の罪をも。

 「…何故謝るのです、私は、間一髪の所を姫様に救われたのですぞ」

 長身のベディヴィアは、
身の丈は自分の半分と少ししかない少女の前に膝を付いて、にこりと寂しそうに笑う。

 「それに」

 手を伸ばして、ベディヴィアは周囲をぐるりと見回す。

 「ルサンチマンの襲ってこない場所を築けたのは、姫様と、姫様の騎士と、
それに、此処に集まった民が達成した、誰にも為しえなかった偉業です。その功績を思えば、何も謝る事はありません」

 ベディヴィアは、視線を戻して、もう一度微笑むとすいと立ち上がって、畑を改めてまじまじと見渡す。

 細い印象のある彼の横顔はやはり、どこか憂いの影を含んでいるような、とアルバは感じた。

 「ベディヴィアは、父上には良く忠義を尽くしてくれましたね、私にもご本をよく読んでくれたのを、私、覚えているんですよ」

 アルバに向き直って、アルバの頭を昔の様に撫でようと、
ベディヴィアは手を伸ばしかけたが…その手をぎゅッと握って押し留める。
押し留めた手は、一瞬、顔を伏せているアルバの後頭部の、巻き上げた髪の毛の束の真上辺りを泳ぐ。

 「そう、でしたか…?昔の事です、
昔の事を、人は心の中で美しくしてしまうものでしょう」

 ベディヴィアは、素っ気無く声を上げると、
引いた手のやり場を漂わせ、やけどの上に張った湿布の上から頬を掻いた。

 「ベディヴィア、私こと、エドワード・グーヴァイン二世に仕えて、
この、グーヴァイン領にやっと再生した人の集まり、この集落を守ってはくれませんか?」

 「…それは…」

 えどわーどさまぁ、と、子供の呼ぶ声が聞こえた。

 その方角を見れば、五六歳になろうかという三人の子供が畑道をこちらに駆けてくるのが二人の目に写る。

 「どうしました?」

 アルバは、先刻ベディヴィアがそうしてくれたように、
中腰になって、駆け寄ってきた子供達と視線の高さを合わせて語りかける。
ベディヴィアは、風が冷たいなと感じて視線を空に向けた。

 「ドーリさんが、厚紙と折り紙をくれたんだ、それでね」

 先頭のハンチングを被った少年が、もじもじとしながら少しずつ言葉を切り出す。
うん、と優しく微笑んで、アルバが少年の頭を撫でる。

 「エドワードさまは、騎士なのに勲章をしていないから、作ったの!」

 カチューシャで前髪を留めた少女が、両手で小さな丸いものを差し出す。



 それは、厚紙と折り紙で作った勲章だった。

 ベディヴィアは、そちらを直視できずに、ずっと空を見上げている。

 「──ありがとう!とっても頑張って、作ってくれたのですね?」

 「すっごく丁寧に切ったんだ、大事にしてくれる?」

 最後の一人の少年が、長い袖に隠れてしまっている両手を上げて、とても大変な仕事だったと身振りで語った。

 「勿論ですよ、本当に有難う。私、この勲章をずっと肌身離さずに持っていますからね」  アルバは、感激して、少年と少女を一人ずつぎゅうと抱きしめる。

 ベディヴィアは、居たたまれずにその光景に背を向けた。

 (…自分は、失敗者なのだ。騎士を名乗りながら、お屋形さまを守りきれずに、民を失い、
戦い抜けずに、仲間も失った…。
失敗をした者が、ここに居てはいけない。
傷あるものが居ていい場所ではない…ここは、光あるものの小さな国なのだ)

 ベディヴィアは、俯いて、その場所から立ち去ろうとする。

 (行こう、また…
レクイエンと共に。戦って死のう。私の残った命は、そういうところで使うべきものだ。
それが、私に示せる忠義というものの、残骸だ)

 「何処へ。──何処へ行くのですか、ベディヴィア」

 膝をついたまま、背中を向けたままアルバが悲しげな声を上げる。

 「…姫様」

 気づかれているとは思っても居なかったべデイヴィアは、思わず足を止めて振り向く。

 「貴方の影だって、私はきちんと見ています。父上に劣らぬ騎士になる為に」

 ハッと気づいたベディヴィアは、自らの足元を見やる。
彼の影は、夕日を浴びて長く伸びて、アルバの影と重なっていた。

 「ベディヴィア、知らない所で死ぬのは許しません。折角…折角、また、会えたのですよ」

 ベディヴィアはアルバの真っ直ぐな視線から眼を逸らし、沈黙する。

 「私は…一年前に死ぬべきだったのです…いや、死んでいるのです、もはや」

 影が、自分の中から漏れるのをベディヴィアは抑えられなかった。

 「ベディヴィア!」

 ベディヴィアは、ぎゅうと自らの防護服の胸の辺りを、傷を負った右手で掴む。

 「辛い…生きているのが…とても、苦しいのです。
何も守れなかった私が、のうのうと生きていて、自分で死ぬ勇気もない、
臆病な自分が憎い…。私も、死んでいった私の仲間達も…殺して貰いたいだけの、生ける屍なのです。
もう、私達の事は、忘れていただけませんか…。ここに居ても…この場所に居ても、私には息をするだけでも辛い。
ここに居たらきっと、私は、辛い思い出を、忘れ去ってしまうでしょう。
私は、私の傷を…覚えていたいのです…」

 ベディヴィアは、思わず詮無い思いを、苦渋の胸中を、晴れぬ暗闇を漏らし、明かしてしまう。

 アルバは──
言葉を失って、ぺたんと尻餅をついた。
ぽろりとアルバの眼から大粒の涙が流れる。

 「エドワード様を困らせた!」

 「泣かせた!」

 子供達の追及の叫びが、ベディヴィアの胸を刃となって突き刺す。

 「申し訳、ありません。…割れた騎士道であっても…
それしか人生の規範を頼るもののない私の、その道に拠れば、
私はここに居る資格は、ないのです。
姫様の騎士道だけは、決して傷つかぬように祈っております」

 決別すべく、踵を返したベディヴィアの前に、ふと影が刺した。

 「行かないで、ベディヴィアあ…」

 もはや、唯の少女の声で嘆願するアルバの声に、ドスンという物音、ムヲッというベディヴィアの唸り声が重なった。
あっ、と子供達は、ベディヴィアの向こうの影を見上げる。

 「死にたがっている人を、一人で行かせるなんて法は僕の騎士道にもないですね。
まぁ自分がやるならいいんだって気持ちは、よーくわかりますけど、ね」

 声の主に、当身を食わされ、意識を奪われたベディヴィアは腹からその青年に担ぎ上げられる。

 白衣を着込んだその青年の中肉中背の身の丈、
赤毛の、眼尻の垂れた細い眼を黄昏の逆光の中に認めると、アルバは彼…ドーリ・スコブッグの名を呼んだ。