025.Intermission:jam_S/R2





 雲を踏んでいるようなふかふかした、眼に眩い赤い絨毯に、
装飾も優雅な長机とソファー、壁に掛かった鮮烈な色彩の絵画、
その部屋の窓から覗く景観は美しくも面白く、ラス・プラスは窓の傍で、
髭をそり落とした己の顎をつるりと一つ撫でて笑う。

 そこにいるラスの相貌はいつもの怠惰な男、街の鼻つまみ者の貌ではなく、
長い髪は切りそろえて総髪にし、
服を見れば、真新しい若草色。
上着は脇腹に短いスリットの入った麻のシャツに、
末広がりのパンツという素朴ななりであるが
袖や裾、襟に洒落た装飾まで意匠されている。
いずれにせよ、普段のラスを知るものであれば、
その姿は、ラスだとすぐに気づかないであろう程には相違する印象を持ち合わせていた。
 窓の外を面白そうに眺めるラスは、
廊下から荒々しい足音が聞こえたのを認めると、窓から視線を切ってドアへと視線を送る。
客間のドアを荒々しく開け放って、毛皮の外套で豪奢に着飾った恰幅のいい人物…聖騎士、ソボ・コウが姿を見せる。

 「遅いじゃないか、聖騎士様。俺の話を忘れたのかと思ったぜ」

 キシシ、と笑うラスの声は、服装とは違い、いつもの酒に焼けた下卑た男の声の響きを持っていた。
真っ青な顔をして、ソボはラスの顔を物凄い視線でぎろと睨みつける。

 ソボは、四十代半ば過ぎの男性と言ったところであろうか、
英傑の気風は無いが、好人物そうな丸い眼と、丸い鼻、大きめの口を持つ相貌である、
が、しかし。
今はその顔は、怒りの色に燃え、頬の筋肉は小さくぴくぴくと引き攣っている。 ソボは、平静を取り戻そうとしているのか、
きちんと右から左に分けた黒い髪を撫で付けてから、ずかずかと室内に入室する。

 「終わったぞ、スラップ・スラ」

 ソボは、ラスの眼の前で歩を止めると、 ラスを威圧するように尖った声の色で言い放つ。

 「悪いね、ロリコン野郎」

 その声を軽くいなし、肩を竦めると、
ラスはふてぶてしく笑い、身体の沈んでしまいそうに柔らかなソファーにどっかと腰を下ろす。
忌々しそうに、ソボはラスを睨むが、ラスは知ったことではないと言った風に笑う。

 「本当なら、王都監獄警備の任務は、名も知れぬ騎士が当たれる仕事ではないのだぞ」

 「判ってるよ、だから、俺がこうしてその監獄を警備する部署を擁する法務庁の、
長官であらせられるソボ聖騎士にお願いに来たんだろう?
──俺の友達の騎士が、貧乏してて困ってるって言うからさ、麦やオリザや、米や塩、そういった日々の
支払いにも事欠いている有様だって言うからさ。
袖の下が豊富で、才覚があれば、商売だって出来てしまう
王都監獄の仕事を、友達に回してやりたいというお願いじゃないか」

 ニッと笑って、ラスは懐中から封の空いた封筒を摘んで取り出して見せると
ラスの小憎らしい顔を睨みつけていた、ソボの眼は、その封筒に釘付けになった。
今にもその封筒に食いつきそうな勢いでソボの身体が泳ぐ。

 「長官を前にして、収賄などと言うではない」

 言葉が、宙に浮いている。
ソボは言葉を発するものの、その、ラスが手にした封筒から視線を外す事が出来ないでいたのだ。

 「おう、こりゃ失礼…
ナイトガルドの騎士は公正明大、全く持って清廉潔白、いついかなる時も天道にてらしてやましいことはなし。
ナイトガルドの騎士道は世界に誇れる武士規範であり、騎士こそこの世を照らす光の象徴である…てな?
ヒヒヒッ、ぺらぺらとまぁ、国内のものに捏造させた手前味噌の文書だっていうけど
それにしたってくどすぎるってぇもんだ。全くよう」

 ラスは高名な外国人が【記したとされる】書の一文を諳んじると、失笑して肩を竦める。
彼が笑ったのは、
その高い評価をプロパガンダに利用してきたのは近代のナイトガルドの上位騎士たちであり
むしろそういった上位騎士たちは癒着や汚職に手を汚すものも多く、
結果、主神を崇める宗教から破門されながら正道をうたう宗教、
教育を取り仕切るいくつかの地方団体、
商社の利権、アジテーションを武器にした人権団体
民間への情報の発信を生業とする巨大な情報機関…これらを利用して、
巧みに潜入を測る特定外国勢力がその支配構造の中枢近くにまで潜入する事を許してしまい、
ナイトガルドに構造的な重い病を齎したものらも少なくは無いという現在の現実…
ソボのような、病を呼び込む因子をその身に孕みながらもそれに口をつむぎ、
国家の中枢に居座り続ける
人間の欲望が巨大であるが故に、
その益を浴びて欲望を肥大化させた俗物──
人造の怪物への超越者からの皮肉であった。

 こうした眼に見えぬ攻撃は東方のある大国や、その属国が仕掛けてくる潜在的な国益への攻撃であり
東方に弥幡ありとうたわれた旭陽弥幡国は、この攻撃によって深刻な打撃を蒙っている。
一部活動家の間で、女王にそれを訴える動きが広まりはじめているのが
最近四五年のナイトガルドの情勢の一面である。

 最も、ソボはそんな皮肉にも気付かない。
今の彼はそんな遠大な問題への皮肉に腹を立てるよりも
自分の進退にも関わる醜聞の種を如何に始末するかという事しか眼中に無い。

 「返して欲しいのは、ソボ卿の、ご友人の僧侶にあてた手紙だったな」

 くすんと鼻を鳴らして、ガサリと封筒を開き、ラスが中に入った便箋を取り出して、開く。

 「それか、よこせ、こやつ!」

 「あわてるんじゃねえよ、
…しかし、執政に噛んでいる騎士が女王陛下へ劣情を抱いて、それを坊主に懺悔している内容なんて、
いや、今見てもとんでもねえな、わかってるのかい、ロリコン野郎。
最も、人間様にとってのあんたの罪は本当はもっと別のところにあるんだろうが…。
──一つもわかっちゃいねえようだ」

 ラスはしげしげと便箋を何回も眺め回して
言葉を発するが、ソボの方はその便箋の存在を目の当たりにして尋常でない動揺を心中に発していると見えた。

 「うぬっ」

 ソボは眦に火を灯して、
ラスに掴みかかろうとするが、
ラスはひらりと身をかわすようにソファーから立ち上がって、興味深そうに便箋を眺め続ける。

 「約束が違うぞ、スラップ!」

 大喝するソボの表情をちらりとだけ見ると、ラスは溜息をついて、一息に便箋を半分に破る。

 「約束は約束だ。半分、返してやるぜ。
出るところによっちゃあ、あんたの人生が革命を起しかねない、この手紙をさ」

 「半分だと」

 「残りの半分は、約束を守ってるのを、俺が確かめてからだ。
それに、ここで全部を渡したら、俺がそのままあんたに墓場に送り込まれかねん。
俺の言っている事がわかるよな?
あんたの周りで偶然火事が起きたことや自殺が起こったことは何度あると思ってる。
とにかくあんたは…いや、あんたに限らず
人間てのはそういう風にしてきたモンだというのを俺は知っている。
俺だってたった一つしかない命は惜しい。
何も、答えは出ちゃ居ないからナ」

 ラスの差し出した、便箋の半切れを、それでもひったくるように奪うとソボは双眸の炎を、ラスに向ける。
炎で、万年の深みを持つ深淵、
ラスという暗闇の底に隠れる真実を見ようとするように。

 「貴様、ならば問うが、答えるか」

 「事によっては」

 フッ、と息を吐いて、眼を細めてラスが笑う。
物怖じをせずに笑うラスの笑い顔は、
悔しいが…怒り心頭の胸中にあっても、どこか、憎めない魅力を持っている、とソボは感じる。

 「一体、こんなものを何処で手に入れた。何処で知った」

 ソボは、手に取った便箋の半切れを掲げ、ラスに問う。
彼自身も、この手紙を知人に書いたのはずいぶん昔の事であるし、
その知人も、巡回した先の都市で病死をしてもう直ぐ一年になろうというものである。
未だに知人がこの手紙を後生大事に持っていたのはソボにとって計算外であったし、
今になって何処の馬の骨とも判らない、この、スラップと名乗る男がこんなものを持ち出してくるとはまさに、
これなん、青天の霹靂そのものという心持であった。

 「手に入れたのは、野垂れ死んだ、行き倒れの坊主の死体からさ。
知ってるのは、もともと知ってる。
──俺は、お前達が過去にしてきた事ならなんでも知っている」



 木賃宿の二階の窓を開け放した狭苦しい一室に置かれた申し訳程度の書机の前で
メーテは、ニールとの連絡の為に、掌サイズの石版、携帯魔装に指を置く。

 しかし、暫くそうしていてから今度もやはり、
連絡が付かない事を悟るとメーテは身体を埃まみれの寝具の上に投げ出して舌打ちを鳴らした。

 ニールからの連絡は
目標を補足した、準備の為に待機されたしという連絡が入ったのを最後に、途絶ていたのだ。

 (野郎、ドジ踏んだか?
このまま連絡が無いようなら、スポンサー筋でなにかあった臭いとなるよな。
様子を見てずらかるか)

 メーテは思案を巡らせる。

何から何まで不明瞭な事だらけの暗殺の請負を受けたのは確かに受けたが、
メーテという男はモラルやルールに縛られず流れを見極めて、
どんな極限状況であっても生き抜く能力とセンスを有している。
その為に彼は約束を反故にすることくらいは平気で
やってのける男であるし、それだからこそ、どんな修羅場を潜っても生き延びてもこれたのだと自負している。
その、彼のセンスが不穏なものを訴えているのだ。

 ギチと廊下の床が鳴いた音に意を留めて、メーテは眼を細める。
メーテは、垢と脂で薄汚れた寝具に投げ出した身体を起して無精ひげを一つ撫でた。
 抜き足で、誰かがこの部屋の前を歩いている。
ギィともう一度足音が鳴った。

 ──この、床の軋む音。
普通の人間の体重で軋んだ音じゃあない。──

 外套を、ライフルケースに挟むように肩に引っ掛けて、
メーテは大型拳銃をホルスターから抜き、ガチリとスライドを引いた。

 ──様子を見るまでもないようだ。──

 机の上の携帯魔装をがっしと掴んで、
懐に放り込むと、メーテは窓のそばに抜き足で忍び寄って、開け放したままの窓に足を掛ける。
ドアが音も無く開き、拳大の鉄の円盤が、するりとドアの隙間から投げ込まれた。

 来た、とメーテは窓に掛けた足に力を込めて、拳銃を握ったまま窓から身を投げる。
窓の下の、隣家の天井に着地するのとほぼ同時に、
メーテは自分の影が強い光によって焼け付くのを見て、背中で爆発音を聞いた。

 今さっきまで自分が居た部屋が、
爆裂弾で攻撃を受けた、とメーテは目星をつける。
投げ込まれた円盤は、
爆発による衝撃と構造体の破片を飛散させる事によって攻撃目標を負傷させる事が目的の魔法が付与された代物であろう。

 ガンッと天井の上を、靴を鳴らしてメーテが走る。
制圧の為に部屋に踏み込んだのであろう、
白兵戦用防護服と一体になった、マスクとゴーグル、それにフリッツヘルムを装備した四人の黒衣の騎士達が、
メーテが部屋から逃げた事を察知し、銃剣付きの小銃を手にして、次々と部屋の窓から天井に飛び降りてくる。

 「こいつは、ヤベえ!」

 振り返ってメーテは手にした
大口径拳銃を発砲するが、既に騎士達は散開し、各々違う方向からメーテに迫ってきている。

 黒衣の騎士達は、領土権益をも持たず、しかし、
王都に仕えながら人質を差し出すことを免除され、
金銭的にさまざまな優遇措置をその身に受けた、
猟兵騎士団、
禁騎士団の手練どもであった。

 メーテは再び踵を返し、路上に飛び降りようと突っ走る。
後ろからアサルトライフルを発砲した騎士の銃弾が、メーテの背負ったライフルケースに着弾して火花を上げる。

 懐の内で、メーテの携帯魔装が震えた。
メーテは、軒と軒の間の、狭いスペースに滑り込むように飛び降りる。
飛び降りた先の出窓の縁を踏んでから、
さらにその下の路地に飛び降りて左手で自分の首に掛けた丸いペンダントトップを摘む。

 「ニールか!禁騎士の襲撃を受けて、ずらかるところだ!後にしてくれ」

 メーテがあたりをつけたように、連絡をして来たのは暗殺の仕事の橋渡し役、ニール・ファフだった。

 「申し訳ない、対抗勢力が、追っ手に放つのは市民階級の兵士では不足と考えたのか、
禁騎士を動かしました。始末して、合流できそうですか?」

 メーテは、転げ込むように路地に積み上げられた木箱の裏に滑り込む。

 「しろって話なら、何とかするがな…こいつらを黙らせるのは別料金だぜ」

 「頼みます」

 じりと、メーテの額から脂汗が流れる。
動きも、覚悟もこの間襲撃を受けた相手とは訳が違う。
木箱の陰からメーテは顔を出そうとして直ぐに引っ込めて、上方を見上げて、開け放してある民家の出窓を睨む。
騎士の放つ弾丸が火花を立て、木箱の角を削った。
くっくとメーテは笑う。

 「別料金は、情報だ!結局、おたくらはどこの誰の手のもので、こいつらとおたくらはなんなんだ!」

 三発、メーテが引き金を上方の出窓に向けて絞る。
弾丸は三つ並べてあった鉢植えにそれぞれ全て命中し、二つは割れて、
一つは路地に落ちて、ライフルを抱えて駆け寄る騎士の一人がは足を止めて、鉢植えを避ける。
鉢植えの並んでいた出窓の家の家人は、
銃声を聞きつけて既に動揺していたらしく、鉢植えが割れて悲鳴を上げるのが聞こえた。

 空中を円盤状のものが飛来してくるのが見えて、足を突っ張ってメーテが立ち上がる。
大口径拳銃トイ・ザグルを両手持ちに構えると、メーテは片目を瞑って引き金を絞る。
ドン、という銃声と共に、投げられた円盤は銃弾に貫かれ、ぐらりと空中で揺れると、失速して遮蔽物を越えずに落ちた。

 「円盤撃ちの選手に転向しようかね、へヘッ!」

 直ぐに遮蔽物を背負ってメーテがしゃがむ。
遮蔽物の向こうで魔法が発動し、手投げ円盤が爆発する轟音が鳴動し焼けた煙と埃を巻き上げ、衝撃で木箱を震わせる。
メーテは、これを好機と遮蔽物の陰から身を乗り出し、
もうと巻き上がった砂埃と、
木箱の砕けた破片の向こうにギラと光る黒衣の騎士のシルエットを一つ捉えると、反射的にトイ・ザグルを一射する。
ボパアンというこもった音と共に、頭を突き抜けた弾丸に粉砕された後頭部から、爆発するように中身をぶちまけた
黒衣の騎士の一人がぐらりと身体を揺らして垂直に倒れたと見えた。

 「ブルズアイ、頂いたぜ」

 メーテの拳銃から排出された薬莢が跳ねる音が焼ける。
メーテは続けてトイ・ザグルを牽制に一発撃って新しいマガジンをサイドバッグから、
取り出して遮蔽物の陰に再び転がり込む。
続けざま、マガジンを落とし、それが地面に落ちない内に新しいマガジンを銃床に突ッ込んで、スライドを引く。

カツンとマガジンの落ちる音が鳴るのを合図に、メーテは後方、開け放してあるままの飲食店の勝手口に向かって疾走する。

 熱い痛みが、メーテの左腕を抉った。
ライフルの弾丸の一発が、メーテの左腕、上腕部を捉えたのだ。
 カッと呻いて、メーテは勝手口から戸内に転がり込む。

 「ヒィッ」

 逃げ遅れた飲食店の調理師と思しき壮年の、
恰幅の良い男性が一人、腰を抜かしているのを見て、メーテは自分のコートを脱いで頭からひっ被せた。
 「オッサン、悪いな。これ、持ってくれ」

 メーテは、手近な人間の胸板ほどな大きさの小麦粉の袋を一袋抱えて持ち上げ、
男性の腹の上において、半ば強引に両手で持たせる。

 「よーし、いい子だ。はい、立って。それ持って、そこから通りに出て行く」

 言葉にならない声を上げて、男性は首を振るが、半ば殴るようにメーテは右手の拳銃をコートの上から押し付ける。

 「俺に此処で撃たれるか、撃たれるかもしれないが出て行くか選ばせてやるってんだ──さッさと選べ、ブタッ!」

 拳銃のスライドをガチリと音をさせて口で銜えると、
メーテはコートごと、男性の襟首をヒッ掴んで勝手口から外に叩き出し、自分は片膝を付いて、再び拳銃を右手に持って
負傷した左腕を右ひざの上に乗せて、
さらにその上に拳銃を握った右腕を乗せて、クラウチングスタイルで射撃姿勢を取る。

 勝手口まで間合いを詰めてきた騎士の一人が身体を返して、
小銃を構えるが、男性の存在を認めて、僅かながら銃口を泳がせた。

 その逡巡を見逃すメーテではない。低い姿勢から相手を待ち伏せていたメーテの銃口が火を噴いた。
騎士の頭部、左目の辺りが銃弾に爆砕されて一瞬に歪み、吹き飛ぶ。
間近でその銃声を聞いた男性は、びくりと足を止めて
再び腰を抜かして地面に尻餅をついて、眼前の、半分頭の吹き飛んだ死体の酷い有様と血の海を見て恐ろしい叫び声を上げて失禁する。
むせ返りそうな硝煙と血の匂いの中で、チッとメーテは舌を鳴らして男性の方に飛び出る。

 「起きろ!」

 ガツと骨を鳴らして、銃床で男性を一回殴ると、メーテは男性に後ろから再び銃を突きつける。
男性のこめかみは、殴られた拍子に皮が擦り切れて血が滲んでいた。

 「両手を上げて向こうに歩け。今は一蓮托生と行こうか。ちゃんとやりゃあ撃ちやしねえよ」

 物凄い目で男性を射ると、人質を取った、一人そっちによこすから、撃つんじゃねえ、と
メーテは続けて勝手口の向こうにも聞こえるように大声を上げる。
やれ、としゃくれた顎でメーテは男性に通りを示してみせる。

 男性は震えながら、メーテの銃口を背負って通りまで歩き始める。

 メーテは、拳銃を膝を付いた姿勢で構える。
メーテは、感覚を研ぎ澄ましてその肌で風の流れを感じると
深呼吸をして、今解放した男性の歩調に合わせて、数を数える。
肉を削られて、膝に乗せた左腕の傷が、惜しげもなく流れる血が袖と膝と地面とを汚し、痛みを教える。
生のサインを感じて、メーテはその焼けるような甘い感覚にいつの間にか、唇を歪めて笑いを漏らしていた。

一、二、三…四・五…六
瞬きもするまいと張った神経が、眼を見開かせたまま、男性の背をきと睨んでいる。
ぐいと男性が、メーテがさっき隠れていた木箱の山の後ろに引っ張りこまれる。
影が、木箱の向こうから微かに地面に伸びているのを認めたメーテは
フーッと息を吐いて角度をつけて、木箱の向こうの民家の壁を一射する。
チュンと壁が鳴いて、影が驚いて中腰になったのかほんの少し伸びる。

 「お代は見てのお帰りだ」

 メーテは、ぎしと奥歯を噛んで、右腕を僅かに持ち上げると、
何かを確認するように、拳銃のドットサイトを睨んでから眼球だけを動かして上下左右に視線を走らせる。
最後にぴたと目玉を止めて、先ほど撃った壁と、路地の向こうの太陽の位置を見定め、くすんと鼻を鳴らして
彼の三白眼がぎゅうと縮まる。
そうして、メーテはトイ・ザグルを撃って、ホルスターに収めた。
壁が火花を散らして、影が震える。
跳弾が、騎士の首筋を捉えたのだ。

 メーテはやっとの事で立ち上がると、勝手口からふらりと踏み出す。

 「人質はもう一人いるんだぜ、小銃をこっちによこせよ、真昼の決闘と行こうじゃないか」

 残る一人の騎士はしかし──応じない。

 ──逃げたか?いや──
奴らは猟兵だ。狩られる事なんて想像すらしねえ、ひでえイカレでカタワの物狂いだ。
どっかのだれかと同じで。
そんな奴が、こんな状況でどうする?逃げ帰るだと、馬鹿馬鹿しい。
応援なんぞ魔装で呼べるんだ。
生きても死んでも変わらないなら…。──

 メーテは、右のサイドバッグから煙草を取り出して、口に銜える。
仁王立ちするメーテの前に、木箱の陰から騎士が姿を現した。
ハハッと笑って、メーテが両手を広げて肩を竦める。

 「そら見ろ、やっぱりこいつもイカレの物狂いだ」

 騎士が、フリッツヘルムを外して投げ捨て、騎士の茶色い、長い髪が露になる。
メーテは、その騎士の姿にエクスに似たものを見出した。
騎士は、ゴーグルも外すと切れ長の眼でメーテをぎろと射ると口を開いた。

 「イカレの物狂いのクソ野郎、人質はどこだ」

 マッチで、メーテが煙草に火を灯す。

 「いねえよ、そんなものはヨ」

 フゥーッとメーテが長く煙を吐く。

 「そうか、やっぱりか…」

 ぶらぶらと小銃を揺すっていた騎士が、小銃を投げ捨てる。
軽く、取り回しのしやすい予備の拳銃を使う積りだろう。
メーテは無言で、まだ長い煙草を薬莢の転がる血溜まりの中に投げ捨てる。
ジュウと音を立てて、血溜まりから煙が上がって、立ち消えた。

 「もういいのか」

 「ああ、俺はな。おたくは、タバコはやらねえのかい」

 「吸わん、頭が分泌する麻薬の方が良い」

 「なるほど」

 風が僅かに吹いて、生臭い匂いと砂埃を運ぶ。
がちりとメーテと騎士の視線が噛み合って、メーテは僅かに頷く。

 「じゃあな」

 「ああ」

 騎士の右手と、メーテの右手がホルスターに走る。
銃声が一つ、血で湿った空気を切り裂いて鳴り響いた。



 赤い絨毯の敷き詰められた禁殿の長い廊下で、鳳眼を僅かに動かして、
シツダ・ルタは仮面の騎士・ニール・ファフを睨む。
廊下に規則的に並ぶ、ナイトガルド歴代の英雄を美しい彫刻で彫刻した白い柱が、
その二人の間の緊迫した空気を、固唾を呑んで見守っている風な空気ではあった。

 「ニール・ファフ。
貴公の放った刺客とて、禁騎士を相手にいつまでも戦い続けられまい。
ヨシュアの考えも判るが、手を引かれたい」

 「この重要なタイミングで、クロウス・アーメイを野に放つのには私も、ヨシュア卿も賛成できません」

 「あの男の意思を封じれば、禁殿に報復が向き兼ねんぞ」

 「目指す敵は同じなのです、クロウス卿とて理解はしてくれましょう」

 「ルサンチマンを作るのは、抑圧された人の心と言うぞ、今の環境が抑圧以外の何であるか」

 声に威厳を乗せて、シツダはヨシュアの手先と思しき
甲冑にマント、鉄仮面で正体を隠す騎士を咎めるが、追及をかわす様にニールは肩を竦めて見せる。

 「どちらにしろ、あれはもうルサンチマンになるほかありません。
それなら、使いたいときに使える様手元において置く方が我々の利になるというものではありませんか。
畏れながら、シツダ卿こそ、私情に囚われて、大局が見えていない様にも見受けられます」

 平行線であると感じたシツダは、首を横に振る。
苦渋に満ちた表情で、刹那、眼を閉じると眼に光を灯して、直ぐに眼を開く。

 「人々が利益だけに眼を捉われていた結果が、今日のナイトガルドのありさまだとは思わないようだな。
なら…いいようにするが良い」

 「かたじけない」

 話は終わったと見て、ニールはシツダの横をすりぬけようと一歩を踏み出す。

 「だが」

 シツダは、一段低い声で言葉を紡ぐ。
その声の持つ凄みに、ニールは思わず、シツダの背中を省みた。
シツダも、顔を少し傾けて、その、静かでありながら強い眼力でもって、ニールを横目で射る。

 「私も、いいようにするぞ。
クロウスの意思、目覚めうる衆生の意思というのを尊重するのが、
ルサンチマンに抗する方法だと考える私の主張であり、信念だ」

 「勘違いをなさっているようですな、禁騎士団は、貴方だけが動かせるわけではありません」

 「もはや、言葉を紡いでも決着は得られまい、
ヨシュアも禁騎士団を動かすというなら、それもそれで結果の一つだ。念頭に入れておこう」

 すと手を伸ばして首を横に振ったシツダの動きを機として、ニールも軽く頷くと、今度こそシツダと反対方向に歩いていく。

 「カルマ…吾が娘もまた…人間と共に試練の海を泳ぐ」

 シツダは、ニールの背中を見送ると、口中に言葉を溶かして、自分も正面を向いて、長い長い廊下を歩き始めた。



 ──姫様、何を泣いておられるのですか?──

 ベディヴィアの夢の中で、少女が泣いていた。怖い怖いと声を上げて、泣いていた。

 ──しかし、私はこれから夜警の当番で出かけなくてはいけません、
姫様は今日も泣くだろうと思って、代わりの騎士を用意しました──

 ベディヴィアは、後ろ手に回していた両手を前に持ってくると、自分のお手製の小さな騎士のぬいぐるみを少女に手渡す。

 ベディヴィアは手芸が得意で、繕い物なども趣味によくしている為に、
その頃は良く、仲間の騎士からベディヴィアお姉さんなどと揶揄されてからかわれていた。

 可愛らしいウリ坊の頭の乗った騎士のぬいぐるみを少女は両手で手に取って、じっとベディヴィアの眼を見る。

 ──泣いてはいけませんよ、泣いては、守ってくれている騎士も悲しくなって、泣いてしまいますからね──

 眼を細めて、ベディヴィアが笑い、眼を開けると天井の木目が目に入った。
ああ、そうか─当身をもらって昏倒していたのだ、とベディヴィアは
ベッドから身体を起し、ベッドの淵に座ると、
小奇麗なシャツと、踝までの白いパンツを履かされた自分の傷だらけの身体をしげしげと眺める。

 「起きたんだ」

 抑揚の無い声に驚いてベディヴィアが顔を上げると、簡素な白のパンツと、
袖が少し長いだぶだぶしたシャツを着た、白に近い金髪の、
少年か少女か判断の出来ぬ中性的な印象の人物
…年のころは、十六か十七くらいであろうか…
とにかく、そのような人物が一人立っていた。

 「私は、どれくらい寝ていたのかな」

 ベディヴィアの発した問いに、人物は答えなかった。
君?とベディヴィアが、人物に呼びかけると、細い指先で、人物はベティヴィアの腹を指差す。
ぐう、とベティヴィアの腹が空腹を訴えて鳴いた。

 「大体、そのくらい」

 素っ気無い言葉だが、ベティヴィアは不快なものを感じなかった。
不思議なものであるが、
声を聞いて、この人物はこうなのだと、
すっかり判ってしまった気になっている自分に、ベティヴィアは少々驚く。

 黒い瞳を少し動かして、人物はドアに向かう。

 ベティヴィアは、声を掛けるのも悪い気がして、無言のままで人物の背中を見送った。

 この場所──アルバは、シャングリラと名づけたこの集落で、
モルレドウ領からの援助を受けているとはいえ、
ルサンチマンとの交戦が極度に少ない地域を作り上げ、
自給自足の循環した生活を作り上げられたのは素晴らしい事だと改めて、ベディヴィアは感心する。
しかし、それでも、まず彼が思考を巡らせたのは…一体、いつ、どうやって出て行こうかと言う一点であった。
溜息を付いて、彼は木造の建物の二階から、日の落ちる間際の…周囲の、黄昏の風景に眼をやる。

 「お加減はどうです、ベディヴィア・チューナー卿」

 ぼうッとベディヴィアが考えをめぐらせる内に、軋むドアを開いて男が一人、手にバスケットを携えて入室する。
その直ぐ後ろには、先ほど部屋を出て行った不思議な人物が付き従っていた。

 振り返ってそちらを見れば、男は、あの時ベディヴィアに当身を食わせた赤毛の、白衣を着込んでいた男であった。
はて、よくよく見れば、この男、それ以前にどこかで見たような、とベディヴィアは小首をかしげる。
 「初めまして?ですかな。
僕はドーリ・スコブッグと言います。この子はエスター・コモン。見知り置いていただければ」

 「初めまして…?」

 ベッドの脇のチェストの上にバスケットを置くと、
ドーリは手近に合った椅子を手元に引っ張ってきて、背もたれを前にして座る。

 「僕は、此処何年か、王都に技術協力を兼ねて、高名な教授に教えを請いに行っていたので
会った事は、多分無いとは思いますが…もしかして、どこかでお見受けした事も…ありましたか?」

 「ああ、ドーリ・スコブッグ卿。農業の発展で名を成した…。オリザの品種改良に成功した人ではないですか」

 若き天才、ドーリ・スコブッグの名はベディヴィアも聞いていたし、
まれに帰省していた時であろう、前エドワード卿と話していたのを目の当たりにした事もあった、と
彼は記憶の箱のそこからそれを取り出して膝を打つ。

 ご存知で居てくれたなら話が早い、とドーリは人の良さそうな笑顔を満面にたたえる。

 「グーヴァイン市の事件を機に、戻ってきたのですか」

 「…ええ、そこのエスターと、双子の弟、エステルを連れて戻ってきて…
全くの偶然では有るのですが、アル…エドワード様を保護してから、グレン・オウディス卿に行き当たりまして」

 複雑な胸中を隠すように、ベディヴィアは眼を伏せる。
しかし、彼が居てくれなかったら、アルバだって生き延びられていたかどうかわからない。
悪いのは、ルサンチマンの前に為すすべなく敗れ去った自分たちなのだ。
彼にどうのこうのというのは筋違いというものだ、とベディヴィアは再び自責の念に取り憑かれて、唇を軽く噛む。

 「僕も、グーヴァイン市に居たならば良かったのですが…」

 その思いを見透かされたかと、ぎくりとしたベディヴィアはあわてて顔を起して、なんのと否定する。

 「御身には、御身の役割があの時は有ったと言う事です。
その役割に殉じていたから、天佑があって。ア…エドワード様と出会える運命の導きがあったのでしょう。
あの場に居て…万が一にでも命を落としていたら、グレン卿ですらどうなっていたかもわからない戦場で、
アルバ様は一人で居なければなら無かったのかもしれないのですぞ」

 「ベディヴィア卿、忝いお言葉です…そのような貴方だからこそ、
あエドワード様も、あの時から貴方の名を呼んでやまないのでしょう」

 どうぞ、とドーリが脇のチェストのバスケットの上に掛けられていたクロスを取り払って、
ベディヴィアにバスケットの中の餅を食べる様促す。

 「…それは、私が妹を病で早くに亡くしたから、
よくあエドワード様を構っていたと言うのがあります。所詮、自分のためですよ」

 ベディヴィア卿、と宥めるように柔らかな声でドーリが声を上げたところで、トントンとドアがノックされる。
どうぞ、とドーリが声を上げて、ドアが開く。半ば飛び込むようにアルバがそこに飛び込んできた。
素朴なチュニックに落ち着いた茶色いスカートを履いて、殆ど転びそうになりながら室内に飛び込んでくると
アルバはベディヴィアが起きたというのは本当ですか、と声を上げる。

 「エドワード様、見ればわかるだろう。
座ったままの寝る癖のある知り合いでも居るっていうなら別だけどさ」

 アルバに付き従ってきたエスターと瓜二つの少年は、
エスターとは対照的に表情豊かに笑い顔を作って、転びそうになったアルバを助け起す。

 あはは、と声を上げて笑うとドーリは、ベディヴィアに顔を寄せて、「あれ、僕の癖の事ですよ」と耳打ちした。

ベディヴィアもくすりと笑って…ほんの少しだけ、鬱々とした気持ちが晴れたような気分になった。