04.what your name





 市民の、避難所への一時避難が終わったシール市の、主な通りは、今や無人のゴーストタウンの様相を呈していた。

 殆どの市民は広大な軍事基地への避難をしたが、学校や公共の施設なども避難所として提供され、
歩兵、それに規模の大きい設備に限っては魔装鎧の警備が配備されている。
有事の際の段取りの計画と実行は、非常にスムーズに機能していると言えるだろうか。

 モアブとガラのグラデスは、すっかり灯火の消え、死の匂いが隠微に漂う街を、金属の堅い質感の足音を響かせて闊歩する。

モアブのグラデスが、見通しの悪い、商店街の屋根つきの通りの入り口手前で立ち止まって、サブマシンガンに取り付けた
魔法光源により発光するライトで通りの手前から奥を照らし、異常の認められないことを確かめると、また歩き出す。

 グラデスの装備するコモン・アーマーの標準規格の武器の一つであるサブマシンガンの設計と
主要なパーツの生産は北方の機械工業の発達したアズィーゼムス民主主義連合国で行われ、
同国の制式武装にもほぼ同じモデルの物が採用されているものである。
魔装鎧レベルでは著しく火力の小さい武器であり、魔装式の火器と比較してエネルギー効率は冗談のように悪いと言っても、
サイズは大砲並である。弾丸が有る限り、その、大砲並の威力の有る攻撃を機構により自動的に実行できる事を
ほぼ確実に約束された火器であることには変わりなく
乗員にとってはコモン・アーマーの限られたジェネレータ出力を割かずに済む頼れる相棒といえる。
その、硬いシルエットを前に突き出して身を守るように堅く身構えたグラデス二機は慎重に歩みを重ねる。

 グラデスが魔装鎧のなかでは著しく小型な方だといっても、
それでも直立した時の頭部までの全高は、成人男性の四倍近い。
ただでさえ広いとはいえない商店街の通りを身を硬くして歩くグラデスの姿に、
軒の前に詰まれた棚や、看板、それに天井に接触しそうな息苦しさが付きまとうのも自然な事だろう。

 「ルサンチマンが人間に寄生をするのが、寄生型ルサンチマンって云うけどさ」

 モアブが沈黙か息苦しさに耐えかねたのか、ガラのグラデスに通信を入れる。
ガラの白いグラデスが続く言葉を促すように首をぐるりと三百六十度、横に回転させるのがモアブの目に認められた。

 「どういうところから入ってくるのかね?」

 「俺の知ってる限りだと…」

 ガラの言葉にうん、と呟いてモアブが今度は自分のグラデスの首をぐるりと廻してみせる。

 「特に余力を持ってるローカルマザーが生み出す、大型ルサンチマンから産まれた小型ルサンチマンだな、
どれが寄生型を製造できるのか、できるようになったのか。
見た目や行動で区別する手段は現在のところ、ない。
こいつがまたまた小さく小さく分裂して昆虫並みのサイズになる。
産まれたこいつ等は体重が軽いから空だって飛ぶし、とにかく脚が早い。
ルサンチマンの兵団から作り出される先遣部隊ってわけだな。
で…人間がどうかすると…いや…どうかしないと見落とすサイズだから、
どこからでも入ってくる。それこそ、城壁なんていうのもあってなしが如しだ…
で、これが飲み水に混じってたり食い物の中に混じって、気づかないうちに取ってしまった場合…
ルサンチマンとその人間が適合してしまうと、ルサンチマンに、肉体を借りこまれてアウト、さ」

 「ぞっとしない話だなぁ…」

 モアブがコクピットの中で首を竦めると唇を噛んで呟く。自分が知らない間に、素性もわからない
グロテスクな化け物になるのは御免こうむるというのは、偽らざる人間の心だろう

 「まぁ、寄生をしていない状態の寄生型の個体の寿命は半日で長いほう…と
著しく短いのと、体内に入れても八割強の人間は適合しない…って、
俺たちにとって救いみたいな話も、統計としてあがってるんだけどね」

 「それはナイトガルドの厚生庁が言ってたね、グーヴァイン市の時に」

 「グーヴァイン市は壊滅してるから、たいした説得力だけど、信憑性のある統計らしいぜ」

 ぐびり、とモアブが生唾を飲み込んだ。

 「ルサンチマンに取り込まれちまう人とさ、
取り込まれないで無事でいられる人…その違いは、なんなんだろうな」

 「体内に入ってルサンチマンが体内で死んだりしてって
言うのも無事な方には数として入るんだけど…どうだろう、侵食されてしまう人ってのは
老若男女すべてむらなく例があって…」

 うん、とモアブがまた相槌を打つ。

 「いい人、って言うのが多いってえ俗説はあるね」

 「いい人ねえ…まぁ、いい人っつってもいろいろよね」

 「当てにはならない、評価だよな」

 ハハハ、とガラが自分の言葉に白けた様な、乾いた笑い声を立てると、
モアブのサブマシンガンの光が、正面に壁を照らしていつの間にか道を迂回するポイントまで、
二人のグラデスが歩いて来たことを告げる。

 右回りだっけ?とモアブがガラに問うて、
一応グラデスの胴を旋回させて、反対側の狭い道も目視する。

 なにかが、ライトの光の届かない道の奥で、
夜の姿を借りてその視野を駆けた、とモアブは感じた。

 その感覚は、こめかみの辺りから鼻に通電したような感覚でもって本能で感じた危険をモアブに知らせ…
彼の神経が、全身の毛穴を開かせたのを知覚する。

 「これ、こいつ…ッ!ガラッ!」

 焦燥して裏返ったモアブの絶叫を掻き消すように、
絹を裂くような音がして、その【何か】が動いた辺りから閃光が走る。

 瞬間、昼間になったかの様な光を辺りに放つ閃光は
モアブのグラデスの右腕を捉え、バシャアンと音を立てたグラデスの右椀部は
火花を共として肘から下をサブマシンガンごと吹き飛ばされていた。

 その閃光を目の当たりにして、状況を悟ったガラは、反射的にグラデスの構えを開き、脚部を突っ張らせると、
サブマシンガンの引き金を閃光の発した辺りに向けて絞らせる。

 夜を剥ぎ取る連続した爆音と発射の閃光の中に、
恐ろしく巨大な、犬のようなシルエットが弾丸を避けてグラデスの右手側に大きく跳ねたのが
ガラの目に認められた。

 「モアブ!いけるか!?」

 雷撃に腕を粉砕されたモアブのグラデスが姿勢を戻すと、
腰部の短剣を引き抜いて、左手首に内装された小型機関銃…人間が携行するものと同じ口径で有るため、
手持ち武器のサブマシンガンと比較して破壊力は極小である…を、発射して正面を牽制する。

 「いけるも何も、行かなければ、やられちまう!」

 その牽制の弾丸を幾度かジャンプして潜り抜けた【それ】が
ガラのライトの作り出す光のステージに躍り出る

 あと一度の跳躍で、
モアブのグラデスに触れんばかりの距離まで接近した【その】異形を前にして、
それぞれのグラデスにモアブは短剣を、ガラはサブマシンガンを構えなおさせて、間合いを計る。

 眼を見開く彼らの前に今、異形は立ち塞がる。

 己のすがたの全容を明かさんと照らされる光の前に晒した
その異形の形は、二人の心臓を鷲掴みにして恐怖という恫喝を与えるに十分な威力を有していた。

 犬のように見えたシルエットは、確かに四本足に似た形ではあるが巨大で発達した後肢に比べ、前足は細く、
肘より先を曲げて持ち上げて、極端な前傾姿勢を重い後ろ側の半身でバランスをとり、起こしている。
体毛のない猿といった様相の全身であるが、頭部はなく、代わりに薔薇の花を思わせる、並んで襞となった、 隆起した薄い肉片の集まり…それがそこに居座り、それぞれ細かく震え、蠢めいている。

 首から下も、よく見れば正しい生き物の形をしていない。

 身体を起こしているところから、背骨らしきものはあるのだろうが、先ず腹にあたる部分は極端にえぐれ、
腸や胃を持っていないことを伝える。
脚部、胸部は表皮を持たず、むき出しの筋肉組織が脈動を見せ、腰の骨はやたらと小さく、
不自然に小さな腰が巨大な脛を支えている、前足と脛には、体毛さえあるが…それらは針金のように太く、
それぞれの四肢の先端には一見して数がわからない程の数の指が生えている。

 全身は油でも塗ったようにつやつやと輝き…得体のしれない体液を全身の表皮から足元にダラダラとたらして、
二機のグラデスを睥睨する、そのおぞましい異形の、
頭部の肉の襞が縦に割れ、そこに人間のものの様な歯と舌が並んで居る二人の目にも見て取れた。

 【それ】こそ、モアブとガラがその存在を話題に上げた…
寄生型ルサンチマン、と呼ばれるものである。

 個体によりおびただしく形が違い、能力も差異は生じるが…
ザノン達の相手にしたものは、変態の途中であったために
二人の戦力で浄化する事が出来たが、こうなると話は変わって来る。

 すべての個体に共通して言える事は猛獣すら凌ぐ身体能力と、
人間が道具を触媒としないと使えない魔法を彼らは少ない種類であるが、
己の能力として使うことが出来る、という点だ。

 「…こちら、北エリア警邏組だ、騎士団付属学校の通りに、ルサンチマンが出た!」

 モアブとガラは機体に入った通信に背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 「数がッ、数が多い…コモン二機じゃあ!」  通信の内容は恐ろしいことを叫んでいる。

 しかし、今この目の前の敵から一瞬でも意識を逸らせば二人とも命はない、
そう、二人の本能は叫んでいた。

 二人を威嚇するように、身体を震わせてルサンチマンが高くおぞましい声で吼えた。

 それを合図とするように、モアブのグラデスが地を蹴り、ガラのサブマシンガンの銃口が火を噴く。

 「応援…たぢゅば」  モアブとガラの耳に、胡桃を砕くような硬い音と、ぐるると蛙が鳴いた様な、乗員の喉の鳴った音を残して通信は掻き消えた。







 「眠いわ、でも、どうやら…スタンバイできたようね」

 マリーが、骨盤に手を当てて胸を張ると、白い装甲の魔装鎧を見上げて得意そうに呟く。

 座した姿勢で、背中を機体固定用ハンガーに固定されたその機体は、周囲の夜を吸い込んでなお余りある
高貴な白の装甲を全身に纏い、人間達を見下ろしている。

 曲面の多い装甲は非常に人間のシルエットに近く、
腹部が著しく細い他はまるで、甲冑を全身に着込んだ騎士が巨人になったようないでたちである。

 腰には二本の太刀が据えつけられたその機体、
細い腹部にぽっかりと穴が開き、そこには人間が納まるスペースがあることが見て取れ…
その上の胸部装甲をはさんで、鎮座する頭部には装飾も何もない…美しい楕円の兜をかぶった様な頭部が乗っている。

その頭部には一切装飾は施されておらず、顔に当たる部分は、僅かに凹凸はあるらしい陰影は見て取れるが…
のっぺらぼうといった印象であることには変わりない。
 その、 命あるものと錯覚しそうな独特の存在感のある機体を見上げて、

マリーの横合いから声を上げたものがある。

 「マリー先生が、こんなにすごいなんて…私、しりませんでしたよ」

 機材の詰まった箱を肩に掛けてヒサノはすっかり眠気の覚めた態でマリーに大輪の花の様な笑顔を贈る。

 「おばさんにはいろいろ秘密が有るものよ、ふふっ…。
秘密は持つなら、こうやって人の役にたつものがいいわね。
こんな風に尊敬してもらえるもの」

 マリーがヒサノの頭をぽんぽんと軽く撫でて、、魔装鎧の頭部の足場に張り付いているパイスタスに声を上げる。
 「とりあえずこれで、運動能力は八割でるし通常兵器は全部使えるはずよね?
まったく…こんなややこしい機体を堂々と学校で弄繰り回して!」

 パイスタスが手を口にあてがって、あ、と虚空を見上げ、耳朶の金属板に指を掛ける。

 「いやア、助かったア、マリー先生。
やっぱりカリバーンの基礎設計者だけありますわ、ありがとう!」

 その言葉を通信で聞くと、マリーはちょっとバツが悪そうに首を竦め
「あ、ヒサノ・クラン。こっちはもういいわ。
お礼に今度、貴方にマルチ・マジックピアスをしあげてあげるわね」
と、ヒサノの頬を掌で撫でる。

 「はぁい、ありがとうございます」

 ヒサノは頬を撫でたマリーの右の掌を軽く右手で握ると踵を返して、整備兵用の出口に向かって歩いていった。

 「ま、マニアじゃなきゃ普通の学生はカリバーンのことなんか知らない…か。
でも、この子、なんて名前なんです?カリバーンU?」

 「ちょいとちがいまさぁね。まぁ今は大声でいえない名前なんですがね…こいつの名前は」

 パイスタスの言葉を途中で掻き消して、校内に警報が鳴り響く。

 パイスタスとマリーは反射的に周囲を見渡す。

 「なにごと!?」

 マリーが思わず声を尖らせて発したその問いに答えるように、
校内に放送が流れる。

 「校内の皆様に、緊急のお知らせです。
シール市内に同時多発的にルサンチマンが出現しました。
また、当学園内でも、只今ルサンチマンの出現が確認されました。
現在、歩兵戦力、魔装鎧が鎮圧に当たっています、
指定された避難場所から動かずに、鎮圧をお待ち下さい
決して動揺なさらずに、落ち着いて鎮圧をお待ち下さい」

 「嘘でしょ!?」

 放送を聞いてマリーの顔が蒼白になる。

 「…ここは魔装鎧の警備も厚いし、ここからは、地下の避難所はすぐです、
ヒサノを連れ戻して行きましょう、マリー先生!」

 普段冷静な彼女が何にここまで動揺したのか把握できずに、パイスタスはマリーに脱出を促す

 「そうじゃないのよ!ここから離れた医務室に怪我人がひとり寝ているの!」

 うっ、とパイストスが言葉に詰まる。

 「街中で突然出てくるなんて寄生型以外にありえないでしょ…
一時発生は歩兵が鎮圧したのに時間差で、寄生型が出てくるなんて…」

 狼狽して肩を震わせるマリーを見て、パイスタスは耳朶の金属板に指を掛けて怒鳴る。

 「おい、誰か!整備棟警護の魔装鎧を一機、
東ブロックに向かわせてくれ!東棟の中央校舎医務室に人が残ってるはずだ!」

 間髪いれずに少年の声がパイスタスへと返ってくる。
 「学園所属、シビリアーのアッシュ・ジン、了解しました!」

 二三秒の沈黙を置いて、今度はハスキーな女性の声が返ってくる。

 「学生だけじゃ心細い、東棟に近い騎士団歩兵部隊所属、メィジェンが歩兵五人を連れて行く」





 「ペイン卿」  進軍を始めたシール市南方の前線部隊、その指揮を執るペイン機にグレンから通信が入る。

 押し殺しているもののその通信の声には、憔悴の色がある、とペインは見て取った。

 「お心は判っております、グレン卿。
我々が守る街が内側から食い破られては元も子もありません。」

 「はい、ここから急速離脱できる能力はこの機体にはあるようです、
この事態を鎮圧するために市に戻る事をお許し戴きたい」

 ペインは深く頷く。

 「ノーブルでないのが残念ですが、そこは御身の天貫く武功で補っていただきたい。
シール市を頼みますぞ、グレン卿」

 答えを聞くと、グレンの搭乗したダィンスレーRの黒色の機体の足元で、渦の様に土埃が巻き上がり…
彼の機体は音もなく宙に浮き上がる。

 「短時三次元戦闘モード、武装へのエネルギー供給カット、目標はシール市盾の騎士団基地…
いや、盾の騎士団付属魔装学園…」

 グレンは機体を空中で旋回させると、後方、かすかに見えるシール市の城壁をその大鳳の翼のような目で見やる。

 「ペイン卿のお心に答えさせて戴きます!」

 ペインの耳にその声が届いた時には、すでにグレンの機体はグレンの声を虚空に残し、
もう地上からの流れ星となって夜空に消えていた。

 「シール市の!聞こえるか!こちらはゴールデンコヨーテ、エクス班だ。まだ距離はあるが挨拶だけはしておく!」

 入れ替わりに、やけにくぐもった声がペインの耳に通信となって響く。

 「うむ、魔装鎧部隊の指揮を預かるペインだ。エクス・ノア、久しぶり…と
言いたいところだが、まだ気を抜くなよ?そちらの走っている距離の方がルサンチマンの集団によほど近いのだからな。
足止めは、してもらう。だが、合流するまでにそちらの数は減らさないでおいていてもらいたい。自信の程はどうだ」

 ペインは承知して打ち消す事を許さぬ無茶を言うが、その言葉にフッフとくぐもった笑いが返ってくる。

 「騎士様、誰に言ってるか判ってると思うが…俺らはあんたがたの
百倍はルサンチマンを浄化してるんだぜ?まぁ、手並みを見てもらおうか」

 エクスの言葉は、どうやら自信満々の肯定と取れる返事である。

 「武運のあることを祈っておるぞ、コヨーテ共」

 「自分の分を落とすなよ、ペイン・オールトー」





 くぐもった爆発音と、微かな人の声のような音で、ザノンは飛び起きる。

 ずきずきと痛む肋骨を押さえ、ベッドからゆっくりと降りるとザノンはベッドを囲むカーテンの向こうに頭を出す。

 「…先生?」

 消灯された室内には、人の空気も、返答もなく、微かな月明かりの醸すうそ寒い薄闇の中に
薬のにおいが陰鬱に立ち込めているだけである。

 今の音は幻ではなかったとザノンは、窓の近くに足音を忍ばせて近寄る。

 そこから慎重に外を見てザノンは、その者らの姿を窓の外、遠方に認めた。

 影絵のようなおぼろげなシルエットしかザノンの眼には認められなかったが、それだけで十分だった。
あの禍々しいシルエットが歩き回るなど、この世に、ほかのどんな存在も出来はしない芸当であろう。
ザノンは思わず、固唾を飲み込む。
窓の外に、ルサンチマンがいるのをザノンは確かめたのだ。

 ベッドまで戻ると、ザノンは自分の拳銃を卓上から、
上着をハンガーから取って、自分の首飾りのペンダントトップを指で摘む。

 「盾の学園一年、ザノン・シールです。今、東棟の医務室にいるんですけど」

 声が、少し震えたのが自分でもわかった。この荒々しく脈を打つ心臓の音をルサンチマンに聞かれはしないか、
とザノンは一瞬荒唐無稽な恐ろしい想像を巡らせる。
しかし、その恐怖をなぞって進歩をしてきたのが今日のルサンチマンなのだ。前例だけで戦い抜ける相手ではない
…そういう敵なのだ、あれらは。
人間が前例に寄りかかった瞬間に虚をついて、掟破りをする。
それはまるで人間の持つ愛すべき狡猾さと鏡写しのようである…とザノンは感じた。

 「アッシュだ、シビリアーと歩兵とで今そっちに迎えにいってる、
まだ部屋から出るのは早い。後五分ばかり待って、通信があったら入り口に出てきてくれ」

 通信に返事を返してきたのは級友のアッシュである。
 彼の声も、緊迫を映してか硬い質感を伴っていた。

 「窓の外、見てみたよ。ルサンチマンが新しく、出たのか…!」

 「ああ、また出た。じゃなきゃ人一人迎えにいくのに
シビリアーまで回す事はなかったろう。無茶しないで絶対にそこを動くんじゃないぞ?いいな」

 「気をつけて…」

 ザノンが忠告をアッシュに送ると、また、先ほどと同じような爆発音がして…悲鳴が遠くから聞こえた。

 今度は、間違いなく人の声だと確信が出来るほどの絶叫。
断末魔…?

その声に聞き覚えがあると感じたザノンの肌が、毛穴を開いて鳥肌を立てる。

 「アッシュ、御免、やっぱり無理!人が他にもいるみたいだ!」

 「お前ザノン!待てよ!行くなって!」

 もはや臆面もなく、ザノンは勢いよく医務室の引き戸をばんと音をさせて開く。

 音の聞こえた方へ、声のした方へ、ザノンが考えるより先に彼の脚が出る。

 深夜の学園の廊下にザノンの走る音だけがこだまする。

 左右に伸びる曲がり角で、どっち、と一瞬ザノンはたたらを踏むが、
なんともいえない微妙な…石の砕けた匂いとでも言おうか、

そういったものが漂ってきているのを感じ、ザノンは集中する。
右側の廊下から風が流れてきたように、ザノンの肌は感じ取って彼は床を蹴って右の曲がり角へと飛び出す。

 胸の痛みを殺し疾走するザノンの眼は、廊下の遥か向こうに、異変があるのを捉えた。

 壁が砕けて、人が通れるほどの風穴が開き、崩れた壁と天井の破片が
廊下におびただしく散乱し、積み重なっているのだ。

 ザノンの肌にまた、鳥肌が立つ…。

 その破片の傍まで走り寄ったザノンは、
赤い液体が飛散し、肉の欠片と思しきものが床と壁の至る所にこびりついているのを目の当たりにした。
生物の内側の臭いの充満する空間で、息を止めてザノンは悲鳴をやっとの思いで堪える。

 首を左右に回して、ザノンは、生命の存在が残っていることを確かめたい、と願った。

 汗が、知らぬ間に噴き出ている。

 折れた肋骨の醸す痛みは今は、壁一枚向こうのものである、とそう感じられた。

 膝から下が笑うのを抑えられない。


…何故僕の膝は笑う!何が可笑しいって言うんだ!


 「だれか…ッ!」

 ザノンはもう、そこいらにルサンチマンが残っているかもしれない、という思考も押しのけて声を上げていた。

 「人はいますか!生きていますか…ッ!返事をしてください!だれか…ッ!」

 ザノンの膝から下の震えは、もはや全身に伝染していた。
歯の根ががちがちと鳴るのを知りながらも、ザノンはそれを抑えることができない。

 血の海となった破片の中でなにか小さなものが動いた、とザノンはその視覚の隅に捉える。

 ザノンは返答を待たず、破片を飛び越えてそこに走り寄る。

 「委員長…!」

 胸から下を破片に挟まれて、身動きの出来ない格好になって血の海に沈んでいる級友、イブの姿がそこにあった。

 息も絶え絶えになりながら、イブは顔を起こす。
ポン、と湿り気の有る音を鳴らして開いた彼女の唇、血まみれの口を開くイブの前歯は折れて、なくなっている。 顔を起こした彼女の右目は、半分ぶら下がるようにして眼窩から抜け落ち掛かっていた。
骨が潰れて形を守らなくなった鼻の鼻腔からは惜しげもなくどくどくと血が溢れ出ている。
彼女の白い肌は無残に汚れ、めくれ上がった傷、どす黒く変色を始めた血と、糸を引く透明なリンパ液と、 それに鮮烈なピンク色の筋肉にくとが、イブの顔を死の気配で彩っている。

 四肢の先まで届いた震えは、今度はザノンの体の中枢を目指すように、痺れたような感覚を伴って指先から襲ってくる。
そのようにザノンには感じられた。

 「ザノン君…?違ったら、ごめんね。目がさ、よく見えなくて…」

 ヒュウ、ヒュウと風の抜けたような音ともに声を上げるイブの、残った左目の焦点も虚ろだ。

 「委員長…今、助け出します…少しだけ我慢してて…」

 ザノンは、イブの直上の破片に手を掛ける。

 イブは、微かに首を横に揺らした。
もうそれだけの力しか残っていないのだろう。

 「ごめんね、私…もうお腹から下、なにも無いみたいに感じるの」

 「駄目です、そんなので諦めるのなんて…」

 諦念を覗かせたイブの言葉に、ザノンが間髪入れずに答える。

 「ザノン君、あのね─」

 イブは、残る力を振り絞るように、小さな声で、ザノンの名前を呼んだ。

 「喋るな!…」

 反射的に怒鳴り声を上げたザノンは、ぎゅうと硬く眼を瞑って破片に掛けた手に、腕に、全身の力を込める。
肋骨の痛みが、その、筋肉の硬直を遮ってザノンの前に立ちふさがる。ザノンは奥歯をぎりと噛み締めた。

 「…喋らないで下さい…今、助けるから、あとで話してください…
…お願いです」

 「さき、きつい事言たの、気にしないでね。
ほんとは、あんな事言いたかたんじゃ、くて…そう」

 イブの荒い息の間隔が短くなっているとザノンは感じた。

 イブが、一拍置いて声を、上げた。

 「皆で、一緒に、頑張らないとっ、て、思てたんだ」

 耐え切れず眼を開いたザノンの眼から、抑える事の出来ない熱い物が零れる。
とめどなくあふれるそれは、頬を伝い、床に落ちて、床に広がる血の絨毯に混じった。

 「うん、委員長は真面目だからって─判ってるよ…大丈夫」

 ザノンは破片を持ち上げようと再び腕に全力を込めるが…
破片は少し持ち上がるばかりで無情に、居るべき所に居座っているだけである。

 「泣いてる?」

 「泣いてない、よ。判ってるのに、どうして、僕が…泣くのさ」

 やっぱり、ザノンの声は震えていた。

 涙を手の甲で払ったザノンの眼と、イブの眼が偶然合った。

 「死ぬところなんか見せ、たら」

 にこり、とイブが笑った。

 ああ
彼女は、この笑顔を表してくれる事に残る力の全てを傾けたのだ、とザノンは感じた。

その笑顔は、彼女を誰よりも美しい笑顔の女性だとザノンに感じさせた。

 「一生、忘れられないよ…ね、
ザノン君。許、してね…」

 起こしていた顔を、糸が切れるようにイブは血の海に沈めた。

 イブの頭が床にぶつかる、ごん、という音がザノンの中の絶望を喚起する。

 「イブ・ヒューズ…」

 ザノンは思わず、血の海の中に跪く。

 「イブ・ヒューズ…僕はまた一つ、影に、人の魂を引きずらないといけなくなる… 起きてよ、イブ・ヒューズ…
続いていて欲しいんだ。嫌なんだ、終わらないでよ、お願いだ…」

 ザノンは、まだ熱の残るイブの血まみれの柔らかい手を掴み、引く。

 もはや、何の力も働かない腕は、引っ張られるままにぴんと張って、
それから滑ってまた、もとの床に滑り落ちる。

 壁にあいた風穴から、巨大な影が覗く。

 ザノンはゆっくりとそちらを振り向いた。

 恐らく、この辺を徘徊していたルサンチマンだろう。
ザノンを見下ろす八本脚の蜘蛛に似た巨大なシルエットを持つルサンチマンの…瘤のような頭部がぐにゃりと歪む。
ザノンは、ゆっくりと立ち上がった。
歪み、何かを形作ろうとしているルサンチマンを睨みすえてザノンは上着から拳銃を引き抜いて、構えた。

見る間に、ルサンチマンの頭部は、蠢き、変形してたった今命を落としたイブの顔を忠実に模写して、
その頭部に同じ形を再現させた。

 「…なんなんだ、お前たちは…」

 ザノンが、臓腑から言葉を搾り出す。

 「人間だって!そこまではしないだろう!
ふざけているのか!?
許さないぞ!殺されても、絶対に、そんな事を許さない!」

 ザノンが捨て鉢になって拳銃の引き金を引くと、ルサンチマンが一声吼える。

 ザノンが死を覚悟すると同時に連続した破裂音と、耳を灼く爆音が辺りを貫いた。。
 ルサンチマンに有効打を与える何かが着弾したと見えて、ルサンチマンの巨体は横飛びに吹き飛ばされる。

 何、とザノンが立ち上がると、壁の風穴から魔装鎧、コモン・アーマー、シビリアーが
ルサンチマンに勢い良く殺到して蹴り飛ばし、さらに吹き飛ばすのが見える。

 「先手必勝!…メイジェンさん、そこの穴の内側に生存者!」

 コクピットから拡声器で叫んだのは、級友のアッシュだろう。

先ほどみたルサンチマンも片付けてきたのだとしたら、恐るべき才能を発揮していると言わざるを得ない。

 ルサンチマンが吹き飛ばされてザノンの視界から、壁に遮られて見えなくなるのと同時に、

プラチナブロンドの女性騎士が長い銃を手に持って風穴から校舎内側に飛び込んでくる。

 「無事か、少年!」

 「僕は…僕だけは、無事です…他の人は…」

 「…そうか…」

 女性騎士は、頭の後ろに傾けていたヘルムを被り、地獄と化した周囲をぐるりと見渡す。

 「寝具を倉庫から調達しに来た子等、か…残念ながらそのようだな…」

 ルサンチマンが、騎士と魔装鎧のしいた火線に蹂躙され、断末魔を上げたのがザノンの耳にも届いた。

 ザノンが、拳銃を持ったままその場にへたり込む。

 「僕は…死んでしまいたい…また、残されてこの先もこんな思いをしていくくらいなら…」

 チッ、とメイジェンが舌打ちをするとヘルムを外す。
そうしておいて彼女は、ザノンの詰襟の上着を掴んで強引に引きずり起こす。

 「バカを言うな!残されたものが戦死した人の後追いなどしていたら、
人間はどうやって世代を重ねるのだ!」

 額をぶつけんばかりに顔を近づけて、メイジェンはザノンの瞳の奥を見据えるように瞳を真っ直ぐに据え、
言葉を続ける。

「人間を、棄てるな。お互いに託すものがあるからこそ、我々は人間なんだ。
孤独と、その種子を蒔くのは、ルサンチマンを育てるだけだぞ」

 ザノンを、強い眼力で捉えたまま、メイジェンは一気に言葉をまくし立てて、
ザノンをその腕で力強く抱きしめる。

 「少年、よく生きていた。…いいな、生きていくんだ、私たちは。人間の作った世界を失わない為に」







 「何体出るんだ、こいつら!」

   騎士団所属の魔装鎧、アンコモンアーマー、フラ・ベルジャタイプのパイロットがルサンチマンを剣で切り捨てて叫ぶ。
整備棟が、ルサンチマンの集団に襲撃を受けているのだ。人の集まっている地下多目的ホールがこの近くにあるだけではない…。

 学園の所有する戦力が、殆どこの場所に集まっていることもあり、この場所が襲撃を受けるという事は
今、この場にいる人間達にとって二重三重に深い意味を持つ。

 フラ・ベルジャの背後でなにかが崩れる爆音が響く。

 「!こいつら!九番ドックを!」

 警護部隊の手から抜け出たルサンチマンが、攻撃魔法で九番ドックの壁を崩しにかかったのだ。

 フラ・ベルジャの兵士は動揺して剣とは反対側の手に持ったアサルトライフルを、壁の間際にいるルサンチマンに向ける。

 学生の駆るシビリアー二体が、フラ・ベルジャの背後を素早く固めると、
シビリアーよりふた周り大型のフラ・ベルジャの手のアサルトライフルの銃口が火を噴いた。

 「フラ・ベルジャ六番機、フェザー!飛ばしすぎないで!敵はまだまだいるのよ!」

 やや離れたルサンチマンを相手にする僚友からの通信を聞いてフラ・ベルジャのパイロットは語気を荒げる。

 「フラ・ベルジャ五番機、ウーネル!ドックがやられちまいそうなんだぞ!」

 「騎士団の人、アッシュ・ジンのシビリアーが戻りました!
パイロットが一人いますので、ドックの中の余ったシビリアーを出させます!」

 アッシュが状況の混乱を見て、フェザーのフラ・ベルジャに通信を入れる。

 ドックの広い門の傍で、アッシュのシビリアーが膝を折って、コクピットハッチを開放する。
下腹部のコクピットハッチから飛び降りて、ダン、と地に脚をつけるとザノンの胸に痛みが上ってくる。
しかし、大げさに痛がっていられる状況でもない。ザノンは脚を二三度踏み鳴らして痛みを堪える。

 「じゃーな、ザノン。俺は向こうを手伝ってくるぜ、シビリアーを出したら手伝いに来てくれ。
あいつらを何とかして、委員長やみんな、早くちゃんと眠らせてやりたいからな」

 わかった、と短く答えると、ザノンは通用口から
ドックの中に飛び込み、アッシュはコクピットハッチを閉じて、機体を旋回させる。

 「整備の人!使えるシビリアーはどれです!?」  ザノンが手近で慌しく働いている騎士団の整備兵を捕まえて問うが、

 「バカやろお!九番ドックはシビリアーじゃないぞ!」と、尖った返事が返ってくる。

 「今から離れた他のドックになんかいってられません!
そこのハンガーにある機体、借りますね!」

 あ、待てと整備兵はザノンの背中を捕まえようとするがザノンは猛烈な速さで奥に駆けていってしまっている。

 「アストラン、弾薬が切れた!準備しといてくれ!フラ・ベルジャ四番機が直ぐ取りにいく!」

 追いかけようとした整備兵…アストラン・ジョーイ・ソートの耳に通信が入る。

 「え、…わあったよ!早くしろよな!」

 息を切らせて、ハンガーに飛び込んだザノンは一目でその機体が魔装鎧の中で

最高級品であるノーブル・アーマーであることを悟った。

 「え…まずいかな…」

 気後れしながらも、ザノンはそのノーブルアーマーを見上げて、唾を一つ飲み込む。

 何かがぶつかったのか、九番ドックの建物がどしいんと音を立てて揺れ、鉄の骨組みが軋む。

 地震の様な揺れに慌てて体勢を立て直し、視線を下げさせられたザノンの視界に、
ノーブルマシンのコクピットハッチが、呼ぶ様に開いているのが飛び込んでくる。

 「後で謝れば、いい!」

 ザノンは、開放されたそのノーブル・アーマーのコクピットに飛び込み もはや殆どなにも考えずに、
コクピットハッチを閉じ、その白い機体の起動レバーを引くと、正面のコンソールに、
魔装鎧が起動待機状態に入っていることを告げる表示と…もう一つ、警告表示が表れているのを認めた。

 警告表示の下には、文字入力フィールドがブランクになっている事を示すカーソルが
チカチカと点滅を短い間隔で繰り返している。

 「名前がない…?僕がこいつに識別の為の名前をつけないと、待機状態が解除されないのか!」

 ザノンの脳裏を、先刻の委員長の笑った顔が掠めとんだ。
その前の、苦しそうに跪く少女と、その妹の泣き声を思い出した。
そして、あの日肉塊と化した自分の妹の可憐な笑顔を思い出し…
 次に、尊敬するグレンと…クロウス卿の背中を思い出した。

 ぐ、とザノンが身を乗り出す。

 「僕は…騎士に、盾になりたい。人を本当に守りきる事のできる盾に。
盾になって、人の悲しみを遮る事が、守りきることが、
僕自身の心にも…剣で切り裂かれるような痛みを遮る、
強い盾を作る事になるんだ!」

 勢いよく伸びるザノンの指がコンソールの表示の上に、素早く文字を描く。

 「使役者たる僕はザノン・シール…使役者として名付ける!
君の名前はアイギス!僕とともに行こう!」

 魔力増幅コンバーターが唸りを上げ、名を負うたノーブル・マシン【アイギス】のコンソールは起動完了の表示を示す。

 コンバーターと、ジェネレーターの鳴動とともに、連動してハンガーの固定具は跳ね上げられ、その白いマシンは立ち上がった。