035.Shadow Run:15_Nidhoggurs





 地の底を思わせる暗い室内で、何かが反射して光る。
クロウス脱走の報をいち早く知った
ニーズホッグは、スレイプニルの胎内に無理に増設した一室の背もたれをギイと鳴らし、
アア、やはりと呟く。
そして彼もまた記憶の森に迷い込む。
訪うは、グレンと初めて出会った日の出来事である。

 シバ殺害の状況の聴取の為に呼び出され、
禁殿に出仕してきたその男の、頭に巻いた包帯を見て、
ニーズホッグは、何か言わなければならない筈だった。

 もっと、違う言葉を伝えるつもりだった。

 しかし、それを言うのは紛れも無い同情と、
哀れみから出る言葉である事を、
その男は遂に胸中で否定する事ができなかった。

 故に、男は唇を吊り上げて笑い顔を作った。

 クロウスはその笑い顔を見てその男の前で歩みを止め、額に巻いた白い包帯の下の、
眼球の中心に据わった瞳で、男を射抜く。
視線は、冷たく尖った殺気となって周囲を満たして、
クロウスから一歩離れた場所に控えていた女性、
シヲン卿の喉がゴクリと音を立てて、黒い短髪の房が僅かに揺れる。

 「塩の味は甘かったかよ、クロウス」

 違う、侮辱をしたいのではない──。

 シバとクロウスの人知れぬ親交を、
利得からの癒着からくるものであったとする意味を匂わせた
侮辱の言葉を吐いた小太りの男の
分厚い眼鏡のレンズの奥で彼の瞳は人知れず歪む。

 その、隠れた瞳の色が映すように、彼の真なる胸のうちは乱れていた。

 しかし、本当の心中──同情にも見えるその感情をこの男に見せてはならない。
それを云う事は、彼の世界に土足で踏み込んでいって、彼しか知りえない痛みを
したり顔で知っているよと云う事だ。

 そんな偽善を、彼が受け入れる筈はあるまい。
 しかし、自分はクロウスが敬愛するシバをその手で殺した事を知っているのだ。
その事実を把握している、知っていると言う事を──
この男に伝えすに、表現せずに居られる自分ではない。

 この男は自分を認め、表向きは嘲っている。
自分も、この男を認め、表向きは嘲っている。

 欲する本当の色の欠片、異なる音の欠片を持っていた二人。

 空往く大鷲と、地中を自在に潜る竜は罵りあうという伝説がある。

 自分は、この男と接するときは常に対等でいなければならないのだと
クロウスに対峙した男はその不文律を心に描く。

 自分を認めた男。
膝をついたこの男の為に
同情で膝をついた姿勢を見せる言葉を向けることは
真なる侮辱だとニーズホッグは胸中に断じ
その彼の口を衝いて出た言葉は、彼の胸中を映さず、
侮辱の言葉に化生していた。

 ──それならば、無理解を装って
──対峙する方が、ましだ。
お前ならばいつか俺の本意にいつか気づいてくれるという妄想を俺は抱く。
お前は、俺のなりたかった騎士で
俺は、お前のなりたかった騎士だ。

 俺が、お前の敵だ。
俺はお前の事を知っているのだ──。

 笑い顔のまま、高い声でクロウスに声をぶつける男の名は、ニーズホッグ・ユガー。

 クロウスが、密着するような間合いまでニーズホッグににじり寄って
何も色を映していない瞳で、ニーズホッグの顔を見下ろした。

 クヒッ、と声を引き攣らせてニーズホッグが笑う。

 クロウスの左眼の縁がビシリと弾けるように震える。

 無言のままのクロウスが発する、肌を裂くような殺気に当てられて
ニーズホッグがじりじりと後退りする。

 「…シバの女役は、飽きたかよ?
シバの分が悪くなったら自分の手で切り捨てて利権の証拠隠滅とは大した悪女じゃねえか。
それとも、シバが女役か。騎士の槍で成敗つかまつるってわけかい」

 後退しながら…しかし、ニーズホッグは、空しく空回る偽の悪意を振り回し、そして、泣く様に笑う。

 気づいて欲しいという思いは、その言葉を必要以上に極端にさせ、
露悪的になり、ニーズホッグは
自分の吐く言葉の色に囚われ、縛られる。

 俺は、こうなのだと。

 クロウスが、能面の無表情のまま
腰から下げた太刀の鞘にかけた手を僅かに動かして、
親指を鍔にかけて柄を押し下げ、無言で太刀の鯉口をズルと切ッた。
切ッてからクロウスはギイと笑い、歪んだ唇から牙が覗く。

 「殿中にございます!」

 その動きに気色ばんだ騎士シヲンが、クロウスの狼藉を留めようとす可く
背後からクロウスの腕にしがみつこうと腕を伸ばすが、
その前に鞘から走るシャンと言う音を残して不可視の速さで抜き放たれた
クロウスの太刀の柄、頭金に肋骨を打たれる。
シヲンの肋骨がゴクリと嫌な音を立てて砕け、
打ったクロウスの剛力に拠って彼女の細い身体は
折れるような不自然な姿勢で吹き飛ばされる。

 思わず後ろに一歩退いたニーズホッグが、己の吐いた言葉の残滓を一瞬に舐める。
口中には苦汁が浮かぶ。

 行き過ぎた、斬られる。それだけの言葉を吐いた。
 ニーズホッグの意識の上を雷電となった言葉が駆け抜ける。

 ああ、斬ってくれ、それも一つの道だ。
俺は俺を認めた人間の傷になりたい。
シバが、お前の傷になったように。

 大鷲が羽根を打つような物凄い音を立てて
クロウスが大上段に太刀を構えようと振り上げる。
太刀を振り上げる美しい軌道の上を駆け登る刀身が
一条の鋭い光を禁殿の廊下に投げて、刺す。

 一瞬に、ニーズホッグは観念し目を硬く閉じて胸を張る。

 そして、頂点に上ったそれは禁殿の
冷たい空気の満ちる空中にビタと留まる。

 「女性に手を上げるような山出し、誰かと見れば矢張りおのれか」

 冷たく、美しい声がクロウスの背後から発せられる。
声の主の長い腕の先の白い手袋の人差し指と親指が、
クロウスの兇刃の切っ先を、反った峰を跨いで摘むように掴んでいた。

 クロウスがその拘束から逃れようと肩を揺する、が、
刀身はじりと僅かに揺れるばかりである。

 目を見開いたままのクロウスが首を廻そうとするや、
その長い腕が鞭の様にしなって太刀をすり抜けて、
黒い稲妻の矢の先鋒、白い手袋が鏃となって
握り拳がクロウスの頬を撲ち、反対側の拳も殆ど同じ場所に突き刺さる。

 打つと同時に、声の主は後ろに跳ねてクロウスとの間合いを開いた。

 迅雷の如し連撃の拳に打たれてクロウスは刀身を横に流してたたらを踏み
ケァと吼えて踏み止まる。

 クロウスの背後に立っていた男が構えを整え、二つの拳を構える。
黒衣の詰襟のロングジャケットの裾が、僅かに流れる。
その動きの軌道と軸を同じくする美しい曲線を持つ眼が動いて、
瞳は空間に満ちる殺気の波を切り取るように右から左に走り、
黒い短髪の放つ光沢が禁殿の廊下の空中を僅かに跳ねる。

 その黒衣の騎士が、シール領で縁を持った気障な騎士、
グレン・オウディスであることを認めるときには
クロウスは泳いだ太刀を返して、
グレンに向かって片手下段の構えを作っていた。

 その武の剛なる事で雷名を轟かせていた銀斧騎士、クロウスをシール領で知っていた
グレンは、クロウスの関わった事件の顛末と、
クロウスと騎士シヲンの身を案じ、禁殿まで駆けつけていたのだ。

 しかし、その姿を捉えてみればこの始末。
騎士道に忠実なグレンの事である。
まずはこの無作法者を戒めねばなるまいと手を上げた。

 「人の途上をうろうろしてぴぃぴぃ喚きおって。
煩わしい…。
もう…何がどうであっても構う物か。
お前の音を消してやるぞ、雑音ども」

 しかし、我に返ったとしても
この時、クロウスは自分自身を律する事が出来なかった。

 溢れ出る己への怨念は言葉となって漏れ、
言葉の毒は己さえ騙す。
破滅の断崖を滑り落ちるクロウスは、自嘲の笑い声を上げて
唇から覗く牙はその心の如く震え
彼の手にした太刀の刀身もカタカタと震える。

 「知った事か、見苦しい」

 グレンは今までクロウスの影に潜んでいた殺気が
今、眼前に煙の様に立ち上がる様を察し、肌を粟立たせる。
しかしそれでもその殺気と、
その身に秘めた暴力の力量を冷静にはかると、
グレンはそれを察して一歩間合いを開く。

 素手と素手なら、クロウスに負ける事はないだろう。
しかし、柄物と柄物では逆だ。

 おのれは拳を構え、相手は柄物を構えたこの状況。
お互いに向かい合って手の内を晒すのは初めてという不確実性をものにしなければ、
剣を佩かないおのれには圧倒的不利と言えるだろう。

 次の一撃の戒めの拳でクロウスを制さねば、
おのれはクロウスの容赦ない暴力の軌道に捉われ、死ぬ。
それが、想像できる。

 クロウスの剣の切っ先に揺らめく殺気と技量から
そんな胸算用を働かせたグレンはクロウスを睨み据える。

 目を見開いたクロウスが息を長く吐いて、太刀の切っ先を一際大きく揺らめかせると
クロウスの踏み込みと同時にそれは舞い上がる。
その初動にすんでのところで反応したグレンは上体を捌き、
その太刀筋から逃れるが、足元近くから振り上げられ、
伸びる太刀筋はグレンの頬を撫で切っていた。

 左の頬を深々と斬られながらも、グレンは更に深く踏み込んでクロウスの懐に潜り。
短く、鋭い拳を打ち込んでクロウスを押し止めようとするが
片手で太刀を振り上げたクロウスは左手で柄の先端を掴み、
八双に似ながらも歪んだ構えを一瞬見せておのれの体捌きの勢いを殺し
釘を打つように脚を強引に踏み留め、太刀を垂直に構える。
並ならぬ豪腕を以ってのみ実用に足る挙動、
クロウスの学んだ剣術一流の技にして逆落シノ構エ、兜割と呼ばれる奇剣である。
クロウスの身体は体捌きの勢いのまま流れて一拍動きを止めると見ていた
グレンの拳は宙を撃ち、額をクロウスの構えた太刀の軌道に晒す。

 しかし、割られる己の頭を想像して気を留めればそこに釘を打たれ、
命がその場に打ち付けられることを知るグレンは
返した腰と拳とを戻さずに
曳と声を発して肩口から己の体ごと構えたクロウスに身体をぶつける。

 長身のグレンが身体を制するのを投げ出してぶつけてきた
一体の衝撃は刀を大きく構えたクロウスの胴体を撃ち、
クロウスも溜まらずにバランスを崩して後ろに脚を泳がせてしまう。

 グレンはその勢いのまま身体を前に押し出し、
クロウスの身体に衝突させる事で流れた己の動きの勢いを
その場で半回転、廻るように流すと反射的に軸足を戻そうとするクロウスのこめかみに向かって
後ろ廻し蹴りを打ち出す。

 クロウスはこれを見るや逆にすり足で前に一歩踏み出し、上体を下げてこの蹴りを空振りさせ
太刀を腰だめに構えて、
がら空きになったグレンの胸板を凝と睨み据える。
御する心構えの拳では、この男の殺意の剣には及ばない──
今更の事ながらグレンはその事に気づく。
脚を振り切り、フォロースルーに入ったグレンの構えは開き。
殺意の射線がグレンの心臓を穿つ。太刀の先端とグレンの心臓の軸が合う。
一歩出遅れるグレンの拳がその神速でクロウスを打つか、はたまた
クロウスの奥の手に握り締められた太刀の切っ先がグレンの心臓に飛ぶ──
と思われた
刹那。

 「弁えられい!」

 二人の、殺意の先端に化生した武の切っ先が走らんとする刹那に、
その女性の声は大気を打った。

 天上から響くような威厳ある美しいその声は、
クロウスの迸る殺意が、グレンの他者に強いる過剰な美意識が、
ニーズホッグの屈折した卑屈が、騎士シヲンの己の無力に沈む意識が、
その場に一瞬に縫いとめられ、全ての時間を止めてその場に留まる。

 それは自らの存在を永代に渡りナイトガルドに捧げた女性──。
ナイトガルド王家の血を受け継いだ最後の一人。
生を繰り返す女王、シヲン・ミドガルドの声であった。

 「己を律する事の出来ぬ未熟者達を禁殿に招いた覚えはありませぬぞ」

 廊下の彼方に立ち、
騎士二人を背後に従え、廊下の果てに立つ今は齢三十四歳となった肉体に留まる女王は
騎士達の不始末な姿を睨み、静かに声を発する。

 その眼光は冷然とした厳しさを纏い、
遠い天上の月がたった一つの己のその身に帯びる月光で
世界の果てまでを照らすように
その騒乱と諍いを呼び起こした愚かな手下の醜い有様を浮かび上がらせ、戒める。

 動きを止めた騎士達の中でまず最初にグレンが拳を収め、この不始末を詫びようとその場に片膝をついた。
次いで、呆然と事の成り行きを見守る態であったニーズホッグも慌てて膝をつく。
膝をついた拍子に大きな丸い眼鏡が半分ずり落ちて、彼は左手で慌ててそれを直す。
最後に、うつ伏せに倒れ、上体だけを起していた騎士シヲンが
脚を床の上に引きずるようにして、
なんとか片膝をつく姿勢を作った。
肋骨を砕かれた痛みで、彼女の息は荒く、全身は小刻みに震え
顔色は蒼白とさえなっていた。

 「クロウス卿」

 クロウスは、太刀を鞘に収める。
しかし、彼らの方へ歩み寄る女王に向き直った彼は
膝をつこうとはせず、そこに立つばかりであった。

 女王の、長く、黒い髪の毛が禁殿の長い廊下に隠微に吹く風の上を漂うように流れ、
女王は膝をついた騎士達と、その場に立ち竦む騎士に改めてその黒い瞳を向けて、クロウスの前まで歩み寄る。

 「…事情だけならば、おおよそ把握しています。
シバという男が、現在の貴方のような振る舞いを尊敬するとお思いですか?」

 クロウスは、女王の問いに答えられなかった。

 「野蛮を振る舞いながらも己らを誇示しようとした
古く、気高く、そして優しい人がたに
ついに信じて貰う事ができなかったのは
ナイトガルドの罪です。
ナイトガルドの罪はわらわの罪に等しい。
御身のナイトガルドへの憤り、
ぶつけるならナイトガルド千年の記憶をこの身に記憶する
ナイトガルドの化身、わらわにぶつけなさい。
御身の心のままの、罰を」

 クロウスと対峙した、
彼よりも頭二つも身長の低い女王は、
しゃんとその胸板を張り
クロウスをその強い眼力で捉え
その声は容赦なく立ちすくむ彼の惨めな貌を打つ。
クロウスはなおも答えに窮し、無言に逃避するが、女王の強い視線は、
クロウスの逃避を認めない。

その無言の追及から逃れうるものは、果たしてナイトガルドの民の中にどれほど居るだろう。
やっとの事でクロウスは鉛の様に重くなった唇を開き

 「…それは…余りに…」

 と、低い声で呟く。

女王は、クロウスがそこで言葉を終えるのをなおも許さなかった。
彼女の黒い瞳はじっとクロウスの瞳を捉えたまま、続く言葉を待つ如く沈黙を返す。

 その肉体は間もなく用を終えるとは思われぬほど、美しい女王である。

 「己の恨みつらみ一ツで
ナイトガルドを破滅に追いやるなど、拙者が無様に過ぎます…。
そのような真似をなさいなどと鞭打つのだけはご容赦ください…」

 「…そう、貴方には、出来ません。
それが己の怨念より生じた暴であることを理解する聡明、
その怨念の為にここに晒された一国の心臓を貫く事も出来ぬ優しさを宿すのもまた、御身です。
御身は、その後ろに暮らすナイトガルドの民の生活があることも忘れられないのです。
それだけの御身であるというのに
徒にその感情の箍を外した事、
事実は始末したとします。この恥を教訓として
以後、その痛みを繰り返さぬ為にわらわとナイトガルドに尽くしなさい。
これなるはクロウス卿だけの罪ではありませぬ。
クロウス卿の暴、箍を外れさせても受け止めようとした
グレン卿、シヲン卿、ニーズホッグ卿。
クロウス卿はもとより、わらわとそこもとらの罪として
この罰を分かち合う事をお願いいたします」

 女王のその言葉を機として、クロウスは膝をついた。

 地を潜る竜はその、地上世界の記憶を記憶している。

女王の眼光は、地上ばかりではない、
ひとたびその眼が走ればその竜の棲む地の底までを暴く。
そんな、強く、静かな光であった。
光差さぬ地の底に生きる陰獣は、天上の光に強く憧れ。
それが為に光を受けて暮らす人々よりもそれをよほど良く知る。
故に彼も、その光を畏れ、尊敬してもいた。

 そして、その畏敬の念より生じた思考の解れ、疑念は彼の口を開かせる。

 「女王が確かに女王陛下である限り…、生じえぬ事象。
奴めもまた尊敬する、その、女王を殺す理由…、
クロウスが変わっていない、
生じえぬとするならば…
…女王陛下自身の変化…?」

 生れ落ちたその呟き。頭をよぎった
その【最悪の想像】に彼は一人、はは、真逆と声を上げて笑う。
笑って、机に肘を付くと、
しかし、彼は真剣な面持ちで何事か思案を始め、
机の上の光る魔装の石板を荒々しく取り上げた。



 霧雨の中、傭兵マルコにしっかりと捕虜捕縛のための錠前をかけられ、
腕をねじ上げられたべデイヴィアがアレキサンダーの眼前に引きずり出される。

 乗騎を無惨に破壊しつくされた騎士本人はしかし、
五体満足にして意識も健在ではある様子とザノンは見た。

 「さて」

 アレキサンダーが、歳若い跳ね返りの騎士のつらだましいを一瞥して溜息を付くと早速問いを繰り出す。

 「レオン卿と、ユンデル卿に訴えたい事が有るゆえ、と言っていたね、卿は」

 「左様ッ」

 答えるベディヴィアの声は荒い。

 ハンサムが台無しの形相ネと耳打ちするネルの声にうん、とザノンは頷いて
班の僚友と、傭兵達と一緒にその様を見守るザノンは
改めて凝とベディヴィアの顔を注視する。

 実際、若く美しい騎士の顔は、怒りに似た高揚に満たされていた。
その色は単純な怒りではあるまいとザノンはその、
彼の顔に浮かぶ色に僅かな既視感を覚え、
彼の胸中の闇の正体を、
己の胸中に眠る闇に問い、それをはかる。

 「貴公らに刃を向けた咎、この首一つによって償う腹は出来ておる。
我が名はベディヴィア・チューナー。
グーヴァイン領、緑の騎士団に属する騎士である」

 言葉を受けて、アレキサンダーがベディヴィアの防護服の肩口に付いた、
部隊が緑の騎士団に属するものであることを表すイングニシアを軽く指差して示す。

 「そうだな、そのイングニシアは騎士の模範の代名詞といって差し支えないものだ」

 ウム、と誇らしげに頷いてベディヴィアが言葉を続ける。

 「その、グーヴァイン領の生き残った騎士、領民。
それらが集落を作り、協力を要請されたモルレドウ領の騎士に加勢したものだが、
彼奴等からの味方殺しの命令…ビナー・マウモックの排除命令が下ったのだ
由来を偽ってな。
私達にビナーの排除命令を下した指揮官と
ビナーに諸君らへの接近を命令した騎士は、同一人物だったのだ。
モルレドウの騎士めらは、
貴公らを足止めする為に何事か絵図を描き
その絵図の中で我々を捨石にする積りでいたという確信を私は抱いた。
また、領民さえ欺こうとする卑劣漢の策謀によって貴公らに刃を向けていた事を知り
直接訴えるべく無礼を承知で進んだ次第」

 ふぅン、とアレキサンダーが気の抜けた返事を返す。
聞いているのか、いないのか。

 アレキサンダーからすれば興味どころではないというのが
その顔と声色で、傍にいるザノンたちにもありありと伝わってくる。

 ベディヴィアの言葉を聴いて苛立ったのか、
ガーハートががりがりと荒々しく頭を掻いてじろとベディヴィアの横顔を睨む。
回りくどい、と言いたげな表情である。
あまりにその動作が荒々しい為、コヨーテの何人かが思わずガーハートの方に顔を向けた。

 アッシュも、なにやら芝居がかった大げさな口上に辟易したのか軽く肩を竦めてみせる。

 「…この事象、何よりの証拠に
当の指揮官、スラス・タブに命令の由来を問うた所
スラスに一方的に共闘の遺棄を告げられ
我が主、亡きグーヴァイン卿のご令嬢、アルバ・グーヴァイン様と
その配下の騎士二人がモルレドウの勢力によって排除されようとしている現実がある。
貴公らの騎体を大破させたるはこの、ベディヴィア・チューナーのみ。
この首は貴公らに差し出そう」

 突如、ここへ来て
ぎらりとアレキサンダーの眼が鋭く光ったのをザノンは見逃さなかった。

それに気づかず、ベディヴィアは恍惚となったまま言葉を続け
訴えを垂れ流す。

 ネルが、その恍惚とした声と顔色に何か恐ろしいものでも感じたのか、
不安そうな表情でザノンに一歩歩み寄る。
ザノンはそれを横目で見ると、無言でベディヴィアの横顔に視線を戻した。

 「しかし、我が主の血統を次ぐ少女には断じて罪は無い。
有ると言うならこの首一つで許して頂きたい。
この首を落として、その矛を収め、
味方殺しの非道を行う
モルレドウの騎士達の手から、私の主人の娘を救い出して頂きたい!
無茶な言い草であるのは百も承知、門前払いともなるだろう。
故に、直接のお目通りを願い、私は、剣を取った!」

 アレキサンダーが、ベディヴィアの顔にじっと見入る。

 「女の為に死のうと言う貌、言い草じゃないな」

 詰まらなそうに高い鼻の頭を一つ掻いてから
一拍置いて、ぽつりと繰り出されたアレキサンダーの言葉にベディヴィアはぎくりと胸を貫かれる。

ベディヴィアが余りに急に顔色と形相を変えたので、リブラは危うく驚きの声を上げかける。

 「いや…どういう、意味だ…」

 「言葉の意味くらい自分で考えたまえ。
聞いたままだよ、ベディヴィア卿。いいや、ベディヴィア君。
独り善がりの死にたがりを手伝う趣味はない。
君を殺してその少女らを救っても、誰も何も得をしないではないか」

 狼狽を見せて、跪いたまま身をたじろがせたベディヴィアの声を、冷然とアレキサンダーの視線が打つ。
アレキサンダーの眼には明らかな軽蔑と落胆の色が浮かんでいた。

 「グーヴァイン卿は確かに偉大な騎士だった。
そのご令嬢も確かにこの戦禍には関わりは薄い、と仮定しよう。
しかし、そこもとの口ぶりはご令嬢をお隠れになった
グーヴァイン卿の威光を残すための道具としか考えていないように感じられる。
妄信か、偶像崇拝か。
主に尽くす自分は美しい、か?
自己満足だな。
それが満たされれば、
後は投げ出してもいいのか。
ご令嬢は生き残っても仕える男がこれでは不幸だろう。
父上と同じ場所に行った方が、ご令嬢には幸せなのではないのだろうか?」

 淡々とした口調で、声の色でアレキサンダーは、ベディヴィアを打つ。
只、言葉で打ち据える。

 「…違う…」

 打たれたアレキサンダーの膝が震え、水溜りに一際大きな波紋が生ずる。
それを否定する根拠を、ベディヴィアはその口に挙げる事ができない。

 「自分ひとりが最高の死に方を出来れば、いいんだな。
女一人窮して居るゆえ、手を貸してくれとどうしてそれだけが言えぬ。
貴公の下らん自己満足の為になど意地でも手を貸すものか、馬鹿馬鹿しい。
生き延びて己のつまらない独りよがりを悔いるが良い。
時間の無駄だったな。
つまらない男だったよ、貴公は」

 そこまで告げて、背中をベディヴィアに向けようとしたアレキサンダーは、
ザノンが一歩を踏み出すのに気づいた。

 無言で、ベディヴィアの方へ歩み寄るザノンは、目の前でルサンチマンに化生した少女と、
妹の無惨な死体と、イブの声と、ペインの怨嗟の声と…様々な命の消えとんだ沢山の過去を回想する。

 「意地ですか?」

 自分が死ぬ事で、無惨な苦しい生から逃れたい。
 その思いはザノンも抱き、そして、あの日それを見抜かれたメイジェンにそれを戒められた。
エクスにはその思いから来る恐慌と虚勢を突かれ、教えられた。

そして、その後に彼は聞いた。
人の声を。

 ザノンは、自分が死ぬ為の言い訳を探してはならないという結論を得た。

意思によって、戦う事。

命を使うことは有っても決してそれを投げ出さない事。
その結論は、彼の音となりつつある。

その一歩は、あのアイギスと出会う前の彼であるならば、己を律し、踏み出さぬはずの一歩だった。
抑え、漏れるはずのない言葉であり、彼の影に融け落ちるはずのものだった。

 しかしそれは今、立ち上がってしまった。
彼の、決して感情ならぬ意思によって。
それは、彼の始まりと言えるかもしれない。

影の中に眠っていた、意思の湧き出る音を彼はあの日、アイギスの胎内で聞き、
意思を表現する手段がある事をアイギスの胎内で知ってしまったのだ。

それは人に変化を起こさせるに足る、音の欠片だったのであろう。

 その音は、ラスの耳に届いただろうか?

 ザノンの問いに、ベディヴィアはその真意を測りかね
無言と、突き刺さるような鋭い視線をザノンに返す。

 「その、意地の中には、自分の死に方しか映ってはいませんか」

 静かな、それで居て鋭いザノンの声にベディヴィアは打たれ、
彼の意思が彼の身体を立ち上げさせる。

 ベディヴィアの中にそのような思いは確かにあったかも知れない。
しかし、同時に、その影を打つその問いの前に、
己は跪いてなど居られないとベディヴィアは感じていた。

 その影が有るのを知っていたとしても、
己の心中はその事ばかりであると認めるのは、
大切なものまでを投げ打ち、棄てる卑屈だと、彼もまた理解していたのだ。

 眼を見開いて立ち上がり、否と否定するベディヴィアの声に、生きる者の気配が宿る。
それは、ザノンの左眼の、生きるものの熱がベディヴィアに伝染したかのようであった。
 その様を視線で射止めたザノンは、爪先で水溜りの水を軽く蹴って脚を止め、なおも問う。

 「誰からも自由であるべき筈の、
貴方の根の部分は、人の名を借りなければ死ぬ事もできないものなのでしょうか。
貴方自身の意思、意地を張りたいなら、
いまここで、命の力を使って、意地を、ここで出会った僕達に見せてください。
言葉ではなく【行為】で」

 「見せる…?何を望んでいる」

 ザノンの言葉によって生の森に迷い込んだベディヴィアが命あるものの迷いを見せる。
するりとザノンが白い手袋を外して、ベディヴィアに投げてよこし、
ベディヴィアはそれを掴み取る。

 アレキサンダーが首を傾げてニタリと笑い…片目を面白そうに見開いた。

 「不肖乍らザノン・シールがベディヴィア・チューナー卿に、決闘を申し込みます。
疑わせてもらう僕らからの疑惑と、貴方の言う潔白。
そのどちらが正しいか。
いうなれば貴方の守りたい人達の潔白を賭けての
決闘と定義してください」

 余りに意外すぎるザノンの言葉に、周囲のものたちは騒然となる。
ばかやろう、と飛んだのは、ガーハートの怒声だろうか。

アレキサンダーが軽く腕を胸の前まで上げ、水平に伸ばして
騒ぎを戒め、ザノンに視線を送るとさも面白そうにニタリと笑って頷く。

続きを促したのだ。

 「ただ死ぬだけですくわれるものなんて、貴方以外は持っていません。
望んだ死に方を出来る人がこの世にどれほど居ますか。
自分ひとりが美しく死にたいなどと、虫が良すぎます。
意思を貫き、克服し、表現して、我々に見せてください。
貴方がともに生きるべきとか、生きたと言うべき人間である事を。
鎧でそうしたように、意思の力でもう一度、剣を取ってください」

 ザノンは、己に通ずる欠片をもつと見えるこの男に興味を持ったのだ。
そして、その根の部分を測りたいと考え、今、この男の前に歩み出た。
この男の闇を、ともに克服できるならば
己の闇も克服できるかもしれないと。
生きて、戦う力に繋がるかもしれないと。
その希望を得る為に、誤って命を落とす事があったとしても─
それが見たい、と考えた。

 「ザノン・シール…領主の、ご子息…」

 ベディヴィアは、相対する少年の名を聞いて直ぐに
彼が何者であるかを察したが、直ぐに眼に力を取り戻し、胸を張る。
それを見届けてからザノンは深く頷いて、言葉を続ける。

 「誰が相手かで、潔白かそうでないかを違えるとは仰いますまい。
イヤ、領主の息子で有るからこそ、
あなたと言う騎士の持つ本当の意思が、禍を呼ぶものかどうかを見たい、知りたいのです。
僕は。僕が」

 「奇遇だな」

 ベディヴィアがザノンに歩み寄り、ザノンの顔を正面から見下ろす。

 ベディヴィアの影がザノンに覆いかぶさる。
しかし、ザノンの鋭くも濁りの無い双眸の色と、
髪の毛の房の一端についた飾り石の色はベディヴィアの世界に焼きつき
その色と、入り混じる彼らの影の外側の光は、雲が切れて雨が上がったことをベディヴィアに教えていた。

 「私の仕えていたグーヴァイン卿も、意思は行動で証明するものだと常々仰っていた。
奇遇乍ら、この決闘、その道に叶うものである。
少年、柄物は、なんだ。剣か、拳か、拳銃か。
どれだけ使うかは知らないが、私の方が年長だ、柄物は君が選ぶがいい」

 顔を青くしたザノンの学友と、ガーハートが青くなって指揮官のアレキサンダーに視線を送る。
止めて欲しい、という色がありありとその顔には浮かびあがっているが
アレキサンダーは、携帯魔装で何事か報告をしているらしく
彼らの視線と無言の訴えには気づきもしない。

 いや、慧眼なアレキサンダーの事である。
気づいていたとしても横着をして無視を決め込んでいるのかもしれない。
とにかく、アレキサンダーの先ほどから見せていた表情、今現在のその態度を見て
その、ザノンの身を案じる学友達一同は、その決闘が避けられないものであるという
受け入れがたい現実を受け入れざるを得ない流れが、今、そこに流れていることを悟った。

 ザノンの腕前の程は彼らとて把握している。
しかし、それでも分が悪いのにはかわりはあるまいと青くなるのは無理もない事だった。
相手の実戦経験とザノンの実戦経験にはやはり格段の差があると思われ
魔装鎧ならば、物量や性能で埋められる部分…肉体、という格差があるのだ。
 改めてベディヴィアの防護服に身を固めた肉体を見れば
スマートではあるものの、決してそのシルエットは
非力を漂わせてはいない。

 技量が不明瞭であるならば、どれほどの使い手であるかは彼らの眼には一見では測りかねる。

それは不安となって彼らの顔色の上に現れた態ではあろうか。

 しかし、学友達の無言の詰問の視線を受け止めたザノンはにこりとしてすぐに視線を戻し、
それなら、剣をと、柄物を要求する声を上げ、
そのザノンの声が澄んで周囲に響き渡る。

 ジャックがユーンを肘で小突いて、己の腰に帯びた剣をベルトから外す。

ユーンも、遅れて剣をベルトから外す。
その二人の所作を見てから、ザノンは空を見上げる。
雨が上がったのを喜んでか、鳥が、大きく翼を広げてザノンたちの頭上の空を巡っている。
雲の切れ間から見える青空の色を、ザノンはよくよく眼に焼き付けてから、
鼻の大きな傭兵、ジャックから剣を借り受けて、礼を言う。

 ヤツ、弱いと思うぜとジャックがこそりとザノンに耳打ちするが
ザノンは、強いですよと返して、不思議そうに瞬きしたジャックを見て、言葉を付け加える。

 求められて本当の自分を、表現する勇気があるのです。
あの人は強いと思います、と。

 ザノンの眼には対峙して立つベディヴィアの向こうに、眼に見えぬ道が観える。

彼と交差する事は、避けてはならない自分の道だとザノンは唇を結び、剣を腰から下げて
ベディヴィアが準備を終えるのを待つ。



 「跳ね返りが、ノーバ卿から離反して、余計な事をしたようだな」

 デスペラートからの通信の声の色は淡々としているものの、
腹に蓄えたものが映っているのを、スラスは察した。

なにせ、今、デスペラートとスラスの両名は
モルレドウ領の設備を使って会話している。
デスペラートは会話の記録が残るのを警戒しているのだろう。

 「なに、あの程度の小物のこと、後回しでもよろしいかと存じます。

そういえば、北部基地跡のゲートウェイのメンテナンスは済んでいたか判然としませんが
デスペラート卿は確認できますか?」

 「さて、どうだったかね…。」

 その、芳しくない答えを聞いてスラスは僅かに眉間に皺を寄せた。

 「魔装技術者が来ていませんか。それとも、基地側の人員の問題で?」

 注意を払い、スラスは言葉を選び、デスペラートに、隠語で、ある状況の進捗が滞る原因を問う。

 「何、両方さ。北部基地跡は一般には廃棄された事になっている設備だけに、
普通にはゲートウェイを使うことが出来ない事に起因する、
設備使用のために踏む手順の複雑さが目下のところ一番の問題だろうかね」

 なるほど、とスラスは相槌を打ち
己の背中を座する椅子の背もたれに預けると
顔に横一文字に走る刀傷の終端に右手の人差し指をあてがう。

 指の上に覗く彼の眼光には、何やらその顔にできる影を穿って余りある
凄絶なものが宿っているように見える。

 「カダン卿は」

 「今のところ、おとなしくしている。騒ぎ出したら環境から言って
妹御によって甚大な被害が出ることが予想されるだけに戦々恐々よ、我々も」

 「チェスピのゲートウェイの手配はしてあります、
そちらのゲートウェイが使えるようになったなら、
有事の際にはチェスピに避難してくればよろしい」

 「ウム、悪路王と引き裂かれたご令嬢も居る事だ。
そうなったならなったで、一端はチェスピで額を突き合わせてもいいかもしれんな」

 「ノーバ卿には、一番にお教えしませんとな」

 「ああ、言うまでもない…フフ、言うまでも無い事だなァ」

 陰惨な空気をまとう密談である。
モルレドウ領の澱む影はこの場所に形をなし、
ここでもまた、ある一つの大きな流れが形成されつつある。
そこには、耳に聞こえぬ、しかし激流を思わせる凄まじい音が漂っていた。