026.Shadow Run:6_Do Raven Dream Of Raven?(tuned:1)





 盾の騎士団付属学園、八番ドック。

 「わあ」

 ザノンが、ネルの、白い肌がそちこち露出した防護服姿を目の当たりにして、素っ頓狂な声を上げる。

 「わあじゃないよ、何か文句でもあるの。むしろ文句を言いたいのは私な訳だけど。私涙目」

 むっとしながら、顔を赤くしてネルがザノンに言うと、ザノンは反応に困るのかついと眼を横にやる。

 「マシーンも新型なら、ネルの防護服も新型だってさ」

 防護服に着替えてきたリブラがザノンの肩に手を置いて声を上げる。

 「わざと露出を増やして、マシーンからの干渉も鈍くする効果を狙ってるんですかね?」

 ザノンが、自分の制服のカラーに指を掛けて、ぱちんと音をさせてホックを外す。

 「さぁねぇ、有るのは目の保養効果だけじゃないのか。
防護服のことまではわからんけど、そういうのも、あるのか?」

 リブラが若干驚いたように手を引いてザノンに視線を送る。
ザノンは人差し指の背を背中に当ててちょっと考える素振りを見せて…
「何となくそんな気がしたんです」とだけ答えて、制服の襟を開いて、上着を脱いだ。

 「志願兵は皆この服なんですかね…?」

 ネルにザノンが制服の上着を差し出すと、
ネルはひったくるように上着を奪い、肩と背中を隠すようにザノンの制服を羽織る。

 「ないだろ、さすがに…」

 リブラがザノンの問いに、一拍の間を置いて不安そうに答えるが、確信は持てているわけではないようだ。

 「ないよー、その防護服は過敏になってる部分もあるから、
その子みたいな特殊な体質の子でないと調整が巧くいかないデメリットもあるんだ」

 「ヒサノ」

 ザノンが、声の聞こえたドック上部に据え付けられた
通路に眼を向けると、三人の会話を聞きつけたオレンジのつなぎに身を固めた
ヒサノが、通路の柵に頬杖を着いているのが認められた。
ヒサノは三人の視線が集まるのを待ってから、
にこりと笑い顔を作るとハーイと声を上げてひらひらと手を振ってみせる。

 「先輩でしょ?」

 ヒサノ・クランは男子生徒の間で、ザノンよりも小柄な身長と、
その可憐で、人形のような整った容貌に起因して相当人気の有る少女である。
そのヒサノを親しげに呼び捨てにしたザノンの声の色に意を留めて、
怪訝そうに眉にしわを寄せたネルがザノンに問う。

 「…ヒサノ先輩」

 ちょっとザノンの声が上ずったのに気付いたリブラが顔を背けて失笑する。

 「シミュレータ用に同期とって、設備魔装に接続したよ〜、シミュレータ、もう使えるはず。
バッソウのコントロール周りさ、いいみたいだね、あれ。
シミュレータのラグも減ってるはずだよ、今までに比べて」

 「ご苦労だった、ヒサノ・クラン」

 モニター室から、ガーハートの声が四人のところに届いて、
ヒサノはそちらに向けて軽く手を振ってから、その手を口の脇に当ててメガホンの様にすると
眼下の三人に声を上げる。

 「ヘキサと焼肉食べる為に、休憩と外出の許可取ったんだから、時間は守ってね」

 「肉!?肉だって!?何のに…」

 ザノンが思わず大声を上げて、
ヒサノの方に身体を向けるが、間髪入れずにネルが背後からザノンの腰を軽く蹴る。

わっとザノンはたたらを踏んで、ネルが腕を組んでザノンを睨む。

 「ちーび、はやくやっぞー、ばーか、ちーび、くいしんぼー、ちーび」

 「おまっ…ちびって言うなよ!

 面白くなさそうなネルの声と、軽く不服の声を上げたザノンのやりとりを間近で
見ていたリブラがもう溜まらなくなって、笑い声を上げた。



 月の隠れる雲の夜。
虫の声が寒さを想起させる叢。
叢の纏う湿気は、霧さえ孕みそうな寒々とした空気をあたりに漂わせている。
見渡せば、白樺の木立が数知れず屹立する林。
夜の空気は冷たく、それで居て重く、ねっとりと肌に絡みつくように漂う。 眼を凝らしてみれば、その、重い闇の中をうごめく影がそこには、確かに有った。

 影は頭部保護具が一体化した黒い防護服に身を包み、
腰に大振りのククリナイフを帯剣した男性は、
中腰の姿勢で慎重に歩みを進め、草むらにしゃがみこむ。
硬質で肩幅の広いシルエットは男性の物だろう。
彼の頭部全体を覆う頭部保護具は、頭部の輪郭を忠実になぞりながら、
眼、鼻、口と言った部分も塞がっており、代わりに頬の部分には横に伸びるスリットが
三重に入っている。
額にあたる部分の中心には、魔装として機能する赤い石が一つ据え付けられているものの
のっぺらぼうと言った印象を抱かせる頭部保護具である。

 彼が姿勢を低くするのとタイミングを合わせて、
虫の声を遮るように微かに草むらがカサリと鳴らされる音がそちこちから上がる。

 男性は首を回して左右にそれぞれちらと顔を向けてから
自分の防護服の肩にすえつけられた、蛇腹状の金属装甲に左手を置く。

 「ゴールデンコヨーテ、歩兵部隊デビッド班から──
ゴールデン・コヨーテ、シール領支部、応答されたし」

 影が叢から一つ二つ跳ねて、デビッドの後方に接近すると、着地して拳銃を中腰の姿勢で構える。
しゃがみこむデビッドを守るように影が移動した後、
更にその後方の影もゆっくりと…後方を警戒しながらであろうか。
デビッド達に近づくようにじりじりと移動を始める。

 「ハーイ、こちら、ゴールデン・コヨーテ支部、リンドウよ。デビッド・ハント班長、状況はどう?」

 デビッドの声に、コヨーテのオペレータの女性が程なくして応答する。
どこかに中継用の魔装でも設置してきたのであろう、
支部との距離は大分離れているにも関わらずデビッドの耳が捉える音はクリアだ。

相手の発言が問題なく聞き取れる、
自分の発言も聞こえている事を確認し、デビッドは軽く頷いてから言葉を切り出す。

 「最終的にアレキサンダー・ピアス卿配下のスカウト部隊と、
俺の部隊のどちらかが、当たりだろうという所だったが…
当たりは、どうやら、俺達の方だ。モルレドウ市がかつて使用していた
…つまり、北部基地跡地で、リストに一致する民間人を大量に確認した」

 頭部保護具でその顔は伺えない物の、力強さを感じさせるハスキーな声でデビッドは淡々と報告をする。

 「生体データ、放出霊子パターンデータは採取できた?」

 重要事項であろうか、リンドウからはすぐに質問が返ってくる。

 「後者は、リストにあった分は全て確認した。
前者も、ごく一部の民間人のものは採取に成功している。
可能な限りのデータを採集したので、情報量が多くなり、圧縮をしてある。
圧縮した物の中から、重要なカテゴリの物をピックアップしておいた。
保護具デバイスから一次転送したい、受け入れを頼む」

 デビッドの手際の良さに、リンドウが感嘆の溜息を吐く。

 「さすが、コヨーテ一のスカウトね…」

 やって、とリンドウがOKの返事を出すとデビッドは装甲に当てたグローブを動かし、左手の人差し指で装甲を叩く。
ウーン、と篭るような音が微かに鳴り、デビッドの右肩の装甲が、燐のような隠微な青色の光を放つ。

 装甲は、ニ三秒ほどそうして光っていたが、
やがてその音と光を段々と収めていく。
自分のもっていた情報が、通信の相手へと転送されたとデビッドが認識すると、
首を僅かに動かして、仲間達に拳銃を握った手でハンドサインを送る。

 「お褒めの言葉は、マシーン部隊と合流してからにしてくれ。
まだ仕事は終わってはいない。」

 「了解、モルレドウの騎士団は、実力は折り紙つきの連中よ。油断しないでね」

 前方のデビッドの仲間二人が、デビッドのハンドサインを受けてじりじりと前進を始めた。
デビッド自身も若干腰を高くし、やはり、狭い歩幅で前進を始める。

 「ああ、転送が終わり次第シール領のコヨーテのキャンプを目標に、撤収を開始する…では」

 「ご無事で、デビッド・ハント」

 デビッド・ハントは元は主に営利誘拐や、破壊活動を背景に
弱小領土や宗教団体を恐喝して活動資金を獲得する事を生業にしていた
民族系テロリスト組織【グリード】の、若いながらも腕利きの工作兵だった。

 グリードの首魁シバ・グリードが五年前、中央──つまり王都の聖騎士の扱う
塩の地方取引、地方自治に組み込まれない莫大な財源の影に生じる利権の一部、
地方において部分的にそれを仕切る利権に踏み込んでしまったが為に
禁騎士団によって暗殺され、グリードは分裂し、弱体化した多くの組織は自然消滅、或いは空中分解した。

 彼もまた、その例外ではなく、籍を置いていた組織が弱体化した為に
それまでの様な運営が立ち行かなくなり、迷走した挙句に
武装した農民や、それまでならば日和見を決め込んでいた
騎士にも幾度となく返り討ちにされ、挙句ルサンチマンの発生に巻き込まれてその拠点を失った人物の一人である。

 しかし、事実、リンドウという女性がそう評したように、
ゴールデン・コヨーテの中でもデビッド・ハントのスカウトとしての能力は突出していた。

 魔装鎧で戦闘をする場合にも、情報、それに工作兵による工作というものは重要である。
それはルサンチマン相手であっても非常に重要な意味合いを持ってもいる。
人間相手というレアケースであるものの、クンダリニ領、シール領の依頼を受けて
行方不明者の幽閉場所の特定に当たっていたデビッド達は、その能力を遺憾なく発揮していた。

 アレキサンダーなどは、
「情報を制するに、ああいった男は欲しいな。なんとか我々のものにならぬものだろうか」
──と、この一件でのデビッドの能力を目の当たりにして評している。

 「200アルシーブ圏内(200A)、特定サイズ以上の霊子放出反応なし…進路クリアー」

 前方の兵士からの通信に軽く頷いて、デビッドは後方の二人にも眼をやり、通信をチームの全員に送る。

 「よし、基地を出るまでの辛抱だ、各員引き続き注意されたし」

 マスクの中が多少蒸れるのか、眼に妙な痒みを覚え、
デビッドは二、三度瞬きして、顔を暫し伏せてから起こす。

 デビッドたちが現在いる場所は、緩やかな斜面になっており、
基地跡の中心部であった場所に続く舗装された道路が、その斜面の下に続いている。

 改めて、白樺の木立をデビッドは見渡し、途中で視線を止める。

 さァッと微風が吹いて、デビッドの眼に白い影が映った。

 はッとデビッドは息を呑む。

 デビッドと十五歩から二十歩分…15Aほどの距離を離れて前方を警戒する兵士達の更に10A程の距離を置いて、
やや右前方、白樺の木立の間に、女が一人立っていた。

 年の頃は十四、五だろうか?
細く、小さな背丈と顔立ちからは…背丈から見るに
女、と言うよりは少女、と言ったほうが正しいだろう。
兎に角、その少女は身に薄手のマントを外し、白い、袖の無い白いワンピースに、
赤いチュニックと、それよりも暗みを帯びた赤いショールを首に巻いた姿を現すと…
小首を傾けてデビッド達の方をじっと見ている。

 丸い輪郭に、白い肌の腕。こちらを伺う、大きな碧い瞳。
茶色い髪の毛は後ろで留めてセミロングの髪の毛をハーフアップにしているようだ。

 その顔の無表情を睨んで、デビッドはぞくりとする。

 ──こんな所に、普通の少女がうろうろしている筈はないが…。
それに、この少女はいつ、どこから現れた?
もしや、この少女は中心部から自力で脱出してきた拉致被害者だろうか?──

 「きちんと見ていたのか、何がクリアーだ、馬鹿者!」

 デビッドは反射的に叫んで銃を構える。

 身なりを見れば、そう推測も出来るが…
この少女の正体がはっきりしていない以上、うかつなことは出来ない。

 「女!何奴であるか!」

 前方の二人も、少女と間合いを取るべくバックステップすると拳銃を抜いて構える。
しかし、少女は首を傾げて、人形のような無表情で立ち尽くしたままである。

 デビッドが、この妖人を見極めようと首を僅かに動かした刹那…。



 クッ、と鳩の鳴くような音がした。



クッ……、クッ…、クッと白樺の木立の間を、物音は次第に間隔を短くして、
林で人を迷わせる妖精の声であるかの様に駆け巡る。



 「顔が無い」  少女が、表情を変えぬまま、小さく、しかしよく通る美しい声で呟いた。



 「質問に答えなさい!さもなくば、本意ではないが、無力化せざるを得ない!」





 「お兄様と同じなんだ」





 また、クッと音が鳴る。





 少女がそこでやっと、表情を崩して可憐な笑い顔を作った。






 物音は、少女の笑い声だったのだ。






 「お兄様と、きっと仲良しになれるね。それで、誰がお兄様なの?」






 声に、何か異様なものを感じてデビッドは引き金を絞る。

 タァンという乾いた激発音と共に、弾丸は少女の足元三歩ほどの場所の土を削って着弾する。

 「答えたまえ!次は外さないぞ!君は何者だ!」

 「何者…?」

 デビッドの声に、少女が、首を傾けたまま、びくりと身体を震わせた。
口元は、笑い顔のまま、引き攣ったように釣りあがって、顔に張り付いている。
しかし、その眼は見開かれ、虚空を泳ぐ。

 「私の名前は、お兄様に上げてしまった…でも、その名前をお兄様は捨ててしまった…
私は、誰?…何処?名前、顔…」

 音もなく少女の両手が上がり、その手はぺたと彼女の頬を撫でる。

 少女の声は、何処にも向かっていないとデビッドは感じた。
今度は、はっきりと少女の声にデビッドは恐怖を覚えた。
その、虚空を泳ぐ眼に。
亡霊の様に現れたその少女の立ち姿に。
何かの悲劇と狂気の片鱗を想起させる少女の声の色に。

 「三度、聞いたぞッ──!」

 今度は、デビッドの前方の兵士の拳銃が火を噴く。

 少女の胴体が、銃弾に捉えられて踊るようにゆらりと揺れる。
デビッドも発砲し、兵士も、銃の連射をかけ、少女の体は血と肉片の花吹雪を撒き散らして
死の舞踏を刻んでから少女はどさりと音を立てて叢の中に倒れこむ。
と、同時に、デビッド達の拳銃とは別の発砲音が鳴り響き
デビッドの後方に位置取っていた兵士の一人が胸を撃ちぬかれて昏倒する。

 「狙撃!?」

 自分達の位置を特定されていた事に驚愕して、
デビッドが、半ば叫ぶような声を上げて振り向く。

ガサリと音を立てて暗闇の中で、何かが蠢いた。

 二つ、三つ、四つと蠢いた影は、デビッドの眼には数え切れない程にいると認められる。
夜の林の間を縫って、自分達を狙う事の出来る神技を持つ狙撃手に狙われているばかりではない。

 ───自分たちは、いつの間にか囲まれている───

 「散開しろ!突破して、誰か一人でも、マシーン部隊に合流するんだ!」

 敵の存在と、包囲された自分達は数から言っても
圧倒的に不利な状況であるのを瞬時に把握するとデビッドは、
左手でククリナイフを抜き払い、昏倒した少女の方向に向き直って、地を蹴る。
叢は、ザンッと音を立てて、コヨーテ達は一斉に散開する。
デビッドたちを包囲していた影もそれを追うべく一斉に動きを見せ始め、撃発音が上がる。

 「誰が、私なの────」

 声が上がり、駆けるデビッドの足が、突然感覚を失う。

突如として感覚を失い、動かなくなった右足はやはり、力が入らない。
まるで、自分の身体から突然右足が切り離されて…喪失したかのようであるとデビッドは感じる。
 クァッと叫んで、転倒しながらデビッドは背面から
右の脇腹を拳銃弾で撃ち抜かれて、もう一度、もの凄い声を上げた。

 地に伏せたデビッドはそれでもガサリと音を立てて身体を揺する。
腹の中に焼けた鉄を流し込まれたような
猛烈な、熱い痛みが腹から吐き気と共に湧き上がり、デビッドを焼く。

しかし、逃げなければ命を落とす。
なにか道はないのかと顔を起したデビッドは、はためく白いカーテンのようなものを見た。
顔を上げたデビッドは、それが声の主が身に着けた白いスカートの裾だったのを知る。

 声を上げたのは今しがた、拳銃によって胴を蜂の巣にされた少女だった。
デビッド達の前に現れたときと同じように、彼女は首を傾けて立っている。
確かに胴を撃ちぬいた筈なのに…衣服にも、彼女の身体にもその痕跡は見当たらない。

 デビッドは愕然として、また、己の遭遇した不可解な現象の一端に思い当たって、
呻く様に、血を吐く様に言葉を吐き出す。

 「不覚!おのれは幻覚の魔装使い…、これは、神経を騙す、サイコ・アタックか…!」

 ハッ、ハッ、と短い息を繰り返し、デビッドは身体の末端に力を入れようとするが、それもままならない。
少女の手が伸びて、デビッドの手からククリナイフをもぎ取る。

 デビッドは、苦し紛れに少女へ拳銃の引き金を引こうとするが、
人差し指も、しびれた様に言う事を聞かなくなっていた。
あーっ、と、聞きなれた声の断末魔が、撃発音と共に響く。
仲間のものだろう。
デビッドは、ぎりと奥歯を噛んで、恐らくは、ここからは誰も脱出出来ないであろう事を確信した。

 少女は、呟くようにぶつぶつと言葉を紡ぐ。

 「──私は、私なのに…
確かに、私だった事が、それが、思い出せない──
思い出せないのに、殺さなくてはいけない、あなたの事。…どうして…?」

 サイコ・アタックの魔装は特殊だ。
例えば人間が以後は、ある魔装を使おうと判断をしたとき、
魔装使用の許可と実行の為に
人体に、ハードとしての属性を付与する為に注入されるマナと呼ばれる極小機構が存在するのだが
サイコアタックの属性を付与させるマナについては、
ずっと昔に、大本のマナが壊れて性質が変わってしまっており
コピーして、その人物に付与をしたとしても、サイコアタック魔装を機能させるには、
使役者の精神は、極度に不健康な状態で無ければ機能をさせることが出来ないのだ。

 「くそ…ッ!俺の言葉、君には届かんのかもしれんが…!
君の背後にいるものを…ッウオオッ!」

 喉を焼くような絶叫が、デビッドの口から上がる。

少女が、ククリナイフをぶんと振ってデビッドの脇腹に突き立ると、一息に引き裂いたのだ。

 「…ねぇ、どういう風にすればいいの?
すぐに、終わらせるのがいいの?
それとも、一秒でも、長く生きていたいの?」

 少女は、不思議そうにデビッドに尋ねると、
その手に握ったククリナイフをビッと払う。
デビッドの蛇腹のような結腸がククリナイフの刀身に引っかかって伸びる。
伸びたそれはビヂィと湿った音を立てて
二つに裂け、デビットのアーッ、ウアアという絶叫と共に血煙が巻き上がり、音を立てて跳ねとぶ。

 「…アッ…アッ…ウ…
ことじゃが…にんじき…ウウ…ぢきるあら、殺し、つぇうえ…」

 痛みへの耐性と、防護服の神経への対ショック作用でショック死を免れたものの、デビッドの声は、
死の匂いの匂い立つ荒い呼吸とうめき声に蝕まれ、もはや、まともには聞き取れない。
しかし、その言葉の願いを感じ取って、判った、と少女が声を上げる。
少女に答えて、息も絶え絶えに、痛みに焼けた頭で、自分は一介の傭兵でならず者あがりだが、と
デビッドは考える。
ならず者にだって踏み込んではいけない戦い方、
守っているプライドがあった。

 壊れてしまった心を、自分達の虫のいい道具として使うやり方は…個人的に嫌いだ、と。

 ──モルレドウめ、腹立つな、連中。
コヨーテ、個人的に、あいつらに一つ眼に物を見せてやってくれよ──。
なぁ──。

 ガツンという音を自分の首の骨が伝えたのを聞いて、
自分の首の落ちるごろりという音を彼は聞いたかどうか。
デビッドの世界に暗闇の幕が下りる。

 「名前と、魂は奪えない……」

 デビッドの首を、動脈も含めて切断した為に、噴水の様に上がった返り血で真っ赤に汚れた手を見つめて、
少女は呟く。
血の海に沈んだ地上から空を見上げても、雲に隠れて、月は見えない。
断末魔が、遠くから聞こえた。

 「鴉…?それとも、鴉に生まれ変わった、鷹?」

 少女は、真ッ赤に汚れた顔で…それでも、澄んだ目で、月を探して、小さく呟いた。



 「驚いたな」

 モノ・アナンダは全身を包む防護服に身を固めた姿で、監獄の敷地の中から周囲の石の塀を見回して呟く。

 「てっきり、秘密の抜け道でもあるのかと思っていたら…
道を作って、正面から入れてしまったじゃないか、ラス・プラスというのは何者なんだ?」

 モノは、王都に到着して以来何度か、酒飲みで自堕落で、信用の置けそうにないラス・プラスと
打ち合わせの為に顔を合わせていたが
最後に会った時に、騎士の身分を偽造して、中の配備に当たれるようにしておいたから、後は中に入って何とかしろと
云われ、心底仰天したし、まさかとも思うた。

 『バツの字に、 お前達の音楽を、いつでも見ていると伝えてくれ。
俺は美しい音楽の欠片を持つものを、いつでも見ている。
見ていることだけは、する。
音楽の力の一つは、繋がり、続いていく事で顕れる』

 ラス・プラスはなぞ掛けのような言葉を残して、盛り場の人ごみに消えていった。

 「凄いな、飲んだくれで、自堕落で、無能を絵に描いたように見えたあの男でも
こんな事が出来てしまう。
誰にも無理だといえるような事が出来てしまう。
世の中は広く、人間と言うのは、本当に凄い」

 モノは、油断はすまいぞと気を引き締めなおすと、ラスの用意した見取り図を頭の中に思い出し、
腕に覚えの拳をぎゅうと一つ握って、広い監獄の敷地の中を歩き始める。

 「アマ、焦らしやがって。ようやく来なさったな…。
待たされ過ぎて久しぶりに元気になっちまったじゃねえか、ああ…どうしてくれる」

 その、モノの遥か頭上。
監獄の尖塔の一角で、モノの後姿を認めて恍惚状態となったメーテは呟く。

 メーテは、あの時対峙した禁騎士を射殺して、
禁騎士団から逃げ切り、ニールの保護下に入ると、もう少し詳細な説明を受けていた。
直感が当たったと言えようか。

 ニールからの説明では、まず、メーテに襲撃を掛けたのはシツダの熱心な支持者と、
シツダ自身が特命を任じて放った禁騎士であるという。
潜入を図る僧侶は、やはり、クロウス・アーメイ奪還の為に動き始めた保険屋であるとの説明があり、
クロウスをどう扱うかで禁殿内の最重要人物といえるヨシュアとシツダの間に、
余人に知られざる意見の対立が有る為に
混乱を避ける為、王都管轄の設備の中で双方とも大きく動きを見せられないという事を説き、
クロウス自身を殺傷するのは論外であるとした。
故に、王都の中から救出を妨害するメンバーを探すのは難しく、メーテに依頼をした段階では、
禁騎士を使うにしても、
シツダとヨシュアの対立はこう着状態であった為に衝突を出来るかぎり
回避したいという欲は二人に有ったと言う。
ヨシュアは、金を払えば裏切らない傭兵をあてにして、保険を掛けたというのだ。

 端的に言えば、シツダはクロウスを外に放つ事を良しとし、
ヨシュアはクロウスを監獄に禁じておきたいという意向があるということらしい。

 手には狙撃用ボルトアクション・ライフルを取り上げて
メーテが暗闇の中、眼を凝らす。

 「もう一山ふた山あれば最高なんだがな…モノとやらのド頭は今や、俺の照準の中だ…ああ、畜生、素敵だ」

 窓の下、下の階のベランダに人の影の無い事をちらと見て確かめてから
ガツンとライフルのストックを肩の骨、頬骨につけて
包帯をした左腕の肘を窓の縁に固定すると、メーテは照準を睨む。

 照準が、モノの頭を捉える。

 ぎゅうとメーテの三白眼が縮まる。



 瞬間、びゅうッと何かが風を切る音がして、メーテの視界を黒いものが覆う。

 うおッと吼え声を上げ、メーテはライフルの引き金を絞り、後ろに尻餅をつくように転倒する。

 自分が銃を構えていた尖塔の、大きな窓の上部から何かがメーテの目の前に飛び込んできたのだ。

 とっさにメーテはライフルを投げ捨てて、消音ピストルを抜き放つと、飛び込んできた影に銃弾を一射する。
風を巻いて、影が跳ねる。
メーテの視界の外に跳ねた影が、獣の様な吼え声を上げるのをメーテは耳にした。

 バウッと風を巻いて、影がメーテに飛び掛り
ドシンという篭った音と共に、メーテの長身が軽々と弾き飛ばされ、石の壁に叩きつけられる。

 「ヴァッ」

 まずい、とメーテは意識に言葉を描くが、殴られたか、蹴られたかした腹の痛みと、
背中の強烈な痛みがメーテの回避行動を鈍らせる。

 黒い影は風が渦を巻くように身体を回して、
構えを作ると、頭全体を覆う頭部保護具越しにぎろりとメーテの顔を射る。

小柄な体躯である。防護服のシルエットから、女性であることは想像がつくが…

 相手がどうとか言っている場合ではない。問答無用で相手を殺さねば、やられる。
メーテも相手を睨みすえると腕を上げて、もう一度消音ピストルをその影に向ける。
カツンとハンマーの落ちる音がする時には、影はもうその場に居なかった。

 ヴーン、と魔装が魔法を発動する微かな音を知覚すると、
やっちまッた、とメーテが額に脂汗をかいて、もう殆ど本能で胴体を左に捻る。

 ズウウン、という重い音と共に、石の壁の破片が飛び散って、メーテもその破片のいくつかをその身に浴びる。
この【敵】の、メーテを狙って繰り出した拳が狙いを外して
石の壁に穴を空けたのだ。

 (接近戦で銃弾を避けるなんざ、禁騎士どころじゃねえ、ヤブヘビで、とんでもねえものが出てきやがった!)

 ゴアアッ、と獣のような声を上げて敵が吼える。

 どうする、とメーテは逡巡して這いずるように窓辺に向かい
部屋の角に転げるように身を寄せると、
メーテは壁に背をつけて銃を構え、打撃のダメージで未だに笑う脚の力で、何とか立ち上がる。

 少女のシルエットと猛獣の吼え声を持つ、
その影は構えを作るとメーテの動きを注視して、少しだけ脚のスタンスを広く取って、構えを改める。

 (…撃つのを待ってやがる…撃ったら、反動を逃してる間にお陀仏しちまう)

 メーテは、銃を右手で構えたまま、左手を伸ばし、窓辺に手を置く。
ぴくり、と眼前の女の影が震える。
ガチリと音をさせて銃を揺らして、メーテが拳銃の存在を意識させた。
左手の側から飛び込んでくるなら、当てられるぞと。
敵は、逡巡したようである。
メーテは、相手の頭が僅かに動いたのにタイミングを合わせて、
ギチと腰を鳴らして、すり足でさらに窓辺に身を寄せる。

 「へ」

 肩を揺すって、震えるように、メーテは笑った。

 「ちょっぴり漏らしそうだぜ。ここへ来て面白くしてくれるなんてな──」

 ゆっくりと首を振ってメーテは窓に腰をぴたりと着ける。

 ム、と敵は身を乗り出す、そのタイミングを見計らってメーテは
消音ピストルの引き金を絞るが、敵はそのまま僅かに上体を横に逸らして銃弾を避ける。

 「南無三!」

 その、敵の姿勢が戻るか戻らないかのタイミングで、
メーテは身体を預けるように窓辺から、外に身を投げる。

 (ギリギリだな)  一拍遅れて、メーテの居た辺りの、窓の下の石の壁が卵の殻の様にくしゃっと粉塵を巻き上げ、砕ける。

 (ギリギリアウトだ、畜生。タマらねえ。痛えだろうなぁ、これ…。
あんなもんまともに食らったら一発でばらばら死体になっちまう、死んだら楽しめねえ)

 メーテは、塀の外の空中を泳いで、
その光景を下から眺めながら口笛を吹き、
笑ってから、自分の身体が階下のベランダに叩きつけられる音を骨で聞いた。



 うっ…と監獄の一室、夜の暗闇の中で彼は、身をよじって、カハッと咳をした。
明り取りの窓から、月光が差し込んで、うっすらと天井の石の模様が眼に入る。
男は、監獄の冷たい石の寝台の上でずっと横たわっていたのだ。

 (なるほど、右目が見えない…)

 男は、ピントがずれたような感覚の肉体を包む、
世界の只中に有って、その右手をやっとの思いで動かして、自分の右目をさすって、溜息を吐く。

 (いいさ、そいつは俺の形が、続いているという事だ。今の所)

 うぅっと唸って身体をその男は起こし、寝台の縁に腰掛けると、
髭剃りてえなと呟いて、鉄扉の方に眼をやって、その男…エクス・ノアは声を上げる。

 「おい、腹減ったんだけど」

 程なくしてガシャン、と音を鳴動させて、鉄扉の、覗き窓のシャッターが開く。

 「クロウス卿、眼を覚ましたのですか」

 聞き覚えのない声だ。
口ぶり、声の色からして…獄卒は、
十聖槍を見た事もないのに崇拝しているような手合いだろう、とクロウスは胸の内であたりをつける。

 「起きた。それから、言った様に腹が減った。髭が剃りたい。床屋は次に、いつごろ来るんだ」

 「食事は、あまったのを直ぐに持ってきます。床屋は…昨日来たばかりです」

 溜まらないなとバリバリと髪の毛を掻き毟って、クロウスは声を上げる。

 「髭が気になってなあ。剃りたいから、短刀を貸してくれないか」

 いや、さすがにそれはちょっとと獄卒は丁重に断る。

 「まぁ、そりゃそうだ…悪かったよ、食い物だけ持ってきてくれれば、有り難い」

 エクスが遠慮を見せて引き下がると、獄卒も悪いと思ったのか、うーんと唸り声を上げて

 「それなら、拘束させていただいた上でなら、自分が剃ってもいいかどうか、
食事を取りに行くついで、管理官に聞いてきます。
食事も少々まって貰う事になりますが、それでもいいでしょうか?」

 と、寛容な姿勢を見せる。

 「そうなら、有り難いね」

 「いえ、大分長い事気を失ってらしたようですが…
お加減はどうですか?死んだと言う者もありましたが、
厳しい王命で診断する事が出来なかったのです」

 「脚はついてるぞ、まぁ腹が減った以外は特段おかしなこともない」

 「左様で、兎に角行ってまいります」

 そう告げて獄卒が鉄扉のシャッターを下ろす。
エクスは無言で左目を閉じて、耳を済ませる。
今のやり取りを聞いていた、相方の獄卒に二言三言告げるのが…聞こえた。
獄卒の一人の足音が遠のいていくのが聞こえる。

 女王の名前は彼らの会話の中に出なかった。大分遅い時間だから、明日報告すればいいと思っているのだろう。
この時間の責任者だってこんな時間からゴタゴタした仕事に巻き込まれたくはないはずだ。
最高責任者のソボはともかく、
施設の管理者は面倒くさいことは避ける性質の男だというのを、
クロウスは禁騎士だった時代の経験から知っていた。
自分でも驚くほど、意識が澄んでいる、とエクスは感じる。
感覚は尖り、眼を覚ましてから
感覚と無意識が収集し、意識が取りだせる情報は以前とは比較にならない量だとも。

 さて、どうしたものかとエクスは一つ溜息を吐いて思案を巡らせ始めた。