032.Shadow Run:12_Possibility_And_Malice





 ナイトガルドの朝日が昇る前に、一つの影の話をしておこう。

 モルレドウ領に、一人の男が居た。

 その男は、ルサンチマンと戦う戦場で、
乗騎の中でラッシュ現象を引き起こした。
男は、あわや命を落とす寸前の所を生き延びてしまった。

 ラッシュ状態のまま瀕死の重傷を負い…
その男は。己の脳裏に焼きついた恐怖のため、
彼の内側の抑圧していた何もかもは爆発し、
自我と理性の崩壊するクラッシュ状態へと状態が進行した。

 命を取り留めた男は、クラッシュ状態にあっても、
当初は一日に数時間正気を取り戻していた。

 しかし、その正気は、更なる大禍を呼び起こす呼び水となる。
彼は、その時、自分が自分でないときに、
何を為したかを思い知らされる。
自分を失っているとき、男は自らに仕える家来の命を奪い、
その死体を蹂躙しつくしたというのだ。

 恐怖が焼きついたその精神が、
人格と理性という箍を外したとき、
脳裏に繰り返される死の恐怖の中で、
彼は理性を取り戻すために
その手で人の命を圧し折り、絶命する様を観て、濃密な死の芸能を堪能し、
己の生きている実感を味わう。

 一時自分を取り戻したときに、
彼はその殺人を悔い、己の罪に恐怖し、涙する。
そして、解放された彼の獣性が行うおよそ最大限の、人間への侮辱に起因して
性別を捨てたいという自己否定へと至る。

 それを繰り返すうち、彼は殺人の折、殺した相手の名と性別を奪い、
その都度、名を変えて名乗るようになっていた。
その頃には、周囲は、男の為に犠牲の人柱を用意するようになっていた。
或る時、部下の口を介して、己が狂気の只中に居るときに、手違いから
己が幼い妹ペリゼ・モルレドウに取り返しのつかぬ傷を負わせたと知った。

 また、その為に妹が心身の均衡を崩し、
自分と同じ様に、自分が誰であるかを忘れ去ったことを知った。

 それでも領土に尽くし、領主である兄に尽くそうとすることだけは忘れぬこの妹は、
騎士としての修練は積んできており、その身に武術の記憶は染み付いている。
彼女は、サイコアタックの魔装を使用する兵器として、再利用される事になる。

 絶望の招いた絶望は、 もはや制御できぬものへと化生していた彼の
吹き荒れる剥き出しの暴力を燃やす糧となり、
気も狂わんばかりの恐怖と悲哀にくれる生贄達の
哀れなすすり泣きと
断末魔の叫びと、夥しい血と、
その人らの尊厳を彼の内なる火の祭壇に捧げ、
カダンを更なる阿鼻叫喚の暴虐の縁へと赴かせる。

 彼は殺した相手の…
血と
肉と
骨と。
兎に角その全てと
存在を同化すべく、
同化して、己の存在を隠すかの様に。
蹂躙しつくしたその哀れな
犠牲者の全てを
湿った音を立て、或いは乾いた硬い音を立て
噛み砕き、啜り、裂き、飲み干し、
食らうようになっていた。

 いと無惨。
獣とてその無惨は犯すまい。
それは、解放された人の狂気でしか起こしえない冒涜と暴食と言えよう。
その凄惨な影を
身に帯びたその男とは、
モルレドウ領の領主、カダン・モルレドウである。

 地位、職業と名誉を失う事を恐れたモルレドウ領の騎士達は、
自らの仕える主の狂態を世の眼から伏せ、隠し
カダンは病であると世間には偽って、
一応の影武者を用意し、
王都に居る、モルレドウ領の
人質であるカダンの母親との接触は一切絶たせた。

 ──カダンの為に用意された犠牲者達は
どうせこの世から棄てられるものである。──

 どんな世界でも、
眼に見えぬ場所の現実に於いて、
人ではなく、【人間】が
冷徹に隠匿をする影には
どんな荒唐無稽な物語よりも凄惨な記憶が、狂気が。
世界を飲み込まんばかりの黒い大渦が
…轟々と音を立ててうねっている。

 モルレドウの騎士達の内、一部の者たちは
奪われる命の、犠牲者の尊厳を命ある内に蹂躙しつくした。
最初にこの地獄の宴の口実を与えたのはノーバである。
カダンの殺人の秘密を守るうち、
その重圧と工作に疲弊した彼は
最初に、この世ならぬその影の扉を最初に開いたのだ。
その向こうにある世界に溺れたのは彼だった。

 モルレドウ領の騎士の内、この影に足を踏み込まず、
その事態を看過しているものらが
決定的にノーバを嫌悪しているのは
ノーバの人格だけが原因ではなく、
どこまでも決定的なこの事実がある為と言っていい。
それは人道に於いて償いようもない程重い罪と悪意の連鎖であった。

 もはや人間世界の影しか見当たらぬこのモルレドウ領に雨が降り、
雲に遮られたとしても
変わることなく空に鎮座する太陽は、世界に光を注ぐ。

 人間達の地獄は、世界の裏側にはない。
過去にもない。
未来は定かではない。
では、どこにあるか。答えは自ずと知れて来る。
光さす所に形を作る影は、地獄が何処にあるかを教える。
影は、地獄ではない。
その地獄の輪郭を教える、手がかりですらある。



 黒髪の少年によって、
ガチャリという音を立ててバッソウのコクピットのハッチが開かれて
差し込んだ光はコクピットの中を明らかにする。

 差し込む薄明かりに反応したのか、
シートの上には得体の知れない唸り声を上げてもぞと身体を揺らすものがある。
それはコクピットシートの中で毛布に包まり、
丸くなっていたザノンだった。

 「ザノン、まもなく時間だぞ」

 黒髪の少年、
リブラ自身も眠そうな声でザノンに呼びかけて、
ザノンの身体を揺らして揺り起こす。

 「うー・・・もう時間かぁ・・」

 ザノンがゆっくりと身体を起こして、眠そうに眼を擦ると、
リブラがその眼前に水の入った水筒を突き出した。

 有難う、と礼を述べて水筒を受け取ると
ザノンはこめかみの辺りを左手で抑えてから、
ごくりと喉を鳴らして水筒の水を一口飲み、
もう一度水筒を傾けて、軽く唇を濡らす。
水筒の中の水の冷たさが喉から臓腑に落ちて
細胞まで乾き切ったような身体の中に染み渡り、
こめかみにその冷たさの残響を残す。
それで寝起きの呆けた意識もいくらか焦点が合ったとザノンは感じて、
リブラの視線が自分の顔の中心に注いでいる事に気付く。

 「──うん?何です?」

 「ああ、ガーハート先生が呼んでいるから
時間前に起こしに来たんだけどな」

 トリスュラを撤退させた後、
その配置場所を大きく後ろに戻して
連合騎士団の後方に配備されていた
ザノンたちもしかし、
強行軍による前進の為昨夜から
殆ど休憩と言える休憩は、騎士団全体が足を止めた今、
やっとの事で取れたものであり、
ガーハートに取ってもそれは同じだった。

 起きてから話がある──。

 ガーハートがそう言っていたのを思い出して、何でしょうね、と
呟いてザノンはコクピットから腰を上げる。

 支援車両スレイプニルの脇で、
霧雨の水滴を受け、
そのレンズをチラと光る雫で濡らした眼鏡を外して
眼を擦ったあと、
ガーハートは、集まりましたというネルの声を聞いて振り向く。

 確かに、ガーハートの前には自分が指揮する魔装鎧のパイロット四人、
即ち、ガーハートの眼から見て左から、
ネル、アッシュ、リブラ、ザノンが踵を揃えて立っているのを確認すると
ガーハートは軽く頷いてじろと四人の顔を見渡す。

 「しっかり寝て来たか?朝のピストルの掃除は終わったか、貴様ら」

 今度は、反対の順番で生徒達の顔を見渡すと、ガーハートは四人ににじり寄る。

 誰か、なにか不始末をやらかしたかと、リブラが身体をびくりと震わせた。

 鞭のようにしなるガーハートの右腕が、ひゅうッと風を切る。

 来た、とリブラが両目を硬く瞑ると、ガーハートがどうした、と声を上げる。

 「何してる。マスを掻く方の手を上げるんだ。…ほら、早くしろ」

 整列した四人がおずおずと目配せを交わし、
恐る恐る右手を上げると
ガーハートは差し上げた右腕を払って、その掌でまず一番右手のザノンの右手を叩く。
 ぱしッという音が鳴る。

 あっ、と声を上げかけたリブラの右手が音を立てて鳴り
ガーハートのブーツの爪先は、水溜りの水を軽やかに蹴って、
彼女の足を運ぶ。
ガーハートは
ふぅ、と息をついた後、軽く肩を揺すって、アッシュと、ネルの掌を
続けざまに歩きながら叩いて音を上げる。

 ハイタッチを全員と交わした後、今歩いた方向へ身体の向きを返して、
間髪入れずにガーハートはネルの細い身体をがばと抱きしめる。

 何が起こったのか瞬時に把握できなかったネルは、
右腕を軽く上げた姿勢のまま抱きしめられ、
眼を見開いて口は半開きで呆然と立ち尽くし
香水など見向きもしない筈のガーハートの周囲に、
薔薇のような香りが漂っていると感じ
ガーハートの左肩から覗く顔を理由も無く赤くして、
鼓動を早くした自分を自覚する。
遅れて──ネルの半開きになった右手が、
行き場所を失ったように空中を泳いで…ガーハートのコートの、
腰の後ろの辺りを軽く掴んで、きゅっと握る。

 「──先生?」

 そうしてから、ネルが恐る恐る声を上げると、
ガーハートはネルの背中を軽く叩いて、
するりとその抱擁を解き、今度はアッシュを抱きしめる。

 腕を解いて残るリブラとザノンも同じ様に抱きしめてからガーハートは、
振り向いて、全員の顔を眺め回す。

 「お前達は全く…とてつもないじゃじゃ馬どもだ」

 少しだけ言葉を詰まらせたガーハートの眼は、
眼鏡に反射する
僅かな光に遮られて
どんな色をしているのか読み取る事は出来ない。

 しかし、彼女の感情を彼女の生徒達が読み取るのに、
眼を見る必要は最早無かった。

少し鼻声になった、その声の色だけで、
彼女の生徒たちは全員が全員、彼女の内心を読み取る事が出来た。

 「死んで来いと言った筈なのに、
あの、ノーブルが姿を見せて…
前線の何人かは死ぬだろう事を
覚悟せねばならぬ相手を前にして──

お前達と来たら…
瞬時に自分の役割を理解して二本の足で立ち──
ジャベリンを馬鹿みたいな精度で落として──
ジャベリンに目鼻の先まで近付いて、一発勝負で格闘戦を成功させて──
そうして、相手の二の矢を封じた。

誰も文句のつけられない生還を果たしおって。
私は、派手に死んで来いと言ったのに、その命令を飛び超えたな。
とてつもない命令違反だ。
この出征では──絶対に、私が、どんな状況になっても
お前達全員の傍にいて指導してやらないといかんようだな」

 「・・・」

 ネルが、ガーハートの言葉の裏に
声に
波打つものを感じ取って
眼を見開いたまま、眼のふちに熱いものを漲らせる。

 彼女は、戦果を喜んでいるのでは無いと。
 ノーブルマシンと相対しながらも、
ここに、四人が無傷で居る事に喜び、その喜びを隠し切れずに胸の内から
溢れさせてしまっているのだと、四人は感じ取る。

 誰も、何も言葉を発しない。

 今言葉を発したら、
ガーハートは胸の内から零れたかのような、
今見せたこの声の色をまた、
懐の奥深くに隠してしまう気がしたのだ。

 (すこしくらい、本当の声の色を
聞かせて貰っていてもいい・・)

ほんの少しだけ、彼女の優しい顔を見、
声の色を聞きたいという気持ちを彼女の生徒達は心に抱く。

 「お前達が死ぬ気で闘って、それでも死ぬ事が出来ないなら──
その──
それで──全員で帰るんだぞ、いいか、絶対だぞ、馬鹿者達」

 声の調子を抑えようとしながら、それでもそれを抑えきれずに
意味までも前後で相違するガーハートの言葉を、声を聴いて、
ネルが、無言のまま掌で己の眼を擦って、くすんと鼻を鳴らす。

 ザノンは、
ガーハートの普段見せている態度の影に隠されていたその声の色を聞き、
感情を波立たせるそのさまを見て、
人の中に、世界に、暖かい闇というものも存在するという事を意識した。

 ──そこは、暗くて見ることが出来ないというだけで…
でも、その中にあるものは判らないんだ。
隠す事、それは本当に大切な物、気持ちが。
簡単に触れられ、変えられたくない部分が
隠れているかもしれないという事…。
隠そうとする態度、言葉は
その形をなぞる──
そして、その形を受けて出来た影の中に何かが隠れているか、
その輪郭は、ヒントを教えてくれる…。

暗い物だけが潜んでいるとは、限らない。
隠れているのは、善悪を超えた、意思だ。
これこそ、真理の一端なのかもしれない。──

 ザノンは、空を仰ぐとそこから降る雨の音に耳を澄ます。
雲は、太陽を隠した。
その雲の生んだ雨が、土の上に降る音を優しいと彼は感じた。



 何故、連合騎士団が午後も近くなった今になって足を止めているかといえば
結局、コヨーテとベディヴィアらの膠着状態は、
夜が白んだ頃に降魔騎士団のスレイプニルがベディヴィアらを射程に据え
同騎士団のフラ・ベルジャが
加勢にはせ参じた事によって打破された
という経緯が有った事に拠る。

 ベディヴィアらはこれをしおと見たようで、
近郊のチェスピ市に配備された騎士達の空戦用魔装鎧、
支援車両と魔装鎧が増援として
駆けつけると、モルレドウの騎士達の支援を受けて退き、
前線から大きく距離を取る。


 都市を軍事拠点として使い、少数とは言えど
そこから仕掛けてくるのであれば都市占領に否定的であった連合騎士団の内にも
チェスピを落として、拠点を確保してはどうかという声が上がる。

 敵が道中の都市の戦力を廻して
こちらの足を阻むのであれば、
現実問題として
補給ルートの構築をしなければならないという
それらの人らの言い分は一々最もであった。

 とにかくそう言った意見を申す声は、
強行軍で夜通し長距離を殆ど休み無しで
進軍してきた騎士達の間で、んr 日が高くなるにつれて大きくなっていく。

 なれば、この騎士達を率いるレオン、ユンデルの二人も
一端進軍の足を止め、
それについて言及をせねばなるまいという考えは起こる。

 「うむ、そうはならぬ」

 「ならぬわね」

 騎士団が足を止めた今、
アルゴンキンの中でその意見について話し合う為に、
巨漢二人が其々副官を一人ずつ従えて、
車両の中と思えぬ広大な作戦室で顔を合わせ、重い沈黙の後で
出た会話である。

 またしても、沈黙が二人の間を漂う。

 連合騎士団は既に、情報封鎖の影響の薄い魔装ガルドネットや、
デビッドの残したデータから、拉致された人々の身上に何が起こったのか、
冒頭で述べた、モルレドウ領の隠れたる事実の、
かなりの部分の裏付けを取っていた。

 口数は少ないが、それを知った彼らの、その怒りの程は計り知れない。

動揺を避けるため、まだ、騎士団の内でもその全容を知るものはごく僅かだが
この隠れた背景は二人を焦燥させるのに充分過ぎるほどの威力があった。

 しかし、感情に囚われて戦局を誤ってはならない。四人は改めて、
自分たちのこれから取るであろう方針を頭の中でもう一度思い描く。

 まず第一に、都市を落とさずその近郊を通過するという事は
その攻撃に一方的に晒されながらの強行突破を
覚悟しなければならぬということになる。
さらに、その攻撃で減った戦力を補給し、長期戦に対応するための拠点もない
現在の状況では、その周辺を強行突破できたとしても
肝心の北部基地跡に辿り付いた時に展開は
不安なものになってしまうことが考えられる。

 しかし、良民に害をなさずと宣言しての出征である。

苦難は承知の上での事であるが、
敵の本丸であるモルレドウ市を制圧するのであればまだしも
関係のない都市を武力で制圧する無惨は犯したくない。

 誇りと誓い。
 それは、彼らの秤にとっては現実的な利益よりもはるかに重い分銅であった。

 ギシととても音を立てそうに無いほど頑丈に見える椅子を軋ませて、
節くれだった手に乗った指で黒い髪をツウと鋤くと
ユンデルは身体を揺すり
日数が掛かるが、チェスピ市を迂回するか、と呟く。
領主でありながら最前線に打って出る、
最前線で敵と切り結ぶ
その豪腕を評して百戦のユンデルと呼ばれ、十聖槍や王都の騎士からも一目置かれる
武士もののふユンデルの
くろがねの如し眼光と声は殺気を孕んで重く、冷たく、そして鋭い。

 物資の面で圧迫をされ、
騎士団が駐留する時間もそれだけ長引くものの、
それしかあるまいとレオンもユンデルに同調して頷く。

 そこで、作戦室のドアがノックされて、
禿頭の精強な武士そのものと言った面つきの男、
レオンの副官の金斧騎士ダトラ・コバーンがそちらに顔を向けて声を上げる。

 「誰か」

 「──降魔騎士団アルゴンキン所属、
通信オペレーターのバーベナ・ディ鉄剣騎士
です。
チェスピ市から連絡があった為、詳細の報告に参上しました」

 報告にやってきた女性の声を聞き、
椅子に座ったユンデルが防護服の上に短いマントを羽織っていても判る、
逞しい筋骨によって隆起した上体を
ぐいと押し出して興味深そうな声を上げる。

 「はあて」

 「用向きは?」

 ダトラが蛇を思わせる鋭い眼で閉じたままのドアを射て、
足を向けて身体を軽く開き、ドアの向こうに問うと
バーベナは続けて答える。

 「チェスピを治める金剣騎士にして市長、
ビナー・マウモック卿
の言葉に拠れば──
チェスピ市は、シール領、クンダリニ領の領民の拉致があるものと解釈した。
騎士道の名の下に無辜の民をモルレドウ領が拉致した事実の一端を償い
また、自分たちはその非道に関わりの無い騎士、領民である事と、
その誇りと潔白を証明する為、
武装解除を行って市の門扉を開き──
連合騎士団を迎え入れ、
領民の救出を目指す連合騎士団に協力を申し出たいとの事です」

 「バーベナ卿と仰ったわね。
詳しい話を聞きたいから、入ってきてくださるかしら?」  その、鋼のような胸板に反響して大きく聞こえる
レオンの声に答えて、失礼します、と声を上げた、
バーベナの赤みの強い茶色の髪の毛のが重いドアを開いて現れる。
入室した彼女は
連合騎士団の首脳の面々が集合した机の近くまで歩み寄ると
踵を揃えてユンデルに視線を送る。
ユンデルが頷いて報告の続きを促すと、バーベナは口を開いて報告を始めた。

 「概要は、今お話したとおりです。
傷の騎士団内では、
このビナー卿が属する
モルレドウ領の非を改めるべしとする一派があり
今回のこのコンタクトもその派閥の総意を受けて、
モルレドウ市のカダン団長派には内密で動いていると仰っていました。
先ほど攻撃を仕掛けてきたダガンやトリスュラに搭乗していた騎士達は、
ビナー卿と同じ勢力に属するスラス銀剣騎士が説得をして、
連合騎士団に協力をする事をつい先ほど承諾させたという申告がありました」

 沈黙を守って、ユンデルの傍に控えていた騎士、
アレキサンダーがフッと息を漏らして失笑すると、その長い睫が揺れた。

 「…陸上から攻撃を仕掛けてきた魔装鎧達は?」

 レオンは、ダトラと目配せを交わしてからバーベナに問う。

 「ダガンやトリスュラについては、先方から申告が有りましたが、
陸上攻撃を仕掛けてきた傭兵と騎士、当該部隊の撤退を助けた兵士達については
申告がなかった為、
特に我々から問い合わせをした所、
チェスピ市で把握できていない戦力であるという答えと、
団長派の遊撃部隊ではないかとの推測を頂戴いたしました」

 今度は、レオンとユンデルが失笑を漏らす。

 「これは」

 「チェスピからの申告、傷の騎士団の自作自演と見るほうが良いわね」

 「こちらを都市に招いて、
配下のものにゲリラ戦でもやらせようとでもいうのですか。
よくよく、やる事が騎士の考えることではありませんな」

 あきれ果てたアレキサンダーが、思わず自分の意見を口にする。

 「誇りと潔白に誓ってというなら、
まず王都とモルレドウ領全域に声明を送ってからにしてほしいわね」

 レオンが笑いながら、しかし不愉快そう美しい眉間を歪めて、皺を寄せる。

 「失礼します」

 と、バーベナとは別の使者が、作戦室のドアをノックする音が響く。

 「今度は何?」

 「は、先ほど報告に伺った件です。アルゴンキンで答えを伺いたい、と
武装を施さないアンコモンマシン単騎で、
ビナー卿がこちらに向かっていると言う連絡が有りました」

 「押し付けがましいわねぇ…」

 レオンが呆れたように溜息をつき、ユンデルは肩を竦める。

 「まぁ良いだろう、話をこじれさせて住民を巻き込むよりは
誰ぞ賢しい騎士一匹、叩き斬ってくれるぞと
脅して追い返し、
こちらの意思を表現する為に利用させてもらおう。
そんな男は相手にするだけ時間の無駄だ。
先行しているコヨーテとフラ・ベルジャに伝達、
門前払いをお願いするとしよう」



 その、ビナーという男はどんな人物であったのか。

 平たく言えば素朴な人物であり、
言葉を悪くして言えば、お人よしと言える人物だった。

 治める市街、
チェスピでは特に人気が有るわけではなかったが
大きな失敗もせず、
また、モルレドウ市の命令に対して
市の事情を鑑みて折衝案を出す事に長け、
モルレドウ市やチェスピ市両方から不満という摩擦を少なくするために
実情に合わせて立ち位置を調整する術を知る、中庸の人であった。

 そこまでは良いが
彼は中庸を心がけながらも、
その中庸に立つ為の手段には頓着せず
モルレドウ領の中では
一応は団長派と相対する派閥(仮に捜索容認派と呼称する)に
属してはいるものの、
団長派の騎士とも気安く通じてしまう迂闊な側面も有していた。

 しかし、そういった行動に起因して
彼の行動は全て団長派の騎士にも、
捜索容認派の騎士にも、
注意して情報を収集するものには
全て動きが筒抜けになっており、
また、火種の一つとして警戒されてもいた。

 この様な男であるから、
知らぬ間に行動を掌握されている彼は、
連合騎士団と接触するのを団長派の騎士には恐れられるし
御しかねる男として捜索容認派の騎士の大勢にも疎んじられているところがあった。

 スラスとバスタは、ノーバの命令を受けた
デスペラートからの内々の指示によって
先ずは捜索容認派に属し、チェスピ市に持ち込んだ触れ込みには
捜索容認派のものを使っているように
大多数の騎士には見せかけ、
その実、自分達は裏では団長派のノーバの為に工作している、
ノーバ有利の状況に向けて、我々は動いていると見せて

ノーバの眼を欺く為に、捜索容認派の騎士達の眼さえも欺き
団長派の騎士の思惑を実行する準備を既に整えていた。

 派閥、思惑が錯綜し、
一目にはわからぬほど複雑化した様相を呈してはいるが
デスペラート、スラス。二人に追従するバスタの三者の視点から
この事態を見れば、
彼らは事態の急所を掌握し
ノーバを一息で仕留めて、自分たちが連合に寝返った後に、
あれはキーマンであった、貴重な存在だったと
鮮烈に印象付けてモルレドウ領の出来事の責の追及を軽減し、
事が有利に働く様に
団長派、捜索容認派の双方の騎士を利用し、
都合の良い部分を利用しているに過ぎない。

 とにかくそうした思惑から、デスペラートの指示を受けたスラスは
言葉巧みにビナーを偽りの降伏で誘導し、
単騎で市からアルゴンキンに向かわせたのである。

 さらに、スラスの手回しは
チェスピ市から連合騎士団の最前衛の、ゴールデンコヨーテとフラ・ベルジャ数騎との間には
ベディヴィア達にも及ぶ。

 スラスはノーバがそうしたように
ベディヴィア達には事情を正しく知らせず、
チェスピの騎士の中に
和平のための話し合いに見せかけて、
敵陣の中央深くで領主のどちらかと刺し違える積りの、
和平を阻む裏切り者がいると伝え、
その【裏切り者】ビナーが【敵に接触する前に速やかに抹殺】する事を要請する。

 その言葉を聴いて、反応したのはベディヴィアの中の影だった。

 高潔な死を願う清潔すぎる精神は、
自分の内面の
死の願望と同じだけの穢れた生の欲望への抑圧から、
その穢れた欲望の匂いを敏感に嗅ぎ取る。

 (何かあるとするならば、この局面か?)

 ベディヴィアは、ドーリとの打ち合わせを思い返す。

 まず、ベディヴィアらが
スラスに要請されたのは連合をチェスピ市に誘導し、
繋ぎ止める策を実行する為の先鋒を請け負ってくれと言う依頼だった。

 ドーリは熟考し、アルバの脇から通信にて打ち合わせをする相手、スラスに問うた。

 『和平の為に、足止めをするのですね?連合が都市に入ったとして、それからの我々の役目は?』

 スラスは、そこで、その役目はない、と答えた。
飽くまでベディヴィア達には連合の誘導のみに当たって貰う遊撃の為の戦力であると。
 (その、ビナー某という騎士が不穏分子なら
何故、行動が制限されており、仕留めやすい
都市の中で排除しない?
わざわざその騎士が外に出るのを待って排除する。

 都市に入る役割が存在しないのは
そもそも我々が都市の外にいる状況しか
想定していないと言う事か?

 スラスの言う様に都市の中で足止めのための
最小限のゲリラ戦をすると言うならば、
我々が都市の中で戦力に加わっても、問題はないはずだ…

 そして、何より不自然なのは
遊撃のみを想定しているとされた筈の我々に、
捜索容認派であるはずのスラスが
捜索容認派が大勢を占める都市から
飛び出す予定の裏切り者とされる
騎士の処分、身内の騎士の排除を依頼してきた事。

 内々で処理できる事ではないだろうか。
連合の足止めのみの筈が
身内の者による実行が最適解となるであろう騎士の処理。
この、軸のぶれ。
この暗闇に…なにかが隠れている)

 『モルレドウ領が我々に支援する理由はなにもありません』

 記憶を掘り下げると、ベディヴィアは
人を払ってからドーリが訝しげに眉に皺を寄せて
呟いた言葉がベディヴィアの脳裏に蘇る。

 『理由を探したいと思います。いやらしい事ですが…
相互関係の無い領土からの、
一方的な復興支援に何も理由が無いとは思えません。
この世には原因の無い結果は生まれ得ないのです。
オリザの改良で僕はそれを学びました。

 ベディヴィア卿、
もし、今回の出征に
その理由の一端を探す事が出来るとするならば
彼らは、これまでの支援の代償を求めているのかもしれません。

足止めだけならば、連携の取れる戦力…
即ち、傷の騎士団の信頼できるものを
選んで任に当たらせるのではないかと私は考えました。
つまり、よそ者の僕達に
特別にさせたい仕事があるのではないか、と僕は仮定しています。 …人は、嘘をつく時、美しい未来像で人を惹き付けます。

 杞憂であればそれが一番です。
しかし、その未来は【我々に都合が良すぎる】。 言葉にしない【我々にしか当たり得ない理由】があるとして…。

 …それを探すには、ブレを探す事です。
綻びを見つけたときは…ベディヴィア卿。打ち合わせたとおりに。
これは、一つの賭けです。注意して下さい』

 フッ、とコクピットの中でベディヴィアは笑う。

 「あんたの、熱心な【周囲の死を恐れるさま】は、
どこか俺の、【自己の誇り高い死を願う妄想】、この胸中の影と通じる…」

 呟いて、ベディヴィアはコンソールを叩き、
通信経路を魔装鎧側の通信から携帯魔装経由の通信に切り替えて
アルバに通信を送る。

 「姫様、ベディヴィアは暫し単独行動を取ります」

 「どうしたのですか、ベディヴィア?敵が動いたのですか?」

 淡々と告げられたベディヴィアの通信の内容に、
ガラティンの中に待機していたアルバが驚愕して声を上げる。

 「敵…誰が、敵か。その輪郭を見定めたいと思ってのことです」

 地面に腰を下ろし、木立の中に姿を隠していたレクイエンHldrが立ち上がる。
木々の枝で羽を休めていた鳥が一斉に飛び立ち、木立がざわめく。
 「単独行動って、何しに行くんだよ」

 通信を聞きつけたエステルが、
レクイエンHldrの下から叫んでベディヴィアに呼びかける。

 「話をしにいこうと思ってね。
魔装鎧でなくては眼も向けてもらえんだろう。
スラス卿は、連絡は付くんだな?」

 今さっき話していたばかりだよう、とエステルが叫ぶ。

 よし、とベディヴィアは呟いてレクイエンは柄物の魔剣銃をその手に帯びて
一歩を踏み出した。



 「追い返すだけ?」

 「そうだ、丸腰の相手に
本気で攻撃を仕掛けて物笑いの種になりたくないんだろ」

 「まぁ、そりゃそーよね」

 マルコとボークリフが其々乗機の中で短く言葉を交わす。

 「頼むぞ、クワィケン勢。威嚇射撃、わかっているんだろうな?」

 「任されて」

 ハリーの言葉に、ユージンが答える。

 チェスピから最も近いコヨーテの戦力から、クワィケンを前方に押し出して
ビナーのフラ・ベルジャを制止するために、
クワィケンは展開し、抑えのフラベルジャが中盤、
最奥に重装フラ・ベルジャとレクイエンHldr、
それに最後の手段、実力制止の為のマツカブイで構成された防衛ラインが構成される。

 「ランチャーからのネット弾やバインド弾はあり?」

 「臨機応変。抜けられそうならとりあえず撃っておけ」

 マルコからの回答を聴いて、
ジャックはクワィケンの
アサルトライフルのランチャーに装弾する。

 「了解」

 ようし、来た来た…と呟いて、
オクトパス本来のオペレーターが睡眠を取る為
役目を交代し、配置についていたルカ班所属のカーンが
自分のコンソールの上をチェックし、接近する機体の反応を検出して呟く。

 「レクイエンHldr一騎…うん、方向おかしい。
これ、朝方一戦やったあいつらの一騎です。
もう一騎、こっちはフラ・ベルジャ…二騎とは話が違う」

 「撹乱か?ちょいと止まって様子を見るか。
クワィケン、連中の挙動に注意しろよ。
一刹の綻びが突破に繋がるぞ」



 ビナーとやら、とベディヴィアが通信で呼ばわる。

 ベディヴィアの存在をセンサーで確かめていたビナーも
何奴と警戒をしつつ、その通信に答えた。

 レクィエンHldrを全速で前進させながら、
コンソールを叩いて、
味方に向けたもう一つ通信の回線が開いたのを確認して
ベディヴィアはさらにビナーに問う。

 「当方、スラス卿より命を受けて任務の協力に当たっているものだ。
名をベディヴィア・チューナーと申す」

 「その機体…基地からスラス卿が自分の兵力を出して援護した、
例の所属不明戦力ではないか。
スラス卿から命令?今現在の事なら私は他に何も聴いていないぞ」

 「スラス卿から何も聞いていない?
貴公の任務はスラス卿から与えられているのにか?」

 「そうだ」

 若干、声に当惑を見せるビナーの声は、
ベディヴィアの通信によってある場所に通じていた。

 「アルゴンキンに向かわせているのは、スラス卿だという。
私たちにはビナー卿の排除命令が下っている。
これは…どういう事です、スラス卿」

 エッ、とビナーが声を上げて、機体の動きを止めた。

 ベディヴィアの通信は、
チェスピ市の基地でことの成り行きを見守るスラスの席に通じていたのだ。

 「ベディヴィアとやら、今何と言った?」

 ビナーが、事態を把握できずに声を荒げる。

 「答えるのは、スラス卿だ!
命令の由来を偽って、誰に二正面をさせる積りだ!」

 「…」

 フッフ、とスラスが笑う声がした。

 「スラス・タブ!」

 影をその身に飼うベディヴィアは、
その笑い声に人間の闇の暗い色を見る。
そして、彼の世界に色が付く。
怒りが、死の願望を消し飛ばし、
彼の血の中を高揚に似た激昂が駆け巡る。

 「おい、ベディヴィア・チューナー」

 震える怒声を発するベディヴィアは、奇妙に唇の端を歪めていた。

 「…答えぬか!」

 「ビナーを殺せ、今なら眼を瞑ってやる。
さもなくば、
その武装塗れのレクイエンが連合騎士団に【何をするつもり】か、
コヨーテどもに【忠告】することになるぞ。
保障しても良いが、コヨーテは貴様が単騎であるなら逃げうるような連中ではない」

 圧しの聴いたスラスの声を聴いて、
ベディヴィアは、ずれた歯車が噛み合ったように…
ガチリと彼の頭の中で音が鳴ったのを感じ
じわと額に汗を浮かせ、ぎゅうと瞳を縮め、唇を歪めて… 壮絶な笑いをその面に表した。



 「…ベディヴィア」

 アルバが、ガラティンのコクピットの中で、あの日の厚紙の勲章と、
茶色い布の見え隠れする、針刺しのようなものを取り出して、
護符に祈りを捧ぐ様に額に付けたあと、それを握り締めて呟いた。

一緒に握り締めているのは、つぎはぎだらけの、ぼろぼろになったずっと昔のベディヴィアの思い出…
あの時ベディヴィアに貰った猪頭の騎士の、愛らしいぬいぐるみだった。