037.Shadow Run:17_Run_On_The_Sky(The_Your_Sky)





 「無理だろ常考。保険屋と得体の知れない騎士が一緒でもなぁ。
あのよう、闇討ちされたらどんな騎士だって一溜まりもない【集団】なんだぜ、
禁騎士ってのは。凌ぎきれる理由がないだろ。
カリバーンに一生乗ってるのか?無理だろそれ」

 先行するグレンとランサを追う支援車両の一室で、
悪趣味な原色のシャツの袖を捲くって、ニーズホッグが呟く。

 通信の相手はグレンだ。

 「長い眼で見ればそうでしょう。
しかし、一度や二度の禁騎士の追撃ならばかわすという確信はあります。
その上…」

 フン、とニーズホッグが鼻を鳴らして指を其々軽く動かして運動させると
小太りの体を揺すって、背筋を椅子の背もたれに沿ってぐうと伸ばしてから
机の上にずらと並んだ魔装の石板の一つを叩く。

 グレンとの対話とは別の情報を追って
情報ネットワーク上でニーズホッグの影が、疾走を再開する。

 「その上。それ、その上とかいうのkwsk」

 その疾走と平行してニーズホッグは、
グレンのその上、と言う言葉の末尾、その声色が逡巡を映して
濁ったのを見透かして言葉の続きを促す。
グレンは一拍迷ったが、結局、ニーズホッグの問いに答える。

 「──そうですね。言わなければ釈然としないでしょう。
どうやら、法騎士が一部の禁騎士経由で禁騎士団に圧力を掛ける動きがあるようです。
恐らく、圧力が行き渡れば継続的な追撃は困難になるでしょう」

 ニーズホッグが、情報が読み込まれる僅かな待機時間に眼鏡を素早く押し上げる。

 「クロウスが何か都合の悪い事に絡んでいるのかもな。
今日も法騎士は通常運行か」

 押し上げて、ニーズホッグはヒヒと甲高い笑い声を上げるが、
雷火の速さで石板に戻ったその手は一瞬たりとも動きを止めず石板を叩き、
眼は忙しなくそこに映る情報を追う。

 「ニーズホッグ君、私の行いは騎士道に反しているでしょうか」

 「反してるね。女王陛下への謀反人の脱走の手助けの根回しをして
謀反人が追討部隊を撃滅するだろうと喜んでるんだからな」

 脱走したクロウスを巡って、ランサには捕捉されぬようニーズホッグと密談を交わす
グレンの、重い呟きをニーズホッグは即答で打ち返す。

 「そうですね──。償う方法もありません」

 「外れてようがどうだろうが、お前が今そこに居る事には変わり無え。
それ、意味有ることなんじゃねえの?
これが自分の騎士道だって言い張ったらいいんじゃね。そしたらそこが正道だ」

 ニーズホッグの叩く石版とは別の石板が光を放ち、顔だけをそちらに向けたニーズホッグが声を上げる。

 「逃げるのに地べたを走る奴も居れば、高く跳ぶ奴だっていて。
どこだろうが道だと思えば道だ。
あの野郎に差し向けた案内人も動き出した」



 広大なサムソ山脈麓の跨るオウディス領の都市の一つ、
ウォル市の大通り、そう背の高くない商店の建物が通り沿いに集まり、
集まり歩行者が闊歩する混雑した通りを
我関せずと傍若無人に疾走する滑らかな流線型の装甲と背面にマウントされた無骨なコンテナ、
細く、長い脚を持つ魔装鎧がある。

   「何考えてるんだ、馬鹿野郎!」

 「ここは歩行者の通りだよ!」

 道行くものは驚き、動転してそのマシンの柱の様な脚から身をかわす。
悲鳴や罵声が、町の喧騒を彩る。
異様な色ではあったが。

 走るマシンの脚は、かわしきれぬ者の直ぐ横を通り、体をスイと捌いていく。
しかしどうした事かマシンは誰とも、何とも全く衝突を起こさずに進む。
その様はどこか魔術の様でもあった

 コモン・マシン、シビリアーのフレームを原型にしたそのマシンは、
シビリアーの原型を留めない程の改造を施された
殆ど自家製オリジナルと言えるマシンではあった。

 マシンの名は、キューと云う。

 キューを駆る男の名はナイン・ボルと云った。

 特定のギルドに属さないフリーのベクターである彼は
大手ギルドの下請けとして合法、非合法を問わず請け負った品物を運送するベクターとして
彼らの世界ではエクストリーム・ベクターと評される、
相当名の知れた存在ではあった。

「迷惑だなぁ、全くこいつらときたらよう」

 避けきれない程混雑した人ごみを走るキューの胎内で、ナインが舌打ちする。

 「こちとら生業で急ぐってのに。
人が急ぐ時に道をノロノロ歩ッて人の足を遅らせるんじゃねエぜ!
全く邪魔臭エったらありゃしねエ!」

 オレンジの短髪の若者の様に見えるナインの面は、
極端に大きなオレンジのゴーグルに覆われてその顔の色は伺えないが。
ゴーグルが傾いて、遥か彼方の城壁を睨む。

 「地面走るにゃノロマが多すぎる、跳ぶか」

 ナインの言葉の途中で、キューは一際強く石畳を蹴って斜メに跳んでいた。
空中を滑るように飛ぶキューを、街の人々は思わず見上げる。

 「危ない、ぶつかる!」

 建物の壁に衝突するのではないかと言う程、鋭く、 急角度で跳躍したキューの騎体が、空中で横に五百四十度回転する。
脚部が通りに並んで建った民家の壁を捉えてキューはグイと上体を下げる。

 ほんの一瞬。キューは、壁を滑るように走っていた。

 見上げていた人々は言葉を忘れてその一瞬を焼き付ける。
 壁を登り、そこを確かに駆けたキューは、
人々がそれを認識するときにはもうその場から、反対の建物の壁に飛んでいた。

その、一瞬の記憶の向こう。

人々の世界で、空に極光の様に焼きついたその光景通り過ぎた後には雨上がりの青い空が広がっていた。

 「ネリーベ・カスタム。十二番ゲージか」

 バシャンと山小屋の中に鳴り響くのは、
行者姿のエクスが、椅子に座ったまま散弾銃を手に取り、
蛇腹状の刻みの付いたポンプを引いた音だ。

 「予備さ。今のにガタが来たら使おうと思ってね」

 イネウがじろとエクスの隻眼を睨み、
ついでその眼はネリーベと呼ばれた散弾銃に引き寄せられる。
イネウは予備だと言ったが、既にネリーベのストックは切り落としてあり、
重量感のある、太く短い銃身も加工して切り詰められている。
使う予定のない散弾銃をすでに改造されているのは、
備える事を以って良しとする彼女の現状認知の賜物だろう。

 「結構。スラグ弾と、剣も欲しい。あるなら寄越せ」

 左眼を運動させて、イネウをちらとだけ見ると
エクスは散弾銃をくすんだ色合いの机の上にゴトリと音を立てて置くと
イネウに横柄な要求をする。
窓から差し込む光を反射して、
散弾銃の銃身が隠微に空間に投げる光に眼を差され、
イネウが大きな目玉の上に乗った、
濃く、長い針金のような睫で縁取られた厚ぼったい瞼を細めた。

 「猟師でも目指すのかい。銃は熊だって仕留める代物だよ。
──剣は、訳ありの女と、
それを守る坊主どもが謝礼に置いていった大小一組のお宝とやらがある。
行者のなりをしていた連中だ。あンたの今着ている服の持ち主さね」

 「ほう、行者とな。
人目を嫌う行者が
ここまで出て来て姿を見せたとはよほどの事でもあったか」

 ケッと笑うエクスの声を聞いてか、聞かずか。

 イネウは次の部屋の戸の奥に引っ込んで、ごそごそと物音も荒々しく探し物にかかり
程なくして手に己の前腕部程の長さの剣と、
その半分ほどの短刀を持ったイネウが部屋に出戻り、 こいつだと呟いたイネウの手からそれら一組の剣を受け取って
長いほうの剣を鞘から抜き、改めようとした
エクスの左眼が驚きで軽く見開かれ、エクスはフムと唸り声を上げた。

 左眼が冬の夜の水面の様に冷たい光を放つ細身の刀身に吸い付けられる。

 その刀の持つ重量が作る手ごたえのようなものを、
柄を握って確かめると
エクスは剣の柄に手をなじませるように
吸い付くような感覚を掌に返す
柄を握り、離す動作を二度、三度と繰り返す。

 その、見る者の魂を引力を以って誘うような冷たい光の中に。
確かに、由来は知れぬながら宝と呼ばわるだけのことはあるという確信をエクスは見出す。

エクスは左手でブツと己の髪の毛をニ三本引き抜くと、刀身から顔を離し、
グイと刃を返して、立てた刃に向かって抜いた髪の毛を吹き付けた。

横で見ていたイネウが眼を見開いて、おうと驚嘆する太い声を上げる。
エクスの吹き付けた茶色い髪の毛が、
ふわりと空中に踊り、
刃に触れるや全て音もなく二つに分かれ、はらはらと床に落ちていくのを目の当たりにしたのだ。

 刃を凝と見つめながら、エクスは唇の端を歪める。

 「王都の騎士、
人間の意思の作る複雑怪奇なる手練手管に比べたら、獣は可愛いもんだ。
生身で戦うなら、武器は一瞬で確実に殺すもの以上に、確実に破壊するものが必要になる。
それ以上にロケーション。ここは山ン中だ。
ショット・ガンはお誂え向きだろう。
──この剣も、鋭い。今まで見たことのない程の代物だ」

 「あたしだってそうだ。
そいつは獣を狩るのに使うようなつくりじゃない、
お高そうな剣と言うだけで抜いても見ては居なかった。
兎に角、そうまで物凄いものだとはおもわなんだ」

 「姐さん、こいつは貰う。
代価は欲しかったらくれてやる。
しかし、手持ちが無い。一銭だってありやしない。
故に、つけておけ」

 言葉を終える前に、エクスが腰周りに帯代わりとして締めている錆びた鉄の鎖に二本の剣を挿し、
彼のどこまでも横柄な所作と物言いに、呆れたイネウが、かははと剛毅な笑い声を漏らす。

 「どちらにせよ、使うなら使うものを
勝手に持っていけば良い。そのうち借りは返しなされよ」

 エクスの着こんだ
白黒二色の動きやすさを損なわぬ行者の法衣の上に
首からも束にして掛けた赤茶の錆を浮かせている鎖が互いにぶつかり、
摩擦するガチとかジリとかいう物音は
エクスの笑い声に変わって物質が発する、
精神の表に顕れる現象とも捉えられる響きを持っていたし、
エクスの顔も事実、十字の傷を歪めてニタリと笑ってもいた。

 「なら、そうしよう。何、恩はすぐに返せると思うぜ。返せると思うよ。」

 ククッと声を押し殺して笑うエクスの表情に、イネウは怪訝なものを察知するが
追及しても無駄であろうと割り切って質問を変える。

 「うぬらはこれからどうするのかえ」

 「段取りを付けたら
コヨーテのテアマトウ支部を目指す。
都市テアマトウで、二月後に港湾祭というのがあってな」

 「開港の祭りかい」

 「──ああ、外国から貴賓も来るんだ。
女王陛下もいらっしゃるのが、伝統とか慣わしとかいうやつでもあってね」

 女王の律法から逃げる身であるはずの男がその懐に飛び込むと言う。
エクスの、その言葉は、イネウに影の存在を感じさせる。

 「何の話だい」

 その影の持つテロルの気配を察知したイネウは、
その正体を正しく見ようとするが

 「──さぁね。どうするのかというなら、
祭り見物でもするさ。
人間の森なら、異形の影とて人間に紛れ、その姿を隠す」

 ござんなれとばかりに肩を竦めるエクスはやはり、正しく答えない。

 「言い回しがさ、いちいちくどくってね…」

 しかし、ならずものが現世で振るうテロルなどは
山間に生きる自分には関わりの薄い事と心中で見を切る
イネウの声は諦めの色を伴っていた。

 「俺は、シンプルなつもりなんだが」

 意外そうに、エクスが呟いた声色は
それなりに真剣なものであるようにイネウの耳には聞こえた。

 その声色が空中に浮かび、消える時にエクスは物音を立てて
椅子から立ち上がりその余韻を塗り潰す。
さて、と声を上げたエクスは机の上の散弾銃を手に取って、イネウがどうしたと問う。

 「道具もある。
となれば、当座の足跡を纏めて掃除してくる」



 森の中に座するカリバーンとデアブロウ。
その異形の前に、男が一人、カリバーンを見上げていた。
 防護服の上に軽装甲冑を着込んだ長身の男である。
手に戦斧を携えた彼の足元には
獣の屍体であろうか、
人間の倍ほどもある巨大な肉塊が血の海に沈んでいる。

 獣は、熊と見えた。
 彼が足を乗せた獣の屍体は無惨に破壊され、
凄まじい力で引き千切られた胸の筋肉と脂肪の塊からは
刃物を並べたような態の肋骨が覗き、
その肋骨も前面を大きく粉砕され、
血の海の湧き出る源泉となった傷口からは
滅茶苦茶にかき回された痕跡を見せる
食道と心臓、肺がその血まみれの無惨な姿をそのままに晒していた。

 その体毛を血で汚し、怪しい光沢と生命の内蔵する匂いを空中に放ち
黒い針金のような鋭い体毛を持つ巨大な獣の屍体の
頭部も、顎から上を爆発でも起こしたように粉砕されており、
血の海の中にその欠片が混じっている。
皮と骨の欠片を残して吹き飛んで消失した頭部の残骸の、
何がどの部分か殆ど判別の付かない肉片が辺りに飛散させた獣の、
残った下顎からは
てらてらと赤く光る舌が血と唾液に濡れて
下顎からだらしなく伸びている。

 巨漢が熊の屍体の上に乗せていた足を外し、バキと音を鳴らして熊の骨の欠片を踏み砕く。
彼の張った大きな顎が運動し、その口元で
グチと湿った物音が鳴ったのは、
巨漢が引き千切った熊の生き胆を噛み千切った音だ。

 左手の掌の中に残った血管の浮いた、血塗れの熊の生き胆を投げ捨てると、
巨漢は血のこびり付いた茶色い長髪をかき上げてカリバーンをまじまじと見る。

 「熊の生き胆は流される血の、万分の一でも作るだろう。
が、クロウス。貴様はその未来を想像してもいないのか。
魔装鎧乗りが得物を放っておくとは」

 その男は珠の様な際立って大きな眼の作る、
ぎらと尖る視線でカリバーンの片目を睨んでから、
男は右手の戦斧を肩の装甲の上に乗せて足元の血溜まりを蹴って踵を返す。

 歩きながら、男は左手をすいと伸ばして傍らの樹木に手を伸ばす。

 青い光芒が一瞬に発し、
そこで何かが爆ぜるような音と煙を伴って
彼の左手の触れた場所、樹木の幹が瞬間的に消し飛ぶ。

 「いいや、戦場にあってどのような言い訳もないのは禁騎士であったなら身に沁みていよう。
十聖槍といえど得物を手放せば魔装帯びぬ生身の人間。
魔装の威力の前には腕が立とうがどうしようが狩られるだけよ。
我ら禁騎士は、飼われて獲物を追う、四つ足であるじに這い蹲る畜生。
誇りを返上した浅ましき猟犬」

 ミシリと樹木の幹が湿った物音を立てて、鳴く。

 その幹の大部分を削り取られた樹は、悲鳴とか断末魔を思わせる物音を立てて、その身体を傾ける。

 男は魔装の篭手を装備した左手の拳を握り、
斧を防護服の腰の短剣とサイドバッグ、拳銃が釣られたベルトの金具に据えつけて固定する。

 「主の靴を嘗め回す方法には拘らない。
そして、そうする為の理由もある。
この胸にひそかに燃えている炎。
クロウス・アーメイ。
──シヲン・クノウをむざむざ戦死させ、己は生き残った
あの刀剣法典クロウスを、この雷火顕現、バツケ・インラウドが狩る。
烏の身に猟犬の牙が食い込めば、どうなるかは見えている」

 柄物の重みを腰に確かめて呟いた豪傑、騎士バツケは騎士シヲンの従兄に当たる。

 その、重みのある声の発する胸中には、如何なる影が潜み、畝っている事か。

バツケの倒した樹木、その巨体が地面に倒れる音が地を鳴動させる。

 その音に、獣や鳥が驚いてその場を離れる物音が重なった。

 「バツケは」

 「カリバーンの位置を捕捉したようだ、
そのままクロウスへの接近に移行する」

 「そうか、ロランのヤツはあの調子だが」

 山間の秘湯と言うべきその場所の上方。急な斜面に身を伏せた幾つもの影の呼吸は
草木の気配に紛れ、殺気をも伏せ、密かに草いきれと樹木の幹とに紛れる。

 数え切れない程の一つ目。その、赤い兇眼。

 「食えるのか?」

 魔装を通じて、伏せる殺気の持ち主達は声を交わす。

 「デュランダルのロラン・ガンレット。あれはああいう男だ。
抜けた道化を装って、いつも貸した利息の計算を怠らぬ食わせ物よ。
結果があの男の残忍を教えている。
今回の事であの男が誰に鼻薬をかがされたかは判らぬが
ロランが食わぬと有っても女王陛下に盾付いた騎士をわれわれが逃す手はない」

 「左様、そいつは、我々の勝手だ。
それほどの大物であれば
命を落として首一つ持ち帰っても持ち帰れば買い手はつく。
聖騎士は使い切れぬ金を銀行で腐らせて捨てるような連中よ。
箔のつく大義名分ならこぞって競り落としに来る事だろう。
ヨシュアまでクロウスをなんとしても逃すまいと禁殿で大立ち回りをさせたというではないか」

 「なら、狩るか」

 「うむ、猟犬の搦め手でな」

 一つ目の猟犬達…巧妙にエクスたち一行の後を追跡し、その居場所を突き止めた
第二禁騎士団のある部隊は急な斜面の下を凝と睨む。

 その視線の隠微ながら、なんと鋭き事か。

 視線は斜面を滑り落ち、そこに湧く山間の秘湯の熱気に注がれていた。

 防護服を脱いで裸身となったモノは湯につかり、
ごつごつした岩肌に猫科を思わせるしなやかさを持つ肢体の腰を降ろし、
大きく、ふうッと息をつく。
モノの溜まった疲れと脂とが湯に融けて消えていくかのような感覚がじわとモノの四肢からしみこんでくる。
モノはその感触に浸って、ばたと顔を湯で洗い、
顔の汚れも融かすと、玉の雫となった温泉と汗が顎から鎖骨に流れ、
薄いながらも密度の高い筋肉で作られた胸板の上に乗った乳房の表面を滑り落ちて
温泉に還る。

そして、再び空中に巡る熱気となった己の汗だった煙の向こう、
湯気に満ちた周辺をモノは見渡す。

 冷え冷えとした外気と、
地中より湧き出る温泉の熱気の対照が身体に心地良くしみこんでくる感覚に、
モノは思わずぐうと背骨を伸ばして「あゝ、生き返る!」と快を叫ぶ。

 「人影は──」

 カルマが居るはずだが、と周囲を見渡して、湯気の向こう、相当離れた場所の温泉の縁に
音を発せずに動くものがあり、
それが細々とした少女のシルエットであるのを認識するとモノは認識し、胸を張って大声を上げる。

 「カルマ?水臭いな、そこにいたのか」

 温泉の縁に胡坐をかいて座するカルマのシルエットに、近付いたモノは違和感を覚える。

 この違和感はなんであろうかとモノは眉に皺を寄せ、ハタと足を止めた。

 肩の辺りまでつかった温泉が、バタと鳴ってモノの動きの残響を波紋にして映す。

 「──わぬし──」

 モノが呻くように漏らした声は震えていた。

 確かに、防護服と頭部保護具に隠れたカルマの透き通るような白い肌は、
今、モノの眼前に湯気を纏い、しかし一糸も纏わずに露わになっている。

 だが。

 モノは、そのシルエットの異形に思わず唾をぐびと飲んだ。

 (エクスはカルマを魔装の塊だと云ったが)

 モノから見て奥手にある筈の、カルマの右腕と右足は、胴体から欠けていた。
付け根から外され、カルマの傍らに無造作に転がっているそれと、
モノが眼をやった先、
即ち、胴体に残ったカルマの左腕と左足も
鉱物で出来ていると容易に推測できる
鈍い光沢のあるその身に
纏う玉の露の
隠微な光を湯煙の中にチカリと放ち、モノに教える。
白い胴体から伸びる無骨な魔装の鉱物の色は、
モノの眼にはグロテスクであるようにさえ見えた。

 それは、魔装で作られた金属の義腕と義足。

 自分自身の肉体としての四肢をカルマは所有していないという現実をモノは知る。

 黒い髪に隠れる、視線を送ったように見えるカルマが、
義腕の細い指先を自らの喉にあてがったようにモノの眼には見えた。

 彼女の長い黒髪がスルリと動いて首筋が覗き、
そこに僅かに見えた首の付け根、
背骨を中心とした首筋に魔装と思しき鉱物の円盤が痛々しく食い込み、
その周囲の肌の色はその円盤によってどす黒く変色しているのが見える。

 超小型の魔装機関を身体に直接取り付け、
バアリウムを消費する事で四肢の魔装の原動力を賄っているのだ、と
モノの思考の中を彼女自身の知識と推測とが洪水のように流れ出す。

 「済まないが、
魔装から肌に付着した鉱物を洗い落としてしまう、
魔装で出来た義腕、義足を装備していなければ、私の五感は触覚しか機能しない。

出来れば会話は頭部保護具もつけているときにしてくれないか…
それから、今。ちょっと、出来るだけ姿勢を低くして欲しい」

 カルマの発した声は、やはり物音を声に変えたような不自然な低い声だった。
声帯も機能していないのか、魔装によって補助をして、
擬似的に声を発しているのだとモノは気づく。

 ガチリと音をさせて、カルマが足の付け根に張り付いた魔装のジョイント部に右の義足を嵌め込む。

 湯気の向こう、カルマの面をモノは見た。

 モノは、カルマの面を見て、眼を見開く。
モノは、彼女の面に顕れた凄絶なる現実世界の一端を目の当たりにしていうべき言葉を知らなかった。

故に、絶句し、やがて彼女は身体を震わせてうめき声を漏らす。

 「こんな…これは…?」

 そして、その現実に打たれた彼女が震えたその時。
猟犬達はその姿を現し地を蹴って斜面を駆け下りる。

 現実が、今、牙を剥いて二人を捕縛しようとしている。
その光景の意味を理解する前に、モノの見開いた眼には禁騎士達の姿は焼きついていた。



 ユンデルは、アルゴンキンの司令室に戻ってきたアレキサンダーの面相を見るや吹きだして、声を上げて笑う。

 「見事な土産だな、伊達男。お主、またやったか」

 アレキサンダーの石板の様に滑らかな左の頬は、人の平手の形に腫れあがっていた。
男の手形にしては小さく、指先の輪郭が細い。女性に頬を思い切り打たれた跡だろうか。

 「──ええ。素敵なご婦人がいたもので、つい」

 赤くなった頬を掻くアレキサンダーの表情はけろりとして悪びれるところもない。

 「今度は何を言った」

 「私の子供を産んでほしいと云いました」

 ユンデルが笑い声を更に大きくする。雷でも起こったかと言うほどの豪快な笑いである。

レオンとダトラも視線を見合わせて苦笑いした。

 アレキサンダーは、先ほどの決闘の直後にネルに話しかけ、
初めまして、という初見の挨拶を済ませて名乗りを済ませた直後、
そうのたまってネルの手を取り、
きめえと一喝するネルに問答無用の平手を貰ったのだ。

 「寄ると触ると臆面もなく女性を口説きおる。
貴様は、いつになったらその種馬の様な口説き癖が治るのだ。
おまけに最初の口の利き方もいつもいつも最悪だ。
貴様程の者が、それは、わざとやっているのではないのかといいたくもなる」

 背筋をぐいと逸らし、タン、タンと手袋を打ち合わせてユンデルがなおも笑う。

巨岩の様ないかめしい男が豪快に笑うさまは
激しい状況の直後、蔓延し始める疲れた空気を和らげる。

 「いや、皆さん。笑いますがね。こう云うのは云わないでいるよりも云ったほうが得だってものです」

 息が出来なくなるほど笑い続けるユンデルに、アレキサンダーが真顔で異を唱える。

 「まぁ、仮にめぐり合わせが悪くて私の想いが残念ながら届かないにしても、ですよ。
少なくとも、私の事をよっぽどでなければ忘れなくなります」

 やっとの事で笑いを収めたユンデルが、アアーと満足したように長く息を付く。

 「フン、やはり、似ておるワ。
今をときめくシャックス・ブローバの大口も似たような理由だったのう、
アレキサンダーよ」

 「あの男の名前は私の前で口にせんで下さい」

 縁浅からぬ禁騎士、シャックスの名前をユンデルの口から聞いたアレキサンダーは、
眉に皺を寄せ、声を尖らせる。
それを見たユンデルは眼を細めてフフと笑いを漏らした。



 盾の騎士団付属学園所属のスレイプニルの中の一室、
医療用の物資を運び込んだ簡易医療室の固い簡易ベッドの上で
呼吸が出来ない息苦しさを感じて、ザノンはブハッと息を吐いて眼を見開く。

 赤い目が、彼の視界の中で逆さになって
真上から彼の顔を覗き込んでいた。

 紺のロンググローブがザノンの視界からすいと退く。

 覗き込む赤い眼の持ち主、ネルの指先がザノンの鼻の頭を押さえていたのだ。

 「おはよう」

 「ネルか」

 眼を開いて、少々混濁した意識をかき混ぜたザノンが認識をそのまま口にする。
 皆忙しくってさ、というネルの言葉の後に
直ぐに氷嚢が彼の視界に覆いかぶさってきた。

 氷嚢の横から見えたのは、支援車両の一室の天井だろうかと認識したザノンの口は
氷嚢の感触に冷たい、という声が思わず出していた。

 「負傷するのが趣味なのかしら、ザノン君は」

 隠微な棘を含んだマリーの声に思わずザノンは氷嚢を取り上げて上体を起こす。
がしりと腫れ上がったその顔を掴む掌は、ガーハートのものだった。

 「一物野郎。どうでもこうでもすぐに起き上がればいいというものでは無いだろう。
センズリのしすぎで使い物にならなくなるぞ」

 ガーハートが、掌に力を込めてザノンのこめかみを締め上げる。
ザノンは溜まらずに声を上げた。

 「いたたたた、痛い、痛いですガーハート銀剣騎士殿」

 簡易ベッドを仕切るカーテンの向こう、マリーの机の方向から
声を聞きつけたアッシュが、カーテンをめくり上げて中を覗き込む。

 「起きたか、タッチの差で負けちまったな。
向こうさんはアルゴンキンに収容されてまだ寝てるらしいぜ」

 声を上げて、カーテンを潜るように
ザノンの簡易ベッドの傍に歩み寄るアッシュに、ザノンが鸚鵡返しに問う。

 「向こう?──ベディヴィアさん?」

 問うて、一拍置いて決闘の始末を思い出したザノンは己を破った騎士の名前を挙げ
ベディヴィアは大丈夫なのかと問うた。

 「お前が倒れたすぐ後に、ベディヴィア卿もぶっ倒れたんだ。
最初に言っておくと骨折はないし、出血も防護服のお陰で大分抑えられてる。
切創や打撲も心配ない。自律外科治癒魔装を突っ込んでる。
さすがに打撲だけのお前の方が全快は早いだろうけどな。
まぁ、ものの何時間の差だろう。
色々教えられたなあ。まぁ、気を落とすなよ。
ネルを取られたと言ってもさ」

 やけに嬉しそうにニコニコと笑いながらアッシュがザノンの肩を叩く。
取られる?とザノンが鸚鵡返しに声を上げ、首を傾げた。

 「ぶつよ、アッシュ」

 ザノンの枕元に立つネルがじろりとアッシュを睨んで、
そのとがった声色にアッシュが胸を張って
ベディヴィア卿がハンサムだと褒めてたろうと反論する。

 ウッシャッシャと悪戯っぽくアッシュが笑う。

悪戯の憎めない人物だナ、と
ネルは防護服の上に羽織った黒い薄手のボレロを運動させて肩を竦めた。

 「スレイプニルの記録で見たけど確かに、ハンサムよね。
グレン卿にも負けないんじゃないかしら?」

 マリーも、カーテンの向こうからクスクスと笑いを伴う声を上げて話題に加わる。

 「ああ、私の騎士に、なんて言ってた事かな」

 意識を殆ど全て回復させたザノンが話の流れに遅れて声を上げる。

 「あれはさぁ…」

 「アレキサンダー卿にも言い寄られていたな。
貴様はもう男殺しと言うことでいいんじゃないのか?」

 鼻を鳴らして笑うガーハートの横槍にもネルは物怖じしない。

 「先生」

 と、ネルは声色でガーハートに釘を刺した。

 折を伺っていたのか、ネルに分が悪い話題に差し掛かった所で
カーテンの向こうでリブラがマリー先生、と声を上げる。  「どうしたの?」

 「いえ、ね。軽食用のお菓子がそこの棚の中にないんです」

 椅子から立ち上がる物音をさせて、無い?と聞くマリーの声に
棚が空っぽですとリブラがもう一度答える。

 「菓子ー?」

 甘いものに滅法目が無いアッシュがカーテンの方向に振り返ってカーテンの向こうに聞くと
「皆お腹すいただろうから、お茶にしようと思ってね、リブラ君に取って貰おうと思ったんだけど…」
と、マリーは答えて、
出立の時に何週間分を積み込んだ筈なんだけど、と
困ったような声を上げて棚に向かって歩く足音をさせる。

 がばとザノンが氷嚢を抱え、白いシーツを被って簡易ベッドに身を伏せた。

ザノンの潜り込んだシーツの、頭の辺りに目星をつけたガーハートがその場所をガツンと鷲掴みにする。

 「貴様…そう言えばマシン展開の前あたりになにかモグモグやっていたよな…?」

 ギシと音さえしそうな勢いで頭部を締め付けられて、ザノンは
痛いです銀剣騎士殿缶クッキーなんか僕は知りませんと悲鳴を上げた。

 言葉を聴いたネルが首を傾げて、あ、と呟いてくすりと笑う。
その笑い声を聞いて、一堂に笑いが伝染する。

 ジョンに言付けられた葉巻を届けに来たヘキサが、
部屋の前で首を傾げてから扉をノックする物音が笑い声の中に鳴り渡った。



 「貴様らも大概、食い意地が張っているな」

 森の中で、脚を止めたエクスが、ぐるりと周囲を見渡して声を上げる。

 人影は見当たらない。

 しかし、エクスは彼らの存在を既に超五感能力で把握していた。

 人間が持ちえた技でその身を隠そうと、彼には通じない。

 「断りも無く人の後をつけるなら、
纏めて山野の獣の餌にしてくれる。神妙に出てきたらどうだ」

 尚も声を上げるエクスの周囲。木陰から、或いは叢から。

 禁騎士の防護服と、軽装甲冑に身を包んだ禁騎士たちが
いずれも無言のままで次々と姿を現す。

 禁騎士達は、エクスと距離を保ちながらも
其々拳銃を構え、エクスを照準に捉える。

 「連れも囲んだぞ、神妙に手をついたらどうだ」

 禁騎士の中の、一際長身の巨漢の頭部保護具の一つ目が、クロウスを睨んで声を上げる。
クロウスは首に手をやってバリバリと髪の毛を掻き毟って、フンと笑う。

 笑ってクロウスは、銃口に睨まれながらもゆっくりと歩いて地面に浮き出た樹木の根にトンと脚を載せる。
そうして、自分の爪先を一瞥してから彼はようやく声を上げた禁騎士に顔を向け、
傍らの樹木に軽く背中を預ける。

 「知ってる。お前達の内緒話なら、生憎だが聞いていた。
何、あっちはあっちで勝手にやるだろうさ」

 「連れの命が惜しくないと見えるな」

 クロウスが僅かに間合いを離した分、禁騎士達はじりじりと間合いを詰め
クロウスとの距離を埋める。

 長身の禁騎士と、もう一人の騎士は他の禁騎士よりもさらに進んで、
クロウスの五六歩手前まで歩み寄っていたが、クロウスはそれでも動かない。

 「死ぬなら勝手に死ぬんじゃないか?
何故俺が人の安否に気を使わねばならん」

 「そうやって、シヲン・クノウも見殺しにしたのか」

 禁騎士の言葉にクロウスが、髪の毛を掻き毟るのをぴたと止めた。

 「──殺されて死ぬ奴が悪い。
殺されても死ななければいいだけの話だ」

 「なら、あの猟師も」

 言いさした禁騎士が、エクスのの左眼がカッと見開かれるのを見て飛び退く。

 瞬間、エクスの左腕が首から掛けた鉄鎖の終端に伸びていた。

 鉄の鎖はブンと唸り声を上げて、
飛び退いた禁騎士の傍らに居た禁騎士の頭を捉え、
鎖に捉われた禁騎士の頭の右半分は潰れる様にひしゃげ
潰れた頭部保護具は緩衝材に亀裂を走らせ、
その裂け目から血液をばら撒く。

 「掃除される身でいつまでも無駄口叩いているんじゃねえ、
付き合わされるこっちの身にもなれ」

 禁騎士達は身構えて、
しかし、唸る猟犬の様に首を竦め僅かに姿勢を下げると発砲を踏み止まる。
長身の禁騎士が笑う。

 「暴力!あまりにも眩しい暴力!
皆見たか、己の影を暴力で隠すあの男を! 言葉の前に閃いて、相手を血の海に沈める閃光!
奴は、ナイトガルド十本槍と称えられたクロウス・アーメイに違いない!
皆の衆。あの男を殺すぞ!
いいか、あの男を殺せるのだぞ! あの偉大な暴力が為す術も無く我々の手にかかって血の海に沈むのだ! 連れは殺して呉れと泣いてせがむまでいたぶってくれる!
貴様をかくまったあの猟師は皮を剥がれて獣よりも醜い姿を晒す!
全て貴様の罪だ、ハハハ!

恨むなら不用意に囲まれた己を恨むがいい!」

 芝居じみた大げさな動作でエクスを挑発する長身の禁騎士に眼を留めて
エクスは
「──恨まれはするが、誰を恨むものかよ」
と、呟きを口中に融かす。



 都市を出て疾走するキューは、
街道に物々しい魔装鎧の群れが何騎も配備されているのを、コンソールの情報で知る。

 通常民間人が知り得ない情報を提供するのは、第十禁騎士団である。
大手ギルドから仕事を請け負った際に、別口で彼にコンタクトを取ってきた
禁騎士が彼に情報と金銭を供与する段取りをつけてあるというのだ。

どこの業界にも子悪党はいるものだと笑うナインは
進路を変更して、キューを跳ぶように走らせる。

 情報は。罠ではないとは言い切れないが。
その供与を申し出た男は明確な利益が保障されている限り
その利益を見限るような人間ではないのをナインは知っていた。

 彼は、出世の為に脱獄囚の手助けをすると言い放った。

その為に出来上がっているグレンの段取りを嗅ぎ付け。それに乗るとも。

 『──どうせ、毒がすぐに廻って
禁騎士団はこぞって眼を瞑るようになる、が、禁騎士と接触をしないに越した事はない。
金を払うんだ。出来る限り騎士輩との接触は避けろよ──。

──出来るんだろうな?』

 シャックスの声を思い出してニタリと笑うと、ナインはキューを跳躍させ、
見惚れるほど長い滞空時間を利用して胡坐をかく姿勢をキューに作らせると
態勢を戻し、整地されていない大地に飛び降りて、戯れに砂埃を巻き上げる。

 「頭下げて金を払う癖に生意気な事言いやがって。
俺を誰だと思ってンだ。
完璧な仕事で貰える限り取れる限り、取れるモンを分捕ってやらあ」

 キューの脚部、踵に付いた車輪と爪先に仕込まれた車輪が回転し、
キューは滑るように大地の上を走る。