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 錯覚ではないという確信を得ると共に、その吼え声に、ハンスはほんの一瞬、意識を傾けた。

 知らぬ事とは言え、
刹那を掴み取る技を持つマイトゥッド寺院の僧侶、
モノを前にして、それは迂闊と言う言葉で済まされぬ、致命的な失敗であったと言えよう。

 その隙を目敏く捉え、モノは腰を落としたままで、
盆の下に隠していたその右手から、眼を刺す鋭い光が影に包まれた監獄の廊下の、空間を切り裂いて飛ぶ。

 それは、モノの持つ盆の上に乗せられていた短刀であった。
モノは不測の事態に備え、その短刀を取り上げた後、ここまで盆の下に短刀を隠して持ってきていたのだ。

 不覚を覚えたハンスは素早く銃口を定め、引き金を絞るが、
そのときには既に飛来した短刀はハンスの手の甲に突き刺さり、穴を穿っていた。
その衝撃と鋭い痛みによって、
ハンスの銃口は銃弾を吐き出しながらも僅かに泳ぎ、
モノの金髪を焼いて銃弾が行き過ぎる。
盆を蹴転がし、
疾風の如く殺到するモノを疵を負った右手で狙い撃つのは難しいと身体を翻し、
ハンスは身体を屈め、
身の丈を凌ぐ棍を左手で取り上げるとモノに背中を向けたまま、首だけを廻し
しぇいあッと鋭い気合と共に棍を背後に迫ったモノ目掛けて突き出す。

 棍を薙ぎ払えば当たりはするだろうが、この突進を一手で止めるだけのダメージには成り得ず、
自分が棍を取りまわすために充分なスペースが横に確保できているかと言えば、充分ではないと断言できる。

小さな面積に体重と運動エネルギーを集中させる突きで迎え撃つべし。

そう判断して繰り出されたハンスの、矢の様な棍の一撃は、
強く踏み込んで勢いに急制動をかけ、同時に鋭く左手を上げたモノの脇腹を掠め…
いや、僅かに走る位置と立ち位置をコントロールし、
自らの右半身を遠ざけて、打ち込み誘うように
左半身に打ち込みやすいスペースを作ったモノの技量からすれば
掠めさせられたと言う方が正しいのかもしれない。

 兎に角、そうして空を切ったモノの左手に抱え込まれ、モノはその長い棍に、
肘の内側を絡めるようにがっきと腕を掛け、身体をストンと落として腰を返し、
棍めかけて巻き込むような右手の掌底を打ち落とす。
メシリと悲鳴を上げた棍が折れるのを知覚したハンスは、身体を返しつつ棍から手を離し、
姿勢を低くしたモノの頭上から左拳の一撃を振り落とそうとするが、
その前に右腕を曲げたまま下半身の筋肉を使って僅かに姿勢を高くしたモノの猿臂が風を切り、
ハンスの左拳の親指を迎え撃ち、尖った肘の骨は
彼の体重の乗った一撃の重みをそのまま彼に返し、ハンスは親指を砕かれた。

 その衝撃に弾き飛ばされる様にハンスの腕が空中を泳ぐ。
モノは、そのときにはもう姿勢を元の高さに戻していた。
突き出すような軽い掌底でハンスはモノに軽く突き飛ばされ、その身体はバランスを崩して後方に一歩泳ぎ
モノのシャエエッという気合が監獄の薄闇を切り裂く。
まず、モノはがら空きと成ったハンスの胴目掛けて両掌を合わせた双掌打を打ち込んだ。
ボパアン、と何かが破裂するような音と共にハンスの胴が揺れ、
凄まじい衝撃にハンスの胃袋が悲鳴を上げ、ハンスはゴプッという唸り声とも物音とも突かない音を喉から発して
ハンスの脚は空中を掻き、さらにもう一歩後ずさる。
ガードを作るか、それとも体格差に任せて両腕を戻す勢いのまま、
モノに被せるかハンスが揺れる頭で一瞬逡巡する時には、モノは、脚を返して、拳を打ち込む構えを作っていた。
彼女の金髪が風に乗って流れ、監獄が揺れるような物凄い踏み込みをその脚から生ずると共に、
ハンスはモノの体捌きに竜巻を見て、拳に稲光を見た。
その雷光のような拳は、ハンスの 臍のあたりを左拳で一打打ち、ハンスの身体の中心に定まった力を打ち砕き、霧散させる。
鳩尾を右拳で一打打ち、ハンスの身体を巡る息吹の流れを吹き飛ばし、停滞させる。
胸板の天辺、鎖骨の中央を左拳で一打打ち、ハンスの上体を繋ぎ止めている、構造の連鎖の中心を粉砕する。
鼻と唇の間を右拳で一打打ち、
その場所の薄い筋肉を裂き、骨を砕いて、ハンスの頭を打ちぬく打撃はその意識を直接撃つ。
さながら、滝を登り、稲妻を生ずる竜の如し神速の豪拳は全てハンスの急所を打ち抜き、砕き尽くして
体格から想像もできないほどのその剛力、その威力に朦朧となったハンスの前で、
モノは、
腰を返し、両腕を交差させて下げると、
もう一度鋭く踏み込む。

どしり。
まるで爆発のような物音が上がって、ハンスはその胸板を、留めの重ね当てで打ち抜かれ、
その身体を五、六歩程も吹き飛ばされ、廊下に叩きつけられる。

 「良しッ」

 モノは短く勝どきを上げると、額の嫌な汗を拭って拳を打ち鳴らす。
実際、ハンスは泡を吹いて、
廊下に叩きつけられた姿勢のまま微動だにしない。
余裕を失って少しばかり力を入れてしまったが、
死なぬほどの手心を加えた覚えはある。
鼻を鳴らすと、
モノは吹き飛んだハンスの足元まで歩み寄り、合掌すると
膝をついてハンスの腰周りの物色を始め、
鍵の束を探り当てて、それを取り上げる。

 モノは、硬い石の壁に囲まれた監獄の独房の扉を、音も無く開く。
扉と壁との隙間から差し込む光が
深淵を思わせる暗闇に包まれた石の床を切り裂いて伸びる。
 と、暗闇の中に、突如として
鬼火のような丸い光りが一つ浮かぶ。
それに目を囚われ、そこに在る存在を認めると

 背骨に冷水を流し込まれたような錯覚を伴って、
モノの本能は、毛穴を開かせ、肌を粟立たせる。
己が開いたのは禁忌の扉で有るのは承知の上だが。

 ──折れた剣、割れた聖杯。
本来の用を為し得なくなった存在は、
道具ではなくなる。

 自らを割った疵によってそれらは、
剣でも聖杯でもない独特の存在となるのだ。
打ち棄てられる
その存在に、果たして何が出来るだろうか。
見るものに、
それが単一の存在であることを知らしめる。
正しいものと誤ったものの境界を示す。
その単一の存在はそれらを示し、
世界の境界は放つ光を聴かせ、音を見させる。
自らの存在を認識したものに知覚させる、
異世界の屈折した光は、見る者に、
そこには尋常ならざる力、理を超えた力が働いている事を教える。

 秩序、それは今、その光の四方を壁で囲んでいた。
普遍、それは今、その光を世界の片隅に埋葬しようとしていた。
平和、それは今、その光を憎んでいた。
それら全て人間の意志の描いたものである。
だが、そこに在る意思は、人間の意思を敵に廻したとしても正しい世界に閉じ込められて良しとはするまい。
それは彼の者の抱く意思であろう。
彼の者の見上げた月は、割れた。

その、異様なる光は割れた空の──世界の半分を失う事で
変化からの自由を得た。
常に彼の傍にいる暗闇を得た。
失うという体験を得た。

彼は、人間に囚われなくなった。──

 その光は、エクスが見開いた左目の眼光であった。

 エクスは、モノの存在を認めると
足首に嵌められた枷の鎖をガチリと鳴らして立ち上がる。
見れば、鉄球とエクスを繋いでいるべき鎖は、彼の足首の枷に
いくつかへばりついているものの、途中で捻じ切れてしまっている。
道具の類などが、独房の中にあるとは思えない。
それならば、彼は鋼の鎖を素手で引きちぎったのだろうか。

 エクスの異様な気配を感じ取る感覚から
発した思考を巡らせるモノは、
独房の中で、
寝台から立ち上がったエクスが、悪魔や妖魔、魔人に類するものであるように思えて、その畏怖から一歩後ずさる。

 「マイトゥッド寺院の者だな」

 エクスの低い声が、独房の空気を震わせる。

それが声を発する人間である事を了解すると
神魔、あやかしの類がこの世にある訳はないと
モノは自分を取り戻し、
独房の中へと一歩を踏み出して防護服の胸の前で腕を横に交差させ、軽く一礼する。

 「エクス・ノア殿、申し遅れた。
拙僧はモノ・アナンダと申す。
仰るようにマイトゥッド寺院の帯びる義、御身をお助け致す任にて参った。」

 エクスはモノに無精髭で縁取られた顎をしゃくり上げて、扉の前を退く様に促す。

モノは廊下に目をやって、
背中で扉を押すと、廊下の明かりが独房の中の暗闇を押し広げて流れ込む。
明かりに照らされた彼の面は異様で、モノは息を呑んだ。
エクスの閉じたままの右の眼窩と瞼を中心として夥しい血痕が凝固して、
垢で黒く変色した肌の上に張り付いている。

 エクスは左目を細めると廊下に歩み出て、
昏倒している獄卒の前で腰を屈め、足首と同じように
引きちぎったと思しき錠と鎖の残った右手を伸ばして
獄卒のコートの襟首を引っ掴むと、
力に追従するままにだらしなく引き起こされる、獄卒の上体からコートを剥ぎ取る。

 「戦車にでも轢かれたようなありさまだな」

 エクスは獄卒の黒いコートを剥ぎ取って、ひらりとコートを廻して袖を通して囚人服の上に着込むと
鎖の残骸が音を鳴らし、僅かながらその音は監獄の廊下を反響して駆け巡る。

 「しかし、こうまで凄絶でありながら紙一重の攻防で命をあえて奪わない技量。
まさにマイトゥッド寺院の拳術は活殺自在。
その技量、王都脱出の頼りとせていただくぞ」

 モノの転がした盆を目に入れて歩き出す
エクスの挙動を目に入れると
モノは早足にエクスを追いかけ、エクスは転がった盆の前で足を止める。

 「拙僧、仰っていただけるようなほどのものもない
不肖の身ではあるが、積み上げた技術わざを尽くす所存」

 モノの言葉を背中で聞きながら、
エクスは盆の傍に投げ出された白い布を取り上げると、
血が張り付いて、閉じたままの自らの右目を隠すように巻きつける。
結び目を作り、それを縛るとエクスはモノに背中を向けたまま呟く。

 「積み上げたものは、誇らしいものさ」

 今、エクスが巻いた、獄卒の持参した白い布は、髭を剃る時に胸に掛ける前掛けだったのだろう。
頭と顔の右半分、斜めに巻いた布のその丈は余り、結び目から背中に垂れる。
エクスの言葉の意味を測り損ねたモノは、エクスの横顔を見る。
彼の左眼の光は静かに燃え、
天上を目指して身を震わせながらも
その身を真っ直ぐに天に伸ばす炎そのもののような姿を持っている印象がある。

 「モノ・アナンダ。監獄を出たら寄り道をさせていただく…楽は出来ないと言って置こうか」

 その言葉の意味を直ぐに揺らめく炎の奥に隠すと、エクスはモノを肩越しに振り返って、その左眼で射抜いた。



 そこに人の気配のないのは、シツダがなんらかの工作を施した故であろう。

 第十禁騎士団の設備の一角で、
軽装防護服に身を固めたシャックスは人の気配の失せた一室に、慎重に足を踏み入れる。
彼が足を踏み入れたそこは、
禁騎士団の魔装への、設備から供給される
エネルギーの流動を管理する為の魔装設備の集中した一室である。
部屋の中は、
複雑な魔法陣の刻まれた石や金属で構成された、
柱の如く巨大な魔装が所狭しとあちこちに並び、隠微な光を放っている。
それらの、魔装が担う供給を一括管理するための制御板は部屋の奥に鎮座し、
その魔装石版を視界に入れると
シャックスは腰ほどの高さに据え付けられた
その石板に歩み寄って、無言のままその石板に触れる。
石板はシャックスの呼びかけに答え、身に帯びた光を強め、その光で自らの表面に文字を描き出す。
石板の放つ光は暗闇の中で、彼の姿と表情とをはっきりと照らし出す。
シャックスは、無表情の仮面を被り、石板の上で指を躍らせる。
石板に描き出される文字は次々と姿を変え、彼の求める情報を描き続ける。

 ──「私は、私。
私である事は生まれた時から二重螺旋に刻まれた私の罪なの。
私である罪と共に、私の罪を償いながら、母はこれからも生きていきます。
シャックス、私の優しい坊や。
あなたは誰がなんと言っても、私の誇り。
貴方は、常に正しい魂で、人と国を助けなさいませ。
人に施す事は、自らに施す事です。
人に眼を向けることは自分に眼を向けることです。
母の得た考え──
それを、母は、今日まで貴方に精一杯それを教えてきたと胸を張って言えます」──

 シャックスはせわしなく動く己の指を見やり、言葉を回想する。
まだ騎士の慣習である
手袋も嵌めぬほどに幼き日、その声と共に彼のその手を取ったものが有った。
忌まわしい生まれである、母親の白い手。
今現在を紡ぐ為に埋葬してきた
それを忘れるには、その過去を見ないで居る方が得策だろう。
しかし、埋葬したはずのそれは、幾度も蘇り、彼の思考を阻んできた。
彼の母親の思い出は、優しい物だった。
その魂は決して呪われたものではなかった。
それ故に彼は苦しむ。

 その思い出を
棄てる事を拒み続ける自分の心の深層の亀裂の中に立っているのは
社会から棄てられながらも、誇りを失わず、美しく立っていた母親の姿だった。

 「正しかろうがどうだろうが──負ける奴が悪い。
負けた奴など眼中にあるものか」

 シャックスは独り言をぽつりと呟くと、石板の映し出す情報を眼に入れる。
しかし、
それならば自分は何故絶対の勝利に続く足がかりとは縁遠いこんな真似をしている、と
胸中に発した問いを、シャックスは、指を動かして黙殺した。

棄てられた者の意思は、
意地は、影となってこの世を支え、そしてそれは光と混じり、うねりとなってこの世を動かしている。
誰にも測る事のできぬそのうねりは
それは今を生きる者と、この世の光りさす場所から去っていった者との静かな戦争でもある。
それが導くものを、人間は運命と呼ぶ。



 監獄の正門に配置されていた
兵士の虚を突いて打倒したモノはエクスを従えて禁騎士団の設備の一つに向かって、夜の王都を馬で疾走する。
そろそろ、捜索の為の部隊が手配され、街中に展開している頃だろう。
禁騎士団の基地のひとつに馬で飛び込むつもりかとモノはエクスに問うたが、
内部に通じるポイントへの瞬時移動を可能にする
公共のゲートウェイが開かれているはずだとエクスは答える。
基地への足がかりとなるゲートウェイ、通称をバックドアと呼ばれている設備は
ある一点の空間中の情報を書き換え、
もう一点の移動先とする空間に自分の存在を置き換える、
移動のための魔法の力場である。

 それは有事の際でなければ使用できないはずだと
モノは更に疑問を投げかけるが、エクスは獄中にて工作を施していたと言う。
 ──それがエクスの描いた絵の通りに進んでいるなら、順調すぎはしないだろうか。──

 モノの懸念と共に融けるように後ろに流れていく石造りの建物の壁の向こうに、
幾つもの道が合流する広場の
石の床に描かれた巨大な魔法陣が姿を現す。
これぞ、二人の対話の中にその概念を現した転送ゲートウェイと呼ばれる大型魔装設備である。
たしかにその魔法陣は、
隠微に光を放ち、それに魔力が供給されている事を二人に教える。
エクスは、手綱を緩め馬の速度を上げて、魔法陣の傍まで一気に馬を寄せて馬を止める。
 待て、とモノは声を上げていた。エクスが魔法陣の傍に降りると同時に、
人の影が建物の影から歩みだすのをモノの眼が捉えたのだ。

 不穏な気配を放つその影は、その声が聞こえていないかのように緩慢な動作で
マッチをこすり、煙草に火を灯して、低いしゃがれ声を上げる。

 「お前達もう寝なさい」

 「誰このジジイ」

 声をあげ、
エクスからやや離れたところで馬を止めると、モノはその影から眼を離さぬまま、馬を下りる。
影は、左手で煙草を摘むと無造作に路上に投げ捨てて、ギヒィと声を歪ませて笑った。
男は右手を、だらりと下げている…というよりも、
右肩が不自然に下がっている彼の姿勢は負傷をしているのではないだろうかと思わせる所がある。
その男の異様な姿勢と、尋常でない気配に思わずモノは身構えて、エクスは、モノに目配せを飛ばす。

 「一ヶ月ぶりだな、エクス。右目は、どうした?随分伊達男になったモンじゃねえか」
 エクスが眼をやった、その影…しゃくれた顎に、針金のはえている様なボサボサの金髪…
だらだらと滝のような汗をかきながらも、冷たい炎を双眸に燃やすその男の面。
薄汚いコートを、長身の幽鬼の様な痩身に引ッ掛けた
その男の影は、メーテ・マリシンの相貌をしていた。

 「色々とバレてるぜ。
多分、ヨシュア・ナザレや女王陛下の耳まで知らせが行ったんだろう。禁騎士も動いている」

 地上に降りたエクスは、言葉を続けるメーテを冷然と睨みつける。

 「メーテだと……何故ここに居る」

 メーテは察しは着くだろうと声を上げて、煙草の煙を吹かしてエクス達の方へと歩み寄る。

 「仕事さ。文字通り、骨が折れる仕事だぜ、全く。
おたくに逃げられると困る人間がいるんだってよ、ヒヒッ」

 どこか、躁状態を思わせる不安定さで弾むシャックスの声の響きを聞いて
エクスは舌打ちを鳴らし、メーテは間合いを取ってその足を止める。

 「手前、アクセルを食ってきていやがるな」

 「アクセルで痛みを散らし、
内緒話をするおたくらに顔を晒して、
今、王都くんだりまで来た俺がここに立っている。
つまり、そういうことだ」

 身を隠す場所は、
せいぜい広場にぽつぽつと散らばる街路樹程度しか見当たらない。

 メーテは、自分達に送られた刺客であろう。

メーテの言葉から推測できる
最悪の事態を想像し、また、確信を得たエクスは、僅かに視線を左右に振ると
メーテはだらりと下げたままの両腕を揺する。

エクスが身構えて、メーテに向かって飛ぶように前進する。
エクスとメーテとの間合いは大またに歩いても、十歩で済むまい。

 ッシャアと叫んで、メーテの左手が消える。
同時に、エクスの身体がびくりと震えて、エクスは後方に弾き飛ばされる様に転倒する。
メーテの左手は、眼にも止まらぬスピードで
ホルスターから拳銃を抜き放ち、エクスの身体は彼の銃弾に捉えられたのだ。

 そして、煙の上がる銃口は
エクスとモノに、音も無く銃弾が撃ち放たれたことを教える。
ヒッヒと笑うメーテの左手はぶるぶると震え、構えた銃の銃口はゆらゆらと揺れている。
精妙な射撃の腕前を持つ兵士とは思えぬ挙動であるが
そう見えても、メーテの身体に染み付いた殺しの技術は、
今、拳銃の片手撃ちで正確に
エクスを撃ち抜いて見せて示したように実際には少しばかりも損なわれてはいない。

 エクスがその言葉に上げたアクセルと呼ばれる興奮剤は
メタンフェタニンに近い作用を持ち、特定の方向に対しての作用を強化した合成物質である。
それは、多幸感を齎し、神経の感じる痛みを消した上、感覚能力を強化する性質を持つ。
エクスやメーテのように兵士の中に、処方の許可を受けて使用するものは多いが
副作用は人体にとって極めて危険なものが多く、用量を誤れば深刻に死の危険に直結する性質もある。
また、中毒性が極めて高い上、
常用者の精神、肉体に及ぼす依存性はニコチンやアルコールと比肩する部類の物であるため、
人民に普及すれば、それはそのまま薬物汚染に直結し、社会に深刻な打撃をもたらす。
その為、ナイトガルド全土で許可の無いものに譲渡、売却をした場合
譲渡、売却、購入に携わったもの全て、罰則を罰金で免れる事はできずに
相当厳しい罰則を受けることになるといういわくつきのものである。


 「エクスは動くんじゃねえよ、おたくは生け捕りって仕事なんだぜ。
間違っておたくを殺しちまったら、面倒な事になるじゃねえか」

 右の鎖骨の付け根を銃弾で撃たれ、
転倒したエクスは、しかし、直ぐに膝を立てて中腰に身構えると、メーテの全身に視線を走らせる。

メーテは、翻った彼のコートの影、
右の腰に、明らかに今手にしている拳銃より大型の拳銃を下げている。
それに、メーテは今、明らかに片手で拳銃を撃った。
メーテが、薬によって興奮状態にあるのだとしても、
片手撃ちでなければいけない理由もないのに、
スタンディングポジションから片手で拳銃を撃つような人間ではない事を、
エクスは認識していた。

 (両手で、拳銃を構えられぬと見た…右手は、折ったか)

 薬を服用しても、彼の右手は機能しないほどに深刻なダメージがあるのは、
間違いないとエクスは胸算用を働かせると
メーテとモノの間に走る直線を塞ぐようにすっくと立ち上がる。

 エクスの胸板から玉の雫となった血の玉が滴って、石畳を濡らす。
エクスのコートの襟と、囚人服は、
鎖骨に空いた風穴から迸る血で、あっという間に真っ赤に染まっていた。

 普通なら、平気で立ち上がることなどできる訳はない。

 「おたくもアクセルを食ってるのかい」

 銃弾を浴びたにも関わらず、平然と立ち上がったエクスを見てメーテは笑う。
無言で笑うエクスは、左腕を前に、左肩の置くに心臓を隠すように半身に構えると、後ろに廻した、
動くはずの無い右手を、メーテに気づかれぬよう動かして、
モノに手招きをして、すぐに人差し指で真上を示して見せてから、口を開く。

 「メーテ、俺は今、銃弾が見えると思うと言ったら…信じるか?」

 エクスの声を聞いて、メーテが、ウヒッと素っ頓狂な声を上げて笑った。

 「またか、コノ野郎」

 エクスは不敵に笑うと、左手の人差し指を、メーテを招くように動かして
左腕を曲げて、
自分の左眼の視界を塞ぐように異様に高く構え、言葉を紡ぐ。

 「ご照覧。凌いでみせてやるよ、撃ってみろ」

 そう告げるや、エクスは左眼を閉じて、構えたままで暗闇の世界に身を投じた。
そうして、エクスはメーテの息遣いを聞く。
彼の筋肉と骨が軋み、身じろぎした彼の衣服が衣擦れを起こす音を聞く。
空気が運動し、質量のある物質がどう運動したかを肌で感じる。
アクセルの作用によって異様な発汗をする肉体が
どう動いたのかを、その嗅覚で嗅ぎ取る。
暗闇の世界に、
片目で見るよりも…いや、眼で見るよりも正確な世界の姿が描き出される。
可視光線が紡ぐ情報に囚われる事を棄てて、他の感覚を研ぎ澄ます。
眼で見ない世界の情報という点は、しかし
正しく
【繋がって】線となるという確信が、エクスにはあった。
月は割れた。しかし、その傍らにあった星の光は、眼を閉じてみても焼きついている。

 (地ではなく、空を見るのは、あの少年との約束だ)

 エクスの暗闇の中で、星は、炎に似た光を纏い、その輪郭を揺らす。

 メーテは、少なからず逡巡した。

 しかし、エクスがその身の後ろに隠したモノが何事か妙な動きを企んでいるだろうとも思え、
迷う事を止めた彼は銃口を下げて、エクスの膝を狙う。
息を止め、メーテの全身の筋肉に、
ふらりと揺れる照準を定めるため
ぎゅうと力が巡り、身体の一点に血が集まるのを感じると、彼の三白眼は縮まる。
拭い去れぬ恐怖、不安、焦燥。
それらを打ち砕くべく銃弾を放ち、
そういったものと、アクセルの醸す多幸感がメーテに抑えきれぬ絶頂を齎す。

 「ッア、アッー!」

メーテが拳銃の引き金を絞り、
脳髄と背骨を、電流の走るようなその快感で焼いて、
その電流に撃たれるように脚と胴とを震わせるのと同時に、
ヂッ、と何かが焼ける感触を漂わせる、硬い音が鳴り響いた。
見れば、エクスは左足を上げて…
彼の足首の辺りからは、着弾の余韻を漂わせる煙を上げている。
エクスが何をしたのか、メーテは直ぐに把握をすることができなかった。
狙った場所には足首が置かれ…
そして、その足首からは血が流れず、代わりに煙が上がっている。

 背中を丸めて、腰を落としたエクスの姿を認めるとメーテは正気に返り、拳銃を構え直すが 
うおっしゃあ、と叫んだモノがエクスの背中を踏んで横に飛び上がって、距離を稼ぐと、
空中でその身体を廻し、エクスの乗っていた馬の尻に突く様な蹴りを見舞い、
その勢いのまま右手で馬の首を鷲掴みにすると
腕力に任せ自分の身体を馬の鞍の上に引き込む。

 葦毛の馬は首を廻して嘶くと、メーテの方角に向かって猛然と突進を始める。
同時に、エクスも左足で地を蹴り、メーテへと間合いを詰める。
 「しゃらくせえ!」

 メーテは状況を飲み込むと素早く構えを解いて
身体を投げ出すように横飛びに飛ぶと、
驚愕して暴走する馬の走るであろう
軌道から大きく外れ、地面を転がって膝を立て、拳銃を構える。
しかし、どこかで獣の吼えるような
声が上がるのをメーテの耳は捉え、一瞬彼の意識は硬化する。

 馬の背を蹴って、モノがメーテに背中を見せて、メーテとは反対方向に飛ぶ。

 「おたくも獲物だ、散らばって逃げようったって、そうは行くか」

 散らした意識を瞬時に戻し、空中を滑るモノの背中に銃口を走らせたメーテは、
駆け去った馬の立てた砂埃の向こう側でモノが異様な動きをするのを見た。

空中をゆったりと滑り、街路樹にぶつかったと見えたモノの脚が、
木に触れると、彼女の身体にバネでも仕込んであったかのように、
彼女は反対方向へと高く飛び上がり、空中高くで身体を廻したのだ。
 馬から飛び降りた時よりも更に高く飛び上がったモノの、
思案の外にある動きと縦に大きく伸びた軸を
追えなかったメーテは、はっと身体を翻す。
駆け寄るエクスは、手を伸ばし、
ニ三歩の間合いを飛べば
メーテを捉える事の出来る距離まで詰め寄っている。
メーテは殆ど無意識に銃口を横に振ってエクスを捉えようとするが
飛距離を稼いで飛来したモノの飛び蹴りが鋭い弧を描いてメーテのこめかみを捉える。
メーテの世界が震え、銃口が泳ぎ、
蹴られた衝撃で彼の銃は天に向かって無音で銃弾を吐き出して、
メーテは吹き飛ばされるように
横合いに身体を流してよろめき、しかし両足を突っ張ってなんとか衝撃に耐える。

 彼が顔を戻すと同時に、メーテの懐深くに飛び込んでいたエクスが左眼をカッと見開く。
碧くない青い炎、彼のまなこの炎が、
燃え上がってその影を天に伸ばしたように、メーテの眼には見えた。
再び、メーテの世界が震え、その身体は真上に突き上げられる。

 エクスの右拳が彼の鳩尾を真下から強かに打ったのだ。
ヴェホッ、と胃の中の空気が強烈な打撃によってメーテの口から押し出される。
地に脚の底が着くと同時に、メーテの膝ががくがくと震える。

それでも、左手から拳銃を落とさずに、殆ど無意識に腕を上げようとしたメーテの顔の中央を、
エクスの左手首の錠が捉えて、カンと音をさせて、彼の鼻の骨と顎の骨を同時に粉砕する。
血の花が空中に見事に咲いて、メーテの前歯が弾け飛ぶ。
常人であれば命を落とす程の衝撃で幾度も続けて打たれ、
張り倒されたメーテの意識は焼き切れて、
彼は白目を剥いて、膝を垂直に折って崩れ落ちる。

 叩頭するような姿勢で失神し、自分の口から吐き出した血の池をじわじわと広げ、
そこに頭を突っ込んだ格好のメーテの姿を見届けると、
モノとエクスは、同時に顔を見合わせて口を開く。

 「さっきのは、何だ」

 同時に、同じ言葉を口にした二人は、同じように目をぱちくりと瞬きさせる。

 エクスは、相手の身体の動きと、
身体の動きが示す銃口の向きの変化から銃弾の軌道を計算し、
狙う場所を割り出すとメーテが銃を撃つタイミングを
直前の予備行動と情報の変化で感じ取り、脚を上げて、足首についたままの錠で銃弾を弾いた。
モノは、馬から街路樹目掛けて飛び降りて身体の
運動エネルギーを蹴りで街路樹に伝え、その反動でメーテの想像も出来ぬほど高く飛んで見せた。
 お互いに、その動きに度肝を抜かれたのが正直なところなのであろう。
 「拙僧のは、月渡り…三角飛びとも言われる技だ。
修練を重ねていれば、いずれ身につける事はできる。
しかし、エクス殿が銃弾を弾いたあの技、どんな事をすればそんな事ができるのだ?」

 モノが心底不思議そうに問う。
エクスはついと左眼を背けると、
まぁ、それはと曖昧な答えを返して、モノに背を向けた。
 「メーテの奴が無傷、万全の状態だったら、
ちょいと面白い事になったかもしれんのう」

 この男は、顔見知りのようだがと問うモノに、エクスは頷いて見せてから、首を軽く左右に振る。

 「なに、傭兵稼業のお仲間さ。たまにこうやって遊ぶ機会もある…。
ハハッ、この野郎、ファイティングハイだっていうのに
アクセルも食ってやがったせいで途中で行っちまいやがった。
負傷もあって、薬が効きすぎていたのかもしれんな」

 「…なんか…匂いますな…」

 ウム、自分も大概なのだがこいつも大した因業者だ、と
エクスはモノに背中を向けたまま手をひらひらと振ると魔法陣の中心に一歩を踏み出す。

 「しかし、その男は、くたばっていないなら、身の処し方なんぞ自分でどうとでもできるタフガイでもある。
先を急ぐのだ、その男は放っておいて行くぞ…カルマも、ご苦労だった!今度は、デアブロウを頼むぞ!」

 なんと、とモノが思わず眼を見開いて声を上げる。
その名は、出立の時に忌むべき者、避けるべきものとしてレドから伝えられた名である。

 エクスが顔を上げて、見上げた民家の天井の縁、
直立したフラ・ベルジャの頭程の高さのその場所を、モノもエクスの視線を追従して見上げる。
そこには、人影が一つ、地上を見下ろしているのが認められた。

 「カルマと申されたか」

 モノの声色が、緊迫を伴って硬くなる。

 「ああ、 賢人ヨシュア・ナザレ曰く誰も彼もが生まれた時から二重螺旋に刻まれた歩むべき予定調和。
賢人シツダ・ルタ曰く全て生き物が消費して、産み落としていく足跡。
──俺や、君や、あいつら。この世の人間どもの一切合財の証明。
あれは生の証明カルマの名を帯びる。
──監獄の中と、今さっき、声を聞いたろう?
箱入り娘だそうだから、おかしなことをいうんじゃないぞ」

 軽口を叩くような言葉であるが、しかし、エクスの声は、立ち入る事を拒む硬さを滲ませていた。
僅かに首を廻したエクスの眼光は、その声よりも重く、モノはそれ以上何かを聞く事は出来ぬ始末と相成り、
カルマと呼ばれた影は身体を揺すると、今立っていた場所を蹴って地上へと飛んだ。

 「もし、絶望に蝕まれた時は、君の神か、カルマの名を呼び、その姿を想起するがいい。
下手すると、我々からしたら神様みたいなもんかもしれんぞ」



 月の無い闇夜に、クワィケンの眼が光る。
敵影は、今のところ、ない。

 「出迎えがなかなか出て来ないな」

 オクトパスと歩調を合わせた、細長い頭部と、
丸みの有るずんぐりとした全体の輪郭が印象的な中型魔装鎧ハバルドのコクピットの中で
ボークリフは、金属のリングに麻紐を通しただけの首飾りを手で弄びながら呟く。

 「関所からここまで何も動きが見えない、こいつは気味が悪いわな」

 クワィケンのシートの中に納まったジャックが、
ボークリフの呟きを聞き取って胸中の不安を吐き出して、同調してみせる。

 「ジャッ公、やっぱそう思うよな。ホークアイ部隊が返り討ちにされて、
てっきりやる気満々で迎撃があるものだと思ってたらこの始末…マルさん、どう思う。
起きているか?」

 ボークリフは、マルコの意見を仰ごうとマルコに呼びかけてみるが、マルコからの返答は無い。
恐らく、仮眠中なのだろう。
 「戦力の欠損が出ないとして、どの位の規模まで行けると思いますよ」

 ゴールデン・コヨーテ、オクトパス班の補充人員として配備された珍しい名前の女性、
ユージン・ショヘンプはハスキーな声を上げる。

 「全体で?コヨーテに限って?」

 ジャックが、ユージンの疑問の状況を限定するように促すと、ユージンは一拍考えてコヨーテの戦力で、と答える。

 勿論、盾の騎士団と降魔騎士団は、距離を取って進軍してきているが、
もし自分達が敵と交戦に入ったなら、
後退しながら自分達だけで戦わねばいけないタイミングというのはいくらか生じる目算が大きい。
交戦の前に敵の配備を察知して、後方の部隊の戦力が前線を押し上げてくれれば
それがベストなのだが、戦争状態にある以上、敵もそう簡単に配置を気取られぬように
対策を施すであろうし、その隠された危険をいち早く偵察し、後方の部隊が万全の状態で敵に挑める様に
情報と時間を稼ぐのが、傭兵達の役割なのだ。

 「同じ程度前進しているルカ班と連携を取るのを大前提として…
まず、クラーケンに属する車両であるルカ、オクトパスを凌ぐ火力の支援車両というのは考えづらいから
長距離攻撃は、魔装鎧の、機動力と装甲で何とかなるかな。
魔装鎧同士の殴り合いを考えると、一度に、フラ・ベルジャ十機ちょい、凌げるだろうかな」

 「ご謙遜」

 ボークリフの答えに、オクトパスのクルーが茶々を入れて笑い声を上げる。

 実際、ボークリフの答えは冷静であり、平均的な数値から導き出される、良くも無く、悪くも無い
戦況から想定される、バランスの取れた分析ではあるとは思えるが、
平均して傭兵達は、特定領土の領主に仕える騎士より戦闘経験の多いものが多く
バランスの取れた性能のもので統一される騎士のマシンと比べて、尖った性能のマシンも多い。
逆境への対応力が違うという自負は、傭兵達の胸中であろうか。

 或る部分の能力や技量だけを見るなら、
それこそ禁騎士や十聖槍に並ぼうかというものらが彼らの業界にはごろごろしているのだ。
それらのものらがどうして有る程度まではその武を持ってのし上れる、
支配階級である騎士にならんと名乗りを上げぬかといえば
多くは、脛に傷持つ者であったり、人格に欠点があるとさも最もらしく囁かれたり、呪われた血筋で有ったり
騎士階級になることを望めない身の上であるものが多いゆえという理由が主なところであろう。
しかし、彼らは、そうして暮らすうち、人を支配する事を忘れ去った者が殆どである。
己は世間を生かす者にあらず。
己は世間から生かされている、支配するのは己のみで充分であると。

彼らは、秩序を守ることから、勝敗を決する事から、ずっと自由だ。
なにせ、生き残ればそのまま勝ちである。
そうした傭兵達は、自分達の自由を、明日を。
直接買い取る為に進んでその武を振るい、戦場に身を投じる。
飢えるものは、今日を戦って勝ち取る事に対して真摯である。

 少なくとも彼らがそう思うほどに、彼らは自分の技量に対して自負を抱き、
それが過信ではない事をルサンチマンとの戦闘においても証明してきた。

 「だがよ、相手側に他の傭兵部隊も噛んでいるとか、
ノーブルで初手から強襲を仕掛けてくるなんてことがあったら…
そんな計算も台無しだ、
剛毅なのはいいが、笑ってられるのは行き過ぎだと思うぜ」

 ボークリフが硬い質感の声でぼそりと釘を打ち込むとフム、とクルー達やジャックの鼻息が返ってくる。

 「しかしなぁ、ノーブルがどうとかはともかく、
武名を売ってナイトガルド全土に響き渡る
コヨーテの対抗なんか、そうそういるか?」

 「クローム・バイパー、ロス・ロボス、クリムゾン・ラット…
いるいる、俺達はコヨーテの総力じゃないし、ナイトガルドは広いんだぜ。
極端な話、禁騎士クラスの斧騎士がノーブルで突っ込んで来たらそれだけでヤベーだろ。想像力を持とうぜ。
マルさんもこっち派だと思うから、寝てるときにこんな話したくねーんだよ、俺分が悪いし」

 「あたいもそっち派ですえ」

 呆れたようにため息を吐くボークリフをたしなめる様に、ユージンが笑う。

 「ンだよ、このガキャア、モテ期かおめえ」

 ボークリフの肩をユージンが持ったのが面白くないのか、
今度はジャックがぶすくれる。

 「どのパネルをとっても逆転はできません。
悔しかったらジャッ公も一生のうちにどこかでもててみやがれ」

 「ぶっ飛ばすぞおめえ」

 ジャックの言葉に苦笑いすると、ボークリフは、
ゴールデンコヨーテ支部で別れたカラーにお守りだと譲り受けた指輪…首飾りにしたそれを指で弾く。
先祖伝来のお守りだとボークリフに指輪を手渡して、
眉にしわを寄せて妙な表情になったカラーの顔を思い出す。
ありゃ照れてたんだなぁ、面白い顔だったと回想するとボークリフは一人でコクピットの中で吹き出してしまった。



 ザノンは、左眼の奥に何か違和感がある、と感じた。

 視覚に異常を覚えたわけではない。

 ただ、左眼の奥が熱い。そう形容するしかない違和感があった。

 「バーッソーウTS、足並みを揃えろ、短小野郎。貴様アノ日か」

 盾の騎士団と、降魔騎士団で編成された一隊の背中が並ぶ遥かな魔装鎧の線を見守りつつ、
支援車両を守る陣形で進軍するバッソウの中で、
アサルトライフルを構えたザノンのバッソウが遅れたのに気づいたガーハートが軽くザノンを注意する。

 「申し訳ありません、ガーハート銀剣騎士殿」

 「バッソウRC、ランジェリー野郎、貴様もザノンに釣られてふらふらするな、
ラッシュが来たとかぬかしたらフラ・ベルジャで生身の貴様のカマを掘るぞ。
バッソウGF、馬男、バッソウRB、脳味噌皮かむり、
お前らも知らん顔でマスかきしてるんじゃない。カマを掘るときは連帯責任だぞ」

 (…この防護服を見て、ランジェリーはそのまんますぎてひどいと思わない…?)

 ザノンの通信に、個人の携帯魔装経由で、共有をしない通信がネルから入り込む。

 (うん、ガーハート先生のあれはすぐに免疫がつくから大丈夫だと思うよ。
ちなみに馬男はアッシュで、脳味噌皮かむりはリブラね)

 (リブラのはなんとなく判るけど…アッシュはなんで馬なの?)

 (背が高い。曰く無駄に長いブツは馬と相場が決まってる、だって)

 ばすッとネルが吹き出す音をザノンは耳にする。

 (ちょっ…)

 吹き出したついでに、気管でも詰まらせたのか
ネルが息ができずに悶絶しつつ咳を繰り返しながら、ザノンに呼びかける。

 (すごく…大きいです…)

 抑揚無く言葉を紡ぐザノンの声に、
ゲホッと咳を吐き出して、もはや必死の態となっているのがネルの声には現れる。

 (ヤメロ、笑わせるな。ッ本当に…)

 泣いても笑っても、自分達は、戦争の為に歩いている。

 その実感は漂っている、
しかし、それは突如として濃厚になったり、
希薄になったりと揺らめきながら、また、湧き上がる。
感情、そして、その実感に対して真摯でいること。
相反するようにも思えるその両輪は、失ってはいけないものだとザノンは思う。
この眼の熱は、それを失わないための道しるべになればいいとザノンは左眼を閉じて、その瞼を抑えると、右目を細める。
左眼の瞼の裏が暑い。
まるで、そこに、いつか見た、静かな炎が燃えているようだとザノンは感じ、
少しだけ胸に「後悔と行為を積み上げて、いつかに近付いた未来」を思い描いてみた。