034.Shadow Run:14_O_to_Xs





 頭部から着弾の火花を上げ、
内部を滅茶苦茶に砕かれたレクイエンが、仰け反った身体を戻し重い一歩を踏み出すのを見て
仕留めそこなった、と重装フラ・ベルジャのシルバは声の色を渋くして呟いた。

 ボークリフのバイザーメットの下から覗く褐色の肌が波紋を見せ、唇が歪む。

 「俺が、狙った場所を外す!?ミスした覚えは無いぞ…!」

 ボークリフは、狙いを外した動揺からか、思わず呻く。

 レクイエンの機関部を狙いを済まして撃った筈のライフル弾が、
頭部に着弾するのは彼に取っては予想も出来なかったと見えて
その動揺は彼の震える声と、褐色の表皮をうっすらと光らせる汗に表れている。

 「ボークリフ!そんな事は後だ!
死に損ないと侮れば、
破滅の神はコインを逆に張るもんだと相場が決まっている!」

 マルコの喝にボークリフは意識を打たれ、ぐいと身体を前に押し出す。

 「そうだった…!」

 ボークリフがギチと歯を噛み鳴らし、
目指すレクイエンHldrを補足しなおそうと、ハバルドが膝を付いた姿勢のまま
発砲による熱で雨を煙に化生させてジウと唸るライフルの銃口を振って身構える。

 前進するレクイエンをその視界に捉え、今度こそと狙いを済ましたところで
レクイエンの大柄な濃紺のシルエットが身体を沈め、膝を付く。
ルカ班のクワィケンが盾の一撃を食らって落着した直ぐ傍である。

 「し奴!」

 ボークリフが口走って引き金を引いたときにはもう遅かった。

 ズルリとレクイエンの脇から真四角のシルエットが立ち上がり、
火花を上げて銃弾からレクイエンを守る。

レクイエンは先ほど放り投げた盾を取り上げたのだ。
レクイエンが折れた剣を取り上げ、
その刀身が光るのを目の当たりにしたボークリフは肝を冷やす。
その剣からはエナジーボルトが走り
最大効果出力で打ち出されたと思しきエナジーボルトの
眼を焼く光が空間を焼いて走り、ボークリフのハバルドから狙いを大きく外すが
爆ぜるような音と共に地面にその爪を突き立てて、魔装鎧の幅ほども地面を焦がし、抉り取る。

 思わず、コクピットの中のボークリフが振り向いて地面に空いたその大穴を眼に入れる。

死に掛けたジェネレータの甲高い発動音が作り出す不協和音が、辺りを貫く。

レクイエンの、情報システムをコントロールする為の機能が集中した頭部を破壊した為に
レクイエンは目測でボークリフを狙い、
それはやはり、的を外したようだ。

 「ジェネレータとコンバーターのリミッターカットをしやがったな。
ジェネレータの死にそうな機体であんな威力と射程が出るなんてバアリウムの変換量を
バカにして、力押しでやっていると見た。
フレームから伝達しきれないエネルギーが溢れて自滅するぞ、向こう見ずめ!」

 ボークリフは、相手が次弾を放つ前に攻撃を封じようと
ライフルの引き金を絞ろうと再びハバルドを身構えさせるが、
レクイエンの魔剣銃がこちらを睨むのを見ると、
慌てて狙撃体勢を崩してハバルドが地面に伏せる。

 果たして、太陽が雲で隠された雨降りしきる薄暗い空間を裂き割る轟音と、
閃光とがハバルドの直ぐ上を通り過ぎていく。

 ベディヴィアの脳裏を、一年前のグーヴァイン市で経験した窮状がよぎる。

 「グーヴァイン卿の騎士」

 それは、騎士、クロウス・アーメイの言葉だった。

 騎士達とはぐれた女王シヲンをたった一人で
寄生型ルサンチマンから守り抜かねばならなかったあの時。
 紋階級騎士、クロウス・アーメイと禁騎士団にその窮地を救われた自分は、
今度は紛れも無く自分一人でこの窮状を打開せねばならない。

 『キミの魂は誰よりもグーヴァイン卿の騎士だというに相応しい。
グーヴァイン卿は偉大な騎士達を残した。
それは彼という偉大な騎士の辿った道の完成でもある。
己の未熟を知り、
勝てないのを承知で、
しかし、意地を張る。
そうしてルサンチマンの前に立つキミでなくては、
女王陛下は守れなかったかもしれない。
女王陛下を見失うという、われわれのこの情け無い始末が、
最悪の結果になることから女王陛下を守れたのは、
間違いなくキミがいたからだ』

 クロウスが褒め称えたその意地は、今でもあの時と変わる事のない硬さを持ち、
また、レクイエンは前に進む。

 ──そう、クロウスさえ認めさせたこの意地を持って、吾一条の刃金となりて道を切り開く──。

 「どうせもとより無い命、無くば捨てる道理はない。
無い物を失う恐れなど、抱くはずがあろうものか」

 その場にあって、薄くらい空間を照らし上げる閃光と、
雨を消し去る熱とは、全てベディヴィアのその熱狂に支配され、
刀鍛冶が鍛える刀剣の鋼の、触れた者に傷を齎す熱を思わせる
その熱狂が
そこに顕れ、肉体の外に彼の精神は表現されているようではあった。

 ガツンと音を鳴動させ、レクイエンは震える脚でうつ伏せになったまま動かないクワィケンを跨いで
魔剣銃を杖にして背筋を伸ばすと、一息に己の盾の裏からその魔剣銃を突き通す。

 「ち、あそこに陣取られたらそりゃ、撃てないわな…」

 もう少しでマジックミサイルの射程にレクイエンを捉える距離まで間合いを詰めていた
マツカブイのマルコが忌々しげに呟くが
ハリーは無言で己のレクイエンに魔剣銃を構えさせ

エナジーボルトを放つ。
そこで脚を止めると思い込んでいた
ベディヴィアのレクイエンが更に脚を踏み出して、前進しているのだ。

 「凌げるか…いいや、凌ぐまでよ。レクイエン!」

 ベディヴィアのレクイエンの盾が、
ベディヴィアの声に答えるように僅かにギシリと鳴く。

鳴いて、盾をエナジーボルトの凄まじい衝撃とが襲い、どおんと重い音が発し
閃光はベディヴィアの眼を眩ませる。
ベディヴィアは奥歯を噛み合わせ、
レクイエンのジェネレータから生じる殆どすべてのエネルギーを盾に廻す。
レクイエンの盾を捉えた衝撃を殺しきったと息を付く間も無く
二度目の衝撃がその盾を打つ。

 その、騎体ごと吹き飛ばされそう強烈な衝撃を
しかし、レクイエンはどうにか堪えるが
直後のマジックミサイルに打たれた衝撃で
レクイエンは遂にガードを弾き飛ばされ、片膝を付いてしまう。

 もう、機関砲の射程まで迫っていたマツカブイは走りながら右腕を展開し、
機関砲を露わにしてレクイエンを狙う。

その動きに眼を留めたベディヴィアは、唇を噛んで折れた長剣を盾から抜き払い、
地面に突き立てて
刀身と胴体の軸を合わせて自らの胴体を守る。

 『その機体の事は大体解明が終わってる。
フレームの抑制は俺が遠隔操作でやってやる
ファントムタイプの追跡、特定も同時進行中だ。
魔法だろうが、格闘戦だろうが、
手前は刀をぶんまわしゃあいいようにしておいてやる。
──魔法を、分子加速でブッ殺せ
物質を魔法が殺す理不尽、
物質の運動の暴力で殺し返せ。
そいつは無念の死を遂げ、しかし積み上げてきた英霊の望んだ未来の形でもある。
キチガイ、御手前の唯一の取り柄の見せ所だぜ。
──やっちまえ』

 ベディヴィアの記憶の中で再生される声の主、
ニーズホッグは、魔装鎧を駆る騎士になる事を望んでいたが叶わなかった。

 ゴースト・タイプと呼ばれるルサンチマンによって増殖するファントム・タイプのルサンチマンが──
まるで、海の様に辺りを埋め尽くす地獄の底で
ルサンチマンと、寄生型ルサンチマンの前で聞こえてきた悪態交じりの声、
騎士、ニーズホッグのクロウスに向けた甲高い声は、
今起こっていることの様にベディヴィアの記憶の中で再生される。

 『当てにしてやっているぞ、ブタ!貴様や俺は、
同じく、その身に一ツしか武器を帯びぬかたわものよ!
その一ツを失う事は死と喪失と代わりは無い故のことなれば、
命も賭かろうというものではないか、

カリバーンのアシストに入る──御身や、マリーでなくてはこうはいくまい!
なら、この俺の命を守る働きをする時に、
余計な事に気を廻さないで済む!』

 クロウスは、魔装技術を構成させる技師として生きていく事を夢見た。
しかし、その道は彼を拒んだ。

 ベディヴィアの知る限り、互いの欠片を羨む彼ら二人は、顔を合せればいつも罵り合っていた。
度を越した中傷や暴言、それに仲違いが原因の暴力沙汰になったことも一度や二度ではない。

 しかし──
 そのような二人で有っても、
いいや、
影で。決して目に見えぬ所では、
互いを尊敬していた
そのような二人であるからこそ
賭けた命が確かなものであるなら敬意を払い、道を開く為に手を取る。

 やはり、悪態混じりにカリバーンを立ち上げ、そして見せたクロウスと禁騎士達の神機は、
ベディヴィアの眼にはまさに意思を表現する道具に化生した稲妻のように映った。

 ベディヴィアはそうしてグーヴァイン市の事件の時、クロウスが見せた魔装の使い方を回想する。
意思を表現する黒い機体、カリバーンに及ばぬまでも対価を背負った今のレクイエンならば──

 (その、真似事くらいは!)

念じるベディヴィアの心に答えてか、折れた剣のエッジが眩く光り、剣は砂塵を巻き上げる。

その光に着弾した砲弾が一瞬にして蒸発して煙と成り代わり、消え失せる。

機関砲の弾である。
数え切れぬ程のそれはやはり、
次々とレクイエンに殺到するが、その殆どが、レクイエンの剣から放つ光に捉われ、
消え失せてしまう。

 震え、甲高い悲鳴を上げ続けるレクイエンの剣は無数の弾丸を溶かし、霧散させるが
その剣は、レクイエンの腕は、徐々に機体に生ずるその振動を大きくしていく。

 ジェネレータが一際甲高く鳴いて、レクイエンの下腕部の装甲に亀裂が走る。

 同時に、影が空高くを走るのをベディヴィアは捉えた。

 ベディヴィアのレクイエンの腕が、内から生じたエネルギーを溢れさせて爆ぜるように砕ける。

 レクイエンの直ぐ目の前に白い何かが降り立ち、
天からそれが降ってきたことを明かす重い音を伴って立ち塞がる。

 砂埃の中に見えたのは白いシルエットだった。
雨雲の落とした稲妻かと思える様なその白い影は、
レクイエンの前の地面に刺さった盾を左手で掴んでひょうと砂埃を
切り裂くように鮮やかに取り回し、
その旋回の体捌きの勢いのまま、
反対側の右拳でレクイエンの腹部装甲を打つ。
装甲の軋むバシャンという音に重ねるようにその機体は
盾を自らの前に突き立てて己とレクイエンを守るように据える。
ベディヴィアは、それが魔装鎧であるのを認識した。

 「何ッ」

 間合いを詰めながら機関砲を打ち込んでいたマルコは、
僅か一瞬、盾の向こうに見えた機体の正体を認識して仰天する。

 「バッソウ!盾の騎士団の機体か!」

 「見た事のない機体…盾の騎士団、なのか…?」

 息を呑むベディヴィアが、その機体の正体に迷い、逡巡した一瞬
その機体は疾風の速さで機体を旋回させ、抜く手も見せずにギラリと刀身を光らせる。
あッとベディヴィアが叫ぶ間もなく、その正体不明の白い機体の、風よりも速い剣は
一呼吸の間も与えずにレクイエンの胸部を一ト突きし、
装甲はガシュッ、という音を立てて火花を上げ、剣は易々とレクイエンの背中までを貫き通す。

その、針の穴を通すような正確で鋭い刺撃の速い事と言えば
ベディヴィアが刺された事を知覚するよりも早く、
死に掛けたジェネレータに断末魔の悲鳴を上げさせていた程である。

「うぬッ」

 ベディヴィアがカッと眦を裂いて機体を動かそうと試みるが、既にジェネレータは反応しなくなっており
身体を揺すって自らを貫いた剣から逃れようとするも、
各種システムは殆どがエラーの表示をコンソールに知らせるばかりで
機体は最早まともな反応を見せない。
程なくして、機体は機能停止し、動きを止める。

 「暫ク!」

 レクイエンを一撃で沈黙させた機体の主が、
剣を手放して機体を旋回させると大音声を上げてコヨーテの攻撃を制止する身振りを
白い魔装鎧に見せる。

 マルコはマツカブイの足を止めさせ誰かと問うた。

 「──盾の騎士団付属学園所属、ザノン・シールです。
ユンデル卿の命を受けた
アレキサンダー卿はこの魔装鎧と共にある騎士を改める意向故、
この場を割ってまでも、止めさせて頂きました。
──不躾の段、平にご容赦頂きたいと思います」

 応答の少年らしき高い声が
聞き覚えの有る声だと言う事に意を留めたマルコがムッと唸る。
これは、一ヶ月前のあの時、
エクスの前に居たあの少年の声であると知覚したのだ。

 「顔無しのノーブル・マシンの、少年か…。
その男に聞きたい事があるから、殺すなとスポンサーが言っているという事か?」

 「その通りです、コヨーテの…マルコさん」

 ザノンの方も、マツカブイのシルエットがある分
そこにマルコが乗っていると認識するのは早かったようだ。

 コクピットハッチを損傷しながらもなんとか無事を得ていた
ジャックがクワィケンの機体を這う這うの体ながらも立ち上げ、
雨の中に立つザノンの機体──バッソウTSと、遠方のマツカブイの影とを交互に見る。

 (て言うと、あの時の)

 転倒のショックでしこたま身体を打ちつけ、
痛む身体を知覚しながらジャックは口の中で呟くが、
何やらそれを言ってはならないと感じられる重い空気──
つまり、マルコとザノンの間の妙な沈黙に絡め取られ、その声は口中に融かされるに留まっていた。

彼らを繋げる接点でもあった、エクス・ノアという人物。
そして、その人物が抱えていった闇。
それはそのまま彼らの間に、距離感のような
はたまた鉛のような重い影を抱かせてそこに横たわっている。

 「なんです、お知り合い?」

 しかし、そのジャックの配慮はあっけなくユージンの一言で打ち砕かれる。
うン、まぁなとマルコは生返事を返し、ザノンは居心地が悪そうにバッソウを小さく足踏みさせ
機体を僅かに旋回させる。

 「動けなくなったのなら、殺す理由は無くなった筈ですから…
この機体への攻撃はここまでにしておいて頂けますか」

 ザノンは、その話題を避ける様に話を戻して、
スイとバッソウの腕を払って後ろで沈黙するレクイエンを指し示す。

 「ああ、そうなら、そうなんだろうさ。
──スポンサーの意向は、我々末端だって方針として受け止めるんだ。
…それで、その、アレキサンダー卿は?」

 マルコもそれを受けて答え、
答えながらも掌で己の坊主頭をざらりと撫で上げて
その命令を伝えた騎士の所在をザノンに問うた。

 「魔装鎧で、間もなく追いつきます。
この機体は先行できる足の速さが有ったので一足先に参上した次第です。
コヨーテの前に有っては、
魔装鎧破れるは必至と見えた状況故、アレキサンダー卿のご采配です」

 「なるほどね。──しかし──少年よ」

 マルコの呼びかけにザノンがはい、と不思議そうに答える。

 「この間と比べて、更に【らしく】なったものだな。この間の経験が生きているのか?」

 幾分砕けた調子でマルコがザノンを褒める。

 実際問題、ザノンの手並みの鮮やかな事、戦場において物怖じをしない様は、
マルコの眼から見ても異様と言えるほどに相当、見事なものであった。

 「有難うございます。でも、僕は──」

 一拍、言葉を見失ったザノンの答えをマルコはシートにもたれかかって待つ。

 「尊敬している騎士達のようになりたいと思って、その、真似事をさせてもらっているだけです」

 答えを一拍噛み締めてからとマルコが破顔し、岩の転がるような大声で笑う。

笑って、マルコは言い含めるようにザノンに言った。

 「ったく…天然なのか、なんなのか…キミという男は慇懃無礼だな。
世の中にはそうなりたいと思ってもそれが追いつかない奴だっているんだぜ。
そう出来てしまっておいて、けろりとそれを言ってしまうというのが
どうにも憎たらしいもんだがね。
マ、そいつも立派に出来ていると見えるがゆえに小憎たらしい、
裏打ちされている愛嬌ってモンなのかもしれないな」

 「──はい、でも」

 ザノンは、一拍置いてそれだけでは駄目だと思います、と呟いた。

手袋に覆われたザノンの爪が、カツッとコンソールの淵を叩いて何度か鳴らす。

 「──盾を。
僕のやり方も見つけないといけません。
償いを──新しいなにかを世の中に返さなければ…。
兎に角、貰うばかりでいる僕が、現在です。
恐縮ですけど、それだけでは──
人様に必要なものになれるのかといわれれば、
違うと思っているのが現在の僕の考えです」

 ザノンの声色に、薄闇めいた色がさしたのをその声を聞いた者らは感じ取った。

 ──この少年は、何かに駆り立てられているのだろうか?

見えない、何かに。──

 コヨーテの持つエクスの匂いが、色が──
影が。この少年の影を引き出して見せたのだろうか。

 それは語られる事は有るのだろうか。

 「騎士の坊やは、女々しい事を仰るんだな」

 沈黙を遮って、ボークリフの声が響く。

 「何です」

 ザノンがボークリフの遠慮の無い物言いに、声の調子を僅かに尖らせた。

 「自分のやり方ではない方法で致した事にどうこうといわれるのは、
自分の意に沿わぬ也と聞こえたが、違うか?
お前と口を聞く人間はそんな事にまで意を留めていないと
付き合えないのと仰いますかね。
俺は今の立ち回りを鮮やかだと思ったし、
そんな立ち回りの出来る騎士との関係はいきなり損なってしまいたくはないんだが──
それを差し引いたって
ぶつぶつと鬱陶しい口を叩くのが趣味だっていうなら、
ちょっと遠慮したいとは思うね」

 貴様の内面の葛藤など知った事か、とボークリフは断じるが、
同時に臆面もなく見事な手並みだと言っても見せる。
リアリストの側面も有するボークリフはしかし、
それを言葉にして人に伝えることが出来るという率直の素養の一種を有していた。

 「何にせよ、だ。あの時以来の再会であるコヨーテは
まだキミの【本当の】名前も聞いてはいないんだ。
教えておいて貰うと、有り難いね」

 マルコの言葉にザノンは己の失念を掘り返す。

 そうか、あの時は──自分は、アイギスの中に居るというだけの、
偽りのエクス・ノアのままであった。

 ザノンは指の背を口元に当てて回想し
名前を、教えた。

 アイギスの…バッソウの、ザノン・シール。

 例えあの時顔の無いマシンに乗っていた己だとしても、
己は己の名を持つ一個の意思であると名乗り、
替わりにコヨーテ達の名前を聞いた。



 一方、王都では十聖槍の一人、魔装鎧デュランダルを駆る騎士ロランと
クロウスを捕らえようとする禁騎士らが共に未明から動きを見せたが
ロランは動揺からか、指示をあれこれと度々翻し部下の禁騎士らは
その度に西から東と言った具合に二度手間を重ねさせられ
それも有ってか遂にクロウスを捕縛する事は叶わなかった。

 クロウスは最早王都から離れ、近郊に潜伏したに相違ないと判断され、
布令を出すようにとロランから指示が出たのは
ようやく昼になろうかという頃合、つまり今の事であった。
しかしそれもどうやら、
クンダリニ・シールの連合騎士団と、モルレドウの傷の騎士団の接触の報が
タイミングをあわせた様に同時に各領地に報じられ、そのニュースによって、片隅に追いやられた態である。
 その様な慌しい動きを知ってか知らずか、
エクスらはロランがそう推測してみせていたように
王都近郊の峻険な峰、サムソ山脈の森の中に魔装鎧とともに身を潜めていた。

 エクスは、木々の間から落ちる雨粒をカリバーンのコクピットの中から見上げる。
 カルマとモノは、デアブロウのコクピットで睡眠を取っているのだろう、
気付けば暫くの間、全く声が聞こえてこない。
 雨が枯葉に落ち、湿った土に吸い込まれる音や、虫や、動物の動く音だけが辺りに漂い、そして流れていく。
それは、夢を見ているような静かな時間だった。

 エクスは、最早眠りを必要としない。
 その代わりか、シートに身体を預けると彼は目を閉じて、過去の記憶を懐かしく漂う。
 あの時──。

 王都との和解を頑として受け入れなかった少数民族グリードの長にしてテロ組織グリードの首魁でも有った人物、
シバ・グリードは、クロウスとの対話の為に訪れた
鉱山の寄宿所で
禁騎士に包囲され、暗殺されるかどうかの瀬戸際に有っても
シバを逃そうとするクロウスの、
生き延びて王都に降れという提言を却下した。

 言う事を聞かぬのであれば、と、決闘を挑んだクロウスは、
暗い夜を舐める赤々とした炎が迫り、窓から差し込むその炎の赤い色で
染め上げられた寄宿所の雑然とした、埃っぽい床の上に
無造作に座っていたシバが剣を手に取り、立ち上がった立ち姿を見て決闘の勝敗を悟った。

 シバの襟を合わせて帯で留めた白の上着と、黒い袴の裾と、
袖口には鎖の様に交差した曲線で構成される模様があしらわれ、
白い布にそれと同じ模様を藍で染め抜いた太い鉢巻の下の太い眉を少しだけ動かして
彼は、無造作にただ、立ち上がった。

 クロウスの前で、彼が剣を手にしたのはその一度が最初で最後だった。

 剣を取ったシバとクロウスの間には、遠大過ぎる実力の差が隠れていた。

 構えもしない立ち姿を見せられただけで
己の敗北を悟らされてしまったクロウスの衝撃たるや、
尋常なものではなかった。
剣を正眼に構えたまま、目を見開いたクロウスはその姿勢のまま、
石にでもなったかのように動けず、口も聞けずに立ち尽くしていた。
 「うッ──」と、呻きを交えた吐息を漏らすのが、そのときの彼には精一杯だった。

 (──我を通そうと剣を抜き…しかし、ただ、己の負ける姿しか想像できない──)

 ただ、自然に立っている。
大気の重さすら変えた様に感じられる、それでいてただ、静かな。
まるで人の計り知れぬほどの齢を重ねてきた巨木のような
その、シバの、そう高くは無い身の丈がただ立つその立ち姿の醸す気配に、
クロウスは自らの勝てる要素を何一つ見つけ出すことが出来なかった。

 シバは、世間に悪路王という二つ名で呼ばれていた。

これは彼らグリードの拠点が並ならぬ難所にある事と、
かつてグリードがナイトガルドの騎士の、
グリード側に比して二十倍という膨大な戦力差を局地戦で覆した前例に代表される
神機を見せたことによるものであった。

 しかし、それは飽くまで戦略の功であって
それも奇計奇略によるものである、
シバは戦略家であり、人物としても自分は足元にも及ばない大人であるが
ただ一人の戦士としてならば、
自分には及ぶまいと胸中で断じていたクロウスには
間違いなく驕りがあったと言えよう。

 悪路王という呼び名は、奇計奇略に拠らぬ、
彼とグリードの実力が人間に言わしめたものであると
若きクロウスは愚かにもこの時己の過ちに気付いたのだ。

 「…悪路王!…なぜ、生きようとなさらない!
…貴方が、俺をここで破っても貴方は逃げも隠れもしないと仰る…
勝って、死ぬるだけなど…そんなバカな話があるか!」

 クロウスは、やっとの事で搾り出すような声でシバに呼びかける。

 「大勢には、抗う術はない。ここを逃れたとしても私はいずれ討たれよう」

 シバの、長い髪の毛と鉢巻の下に静かに燃える黒い双眸の炎は、
言うなれば深海に燃える炎の様な、
異様な気配を纏ったものであるようにクロウスの眼には見えた。

 威厳と覚悟を纏った炎。
それはシバの声となり、静かにクロウスの耳を震わせる。

 「罰天君。
人は、父と母から生まれるものであろう。
人は、生まれた場所に根付き育つものだ。
吾らの生まれた地を奪われ、
型に合うように別のものに作り変えられて
生を縛られてまでも
生きようとは思わぬ。
うぬらの社会に刃で痕跡を残し
──我々は確かに居て、
紛れも無くうぬらと共にいたのだという証を立てる事。
意思を表現して死ぬる選択を、我々はしたのだ。
許されようと思うもの、その生を永らえたいものは、すでにグリードには残っておらぬ。

我々が誰であるのかを忘れてしまう事は
─我々を作ってきた我々の小社会の歴史を、思想を、
父や母の、その父や母達の思い出を──見捨てる事だ」

 「未来に、残そうとは思わないのか…ッ!シバ!」

 クロウスは、肩を震わせて必至の形相で叫んだ。
すいとシバが脚を後ろに運び、半歩下がってクロウスに背中を向ける。
背中を向けたシバは、左手を懐手にしたかと思うと一息に
アツトシと呼ばれるグリード独特の上着をはだけ
諸肌をクロウスの眼前に晒す。

 「青い烏を見たことがあるか、罰天君」

 シバの見せたその背中には、見事な彫り物の青い烏が居た。
命あるものと錯覚するように
生き生きと、力強く描かれた
三本脚のその青い烏は、
桜花の散る間際の一瞬を切り取って吹き付けたように
華麗な桜花の嵐の中を悠然と飛んでいる。
シバの背中には、その烏の飛ぶ無限の空が広がっていた。
それは、グリードとかつて争った部族の伝承に伝わる神の使いの、青い烏である。
 「人のデザインした未来に、デザインされたように
置いておかれるだけの生は、生とは言わぬ。
それは、烏が飛べなくなるのと同じだ。
自らの意思を失って生きるのは、己の神を捨て、
社会と言う神の偶像の為だけの人の形をした器のみになる事。
それは、肉体の中の牢獄にだけ己の魂を封じ、苦しむ生である。
故に、それに反目する吾らはそれぞれの神の心に習い、
生を全うする…全うした。
往生である。」

 淡々とグリードは声を発する。
その声は、クロウスにそれまで語られることの無かった、
シバの、グリードの本当の心中であったろうか。

 クロウスは、シバがその心を語るのは自分に何を求めているのかを察して
じっとりと汗ばんだ柄を握る手を震わせる。
剣が、その震えを映してカタカタと小さく鳴いた。
 「万物に神は宿る。キミの神も、私の神も、確かにある。
しかし、誰も正しくは無い。
いつか、話しただろうか。
吾らは神の宿るものを世界から領けてもらい、
日々、神に謝しながらその肉を食らうその強欲で生を創造する。
故に、心の根を、自分の神を欺いてはならない。
我々の生は、人間と、
それを超える那由多の神と、
世界から、少しずつ領けて貰っているものなのだ。
故に、吾らは自らの欲を、悪を恥じて、グリードと己らを呼んでいる。
グリードでは、グリードと言う言葉は、人間の隠語だ」

 「神だ何だと…!
御身は今時そんなものの存在を真顔で言うのですか!…そんなものは!」

 「そうだ。キミの言うような形では居ない。
しかし、ある。
神とは、キミや、私や、人間の心の中で、
認識される人の中の万物の記憶と──
そして、万物が宿す記憶だ。
故に、神を信心の依代として、己の責任を押し付けてはならない。
作り、ただ、共に有る事。共に生きていく事。
それが、グリードの教えであった」
 背中の青い烏の上から、肩越しにシバの顔がクロウスを振り返る。
 シバ・グリード。齢四十五歳のその男の硬い横顔に、優しさと厳しさの波紋が、
表情を変えず、しかし隠微に漂っていた。
 「…罰天君、私が、言葉で伝えたい事はここまでだ」

 「何故、今そんな事を俺に言う!聞きたいんだ、もっと良くその話を。
足りないんだ、時間も命も、何もかも!
殺せというなら──生きていてもらいたいと言わせてもらう!」

 若きクロウスの心根は、今日に比べて未熟であった。
未熟なその精神はシバの覚悟を理解する事が出来ずにクロウスを激昂させ
クロウスは己の身を縛る戦慄を忘れて叫ぶ。

 シバが、僅かに肩を揺らし、次いで上体が僅かに動いたのをクロウスは見た。

青い烏が羽根を打ち、
直後、クロウスの視界が真っ赤に染まった。

うあッ、と悲鳴を上げて仰け反ったクロウスは構えを崩して一歩下がる。

 「キミと言う騎士と、その誇りに傷を残すのが最後だ。
それをグリードの記憶として共に生きていってくれい」

 無拍子で振り向き、抜き打たれたシバの刀は、
クロウスが正眼に構えたままの剣をすり抜け、
刹那の踏み込みでやすやすとクロウスの右額を打ち、
返す刀でもう一太刀を浴びせられたクロウスの額には、 深々とした十字の刀傷が生まれ、鮮血という産声を迸らせていた。

 はッと悲鳴を上げて、それでも構えを戻した
クロウスの動きを見届けて、シバは再び背中を向ける。

 「悪趣味かも知れぬ。
しかし、私は、最後にナイトガルドとグリードを和解させようとした君自身の、意思の表現を見たい。
誇りを捨てて、私を背中から斬れ。
私の首級は、キミが疑われている私との癒着の疑惑を晴らす事はできよう。
それをする事は、キミが誇りを投げ打ってでも生きていく意志の表明だ。
尚、それを曲げられぬというなら…私はキミを殺してこの場で自決する。
私に勝とうと思うならば──願わくば、生きて私の烏を語り継いでくれ。
キミの神と共に。
そしてキミが、キミの生を全うしたとき、
キミは初めて、永遠に勝つ機会を失った
私と、キミ自身が対等な存在だと言う事を悟る事だろう」

 クロウスは、いつか気付かぬ間にその眼から血とは異なる熱いものを流していた。

 「シバ…悪路王、尊敬申し上げる。
そして…
私は、貴方に言われたからではない、
私自身の心中にある、生を失う恐怖と弱さから…貴方を、斬る!
この悪と業を
私の…俺自身の意思で、一生を賭けて、その卑怯を償う自分の神の聖地を探す!」

 最早、クロウスは傷口から流れる血と、
己の涙に塞がれてシバの立ち姿をさえ正視できなくなっていた。
それでも、クロウスは目を背けまいと
辛うじて滲んだ影の映る世界に目を向け、歯を食いしばり、剣を振り上げる。

 深々と、シバの影が頷く。

 「さらばだ、罰天君。また、最後の日に会おう」

 最期のシバの声の響きと、
シバの首を刎ねたやさしい音を、クロウスは、エクスになっても大切に覚えていた──。
その証は、人知れず、彼の背中にずっと今日まで生き続けている。