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 東方のある賢人が遺した古い言葉の一つに、怪力乱神を語るべからず、というものがある。

人の持ちえぬ力、強大な力、天下を乱す要因、神秘的な不可思議、これらを言葉にして語ってはならないというものである。
それらを語ればそれは語られたものとして人間に認知され、認識として生まれ出でたその影は人間を汚染よごす。

 そして、それを語るように語られる十聖槍の一人、クロウス・アーメイ自身は、
ナイトガルドが遠い昔、大陸の大半を支配するに至ったとき、最後までナイトガルドに抗戦した
五つの勢力のうち一つの、直系の血筋を引く一族の騎士である。
その五人の豪族の能力と神機はナイトガルドの治世となってからも伝説に残り、
民と共にナイトガルドに降った豪族の末裔たちの働きを評するとき、人は、
怪力乱神を語る言葉共に彼らを畏れ、崇めた。

 ルサンチマンが世界に姿を見せるようになって以来、ナイトガルドだけではなく、
東方諸国、唯物論を信じる北方の大陸でも
英雄的な人物、兵士、ルサンチマンと人間世界を絶滅させて余りある強大な兵器、化学現象…
…そういったものたちの話題が、人の口に上る機会は増えつづけている。
それを語るが如き言葉と、それを信じる心は人間の武器の一つなのであろうか。

 物語のような現実と、現実のような物語。

 人間の魂はそれを語ることで萎え、後退して行くようにも見える。

 人が希望とともに怪力乱神を語るとき、その背後には何があるだろう。
敵に人間の能力では立ち向かう事のできないという諦めか。
徐々にその身体を起こし、姿を確かにし始める自分達の滅亡のビジョンに、
世界は人間のうちに抗体反応を持たせていると言える材料を探しているのか。
人間は正しく生きているから、その理不尽を除く事の出来る力を有しているべきと言う自己防衛か。

 ──大半の人間達の世界において世界は、人間よりも下に置かれる。
数字と言う記号さえあれば眼に見えぬ大きさの素粒子の動きさえ計算できる世界。
計算上では膨大な手順を要するエネルギーの生産を、
魔法と言う摂理を曲げる手段さえあれば、
ずっと容易く実行できてしまう世界。

 この世界では、人間たちは、世界に敬意を払うことをずっと前に忘れていた。
人間たちは、人間達の神に祈るばかりである。

 そしてまた、今日も、人間たちは、世界を呼ぶ時に、「人間達の世界」と呼ぶ。
統べて今そこにあるものは、そこにあるべくしてあるものである。──



 ガチリと音をさせて、シャックスは防護服の首の金具と、頭部保護具の下端の金具をかみ合わせて固定する。
王都禁殿に程近い場所にある、第十禁騎士団の設立した銀行の、
帳票を収める一室であろうか、本棚と本がずらと並び、
本棚に収まりきらない書籍、帳票が天井に届くほどに積み上げられた
狭い一室に、半ば無理やり置かれた小さく、粗末な書机と椅子を見つけると、
シャックスは椅子に腰掛けてから左手を頭部保護具の顎の辺りにあてがう。

 「折角捕らえたクロウスを逃すのですか、シツダ・ルタ」

 シャックスの通信の相手は、シツダである。
ヨシュアの暗躍に不穏なものを感じ、二重、三重に手を打つシツダはメーテのもとに刺客を送り、
尚且つ、シャックスを急用で呼び出して、
クロウスの脱出を助けるある任務を申し付けたのだ。

 「私だって心変わりと言うやつはあってね」

 シャックスを知るシツダは、
彼という人物に、下手に細かい釈明をすることは
却って危険であると感じ、
シツダは声の質感とは裏腹に内心に冷や汗をかいていた。
シツダが約束を守りさえすれば、どんな汚れ仕事でも引き受けるのがシャックスと言う男である。
引き受けはする。
そして、それに見合った実力も有している。
しかし、シャックスは、彼自身の企みの為には、
狡猾に他人を裏切る事をするのをシツダは知っている。

 「ハッ、クロウスに信用されているかいないかがそんなに不安ですか!」

 無神経を装って、声を通じてこちらの色を伺うその眼に、構えを見せる事は出来んと
シツダは胸中で、発すべき言葉を慎重に選ぶ。

 成り行き次第では、シャックスは
この一件でシツダと意見を対立させているヨシュアの手助けをするかもしれない。
いや、彼の人格から言って、クロウスを牢に禁じておくほうが、
彼自身に取って後々の利益に繋がるというメリットがある分
ここを誤れば、確実にシャックスはヨシュアの手先として動くだろうと断じてさえいた。

 「交渉があっての事だ。
それに…彼のシンパが、禁騎士団の中に
まだ居るかもしれんという疑いも捨てることは出来ないのは、君も判るだろう。
それらが、王都に戻ってきたクロウスを使ってなにか企みをしてないとも限らん。
却って女王からは遠ざかる分、外に居て貰ったほうが安全だと私は考えたのだよ。」

 ほぉお、と大げさにシャックスは相槌を打つ。

 「宰相からしてこれとは、大した法治国家です、しかし、まぁ…禁騎士団に居ながらにして
領有権のある鉄盾騎士に大きく近道が出来るというなら…
シツダ卿のお願い、今度も聞いておきましょうか」

 フッフとシャックスは笑い、言葉ではこうだが、油断はできないとシツダは眉に皺を寄せる。
しかし、シツダは何も策は無くシャックスという危険分子を頼みの綱としているわけではなかった。

 「無論、それだけとは言わん…シャックス卿、ヨシュアは、私の心は読めないのを知っているね」

 「同じ種類の能力を持つ者同士は、防衛をする事が出来るというお話が以前にありましたな。
…それが今、何か関係あるのですか?」

 シツダは、一拍沈黙を作る。

 シツダにとっても、それを提示する事は諸刃の剣であるといえる。
殆ど無意識にシツダは汗で湿る掌を握り締めて、ゴクリと喉を鳴らすと
口を開いた。

 「実は、つい最近の事なのだが…君の母上の足取りを、把握したのだ」

 今度は、シャックスが沈黙する。

 シャックス・ブローバは古い豪族の流れを汲む名家の一つの生まれである。
しかし、彼自身はブローバ家はもとより
その縁者から疎んじられ、出生の由来を蔑まれている事は、情報に通じるものであれば誰しもが知っている事であった。

 彼、シャックスブローバは、ブローバ家の正妻から生まれたのではなく、
ある罪人の血を引く──ナイトガルドの治世において呪われた血筋を持つ──
使用人とブローバ領の領主、
モデウス・ブローバとの間に生まれたという出生の経緯を持つ事を、シツダは知っていた。

 「…何?」

 シャックスが発した声は震え…しかし、冷たく、また、押し殺した殺気を孕んでいた。

 「今度のことで私に力を貸してくれるならば──
私が把握した限りの情報を君に教える、とだけ言って置こう。
改めて頼まれてくれるか?」

 再び、一拍の沈黙が訪れる…。
そして、震え、押し殺した声でシャックスは笑う。

 「そんなもの──」

 シツダは、その、精神が引き攣れる音を思わせる、
シャックスの笑い声と、シャックスの声から渦を巻いて巻き上がるような殺気を感じた。

 ──失敗か。
いや、それは判らない。
この男は、今、その声に自らの底を見せた。
ある事情から、親と子である事に反発をして見せたとしても
この男の武器は、知識だ。
それは生き方を現す影でもある。

 そして、この男は間違いなく知ろうとする。
自分の埋葬された過去が現在…何処にいるのかを。
この男が肉親に抱く感情、その根底にあるのは愛憎、果たしてどちらか。
いや、どちらでも変わらない。
それらは互いの影だ。
そのどちらかを抱いているなら必ず…眼を向ける。──

 巻き上がり、声からして漂う、己を打つ殺気を感じながらシツダはシャックスの次なる言葉を待つ。

 「──薄汚い生まれの女の名など、とうに忘れたわ!私に関係などあるものか!」

 笑いを取り去ったシャックスは激高し、大声で叫ぶ。
その声はしかし、シツダがそう評したように彼自身の色が映っているようには見えた。
シツダは、その声を聞いてシャックスに留めの楔を、念入りに、周到に打ち込む。

 「…そうか、なれば…私には力は貸しかねる、か?ん?」

 自分はシツダの言葉に絡め取られているとシャックスは感じ、殆ど反射的に叫んでいた。

 「…私のいい様に、させて頂く!貴方のいい様になるかどうかは、知りませんがね!」



 「悪いね、ちょっと」

 寒々とした空気の漂う空間。
照明の為のランプのオレンジの炎が、微かな熱を空間に与えて居るようにも見える。
 窓のない、夜の監獄の廊下で、盆を両手に持って、
四角い木の盆を手に、クロウスの独房への帰り道を急ぐ獄卒は
人に声を掛けられるとは思っても居なかったのか、驚いて振り向くと、
防護服姿の女性の騎士がそこに立っているのを認めた。

 「なんだ」

 女性の、その防護服姿を認めて、同僚かとやや安心した獄卒が、呼びかけに答えて姿をよくよく見れば、
まず、肩までの金髪と、大きな瞳が眼に入る。
面識のない、少年の様に小柄な女性騎士であると獄卒は了解した。

 この女性は誰であろうかと獄卒が警戒の色を見せる前に、
ニッと快活な印象のある笑顔を見せて、
金髪の女性騎士は、獄卒に一歩歩み寄る。

 「道に迷ってさ。ここ、広いじゃないか」

 ──彼女は新しく配属された騎士だろうか?
そういえば、上司の誰かからそんな知らせがあった様な気もする──。
女性の言葉を聴いた獄卒は警戒を解いたのか、軽く肩を揺すって、カタリと盆の上の器を鳴らした。

 獄卒は、上体に次いで腰を返して女性の方に向き直る。

 すると、歩きながら女性はオヤと目を丸く見開いて、獄卒の持っている盆を指差した。

 「その、手に持っているものなんだけどさ」

 はて、食事をクロウス卿に持っていく許可は取り付けたし、面妖なと獄卒は眉に皺を寄せる。
が、女性は、視線と指を盆に向けながら、さらに獄卒へと歩み寄る。

 「クロウス卿の食事だが、それが…」

 獄卒の言葉の途中で、ぱッと女性が顔を起し、
つ、つ、とすり足で二歩間合いを詰める。
獄卒は、彼女の大きな碧い眼に炎を見ると
稲光のような不覚を心中に感じて、あッと声を上げかけた。
彼女はまず、軸足を捻り、次いで膝から腰、上体から、右肩、肘、右手と、その勢いを一連の動きの中で練り上げる。
十分に練られ、発した身体の運動エネルギーが炸裂するが如く、
タァンと何かが破裂したかと錯覚するような音を立てて、踏み込んだ彼女の足は石の床を鳴らす。

フッと女性は短く息を吐き、彼女の、左の掌を添えた拳が獄卒の腹にめり込む──
ドスンという音が石の壁に響いて鳴り渡る。

 その、拳で殴られたと思えぬような重い衝撃は、獄卒の腹の内側を瞬時に駆け巡り、
背骨を伝い、肩甲骨の辺りから
ズルリと抜けて…首を定めておけず、
ゆらと揺らした自らを知覚したが最後、彼は唸り声を漏らして、意識を奪われる。

 間合いを詰めた女性の、掌底を重ねた拳打…活殺自在、マイトゥッド寺院式の
破城槌とも例えられる重ね当てが綺麗に獄卒の下腹に入ったのだ。
女性は、失神して崩れ落ちる獄卒の手から、傾いて落ちそうになる盆をぱしりと器用に取り上げて、
身体を廻して、ずしんと足を鳴らして一歩退くと、
入れ替わりに、見事な一打に捉われた獄卒は白目を剥いたまま音を立てて昏倒した。

 防護服姿の女性は、盆から片手を離して、倒れた兵士に向けて掌を立てて済まんのう、と詫びて
顔を起こし、顔にかかった金色の前髪を、今立てた掌で軽やかに払ってみせる。
髪を払うと女性は、周囲を憚り、大きな碧い瞳を左右に動かして、深い溜息を吐く。
薄暗い監獄の廊下に出でたその女性の顔は己の属する寺院の請け負った闇稼業の為に
騎士の身分と防護服を偽装して、
監獄へと潜入した、マイトゥッド寺院の修道僧モノ・アナンダのものであった。

 やっぱり、クロウス・アーメイか、とモノは昏倒した獄卒をちらりともう一度見る。

 クロウス・アーメイという名を彼女は口にした。
モノが今、危険を冒し、この監獄へと潜入しているのは、クロウス自身がマイトゥッド寺院にあらかじめ依頼しておいた
秘密の保険契約に由来する。

 重犯罪者クロウス・アーメイ──エクス・ノアが逮捕された場合、
月掛けの金銭を受け取っている対価に、
マイトゥッド寺院は、彼の脱獄のため、
工作員及び交渉人エージェントを派遣する秘密の契約を結んでいる。
たった今、クロウスの独房までの一本道で兵士を一人失神させ
自らと同じく、密命を身に帯びてモノの阻止を図るメーテの銃弾から逃れた
モノ・アナンダはその任務に従事する為に王都に派遣されたエージェントである。

 メーテの放った銃声によって、自らを狙う追っ手の存在をモノは認めたものの、
彼女の見る限り、それ以外の大きな動きは未だ無いようである。

──ならば、引き返すのはまだ早い。
この静寂が王都の罠であるのかどうかを見極めてからでも、
逃げるのは遅くは無い。──

 銃弾の音から、自らを狙う意思の存在を気取り
幾許かの焦燥を抱いてはいるものの、モノは精神修行を積み、場数を踏んだ一流の修道僧である。
拳は鉄。そして、その鉄の拳はそれよりも硬く、冷たく、揺るがない。
その鉄の拳は寺院から受け継いだ歴史を、人の身に受け継いだ証であり、
それはまた、彼女自身を明かす誇りでもある。
そうして練り上げてきた、戦士としての嗅覚は、まだこの奥深くへと踏み込むことは可能である、と彼女に教える。

 よし、と彼女は少しだけ眉に皺を寄せると、
今打ち倒した兵士の身体を跨いで、奥へと進む。
今、物音を嫌って奪い取った盆も、
クロウスのもとへ届けられるはずのものであったなら役には立つだろうと
彼女は手にした盆の上をちらと見ると、
盆の上には、まず左手に白い皿が見るからにぱさぱさした黒パン、
右手には掌ほどの大きさの、端のかけた白い碗に汁物を兼ねている白麺が乗っていた。
そこまではよいが、皿と碗の間に、鞘に収められた安物の短刀と、
ナプキンにしては大きく、分厚い白い布が折りたたまれて置いてある。

 片手で短刀を取り上げて、盆の上で鞘を押さえ、
短刀を鞘から抜いてみると、その光はぎらと尖ってモノの目を刺す。
こんなものを持っていくとは妙な牢番だと思う心もモノにはあったが
すぐに、今はさして重要な事でもあるまいと思い直すと、
視線を正面に戻して、両手で盆を持ち直し、モノはクロウスの元へ向かうべく廊下を進む。
殆ど意識せずに、彼女は半ばすり足のような早足で身体を運んでいた。

 モノは、長い廊下を、人の気配に留意しながら歩く。
クロウスの囚われている独房は、独房の集まる棟にあって、独房の集まる場所から一つ離れて設置された
──隔離されたような──
場所にある。

 それは、クロウスが騎士であった時分の評価と、
罪状からくるものだけが原因なのであろうか。

 モノは、怨念という言葉、報復という概念に思い当たり、
その言葉の持つ陰湿な湿り気に
人間の暗闇の中に潜む陰獣の影の一端を垣間見た気がして
…背筋が薄ら寒くなるのを感じた。



 ザノンは、オードリーに身体を揺り起こされて朦朧とする頭で瞼を開け、身体を起こした。

 (──はじまったのか?)

 しかし、やはり、直ぐにザノンの頭に浮かんできたのはここ最近のモルレドウ領との緊迫した状態の事だった。

 「何か有ったんですか」

 チェストに置いたランプには火が灯されている。
ザノンは声を上げると寝巻きのシャツを直して、
ハンガーにかけられている綿入れを羽織ると、ランプを灯したであろう
オードリーの茶色い髪の毛をのせた頭が深く頷くのを見た。

 「モルレドウ領に潜入した傭兵の何人かが、
拉致された人達の換金されている座標を特定して撤収する際に──」

 オードリーが、言い辛そうに唇を結んだのを薄闇の中で見て、その後に続くであろう言葉を了解したザノンは無言で頷く。

 「──殺されました。
それを受けて、領内に潜入していたユンデル卿の部隊が先行して動き出し、
傭兵達のマシーン部隊も、モルレドウ領に進入して、
盾の騎士団と、降魔騎士団本隊が一次部隊としてそれを追っています…」

 淡々と…普段の快活な彼女のものとは異なる。暗く重い声でオードリーはザノンに用件を報告する。
ランプのオレンジの明かりを反射して尚、彼女の顔は青くなっているようにザノンの眼には見えた。
チェストを離れ、ザノンは無言で窓まで歩き、取っ手に手をかける。窓は、蝶番をぎぃと鳴らして左右に開く。
冷たい空気が室内に流れ込んでくる。
オードリーは、夜の優しく、冷たい空気を少し吸い込んで
生気を取り戻したのか、幾許か眼に力を取り戻してザノンを見る。
ザノンは、オードリーを振り返ると無言で頷いた。

 人が、死んだ。
人が、誰かの意思で命を手折られた。
そして、その死の影は、死んでいった彼らを知るものに悲しみを齎す。

 妹や、ルサンチマンに殺されたイブや、あの日の盾の騎士団たちの死と同じには出来ない。
相手は同じ人間で、主義主張のぶつかる戦争の上での事である。
しかし、その言葉の持つ暗さに、ザノンは、それが人間と人間の間で起こった事であるとはいえ、
行き場のない、説明のつかない、怒りに似たうねりのようなものが胸中にあることを了解する。

 何かを押し殺している様に低く声を上げたオードリーは、
服装こそ着替えていつもの服になっているものの、自分も慌てて起きたのだろう、
いつもより大雑把に纏められた茶色い髪の毛はほつれ、顔色もまだ良くないと見える。

 「事前の打ち合わせどおり、
志願兵と、後発の部隊の召集はもうあるんですね?…すぐに行きます」

 「はい、マシンは学園で準備を終えているそうです」

 ベッドの脇のチェストの上に置いた、ザノンの携帯魔装が隠微に光り、震える。

 「着替えたら直ぐに行くと父さんに伝えておいてください。
それから…」

 ザノンは、携帯魔装の方に眼をやると、オードリーに頷いてみせて、言葉を続ける。

 「余り僕達の事、心配しないでください。顔色、良くないですよ」

 答えづらい言葉だったのか、一拍置いてから、オードリーは無表情に頷いて、慌しく退室し
ザノンは携帯魔装と一緒に置いてあったペンダントの、ペンダントトップを口元に持ってくる。

 通信は学園からだった。

 「ザノン・シール、起きたか」

 通信の相手は、志願兵たちを率いるフラ・ベルジャのパイロット、リー・ガーハートだった。

 「起きました、たった今、召集の話も聞きましたからこれから向かいます」

 「結構、ファッキンスピーディじゃないか、早漏野郎。
聞き及んだとおりだ。正式に、クンダリニ領とシール領は、モルレドウ卿とその配下との交戦状態に入った。
学園状況、
一年魔装鎧クラスの志願兵、アッシュとリブラとネル、
それにお前の乗るバッソウは既に起動してパイロット待ちだ。
お前達が到着次第、モルレドウ領に出立する。
お前達の主な役割は進軍を助ける後方支援車両、魔装鎧のバックアップだ。
しかし、自分の命の二つや三つは覚悟してもらわねば困るぞ」

 ガーハートがそこまで話した所で、ザノンの耳にガーハート先生、と
アストランのものと思しき声が微かに聞き取れた。

 判った、と声の主に向けてか、大声を上げるとガーハートは言葉を続ける。

 「…整備の宿直組が立ち上げて…支援システムを積んだ学園のスレイプニルも
システムオールグリーンだそうだ、さっさと行くからさっさと来い、いいな」

 連絡を済ませるとガーハートはザノンの返事を待たずに通信を切る。
ザノンは、チェストの上に乗せられた飾り石を手の中に握りこんで、携帯魔装を入れ替わりにチェストの上に置く。

 真面目な話でも悪態は入れる彼女の鋭い眼と、
無骨者を装うシルエットを思い出しながら、リー・ガーハートは上手だとザノンは感じた。

今、敵を呪う言葉を彼女は口にしなかった。
あの日、Diesが言葉にしたような種類の呪詛を、相対するものが
たとえ敵と定まっても相手に対して吐かない。
それは騎士道の教えにある、敵に対しても敬意を払うという表現なのかもしれない。

 自分も、その心がけを忘れないようにしなければ、とザノンは念じる。


 ──恐怖に囚われぬように。
業から眼を背ける為の、偽りの怒りで相手を打たぬように。
戦う相手と、自分の道は、交差するのだ。
交差すれば、業を背負い、影を引きずり生きていく。
あるいは、相手の影の中に住み、この世から消え落ちる。
──故に、惑う事をしてはならない。
同じだけの覚悟を背負っている騎士と対峙してそれを抱えているのは、非礼である。──


 ザノンは、髪を手櫛で直すと、暗い室内で綿入れの上着を脱いで顔を起こす。
その眼光は、暗闇の中で、刃の如し凄絶な光を放っているように見えた。



 「まだ、設備魔装からエネルギー供給してるのか…
もうそろそろカットして、自己機関でエネルギーを廻してもいいんじゃないか?」

 スレイプニルの機関室と、通信で通話をしながらヘキサは、
スレイプニル操縦室の、
五つ並んだシートの中心にある席の
コンソールを立ったまま叩き、魔装軍事ネットからの情報を呼び出す。

支援車両の操縦室は、魔装鎧のものと比べて比較にならないほど広く、
操縦のための席のほかに、机を床に固定させて置いてある。
実質、分隊、部隊の情報は全てこの操縦室に一端集まり、この場所を中継して全ての情報は管理される
という側面も有している事から
この場所は、移動する小さな陣地の作戦室といってもさし支えは無いだろう。

 「機関、安定してるの〜?もう砲撃機関にもエネルギー、廻ってる?」



 待機状態よりも負荷の少ない完全休止状態の
魔装鎧、支援車両の機関が運転を開始するには、条件がある。
魔装鎧の場合は、固定してあるハンガーを通じて、
支援車両の場合は、床から車体下部に打ち込まれ、
車体の無限軌道やタイヤの間に固定されているパイルを通じて、
設備などで運転している大型魔装から、
起動に必要なエネルギーを機関に供給してもらうのだ。

 魔装兵器はそのエネルギーを使って、機関内部に納めた構造体
(一般的には、
魔装機関使用時には
比類ない霊子エネルギー変換効率を誇る
アスタリウム、バアリウム、ベルゼビウムと言った鉱物を、
人間が片手で持ち歩ける20リン・アルシーブ(la)程の長さの
円筒状の塊に加工したものをこの構造体として使用するのが主流だ)
をエネルギーに変換する運転を開始する。

 出征などで設備が近くに無い場合、
(そもそも、出征先で魔装兵器を完全休止状態にするという状況は相当稀なのではあるが)
魔装鎧は支援車両から、支援車両は逆に、魔装鎧複数からエネルギーの供給を受けて起動を実行する。

 それが不可能且つ、
緊急の場合のみ、機関に接続されている、
エネルギーを僅かにストックしてある
小さな機構からエネルギーの供給を受けて起動を実行する。
これは有限の物であり、
その機構の脆さから一度使えばほぼ確実に壊れ、交換を要する機構であり、
その機構で起動し、
運転させてからエネルギーをその機構に再び供給し、
再び起動するという循環をさせる事が出来ないため
その機構で起動をする方法は特別にイグニッションと呼ばれて、
よほどの切実な状況でのみ使用するという認識が一般的となっている。




 通信の向こうから、ヘキサに学校設備で通信を返してきたのはヒサノだ。
ヘキサは、ぼさぼさの髪の毛をかきながら、
軍事ネットの情報の横に映し出された支援車両のシステム情報に眼を通す。

 「1.2.3…と。オッケー、オッケー。
機関は三つ全部運転している、出力は良好。
バッソウ、フラ・ベルジャのデータも全部来て、同期取ってる。
…フラ・ベルジャにはもう先生が乗ってるのか?動いてるな」

 ヘキサはヒサノに告げると、再びガルド軍事ネットの情報…普段ならば、
軍事行動を行うための資格もまだ取得していない学生が閲覧する事のできないネットワークから
取り出した情報に眼を奪われる。

 「なら、あたしは暫くお役ごめんかなあ〜」

 ヒサノの言葉に、ヘキサは軍事ネットの情報を眼で追いながら答える。

 「お疲れさん、けど、集合して移動を開始するまでは一応我慢してくれな。
スレイプニルは揺れないからそこそこ寝れるだろう」

 「支援車両につく先生はまだ来ないのかな?パイスタス先生は、もう準備できたみたいだけど」

 「学長…つまり、レオン・シール卿と打ち合わせしてると思う。
騎士団基地の、レオン卿の部隊まで行っては居ないと思うけど」

 答えたヘキサがスレイプニル操縦室の窓からふと視線を落とすと、
オレンジのつなぎを着たヒサノが
スレイプニルの下部に立って、ヘキサに手を振った。

 普段は、受けている授業の内容が違う為に
あまり眼にした事のないその、ヒサノのオレンジのつなぎ姿を見て
以前にそれを見た…一ヶ月前の戦闘の時の事を、ヘキサは思い出した。

 何も言わずに飛び出した友達に置いていかれるかもしれない、
ザノンが戦闘に飛び込んだあの日の、あんな思いはもうしたくない。

 ヒサノや、ザノンや、級友や教諭と一緒に戦える。
それは自分にとっては幸いな事だ。
はじめて行く戦場で、自分は、孤独ではないのだ。
そして──自分の知識が、技術はきっと彼らの生を助けることが出来る。
恐ろしくは無い。

 ヘキサはコンソールの上に乗せた指を握って、拳を作る。
眼下のヒサノは、ヘキサの視線に気づくとにっこりと笑った。



 「ランサ・ロウと通信だって?事情は話してしまったのか」

 軽装甲冑に身を固めたモルレドウ領の
金剣階級騎士、デスペラート・ハウンドは、
モルレドウ邸の廊下を大股に歩きながら
一歩下がったところを歩く
同じ服装の部下をぎろりと一瞥して言う。

デスペラートの年のころは
三十に差し掛かったところであろうか。
脂の乗った壮漢と言った風合いである。
彼の右から左に軽く流した、
少し癖のある長めの黒髪の下から覗く眼光は、
彼の精気が燃え盛っているのを写しているかのように熱く、鋭い。
横から見ると、狭い額と高い鷲鼻が目立つ男である。
眉は太く、硬い輪郭は無骨物と言った印象があるが、同時に、鋭敏を感じさせる風も内包している。

 「証拠も挙がってしまったんです、どうなりますかね」

 「判らんね。
しかし、ランサ卿がノーバを説得したとしても
あの俗物、自分達の不始末が伝わるのを畏れて、
証拠を少しの間でも隠そうと時間稼ぎをすると小生は見ている。
我々は盾の騎士団と、降魔騎士団、
それにゴールデンコヨーテといくらかはやらかす事にはなるだろう。
ノーバはじめ、下種な連中が物狂いに便乗して下らん遊びに首を突っ込むから
行くも退くも出来なくなる。
勝っても負けても損しかない戦闘に巻き込まれるこっちの身にもなってもらいたいな」

 苛立ちを声色に滲ませてデスペラートは部下に愚痴を零す。

 「騎士道には損得で物事を測るべからずという言葉もありますぞ」

 呆れたように、
しかし、言葉とは裏腹にデスペラートの苛立ちの色に同調する色を見せて、
彼と歩調を合わせて半歩下がったままの距離を保つ、彼の部下は笑って首を廻す。

 「それに胡坐をかいて、人様につけを廻すなというんだ、忌々しい。
胡坐をかいている、
あの連中こそ損得勘定しか出来ぬ手合いだとは誰の眼にも明らかだ、スラス・タブ。
分が悪いときだけ騎士道だの誇りがどうのと言い出しおって。
偽善者め、胸がむかむかする」

 廊下を曲がって尚、
ぶつぶつと文句を続けるデスペラートの真意を汲んで、
彼の部下、スラス・タブがにやりと唇の端を持ち上げる。
スラスは、背の低い固太りの男であるが、
四角い輪郭の顔の中央には
真一文字の刀傷が鼻柱を通って顔を横切り、その上に居座る双眸から発する眼は
窓から差し込む月明かりと廊下の照明の明かりを受けて
ぎらりと尖った光を反射しているように見える。

 「天命我にあり、とユンデル卿やレオン卿に寝返りますか?」

 冗談とも、真剣とも取れる声色である。
彼はそういう人物であると長年の親交からデスペラートは了解していた。
どんな時も、人に足元をすくわれる事はせぬ様、常に注意を払い、
失敗を避けるための鉄壁の守りは言動や立ち居振る舞いにさえ現れているのだ。
そんな男が敵である心配をせずにすむというのは大きい。

 「悪くないね、ホーネットもそれに同調するだろう。
だが、すぐにそれをすれば、
簡単に主君を裏切る卑劣漢と我々個人の名に傷がつく。
一端連合軍を押し戻して、
時間を作る。
そうして、
我々が傷の騎士団を見限るに足る口実を見つけて、傷の騎士団を離れる。
なに、
モルレドウの秘密を守る連中は時間さえかければいくらでも埃の出る身の上だ。
それまでは、筋は通さなければな…さ、着いたぞ、お喋りは一端仕舞いだ」

 モルレドウ邸の、執務を行うための部屋の一つの、黒い扉の前で二人は足を止める。

 傷の騎士団、モルレドウ領が緊急に雇った傭兵と、
遅れて到着するであろうグーヴァイン領の集落から
差し向けさせる援軍をどう使うかという善後策を話し合う為に
彼らはここに来たのだ。

 足を止めたところで、
室内からなにかが転げるような激しい物音がして、扉が荒々しく開かれる。
じりと一歩退いた二人の前には、
金斧騎士ノーバ・ネスが顔を真っ青にして立っていた。
先ほどの話もあって、
その顔を見るのにも辟易していたデスペラートであるが、
呼び出されて来て置いて嫌な顔をするなど卑しい事はできない。
一先ず、二人は踵を揃えて、
デスペラートがお呼び立てとの事で、参上いたしましたとノーバに告げる。
ノーバは恐慌状態なのか、がちがちと歯の根も合わず、ろくにしゃべることも出来ぬ様子で立ちすくんでいる。

 「ノーバ卿、如何なさいました?
お加減が悪い様ですが…医師を呼びますか?」

 ただ事ではない気配を孕んだノーバの形相と顔色に、
不穏なものを感じてデスペラートは身を乗り出して、ノーバに声を掛ける。
それを見て、
ノーバは首を横に振ると、室内に入ってくれと弱弱しく告げて、二人を室内に招き入れる。

 ではと招きに応じて二人は執務室に踏み込む。
ノーバは、応接の為の机の前のソファーに腰掛けると、
座ってくれとだけ告げて首を垂れて押し黙る。
二人が、ノーバに向かい合ったソファーに腰掛けても
暫くはノーバは黙ったままだったが、
暫くして、ノーバは首を垂れたまま、言葉を紡ぎだす。

 「たった今まで、
コヨーテと連合からの報告が王都に行ったという用件で
連絡をしてきたランサ卿と話をしていたのですが」

 それは知っているなと、デスペラートとスラスは目配せを交し合う。

 「…ええ、その話の内容も踏まえて、
我々がどうするかを話し合う為に
お呼びしていただいたのではないかと思うのですが…」

 「それは、そうです、しかし、今コヨーテからの報告に眼を通した
ランサ卿に非常に…極めて、厳しいお叱りを受けました…」

 「ランサ卿は、領土間の緊迫状態を仲裁する為に
ここ何度か連絡をしてきているというお話ですな」

 「…ええ…仲裁はする、
しかし、女王の勅を帯びてモルレドウ領の自治に介入し
事実関係の検分も致すとのお言葉です。
交戦がはじまってしまっているという状況も加味して、
魔装鎧でランサ卿がこちらにグレン卿と共に向かうつもりだと仰っていました」

 顔を伏せたまま言葉を紡ぐノーバの沈痛な声を聞いて、デスペラートは声を上げる。

 「…どこか、おかしなことがありますか?
多少の交戦はあるにせよ、
むしろ、状況を早く収められる見通しが立つ分、
モルレドウ領としてはありがたい事ではないかと思いますが…」

 これは、デスペラートの痛烈な皮肉であった。

 自分達は確かに、モルレドウの若き領主、カダン・モルレドウの抱える秘密と
それに乗じたモルレドウ領の一部の騎士達の行っていた悪事に対して沈黙をしていた。
しかし、自分は加担をしていないという自負から来る言葉である。

 (ランサ卿は、我らの為に来るのではない、我らの領民のために来ると言うているのであろうな)

 デスペラートとスラスは、再び目配せを交わして生き残るための計算を胸中に描く。

 顔を伏せたノーバはそれを知らず、鬱々と言葉を続ける。

 「曰く、拉致をした事実はあると判断した、
では、首謀者はだれか、徹底的に糾弾するとのお言葉です
…どちらにせよ、モルレドウのお家取り潰しと、
傷の騎士団の解体は避けられぬ羽目となりましょう」

 「今すぐ、拘束している民を解放して連合に降る、検分には協力する。
さすれば、お家は取りつぶされてもいくらかの温情はあるかもしれませんな」

 ノーバのうじうじとした物言いに、つい、デスペラートが率直な意見を具申する。
ノーバは、滑稽なほどの勢いで顔を起した。

 ノーバの見開いた眼は血走っており
こけた頬は、張った頬骨にべたりと張り付き、半開きの口、目の真ん中に据わった瞳と合わせて
出来の悪い魚の面の様な印象がある。
その物凄い形相に、デスペラートとスラスは若干たじろいで肩を揺する。

 「…それは、ランサ卿にも求められました…。
しかし、それはいけません…
そうしたら、あの者たちは…あそこで起こった事を話してしまいます…」

 (只、殺していたわけではないものな。
起こった?他人事のように。
起こしたというのだ、それは。
自分もあのものらに何をしたかを、言わなければ罷り通ると思っているのか──。
せざる事に報復をされるのは、無理だが
致した事に報復をされるのは、道理だ)

 デスペラートは、個人的にノーバを嫌悪していた。
もちろん、自分も保身を画策している以上大きなことは言えないとは判ってはいるものの
それでも、この男の露骨な保身は自分も同種の企みを抱えている分、余計に目に付く。
故に、この一件での自分とノーバの決定的な違い

──直接関与するか、看過するか──

を絶対的な差と線を引き
近親憎悪そのままの感情でノーバを胸中でいつも罵っていた。

 「…ランサ卿は、
このような事柄で時間をくれといって待ってくれる
お人ではありますまい。どう答えたのですか」

 「…それは…」

 ノーバの態度を見て、デスペラートとスラスはもう答えを了解する。

 ノーバは、虚栄心の強い人間だ。
自分が割りを食う判断をあえてしたというなら、
その事実をさも美談であるかのように
尾ひれをつけて答えることだろう。
 彼は答えを言いよどんだ。

 「…断った…」

 ノーバの、臓腑から搾り出すような声を聞いて、
舌打ちをしたいのをやっとの思いで堪えると、
デスペラートは息を一つ吐いて、ノーバに告げる。

 「…話によっては、ランサ卿の矛先がこちらに向きかねませんな。
連合と、ランサ・ロウを正面から迎え撃とうというのですか?
光栄な事です、
ノーバ卿はよほど我が領土の軍事力と
我々傷の騎士団の実力に自信を持っておられるのだと見えます」

 デスペラートの発した声は、
贔屓目に聞いても、露骨に皮肉を言う声の色だった。

 判りきった事であるはずだが、
ノーバは改めてそれを言葉として他人の口から突きつけられると言葉を失う。

言葉を発しないノーバの目から視線を逸らさず、
上体を僅かに乗り出したデスペラートが両の手の指を組んで、
ノーバに言い含めるように言葉を続ける。

 「しかし…ランサ卿がいらしたら、
出来る限りはモルレドウ領の言い分を申し開きましょう」

 「そ、そうか…そうですね…」

 なかば呆けたようになったノーバは、部下であるデスペラートの言葉に、追従するように頷く。

どちらが部下で、どちらが上司か判らない始末であるが、
実際、デスペラートやスラスは常日頃荒事に接する機会も多く、胆力に関しては
ノーバよりも格段に上である。

 「拘束しているものたちを解放しない代わりに、以後は危害を加えないように注意する。
戦闘は、今のところ、モルレドウ市ではなく
基地跡地が目標になっている事を利用して、
ランサ卿がいらっしゃるまで
守りに守って、相手になるべく被害を出さないようにする、
基地を攻められるまでの足止めをどうするかも考えないとなりませんが…
足止めはしないよりもした方がいいでしょう」

 デスペラートの目配せを受けて頷いたスラスが、意見を口にする。
ぶるりとノーバの口が震える。

 「…しかし…」

 ノーバは、両手で頭を抱えると、顔を伏せる。

 「実際問題…それでは…カダン卿と、ペリゼ様を、その間どうしておくのですか…」

 ノーバの震える声で発した言葉は、
スラスとデスペラートに取っても難題である。

二人は顔を見合わせると、同じように眉に皺を寄せた。

 クロウスの牢の前に残された獄卒の片割れは、あくびを一つして首をゆっくりと廻した。

 野郎、遅いなと管理官の下に行った相方の早足を思い返すが、戻ってこない以上埒もない。
他の者と交代する時間も考えると
そろそろ戻ってきて貰わないと引継ぎが面倒になりそうだ、
と胸の内で愚痴を零すと獄卒は首を一つ振って、
廊下の向こうに影が一つある事を了解した。

 はて、出て行った相棒にしては小さな影だと思ってよく見れば、
防護服を着てはいるものの、それは見知らぬ女性であると彼の目には見えた。
いや面妖なと棍を引き寄せると、
彼は後ろ手に棍を隠すようにして、女性の歩いてくる方向に向き直る。

 「やぁ、お疲れ様。クロウス・アーメイの牢はここでいいのかね」

 それに気づいた女性が声をあげ、いくらか歩み寄る足を速める。
何やら怪訝と身を固くした獄卒は
やはり、固い声を幾分か大きくして女性に投げる。

 「何かね、君はどこから来た」

 「顔を合わせた騎士に、ここに食事を持ってくるのを代わってくれと頼まれたのさ」

 ふむ、と獄卒は彼女の頭から爪先を一瞥する。
彼女の言い草は、獄卒からすればいよいよもって怪しいと感じられる。
どこから来たと聞いたにも関わらず、
ここに来るに至った経緯を答えるそのズレから来る違和感、
ほつれに獄卒は目を留めて、後ろ手に持った棍の存在を確かめるべく、強く握ると
左手を胸の高さまで上げて、止まれと女性に呼びかけた。

 「なんだなんだ、失礼だな!」

 止む無く足を止め、
女性は不服をその面に現すが、
獄卒は注意深い男で、そんな言葉で揺さぶられたくらいでは妥協をしなかった。

 「我々は刑事処分の一端を任じられるものである。
面倒だが、刑事処分に携わる以上は
不明瞭な部分をうやむやにしておくわけにはいかない。
非礼というには至らない。私は、君が何者か聞き及んでおらぬ。
故に、身分を明かして貰う必要がある」

 ぎゅっと女性は唇を噛む。
雰囲気だけで流される男ではなかったなと判断すると、
女性…モノ・アナンダは判ったと返答する。

 「私は、ここに最近就任したんだ。
見たいというなら防護服に、霊子パターンと一緒に登録されている
個人情報のデータ、それから叙勲証明を送るぞ、携帯魔装で確認できるな?」

 モノの言葉に、獄卒は無言で頷くと、モノから視線を外さぬまま、
棍棒を手放し、
壁に立てかけて右手をホルスターの近くに据えて
身構えてから、サイドバッグの携帯魔装を取り出す。

 「登録名、ナノ・アマンド…第三禁騎士団鉄剣騎士…」

 手元の携帯魔装を確認しながら、
獄卒は口中でもごもごと携帯魔装の映し出す情報を復唱する。

 「確認したか?」

 盆を持ったまま、
モノは肩を竦めて獄卒に呼びかけるが、獄卒はなにやら思案している風である。
情報では、確かに彼女は
このナイトガルド特級監獄の任務についているということになっている。
しかし、一点府に落ちない部分が彼にはあった。
彼女は、見ない顔だし、名前も聞いたことは無い。
となれば彼女の言葉の通り、最近になって就任した騎士であるとは推測はできる。
就任すると、通常、同じ勤務地で任務に当たるものには
点呼の為の独自番号が数字を若い順に割り振られていくのだが
彼女の番号は、どういうわけか自分の独自番号よりも数字が若いのだ。
勿論、手続き上でのイレギュラーというものも存在するが、しかし。

 「考えるのが長いな、自分、絶対もてないだろう」

 思案に暮れる獄卒に呆れた様子でモノが声を上げて、半歩踏み出す。
獄卒は掲げた掌を揺らしてモノをもう一度制止する。

 「まぁ待て、動くな。
…君に、代わりを頼んだ騎士は、ミッチェル・ゲッパートと名乗っていたか?」

 「そんな名前だったな、確か」

 答え、モノはじりともう半歩を踏み出す。
目ざとくそれを目に留めた獄卒は、ぴしゃりと声を上げて彼女を睨んだ。

 「動くな。
相棒はルパート・ルーカスというのだがな。
ちなみに、ミッチェル・ゲッパートというのは上司の一人の名前だ。
今日は、この監獄には居ないがね」

 モノは、ウッと言葉に詰まり、構えを作ろうと身を固くする。
動くなッ!という、
今度は本物の怒号が獄卒の口から飛び、彼は拳銃を抜き放ち、モノに向かって構える。

 「更に言うなら、私の名前はハンス・テイラーだ。
お嬢さん、何を企んでいるかは知らないが、盆を置いて、両手を上げたまえ。
味方を呼んで、縛に服していただく。
ルパートも浮ついたところはあるがさすがに…
最近就任した、顔も知れていない騎士に登録情報の交換もしないで
大事な役目を任せるほどぬけた男ではないぞ」

 ちっと舌打ちを鳴らして、モノは膝をついて両手で持った盆を床に置き、
低い姿勢から、じろとハンスを睨みつける。

 どこかで鳴った風が唸るような、
獣の吼えるような物音を監獄の廊下が反響させて哭くのを、モノとハンスは耳にした。