047.Shadow Run:27_in_out





漁夫王の治めるテアマトウの、町外れ。 貧しいものが住まう木造長屋の一室。

机の上や棚、床に至るまで…部屋中あらゆる物、いたる場所には
埃が厚く積み重なっている。
埃の下に脂がこびり付いたまま、机の上に乱雑に積み上げられた食器の類が鈍く、凄絶に光っている。
なにもかも捨て置かれ、荒廃したこの場所。それは、その、象徴の様に欠けた食器は、光っていた。

  外界の光を取り込むはずの窓の前には、頓着も無しに棚板が腐って歪んだ、いかにも間に合わせの薄っぺらい本棚が鎮座して
硬そうなソファの上には脱ぎ捨てられた薄手のシャツやパンツが放り出されている。
 全てを放棄し、この狭い閉じた場所で澱み、沈み…歪む。
全てを閉じて、忘れられていく棺桶の様な…この部屋の主の精神が顕れているかの如し、もの悲しい空間。
 この場所は欠損と、停滞の気配は満ちて、循環の気配を見せない。

 この部屋の中心に鎮座するウィンザーチェアも、背棒の何本かは抜け、或いは割れ、折れてしまい塗装も所々剥げている。

 そのウィンザーチェアに、男が一人、セロの弓を手に腰掛けている。

 男は、眉間には切り傷と見まがうような深い皺を寄せていた。
中年らしき美男であるが、凶相というか、言い、表すなら悲相とか苦相だ…。
なにせ、薄汚れた蝋人形の様な顔色だ。

 不精で伸ばしたのだろう、正にザンバラと云った有様の長い髪の毛が顔の前にぶら下がっているのを男は気にかける様でもない。

胸元のボタンを一つ開いた垢じみたシャツの襟は草臥れてしまっていて、遠目には襟があるのかどうかさえ怪しい。

 まるで死人の様な顔色のその男は、奥歯を噛み締めている、
そのせいで顎の骨の付け根あたりが一見して突き出ているのが、
骨太なこの男に、それに相反した痩せた印象を与え
俯いた眼窩の奥、暗い炎の燃える瞳は妖しく、異様な精気を漲らせてぎらぎら光っている。

 古木の洞に、灯っているような、火。不自然な炎。

 その男は、眼前のセロのエンドピンを脚の甲で引き寄せ、
金属で出来ているかのような艶を持つ黒檀の指板に、頬ずりするような動作で顔を寄せる。
 男の、苦悩そのものと云った表情の持つ重苦しさと
何処か印象の通じるチェロの指板の色合いと
そして男の異様な眼の輝きが
渾然一体となってその空間に引力を作り出す。
ネガティブな、重い気配が、停滞していたこの部屋の時間を動かす。

 男がセロを支えているのか、あるいはこのセロが男を支えているのか。
俯いた男の代わりに真正面に高々と、堂々と駒を張り出させたセロの胴体の持つ
渋い色合いの光沢は、潮風の充満した港町で、その保全の難しさを物ともせずに
このセロに丁寧に執着する持ち主の姿を此処に暗喩している。

 確かに挿している僅かな光を反射して、鈍く、重い光沢をその身にたたえるセロが、弓を引いて掲げた持ち主と融けて一体になるシルエットが、
そこには鎮座していた。

 『お前を、産まなければ良かった…』

 ゴーシの耳元で彼に耳元で重く呟いたのが、物心ついて最初に記憶する母親、ククリの声だ。

ゴーシに向かって毎日の様に時には日に何度もその言葉を繰り返す。

些細な事が思い通りにならないだけで彼の母親は彼の首を絞め、或いは平手や握りこぶしで打ち
何度かは包丁を向け
『死ね』とか『消えてしまえ』
と叫んだ。

(彼女はそれを望んでいる、自分に取っても彼女から離れる事は利益になるのではないのだろうか)
母親の言葉を鵜呑みにした幼い日のゴーシは
幾度も母親の元から、突拍子もなく無軌道に家出を試みた。

 母親は、いつも彼を必死に捜した。

 近所から好かれている性質の人物ではなかったが、滅多に提げない頭を下げ
なけなしの現金を青年団の若衆や騎士にまで臆面も無くばら撒いて
その代わりに仕事や付き合いでの捜索を超える、可能な限りの範囲での尽力を哀れっぽく頼み込んだ。

 『あの子は、私が居てあげないと生きていけない子なんです。
何したって駄目で、生まれる前に父親に愛想を尽かされて
どこかに逃げ出されてしまう子なんだです。
私はあの子のせいでこんなに惨めで貧しい暮らしをしているのに
きっとあの子は常日頃それを不満に思っているのです。
探し出して、世の中はお前の望むようには生きていかせてはくれないことを
言って聞かせてやらなきゃなりません。
ひょっとすると居なくなった父親が、どうにかしてあの子と密かに連絡をつけているのかも…
そんな甘い話はないって、あの子は知らないんです。
どうか少しでも早く、見つけてやってください』

 そんな泣き落としで半年に一回は後生のお願いをゴーシの母親から持ち込まれる人々は
いつも何か一言二言は行ってやりたい様子で溜息をついたが
殆ど何も言わずに毎回手伝った。


「もういつものことじゃないか、
我々全員よりもお母さんがそれだけ必死に探しているんだ。きっとまたすぐに見つかるよ」と
体良く必要以上の協力を断ったとして、その場は渋々引き上げても何時間か後に
その、断った話をまるで今初めてする話のように後生ですからと頼みに来る母親が相手では
何も言わずに協力してやるほうが楽だと言う経験則も彼らの間にはあったのだ。
この哀れな母親の、哀れな一人息子を捜す手配をするのがもはや彼らの間では定まった慣習になっていた。
 毎日静かな憎しみと諦念、卑屈な感情を言葉にして押し付ける母は
日々の自分の成長を憎んでいる、と感じたゴーシは感情を隠して日々を送っていくようになっていた。

 ある時、転機が訪れる。

 彼が家出をした直後にテアマトウの渡来人が集中する区域に騎士団が大規模な介入を行ったのだ。
この介入はテアマトウの史上類を見ない程の規模の物で、テアマトウに常駐していた学究騎士団の召集が行われただけではなく
近隣の同盟領や王都直轄の騎士団のいくつかもこの介入に際して支援と派兵を行い、
最終的にはテアマトウ近海の海域での海戦にまで発展している。

 その介入の混乱に乗じて逃げ出した彼は、一文無しであり、テアマトウの外に出ようと城壁に向かう所を、見咎められ
緊張する市内の状況から頻繁に警邏に巡回するテアマトウ青年団にその身柄を抑えられたが
彼を捕まえた青年団の男は、遠くシール領からやってきた新顔だった。
テアマトウに移り住んで間もない彼は、彼ら母子の事情、青年団のしがらみへの関わりもそれだけ薄い。
ゴーシがどうもたまに物笑いの種になる子不孝の母親の息子と聞いて
哀れに思ったのか、旅の香具師一家の総領を務める騎士崩れへ縁故を頼りに預けてしまった。

 「はて、男のガキか…困ったな。
おい、何が出来るんだ、貴様」

 「掃除、洗濯、簡単な調理。あとは…わかりません」

 「ふん、そんなもんじゃねえかね。
おい、貴様。貴様は未明な部分は芸を習え」

 「なにをすればいいのでしょう」

 「貴様、人形みたいな顔で、随分元気が無いな。
それにそんなものは自分で探してやるもんだ、いちいち人に聞いて決める事じゃない。
…だが、何事も確かに最初が肝心でもある。われわれの事情もあって貴様とは都合が合う。
ううむ、貴様、がたいは悪くない。
実は、今、我々一家の楽団のセロの一人の体が悪くて往生しとる。セロがわかるか?
あの、一等大きな弦楽器だ。芸を磨けばソロでも客が取れる。当座の間は雑用とセロをやれ、どうだ」

 この、楽団の団長も兼ねる香具師一家の総領とのやり取りは明朗なものだったがゴーシはこの楽団で十年はしごかれた。
 最初、楽団の演奏にくわえて貰う事は少なかったが、封じていた感情を技術で表現できる音楽に彼は心底から傾倒し
朝も昼も、セロの練習に依存するようになる。
団員と諍いを起こし、
些細な出来事で感情を運動させ、
団長に耳から血が出るほど折檻される。
感情の運動を経験し、セロをごうごうと弾く。
セロに感情をぶつけていくうちに彼は感情を表に出す方法を思い出していった。

 着実にその技量を上げていったゴーシはやがて、楽団の看板の一人として知られるようになる。

 そして香具師一家の総領は体の衰えたのを理由に、一家の旅を終える。

 解散する別離の場所は、その場所を目指して集まってくる人々が居る。海と言う路も通じて。
そういった港湾の性質ゆえ渡来人を多く抱え、様々な人を許す事の出来る寛容さを持つ都市、
テアマトウが選ばれた。

 最後の挨拶に、輸送車両の一室に入ったゴーシに、十年前と比べて格段に髪の毛に白いものを増やし、皺を深くした総領はしみじみと聞いた。

 「おい、ゴーシ、貴様は今、何が出来るんだ」

 「掃除、洗濯、簡単な調理…あとは、セロを弾く技術を知っています」

 以前からこの質問の答えを決めていたゴーシは、万感の思いを込めて
総領にそう答えた。

 ごつごつした岩の様な顔、日焼けして浅黒い肌を破顔させて総領は笑った。

 「そうだ、お前はもう、独奏でも客が付く。
人に聞かなくたって何をすればいいのか知っているし、そうできる手段も持っている。
俺たちの一家は皆、一人前だ。好きな場所に好きなように行ける。食うための一つか二つを持ってナ。
自由な人生を送れ。

俺は、一応剣騎士資格はある、なれば俺は郷里に帰って毎日好きな釣りをして暮らす。
俺の郷里はグーヴァイン領の、緑の湖の湖畔だ、いいだろう。
おい…お前は、さしあたって何処へ行く?」

 「…母親の所へ」

 この一家にやってきた時の、最初の頼りないゴーシが息を吹き返すのではないか、
そういった懸念をゴーシの根底に案じているのか
総領は体を前に乗り出して手を軽く膝の高さで組むとゴーシの眼をじっと見て笑いながら聞いた。

 「そうか。ウン、そうだナ…。それからは、一緒に暮らすのか?」

 「わかりません。ただ…俺は」

 一人前だと認められても、それでも、迷いは有る。
ゴーシは総領の眼の奥に写る自分に、自分の深い色を探した。

 「母を憎んでいたのではないのだと、それだけは、伝えたいのです。私の得たセロで。あとは、それから考えます」

 確りと答えるゴーシの声には、彼の演奏の様な背骨を貫く強さが有った。
総領は、その答えを…答えと言うよりもその声を聞き、目の色を見て、満足げに頷いた。

 しかし、ゴーシが訪れた先、かつての自分の住まいは既に他の者が住み、結局ゴーシの母親はすでに病死していた。
テアマトウの集合墓地の、母の小さな墓を人づてに聞いて訪れて、その場所の前でゴーシは総領との約束の通り
セロを弾いた。枯葉が美しく風に舞っていたのを、彼は良く記憶している。

 やがて彼は、テアマトウで物語をテーマとした演奏を看板とする、立派な楽団の門を叩き、
二三年もすると、楽団の団員としても欠かせない人物となる。

  テアマトウではセロ弾きのソロと言えば、ゴーシだという評判は徐々に広がり
その時間はとても穏やかに、そしてとても穏やかに過ぎていった。

 ある時、テアマトウを訪れ、偶然彼の楽団の演奏に招かれたランサ・ロウが感激して演奏を終えた彼達の楽団を訪れた。

 『私は、芸術、芸能の教養を持ち合わせておりません。
芸術、芸能。そういわれるものを見て心を動かされる事など今までに有りませんでした。
何を見ても、聞いてもただ、そういうものがある、と
記憶するに留まるのみでした。それらの中に自分との共感を見つけることなど、今まで経験した事はありません』

 来賓として招かれたドレス姿のランサは美しい。。
ゴーシは新星の騎士ながら誰しもが熱を上げるのも理解できる、と恐縮したが
神の使いの乙女を思わせる騎士は独奏の熱狂の余韻が抜けないゴーシの手(演奏の為に手袋を外している)を取って
言葉を尽くして彼を褒め称えた。

 『だから興味がもてなかったのだと、私は自分の鈍感を恥じました。
貴方がすばらしい技術を持っていると人は言います、私にはその部分は、
何がどう凄いのかまるでわからない、判断の基準を恥ずかしながら持ち合わせていません』

 ランサが首を振ると頭の後ろに纏めて束ね上げた金髪がゴーシの眼を引いて
ゴーシは視線を左右に動かした。ゴーシだけではない、その時楽屋に居合わせた楽員達もランサに見惚れていた。

 『そんな私でも…あなた方の演奏や独奏を聞いていると、涙と一緒に美しい思い出が溢れてきました。
そして、経験し、通り過ぎたはずの過去に、わたしは心を動かされていました…。
こんな経験をした事は今までに一度もありませんし、どう言えばいいのか…』

 「ランサ卿。かたじけないお言葉です。
過去に聞いてきた演奏も、音楽に耳を傾け始めた貴方ならば。
今は、只通り過ぎる路傍の石ではなく。
きっと価値が見出せるものになっているのではないでしょうか。
そうであれば、幸いなのです。
私が自分の内なるものを表現して、
それを聞いた人が音楽に気付くきっかけになれたのなら。
すべての音楽の根底に、思いがあることに気付いて頂けたなら。
こんなに幸せな事はありません」

 ゴーシは、誇らしげに胸を張った。
張って、ランサ卿の握手に応える手に力を込める。

『ただ聞かせてもらっただけの私が言うのは正しい事なのでしょうか。
けれど、貴方の演奏に、物語によって私は、確かに感動を揺り起こされました。
この、素敵な思い出を下さったお礼の言葉を貴方に伝えるのが、今の私の気持ちに近いと思います』

 握手だけでは足りないという様子で、ランサは左の手も、ゴーシと握手をした手に重ねた。
薄手の手袋は、熱を持つランサの手の温度を貫徹させてゴーシの手に伝えていた。

 『…ありがとう』

 ランサの感謝の言葉をゴーシは昨日の事の様に思い返す。
その時、彼の栄光は、頂点にあった。

 悪い事に彼は、それを自覚してしまった。

それから半年ほど後の事。独奏の名手でもある彼を私的に王都の邸に招いた高位騎士が居る。

王都でも指折り数えられるほどの大物、資源と工業地帯の多い南方の地方の強固な支援地盤を背景に伸す、
法務庁長官ソボ・コウだ。

 ゴーシは、そこには家ほどもあるシャンデリアが眩しく光っていたのを良く覚えている。

 ランサの伝で頼まれたとはいえ、
ゴーシは、彼を招いた大俗物、この男の
ランサと違って敬意も何も感じられない言動、
それよりも尚芸能に生きる己を見下ろす視線。

それら全て、ゴーシを一流たらしめる要素、つまり
心の中の模様を。
芸能に生きる者らしい繊細さであったり、その芸能に向かう熱を生み出す屈折…
世の人と違い、他には何も持ち得ない者故の切実とストイックさをささくれさせていた。
 さらには幼少時の反動か、一人前だと言う驕りもあってか。
ゴーシは腹にものを貯めずに感情を正直にいってしまう特性を持ち始めていた。

 ランサも自分の居ない席で、ゴーシが貶められる事はない様に人をやっていたが
招いた主は注意深くその監視役の騎士を遠ざけて、演奏を終えて席と席を挨拶に廻るゴーシに接触した。

 「凄いね、その、バイオリンの大きい奴」

 わざとであろうか、ソボは顔こそ柔和に笑いながらも無知を装ってゴーシに話しかける。

ゴーシは少なくない金額をこの演奏会でソボから受け取っていた。
笑顔で繕った、見下ろす冷たい眼光は
まるでゴーシがへつらうさまを確かめに彼の下まで脚を運んだのだと言わんばかりだ。

 「聖騎士様は中々禁殿と、王城から出てこないので疎い…っつーか、楽器の名前を勉強することもないと見えやすな。
こいつは、セロでさぁ。大きさも全然違いやすし、何より先ず音が、ちがいやす」

 それを聞くと凝とソボを睨んで皮肉を返したゴーシである。
ランサの伝で来たのではなければここでもう無礼討ちにされてもおかしくは無い発言だったが
ソボに取ってもそれは同じ。
有力な騎士であり、強力な戦力を持つランサから紹介された人物をいきなり引っ立てるわけには行かない。

 ソボは、ゴーシが自分の名前と謝礼に惹かれて来たのだと錯覚したい。
この男がランサと同じように自分の事も尊敬し、畏れているという確信を得たい。

 「ふむ、そうなのか。来賓は喜んでくれたようだが…
そうわたしに細かい事を言うようでは、君は、わたしとは気があわないかもしれないね。
こうした催しには次も君を呼ぼうかと思ったものだが…」

 ソボは、やはり見下ろす視線でゴーシの顔を見る。

 「あたしらにはその細かいことが、大分大事なことでして。
ソボ卿も音楽を聞こうとする方なら次を喜んでお受けしたのですが」

 ゴーシは素っ気無く返事すると、ソボから離れようと会釈する。

 「芸術だの、芸能。物語に拘る人達と言うのはどうもこう。
細かい事に拘りすぎるから、現実では行き止りという人が多いんだろうね。
可哀想に。若い女の肌の発する引力を知らないのかな。
現実の方が妖精や魔女より、ずっと変わった女性が多くて面白いよ」

 通り過ぎたゴーシの背中に、にこやかな表情を崩さずにソボが言葉を投げかける。

 「…行き止まりすか」

 「君を推薦なさったランサ卿も、今一つ現実が見えないというか、ちょっと浮世離れしたところがあるしね」

 ゴーシを散々挑発しておいて、今度はソボが踵を返した。

「現実は死んでいた。精神は自由だったから、
今まで生きてこられた。精神で現実を越えた。夢を糧に」

 腹を立てたらしきゴーシが、役者の様に見事な大声を張り上げるて、立ち去ろうとするソボに噛み付く。
こめかみにズキンという痛みが起こるのを、ゴーシは知覚した。
退屈紛れに、すこし酒を舐めたのがいけなかった。
苛立ちで頭に酒の混じった血が上ったか。
ゴーシの剣幕に周囲の人々が顔を向ける。
華やかなりし席に似つかない、殺気と切実がそこには有った。

「あたしの見た限りじゃ、行けだ止まれだ、
他人様にだけあれこれうるせえ奴がのさばってる場所よりは広いし、
悲しみも喜びも、人の心のざまだけ変わった風景があって面白いようですわなぁ」

 これは駄目だ、決定的だ。ゴーシは頭の中で自分の言葉を押し留めようとするが
それを押し留めようとする理性より、最早屈辱を捨て置けない誇り高い自分の方が
ずっと、彼の中で力を持っていた。
彼の血はその時、理性の冷たさを忘れて灼けていた。
感情を殺す屈辱に、二度と屈したくない。
その思いを…表に現すのは過ちだったといえるだろう…。

 「現実とかいうものには、
あんたのようなのに思い通りにされちまった人や、あんたみたいなのが飽きるほどいて面白くない」

 額に手を当てて、ゴーシは負け惜しみを吐き捨てる。
ガシと彼の肩を、駆け寄ったランサ卿の配下の騎士が掴んで首を激しく横に振って見せた。

 「良識が無いね、君の言い草。招かれてその悪態か」

 「常識的?変わった奴は、面白いんじゃなかったんすか」

 しかし、それでも売り言葉に買い言葉は収まらない。

ゴーシ様、お話は拙者がお聞きしますゆえ、
ここは先ず謝ってくだされと口走ったランサの部下の言葉が、ゴーシの業腹をいよいよ強く燃え上がらせた。

 「赤の他人が行くか止まるかちらちらちらちら気にして、
何者だかもわからねえ相手に偉そうにしている奴の方が行き止まりに見えるんすわ、俺ャ」

 喚き散らすゴーシを抑えようとする騎士の姿に…自分が正しいと確信したらしきソボは、優雅に首を振り振り溜息をつく。
その動作を引き立てるような豪奢な服装のせいもあって彼の動作は芝居がかって大げさに見える。

 「可哀想に。やっぱり、足りないんだね、遺伝か、何か。…決定的に足りないんだろう。
だから、物語だとか芸能、芸術なんて何も生み出さないものに走って、出てこれないんだ」

 ──足りない?ナンだ、足りないだ?──

 ゴーシの脳裏に、あの、自分を逃した青年団の男の眼差し、
総領の怒鳴り声、それに
母親の墓碑の前に立ったときのあの、胸中。
そしてランサの目の端の輝き。それら思い出が回想される。
何かが切れる音が、ゴーシの内面で確かに鳴った。

 「自分は全部揃ってるとでも仰りたいんですかね」

 「ゴーシ殿!」

 「全部揃ってたら、生きてる意味なんざ終わってンじゃねえかよ!
誰も彼も足りないから足りないものを一個一個探して生きていくんじゃねえのか!」

 ソボは、決定的にこの言葉に苦笑した。
ゴーシは、絶望し、絶句してしまった。
信じられない事に…彼らは自分に、足りない部分は無いと思っている。
それを知ってしまったからだ。

 その後の事はゴーシ自身、あまりよく、覚えていない。

 ランサの力添えでなんとか生きて帰ってくることは出来たが
旅先からテアマトウに帰り着いたときに楽長は窃盗の容疑で起訴され、楽団は、解散していた。
なぜか、楽長は二度と戻ってこなかった。身柄は王都に送られたらしい。
何があったかゴーシには想像がついたが…何をすることも出来なかった。

 手紙と通信を検閲されているらしく
ランサとの連絡も取れなくなった。
ソボの監視の眼を恐れ、死亡届を偽造して、彼はスラムを点々とする暮らしに落ち
いつしか、心が闇に落ちるのを遅らせようとアクセラレーターを常用するようになって
 それは、彼の心身を蝕んでいた。
 「閉じていくんだ…俺のことは、放って置いてくれ──」

 ジャンキーと呼ばれるようになった彼もまた、その繊細な感覚ゆえに常人の聞き得ないものを聞く。
いいや、痛みを感じる心が繊細だからこそ、彼はそうなり
そして更に尖ったその能力は感覚が感じ取るすべての物を解析し、彼に、教える。
例えば、一瞬、強い波動となったザノンの精神が自分の精神の情報の断片をリクエストして通り過ぎた事も。



 「来たな、跳ね返り!」

 大気を震わせてリオーネが叫ぶ。
闘志を漲らせ、溢れさせてさえいる割れ鐘のような大声は
迷いあるものならばそれのみで打ち砕く、もはや、武器だ。

 「あれなるはリオーネ・トワニング卿の、ダィンスレーltg…、
リオーネ卿の威力でもって僕を追い返す絵か」

 「回れ右だ、御令息。何で飛び出したかはしらないが…」

 その圧力に怯む気配を見せずリオーネのダィンスレーltgと対峙するは
一瞬の虚をついて飛翔した白い影。押し止めようとする連合騎士団を神機で以って振り切り、掻い潜って前線近くまで飛来したバッソウTSだ。
その機動力で味方を出し抜き、危難あれば払おうと左手のみに刀を携えバッソウTSは対峙したltgをも突破しようとltgの右に滑るように逃げ…
リオーネは口上をさっさと中断し「さもありなん…」と舌なめずりをして
ltgもTSの迂回する軌道を追って旋回しようとしたタイミングで、TSは稲妻の様に反対方向へ前進する。

 「おおっと、機動力が売りなんだろ?そう来ると判っている相手に、横着をしようなんて甘い、甘い!」

 ltgはTSのフェイントからの急加速にすぐさま反応し、一つ天にもう一本稲妻が発するが如し勢いで腕を伸ばしてTSに飛びつく。

 これを追い払おうとTSは刀を返して峰でltgを打ち据えようと腕を鞭の様にしならせて、
横滑りしながら三度、刀による打撃を繰り出すが
一度目を手首の付け根、二度目を肘、三度目を反対に払った腕の装甲、
ltgはすべて左手で、TSの刀の鎬を鮮やかに叩いて払い落とし、ザノンは肝を潰す。

 「うむッ!無刀、捌き峯観!」

 ザノンが口走ったのは無刀術の至難の基礎技術の呼称にして特徴の一つ。
構え、切っ先の角度から太刀筋を読んで走る太刀筋を横から叩いて弾き飛ばすというものだ。
リオーネが無刀術の程度を悟って、ザノンは下唇を噛む。

 確かにそれは無刀系武術の基礎にして、身体能力、反射能力を高める訓練の一環に取り入れられてはいるが
何十万回と振り、捌き、実戦で使い倒して初めて道に達する、基礎にして極意という種類の物だ。
実戦で難なく相手の初めて見る太刀筋を捌けるほどに熟達しているならば、
それは無刀そのものと言えるような達人であると言い換えてさしささえはない。

 簡単にはいかぬわいと唇の端を噛んで苦々しい色をそこに浮かべるザノンは
胸中、リオーネを気迫、勢いを備えている相手と見ては居たが
技量に関しては侮っていたといえるだろう。

 ここまで使う使い手であれば、学んだ亜流一派の奥義は授けられていても不自然ではあるまい、とザノンはリオーネを恐れる。

 正確に言えば、リオーネは無刀術を学びはしたが、気の短い彼の性分から人にかしずいて習った期間はいくらになるものでもない。
基礎のさわりだけを習って、これだけ判れば後は無用とさっさと尻をまくって一応の師匠から逃げ出したのだ。

 諸国を渡り身を守るものは何もない無頼の渡世人であり
また実際に白刃を掴むような修羅場を幾度も潜ってきた彼は、身に帯びた様々な基礎を実際に、しかし愚直に使い込んで練磨してきた。
強運と胆力、鉄火場において何が生きるか死ぬかを理屈を越えて直感的に判断する取捨選択の能力。
それは全て荒削りながらも確かに、能力と技術を骨太に洗練させていく。
盾の騎士団に慢性的に足りない成分を補う、彼は鉄火場においてこそ輝く人物の一人である。

 「大層な技の名前なんざ覚えるほどの事でもねえ。
得物が無いときァどうにかして相手の得物をさばかなきゃ直ぐブスリだ。
白刃を眉間に突きつけられるようなゴロまいたことはねえか、ねえよな、坊ちゃん」

 剣の間合いの懐に滑るように入り込んだltgを追い払おうと、TSは短い柄打ちを繰り出したが
これもltgの双掌に発止と押しとめられ
ltgの胎内のリオーネは自慢の見事な腹を叩いて鼓の様にボンと鳴らす。
音は硬い。厚い筋肉の上に厚い脂肪で鎧った密度がそこには漂っている。

 リオーネからすれば、TSを駆るザノンは不思議な存在では有った。
刀を振らせたら分が悪いのは自分の先制を切り返したポイゾとの交戦や、ベディヴィアとの決闘を見れば判りきっている。
しかし、現実に相対してみれば、その優位性を発揮する状況に持っていくざまがまるでなっていない。
小手先の技術は優れているものの規格外の部分は無く、動きも行動も全て、教科書どおりと言うところか。
 とはいえ、ザノンにその教科書どおりの技術を発揮させてしまっては、恐らく自分が負けるであろう事をリオーネは把握していた。
素人臭さは拭えないものの、速いは速いし、制御を地面に頼れない空中で移動しながらでありつつ
流れるような動きから駆動部、急所を狙って繰り出した連撃の巧みさと言ったらない。

 対応を少しでもしくじっていれば、もたついていれば難なく最初の剣撃で、無力化されていただろう。

 それだけ研いだ筈の暴力を身に帯びるなら街で噂の一つも立つのが自然だが、
この出征に至るまでそれらしい話は一つも聞いたことがない。

 (いや…)

 死者を喪り、弔う儀式の帰り道。幾人かの騎士と街の若い衆とで酒を飲んだ時に出てきた与太話の記憶が、
一つ、埋まっていたのをやっとのことでリオーネは思い出す。

 (一つある。大型ルサンチマンの侵攻してきたあの日、エクスカリバーだかアイギスだかを駆って、
魔装鎧に乗る事の出来なかった全ての騎士の代わりと、偽のクロウス・アーメイをやった奴がご令息ではないかという噂が。
しかし、この場慣れの未熟さを見るにつけ…。
それは現実に有った事なのだろうか?)

 現実を見る目に、疑問はこんこんと湧く。
聞いてもそれを教えるものは少なかろう。
しかし、彼の胸中に疑問が生ずると言う事は
少なくともリオーネが彼の仲の何かに
その、好奇心を惹き付けられる、疑いを湧き出させられる
奇妙な輝きがそこにはあるのだ。
その輝きが何故リオーネの眼に光って見えたのか
その正体を
(この眼で確かめてみたい…)と
リオーネは首に埋まりそうな、しかし硬い線を見せる顎を引く。

 そうだ、事実、彼はあんなざまでも、敵方のレクイエンの使い手を鮮やかに討ち取ったではないか。

 「もっと追い込まれれば、面白い事をするんじゃねえのか?」

 ブンと息を吐いて、リオーネのltgがTSを押し離す。

 重量の無いTSはそれに押し負け、僅かに後方に騎体を流し、
TSが剣を取り回し、構えなおした時にはもうltgは拳を構え、その二本の腕から繰り出す怒涛の連激でTSの初動を封じていた。

 TSの刀身の放出する熱エネルギーに、ltgのナックルガードが放つ熱エネルギーが干渉して白い火花を散らす。
ナックルガードの打撃面は広く、刺突武器、刃物に類する武器に比較して貫徹する力は弱いが
装甲の発する防御魔法に与えるダメージは大きい。
一方で、武器とナックルガードが接触した場合、
広い面にエネルギーを供給している打撃武器であるナックルガードのエネルギーの密度は薄くなる。
この欠点を補う為にダィンスレーは、防御をはじめ他の魔法への出力をカットして攻撃力を大幅に引き上げる場合がある。
今、ltgは正にの状態を発揮していた。
攻めに攻め、圧倒的な攻勢に拠って相手の動きを封じる優位性。

刀で受けるTSと拳で仕掛けるltgの攻防を見れば、拳のltgが今、押し切るのも時間の問題と見える程優勢であった。

 「だめだ、装甲が効かなくなるまで…手玉にとるつもり!?」

 「オウヨーッィッィクゾシャアアアラアアアアア!!」

 慟哭するTSのザノンを威圧して、吼えるltgのリオーネ。
突き抜ける咆哮のその気迫たるや尋常ではない。
連撃の勢いに、気迫に飲まれ、萎縮したザノンはそれでも
TSの刀身を右に左に捌いてこの連撃を受け流そうとするが、
とてもではないが刀一本で捌ききれる手数ではない。
払い損ねた拳打が瞬く間に何度も装甲を捉え、装甲は打たれるうちに音を変え始め
もはや装甲の立てる音は防御魔法の限界を教えていた。

 そこを狙って、TSのジェネレータに装甲の上から衝撃を加えて無力化するべくltgは肘を追って拳の間合いからさらに間合いを詰め
駆動部を覆う肘の装甲を叩きつけようとするが
TSはその瞬間を狙って構えた刀を前にグイと突き出して、やっとの柄打ちをltgの胸部に見舞う。

 前進を掛けた所を渾身の打撃に捉えられ、その衝撃に跳ね返されるようにltgの身体と腕は後ろに向かって泳ぐ。

 「出し抜くッ!」

 急加速を上方に掛けて、ltgの頭を飛び越えるようにltgをやり過ごす狙いのザノンだったが
打撃は大したダメージにはならず、機関砲によって重量も確保しているltgはすぐさま、殆ど反射反応で
姿勢をリカバーして、その両手でがしりとTSの両肩の装甲盾を掴む。

 虫のいい狙いを謀るザノンを見透かすリオーネの眼光か…
ザノンの眼にはダィンスレーの眼が光ったように見えた。

 「どうも、相手に傷をつけないでやり過ごそうとしているか?」

 ぼそりと発したリオーネの声を接触回線経由の通信で押し付けられ、動きで下心を看破されたとザノンは首を竦める。
その怯んだ心根は、魔装鎧の停滞の気配に表れ、リオーネは大音声でザノンを大喝する。

 「甘い!
そんなものァ、上等に出来て精々半殺し。
どちらが一一拍早いかを争う世界で相手を甘く見ているんじゃねえのか、
息するのも惜しいその世界でそんな余裕をくれてやるお人よしなんぞ、いるかという事よ!そらッ」

 短い弧を描いて、ltgの右の膝がTSの胸部装甲を打つ。
回復しかかった防御魔法は再びダメージを受け、TSが出力した魔法を削られる。

 幸いザノンのTSは、両肩の装甲肩を掌握されているのみで、
駆動部は拘束を受けていない。
蹴りに拠ってltgの胴体中央が大きくねじれた所を狙ってTSは短く、直線的で短い拳打を右の拳から繰り出して相手を打ち据え、
辛くも突き放す。

 実力で証す通り、リオーネは、ザノンに取って確かに、力量の差を誤魔化しきれる相手ではないと見えた。
それを痛感する、ザノンは、リオーネの怒涛の如し気迫と体捌き、打撃に押されながらも構えを整え
打撃を畳み込みながら間合いを縮めるダィンスレーltgを追い払うように右手で太刀も抜き払う。

 「らぁッ!」

 TSが放った一刀は、水を打つように鋭い一刀であるが、ダィンスレーは瞬時に後ろに下がり、TSの太刀はブンと空を切る。
しかしTSは息も付かせずに左手の剣の切っ先をダィンスレーに向け、真後ろに下がった相手を追いかける突きを見舞おうとするが
それを思いとどまるように急停止する。

 「う、撃つ…!?馬鹿なことを!」

 下がったダィンスレーltgは四問の機関砲を構え、真っ直ぐ突っ込んでくるTSに向けていた。
その構えに驚嘆し、ザノンはTSの追い脚を止めたのだ。
TSも直撃を食らえば只ではすまないだろうがそれよりも二人の対峙するこの場所。
高度のある場所で実弾を使用する機関砲を撃てば、銃弾の雨が重力に引かれ、落ち…凶器となる巨大な残骸の落ちる場所には…
人間がいる。
それが判らぬリオーネではあるまいだろうにと、ザノンはその構えを取ったリオーネを詰ったのだ。

 しかし、ザノンがリオーネを罵る声が空中に融けるときには既に、ltgの姿は正面に無い。
言葉を切ったザノンは、自分がまんまと脅しに幻惑された事を知覚して
半身に構えたまま刀を正面に突き出したTSの背面左肩の装甲を、ダィンスレーのつま先が蹴り飛ばす。

 ガツンという音の衝撃と残響が、装甲、フレームを駆け巡り、
蹴られた衝撃でTSの騎体はltgに背面を向ける格好で姿勢を崩しながら弾き飛ばされる。

 「ちょっとは目が覚めたようだが…やはり、
ゴロまくのはとんでもなく下手糞なようだな。
お前は丁寧、故に不自由、と見た…。お坊ちゃん。
不本意な勝利を出来ない、したくない。
─絵にかいた餅というんだ、そういうのは。。
潔癖な正道に縛られているのろまを見逃す奴などどこの戦場にも、ルサンチマンにも、いはしねえ!」

 姿勢を崩した騎体を空中で流したTSにさらに突っ込んで、ltgは体当たりを仕掛けて追い討ちをかける。

 リオーネはポイゾとの交戦の時に、周囲への被害を抑える為にザノンが刀を使って戦ったのを知っている。
その習性を利用されたのだとザノンは唇を噛んだ。

 グゥとザノンが呻きを漏らしたのは、騎体を巡る衝撃に耐えかねたか。
リオーネの野生の気迫に欺瞞、驕りを見破られた故の苦しみか。

 「教えてやろう、巧遅なるは命取りよ!ひとォつ、げんじょうに置いては、只、神速あるのみ!」

 何とか空中で四分の一ほど騎体を旋回させて両手の刀と太刀、
刃を十字に組んでダィンスレーの連撃を防ごうとするTSだが
吼えるリオーネのltgはそれに構わず、器用に射角を変え、防御の外側から胴体を狙い撃つ五六発の拳撃と
一発の蹴りを雷撃そのままの勢いでTSの装甲に叩き込む。

 TSの防御魔法では、こう直撃を受けては幾らも持たない。
打撃を無効化するには力不足だ。
蹴りを受けた時には再びTSの装甲は音を変え、防御魔法の限界を意味する高い音を発していた。

 「ああッ…」

 展開したコクピットハッチから踏み出して、ハッチに脚を掛けて上空を見守るネルが、
小さな悲鳴を上げる。遠目にも判るほどにTSは劣勢で
。 ネル達はザノンの味方をできる立場には無いものの
下手をして命を落としはしないかと彼のみを案じているのだろうか。

 「リオーネ卿が押している…凄え、あの手数…。あれが、リオーネ卿の実力なのか。
…いや、違う、あの、触れれば切れるようなザノンの気配を見てリオーネ卿の闘志が膨張する。
何人相手にしても怯む事の無い、敵の闘志に呼応して湧き上がる闘志と能力。
リオーネ卿はそういう逸話を背負っている」

 二人の姿に感銘するところがあるのか…
学生班のスレイプニルの前面、RCとRBの後ろに位置取ったGFのコクピットの中に着席したままアッシュが、
闘争の従僕たる馬鹿者二人の鎧を、らんらんと光る目で見上げる。

 「あれじゃ、ザノン君は…」

 RCに寄せるように膝をついているRBの、やはり展開したコクピットハッチからRCのコクピットハッチの鉄扉へと渡って、
リブラがネルの直ぐ横で凝とネルの横顔を睨む。

 「ザノンの味方をするのか?」

 「そうじゃないよ、でも…ううん、あたしは…」

 ネルが下を向いて、動物の耳を模した様な小さな総画のついた帽子と額の隙間に、指を差し込んで帽子をグイと下げ、赤い瞳を隠す。
バッソウRCのコクピットハッチをカンと鳴らして、リブラが踏み出し、ネルのパーソナルレンジに脚を踏み入れる。
 「あいつは、今度は、軍律を飛び越えようとしている。
あいつの味方は、出来ないよ、ネル。
一緒に居る人間を蔑ろにしているんだ、ザノンは。
あの、嵐の様なザノンの近くに行ったって…
お前は、壊されて不幸になるだけだ」

 「…だって、あの子と約束をしたんだ…」

 ちらりと顔を起こし、空中に目を向けたネルの視界を奪おうと、リブラはネルの手首をグローブの上から掴む。
リブラは、真っ直ぐにネルを見る。

 「あいつは束縛を振り切って、人との繋がりを反故にしようとしている、
そうなってしまう道筋であるのを認めろ。
約束を守れない心の構造のあいつとは違う。俺ならお前の傍にいる。
俺は、人を置いて、自分を無闇に拡張してはいかない」

 リブラに向けた眼を背ければ、自分はリブラの真摯さをあしらったと解釈され、傷付けるのではないだろうか。
そんな思いからネルは視線を外せずにじっとリブラの眼を赤い目で見返す。

 「…そういうの、ずるいよ」

 彼女もまた、ある不安を抱き、苦悩している最中の言葉である。
ネルは少なからずリブラの言葉に惹かれた。

 少なくとも、触れるまではネルはリブラの手を肩から退かせる積りだった。
しかし、グローブの上からでも熱を感じられると錯覚するような、人の手が有る事に拠って発する温もりは
ネルの手を其処に留まらせ、ネルの右手は、リブラの手の上に重ねられて、数秒そこに留まる。

 しかし、赤い目は躊躇うように一度閉じ、リブラから視線を外して小さな吐息をそこに置くや、
ネルはコクピットハッチの中に滑り込んでしまう。

 「あの子も今、バッソウの中に居る。
あの子との繋がりを見落とさずに、見つけられるとか…、
あたしたちが彼のアプローチに反応できるのは、アプローチを送る事が出来るのは…それはきっと同じく魔装鎧に乗っている時。
覚えてる?あの子はさっき、あたし達と一緒に居たいと言ったんだ。
リブラの言う言葉は温かいけど、ザノン君の言葉も嘘だとは思えない。
あの子は、心の中に今、あたし達を置いているんだって言った。
…騎体、戻ろうよ」

 「ネル、もう一回言うぞ。現実を見ろ」

 詰め寄るリブラに、ネルが何事か言おうとした時に、それを阻む様に通信が入る。

 「クソ共、バッソウは飛べるな?」

 声は、重装フラ・ベルジャでスレイプニルのカバーできない情報の動的収集を行っていたガーハートからだった。r
 「スレイプニルと私はこの場に待機して、情報支援と指示に徹する。
地形追従飛行で、バッソウとの距離を詰めろ。我々にザノン・シール捕獲の為に追跡する許可がやっと下りた。
リオーネ卿がバッソウを追い返したら、連携を取って…
取らせてくれるかどうかは別だが…
ああ、とにかくなりふり構わずにTSをバッソウ三騎で捕まえる。
場合に拠っては…お前達の火砲でリオーネ卿の支援をする」

 いつに無く切実な声の色を見せて、ガーハートが彼女としては異様に事務的な口調で本題を、矢継ぎ早に切り出す。

 「う、撃つ…!?」

 思わずネルは素っ頓狂な声で聞き返す。都市の番区一つ粉砕するような主砲で、友人を撃つ。
そうした事態の予想らしきものはネルの意識の片隅に有ったが、
それを他人の口から、自分達の取りうる行動として突き付けられると
やはり、躊躇と言うか苦悩らしき色が意識の上に浮上し、その事実を、未来を恐れる。

 ガーハートもそれを理解しているのか、一拍、間をおいて答える。
彼女自身のフラ・ベルジャも地上から二人を追跡しているのだろうか
魔装鎧の走る足音らしき硬い音が彼女の通信には入り込んでいる。

 「アア、四の五の言ってる暇も惜しい、
撃ちたくなかったら、迅速に且つスマートに目標を捕獲する必要がある。わかったか?
判ったらセンズリやめて即前進!」

 ガーハートの通達が終わるか終わらないかのうちに、アッシュが聞いた事も無い大声を張り上げて怒鳴る。

 「リブラ、さっさと騎体にもどれよ!
こうなるのは待ってた、俺は早く出発したいんだ!」

 苛立ちを露わにして怒声を上げるアッシュの剣幕に、苦々しげに眉をひそめてリブラは無言で踵を返す。

 ネルが、シートのベルトを締めながら、リブラと彼を呼び止める。

 「皆一緒に居るために手を伸ばすことだって、
現実に出来る事だよ。
君は優しい子だ。
皆を危険に曝さない為にいつも気を配ってくれている。
その優しさを持つことを誇りにしてほしい、
それで、あたしたち皆で一緒に行こう」

 赤い目が真っ直ぐにリブラの眼を見る。

 澄んだ赤い瞳の色はリブラの心にも焼き付く。
リブラは心なしか俯いて、ネルに背中を向けるとコクピットハッチの外へ出て行った。

 一気に乗り手を無力化するべく、ltgはナックルガードを高速振動させて、守りの構えを未だに崩さないTSを見据える。
あの、十字に組んだ得物をこじ開けて胴体中心のコクピットハッチに拳撃を叩き込む目算を頭の中で立てると、
ダィンスレーはぐるりと騎体を横に旋回させて、ジェネレータ目掛けて後ろ廻し蹴りを繰り出す。

 防がなければ受動防御のほぼ効かない状態で、首筋からこれだけの質量を叩きつけられる後ろ廻し蹴りを受ければTSの装甲はひしゃげ
ジェネレータも致命的なダメージを負うだろう。
TSが受けるなり、避けるなりする構えを見せたらそのままの勢いでもつれ込んで、
構えも作る事は出来ない姿勢から相手の腰に拳の一撃を見舞う。
 リオーネの闘志は、楽に相手を詰んだ喧嘩だったという印象とともに収束していくが。
しかし、それで終わらないという予想、予感もないではなかった。

 そして、直後その予感は的中する。

 リオーネが背中を見せた一瞬を狙って今まで守りに徹していたTSの右手から、太刀の刺撃が飛んだのだ。

 「あぶぬわりゃぁッシャアイ!」

 リオーネの動物的な直感と反射神経が働いて、彼は剣の走る一瞬前の閃きを捉え、
慌ててTSに背中を向けたままの姿勢から左斜め前方に急速旋回してこの刺撃を外す、
ザノンのTSの刺撃は早い。
かわしたリオーネは間一髪の様相ではあるが、崩れた姿勢を慌てて整え、正面に身体を開いて構えなおそうとしてから、
慌てて真後ろに下がる。
キーン…と音叉が震えるような音が鳴り
TSの右手の太刀が、刀身の倍ほどもある白く眩い光を発しているのを、リオーネはltgを旋回させる一瞬に見たのだ。
TSは刺撃を繰り出して、ltgの攻撃を食い止めつつ、前方のスペースを確保してから
刀を真下に振り下ろし、その勢いのまま縦に一回転して大上段から太刀を振り下ろした。
下がるダィンスレーの胸の装甲が、TSの太刀の纏う光のほんの切っ先に接触して火花を上げる。

眩い光と、装甲が焼け、削り取られる音にリオーネは収束し始めた闘志を凍りつかせ
生きた心地を失う。

 「だっ…!」

 リオーネは吼え、ltgは辛うじて光の大刀を振り下ろす間合いから逃れる。

 TSの太刀の纏う白い光、エネルギーを放射した熱と衝撃に拠ってか、ダィンスレーltgの胸部装甲は
光に接触した部分は太刀の軌跡に沿って極太の線状の傷を残しているだけではなく、その周囲も、歪んだように凹んでいる。

 「あぶっねえ…!隠し玉か!」

 声を震わせて呟き、ゾクリと笑うリオーネは、TSとの間合いを取りながらltgに構えを作らせ、ビタと相手を見据える。

TSの構えた太刀の、刃の部分は確かに刀身を裂く様な光を発し続け、溢れる光は刀身に雷光を纏うが如く、刀身を覆い隠し、
今もltgを斬り捨て、貫かんと狙いを定めている。

ザノンは、TSの刀にまわしていたエネルギーを太刀に廻し、最早防御魔法を出力しても意味は無いとその出力も太刀に廻して
太刀の出力するエネルギーレベルを格段に引き上げたのだ。
堂々たる光の野太刀に形を変えた太刀は、流石のリオーネをも足踏みさせる威力を発揮し、
殺気がその音を発するが如し、しゅうしゅうという鑢を当てる様な音をうねらせている。

垂れ流しているとはいえ、エネルギーを出力しているのはごく細い、刃の部分だ。
広い面にエネルギーを出力し続けるltgの打撃に比べれば、威力も上になるだろう…。
ノーブルでもなし、あの暴力的なエネルギーの集中と出力量では、いつまでも刀身が保つ道理は無い。
しかし、同じく防御を捨てた状態のltgでは一刀食らえば容易く装甲を溶断されるだろう。


 (守りを捨てて、オレに競り勝つ腹か)

 生意気な腹を決めおったなとリオーネは喉をゴクンと鳴らせる。
野太刀をかわした時に発した冷や汗で、鬣のように見事な金髪が額にべとりと張り付いていた。

 汗は玉になり、太い眉毛の堤防を切って、鼻を伝って流れ落ちる。

 リオーネは自分の呼吸がいつの間にか荒くなっている事に気付いた。

 リオーネもまた、ザノンの中にある光の眩しさを確信し始めている。

 「面妖な…しかし、自棄という構えじゃねえ!坊ちゃん、お前には、根拠が有るな!
良う候、できるものなら、やってみろ!」

 「波追い野太刀虎跳を捉える…!
正に、獅子。リオーネ卿たるや、獣王の如し制動、眼力!」

 リオーネの威圧の吼え声に抗して、ザノンも吼える。

 萎縮して、停滞していた覚悟が相手に傷を負わせる覚悟と共に軌道に乗って、加速する。声にはそれが顕れる。
しかし、それは以前の様に駆り立ての獣に煽られて露出する、獣性に拠って発する危うい声ではなかった。

 「フン、俺を褒めても手しか出ねえわえ!」

 威勢よく叫んだはいいものの、刀を縦に真っ直ぐ構え、奥の手の野太刀は見栄を切るように
下げ構えるTSの構えを前にしてリオーネは勢いを殺がれ、じりと間合いを測る。

 (遠い…!)

 得物の変化に拠って、間合いが伸びただけではない。
腹を決めただけで構えから漂う相手の気迫が格段に変わったのをリオーネは感じ取る。
その、殺気漂うTSの気配の支配する領域に居る事は、
リオーネに間合いの変化よりもよほど重荷として
圧し掛かっていた。

 じりと二三秒にらみ合った後、リオーネはケリャアッシと裂帛の気合を発し、
ltgはTSに正面から真っ直ぐ突っ込む。

 応ずるザノンもリャイと奇声一叫、ltgの拳打をいなすと思われた刀を鋭く振り下ろしてltgを牽制し、間をおかずにブンと野太刀を振る。

 刀の一閃に脚を止めてから、続く野太刀の横薙ぎの起こりを見てltgは前に出る。

 只前に出ればltgは長大な野太刀の餌食と見えたが…
ltgは前進しながら急上昇して、紙一重の危うさながら、横薙ぎの一刀を飛び越えている。

 TSはガチリと刀の切っ先を起こし、上方からの攻撃を迎え撃とうと
鋭く突き上げてから右手の野太刀も振り上げて、左に向かって叩き落す軌道の斬撃を繰り出す。

 しかし、この連撃をltgは間合いを外したままやり過ごしてから、短い加速を繰り返して
衛星の様にTSの周りを周回し上方からTSとの間合いを詰め
TSの右肩を蹴りつけ、TSは身体を泳がせる。

 「へたばるまで殴り倒すには分が悪いと見た。
ナニ、じたばたするな、良い手を思いついたのよ!」

 その隙に飛びつくように背後を取ったダィンスレーltgが、バッソウTSを羽交い絞めにする格好でがっきと抱え
最大出力を発揮して垂直上昇を掛ける。その速度たるや凄まじい。
ザノンは、TSを逆に下降させようと足掻いたが、TSはここでも重量のない騎体で機動性を確保する、
軽量故の非力さ故に力負けしていた。

只でさえそれで分が悪いのにTSの武器にまわしている出力が大きすぎた為に
TSの出力を直ぐに三次元戦闘モードの機動力に大幅に振り分ける事ができず、
相手の加速に対してろくに力をそぐ事が出来ぬまま、ザノンとTSはリオーネに良い様に殆どされるがままに
ダィンスレーは魔装鎧一騎を抱えながらもあっという間に尖塔の高さまで登ってそれを追い抜き、
見下ろす町の四方の城壁が視界に収まる程の高さに到達する。
さながらそれは、空を登る逆理の流れ星の態だった。

 バッソウTSは此処までの急加速に耐えられる能力を有しておらず。装甲は悲鳴を上げ
駆動部どころかフレームまで怪しい音を随所で立て始める。

シートのザノンの体シートに押し付けられ、
身体を固定するベルトがみりみしりみしりと筋肉に食い込む音を立てていた。

 保護魔法の許容量を越える加速によって
筋肉、骨、内蔵…軋む五体が圧力に拠ってばらばらになるか、
体中の血管が圧力に拠って引き千切られるかと思うほどの負荷が
コクピットのザノンを襲う。
ザノンは白目を剥き鼻腔から血を流して、押し出すようなうめき声を喉から漏らす。

 「あがっ…ふ」

 しかし、ザノンがその痛々しい呻き声を漏らすのも予想していたのかリオーネはクフッと一声含み笑って
ダィンスレーの加速を抑え、空中で緩やかに停止させ…TSの胴体を真下に向ける。

 「残念、これからが、お楽しみの本番だ。
登ったら、降りなきゃなァ!」

 そう、リオーネが言うようにダィンスレーの重量とバッソウTSの重量、
それにダィンスレーの加速を加えた垂直に等しい落下に比べれば
今味わった上昇の加速による苦しみなど遊戯の様なものだった。
今過ぎ去った苦痛を遊戯に変えるべく…ダィンスレーが真下へ加速して
二騎は、落ちる。

 二騎分の重量に加速を加えた落下はもはや、
一ヶ月前グングニルが見せた加速と比べても見劣りしない程の速度になっている。

 「落ちろ、焼き切れろ!クリャア!」

 うぇッと声を上げるザノンの意識は幾度も飛ぶ。

 身体の末端をもぎ取り、粘膜質の部分を押しつぶすかの様な圧力。
いいや、もはや衝撃。
大気は、重量は凶器となってそこに有った。
呼吸することも不可能な状態に陥りながらもザノンは
耐えに耐える。二度の嘔吐で吐く物を吐き出しきったものの、
それでも逆流してくる胃液と鼻腔から逆流する血液に呼吸を阻まれてついにザノンの意識は割れるように欠けて
びくびくと身体を震わせて、ザノンは、失神した。

 「どうでえ、堪能したかッ!」

 ltgは地上に近付くにつれて、軌道に角度を加えて最後は地上と平行に、滑空するように減速し、
地上擦れすれすれまで降下してから制動を掛けてTSの背を蹴って追い放す。
三次元戦闘モードを軌道したままのTSの騎体はその衝撃で前方に押し出されるように進み、停止する。
いつの間にかエネルギーの供給を止めていたのか、TSの右手の野太刀は光を失い太刀へと戻っている。

二騎が降下した道路の至近では、放置された後、時限魔装でジェネレータを暴走させ、倒れこんだクリスナが
木造建築物の一棟を巻き込んで一騎、炎上している。その、夜の闇を照らす赤い焔の色が、TSの白い装甲に反射して
TSの装甲は紅が差したように見える。

 「たちの悪い甘ったれだったぜ。だが、見所はあるよう…だ」

 コクピットの中で、冷や汗を拭おうとしたリオーネの肌が粟立つ。

 ばうッと音を立てて、TSの手の太刀が野太刀に変化する光を迸らせたのだ。
確かではないが、ぐるうッとザノンが唸った声も、リオーネには聞こえたかもしれない。

 「しゃッ!?」

 リオーネはぶると身体を震わせて奇声を吐くと、汗を拭おうと上げた右腕を右側コンソールに叩きつけ、
防御魔法を展開させつつltgを飛び退かせ、機関砲を起こす。

 音も無く、TSの騎体が振り向く。

同時に…振り向くよりも早く迸ったと錯覚するような恐ろしい野太刀の光が逆袈裟に振り上げられ
通り過ぎた軌跡はltgの左肩の機関砲の砲身を輪切りにして、その直ぐ脇の
三階建ての旅籠の煉瓦の壁を深々と切り裂いて。天辺に近い上部、その四分の一を崩落させ、
道路に亀裂を走らせて…炎上を続ける家屋とクリスナの纏う焔をも衝撃で吹き消してしまう。



 「ホワアッツアッアア、野郎ォッ」

 地表を浮遊しながら剣の間合いで仕掛けられたltgは戸惑い、後ろに下がって距離を取ろうとする。
どしんと音を立ててltgは車両のジャンクを扱う業者の、木造の平屋に踵をひっかけてバランスを崩してしまう。

 「にゃにゃにをぉオう!」

 バランスを崩して仰け反ったltgは天を仰ぎ、
地上に脚をつけたTSは大またに、深く踏み込んで腕を鞭のようにしならせて野太刀を振り下ろす。

喚いたリオーネは姿勢をリカバーせずに逆に加速して空中で宙返りを打って騎体を一回転させ、振り下ろす太刀を下がってかわす。

 息をつかせずに、今度は左手の刀の切っ先を胸の前に据える様に構えてTSが前進する。

 機関砲を構える暇も無い、ltgは苦し紛れにさらに下がりながら脚を突き出して、前蹴りで相手との距離をコントロールしようとするが
地を蹴って飛翔したTSが、ltgの繰り出した蹴りの爪先を踏みつけて、さらに飛び上がる。

 打ち付けられるようにltgは脚を前に踏み出さざるを得なくなり、TSは空中で野太刀を振りかぶる。

 さしものリオーネもこの、寸毫の動きを捕まえ、逆手に取る跳躍には肝を潰した。

 「んなろうッ」

 苦し紛れに上方を向いていたltgの右肩の機関砲をリオーネは撃ちまくる。

 空中でその気配を察したTSは跳躍したまま空中で留まり、振り下ろす野太刀もビタと止め、その野太刀で砲弾を融かし、霧散させて凌ぎきる。

 機関砲を凌がれたまま野太刀を落とされたら不味いとリオーネはさらに距離を取って下がろうとするが
熱い霧、粉塵と硝煙立ち込める中を低空から刀の光が走って裂く。
野太刀で砲弾を防ぎながら地上に飛び降りて、
敵の視界が悪いうちにTSがtgの動くタイミングに剣撃を重ねたのだ。
かくてTSの左手の刀が走って仰角を変え、むき出しになった機関砲のジョイント部を一撃で真っ二つに叩き割る。

 「ち、さっきより更に…早く、正確な剣撃。まだ、底があるのか…?」

 機関砲の砲身が地面に落ちて、その頑健な作りとそもそもの総量から発する轟音を響かせる時には
リオーネは刀の懐に飛び込む腹を固め、観念してltgに拳を構えさせていた。

 構えたところに刀の閃光は走って、ウッと思わず身を硬くするリオーネのltgの肩腕拳、それぞれのの駆動部を嵐の様に打つ。

斬られたかとリオーネは血の気を失うが、TSが刀を引きざま峯を前に向けるのを見る。
ltgが打たれた部位は摩擦で煙を上げているものの、斬撃らしき痕跡は見受けられない。

 TSは駆動部を麻痺させる為に、峰打ちを見舞ったと知るとリオーネは舌打ちを鳴らしてからがなる。

 「峰で引っ叩いただとぅ…ここまで来て、まだわからねえのか。小癪な野郎め!」

 「…」

 返事は、ない。

 「ッオイ!」

 ltgの守りを固めたまま、リオーネは叫ぶ。
ぴたり、とTSの動きが止まる。

 「…ヤ?ここは押し込んでくると思うたが…?」

 訝しく思ったリオーネが、恐る恐るltgのガードを慎重に開こうと、
動く気配がltgの腕を揺するか揺すらないかというところに再び目にも留まらぬ刀の二連撃が飛んでくる。

 「ちぃあッ」とリオーネは舌打ち混じりに叫んで
これは何とか捉え、いなしたが剣撃はまたも、峰打ちらしい。
ウーム!と唸ってから思い切ってスタンスを開いたリオーネを、追撃する刃は飛んでこない。
TSは、先ほどと同じようにぴたと動きを止める

 「しとめに来そうな所で脚を止める。出てこねえ。何企んでいるんだ、坊ちゃん!」

 「うぅ──ッ」

 不安に問いを押し出したリオーネの声に答えるかのような、しかし言葉にならないザノンの唸り声を聞いて
リオーネははっと肩に力を漲らせる。

 肩に力が巡りきった瞬間、身体感覚と深く同調した魔装鎧、ltgにもその気配は現れて
咆哮を上げたザノンのTSは目にも留まらぬ踏み込みから嵐の様な連撃を繰り出す。

 「うあ"ッぁ"アァア"ッッ」

 ザノンの発する咆哮は気合というよりも、絶叫。

ビュンと風を斬って飛んだ一刀を皮切りに
あらゆる角度から急角度に、また弧を描いて刺撃斬撃がTSに殺到する。
一瞬で七度か八度の剣撃である。
絶叫を発したザノンのTSは、避け、凌ぐ事に全力を傾けるリオーネのltgの装甲を削り、割り、追い詰めていく。

苦し紛れに曲がり角、建造物の壁の陰に回りこんだltgを追って飛んだ野太刀が
曲がり角の背の高い建物を横薙ぎの一刀で斬りおとし、
斬りおとされた建物がその重量に拠って斜めに滑落する。
瓦礫が飛散するタイミングを狙って、ltgは更に飛んで下がる。

 「こいつ、もしや──」

 リオーネはザノンが意識を失ったまま、或いは極度に朦朧としたままTSを操っているのではないかという疑問に辿り付く。

 自分が相手に与えたのは、どんなタフガイだろうと、無事で居られる筈のない過負荷だ。

リオーネは何を馬鹿なと胸中かぶりをふりかかったが
半死半生の境目で、極限状況で異様な輝きを見せる種類の命がある事も彼は、経験から知っている。

 (半死半生の境目だ…体は消耗しているが、
魔装鎧が動くのならば。
意識より奥底にある精神の根と、
身体に染み付いた身体感覚の記憶を…
無意識に迸らせているのやもしれぬ)

 どぉん…という篭った爆音と
もうと巻き上がる粉塵、割れ、砕け散る破片が転がって瓦礫となる。
TSとltgの間を遮るように滑落した瓦礫の山を踏み越えて、TSが姿を見せ
ギリとltgを見下ろす。
相手の姿は、鎧に阻まれて見えない。
推測しかできないリオーネであったが
この異様な空気、状況を説明するにはその推測が最も自然であるように感じて
リオーネは背筋に寒いものを覚えた。

 「意識が抜けて空の器にまで…
死んでもオレの向こうへと進む積りが染み付いているのだろうか…
闘志が、神経の上を反射している!
甘露湧く聖杯のようであるな!
馬鹿は死なねば治らないと良く云う物だが
ここにあるは、たとえ死んでも治らない大馬鹿者のようだ!」

 今は、リオーネの表情に笑いは無い。
自分の直情を凌駕するほどに危険なものと
直視できない程の眩しい意固地の才能。
TSのパイロットの状況がリオーネの推測の通りであるならば。
彼はこの自分との、私闘の様な小さな戦いで消耗しきって
失れてしまうかもしれぬ、それは惜しいと思う
自分自身を、リオーネは発見したのだ。

 「ふりだけのぴかぴかするイミテーションは、もうたくさんだ、
俺は、お前の様な奴にこそ出会いたかったのだ。
殺しても別にかまわんとは確かに思ったが、どうかな…!」

 リオーネの心変わりはより大きくスタンスを開いたltgの構えに写り
その構えの推移に反応したTSの手から今度は野太刀の突きが飛ぶ。

 反応するだろうと予見していたリオーネは思い切ってその暴勇を奮い立たせ、
一拍早く動きを起こし、野太刀に左腕の装甲を掠められ、火花を上げながらも
野太刀の間合い、懐に入り込み低空飛行で踏み込んでいた。

TSは野太刀を短く外側に払って、左手の刀でltgを捉えようと切っ先を起こす。

 TSが野太刀を内側に払う事を見越して地を蹴って上に跳躍したltgの騎体は空中でぐるりと縦に一回転する。

 回転踵落としとでも言おうか。TSの脳天目掛けて落雷の如し蹴りを繰り出したltgだが
TSはまるでその軌道を知っていたかのように、身を屈めながら真上へと刀を短く突き上げ

刀は駆動部を裂く。刀に凡そ四分の一を断たれ、両断こそ免れたものの、ltgの右膝駆動部は甚大なダメージを蒙って、
左脚から着地したダィンスレーはその左脚でガンと地を蹴ってTSとの間合いを取る。

 TSが、柱で有ったらしき瓦礫を蹴ってltgと同じ高さに飛び降りる。

 巧遅のザノンを破壊し、
顕れたザノンは…巧緻にして神速になっていた。
だが、攻め手の速さだけなら未だ互角、とリオーネは見る。

 攻防の早さが拮抗しているなら、お互いに勝負を決めかねている今、MDMで圧倒するべきか。

 ダィンスレーのMDM、リッパーは発動が早く、威力はMDMの中では小さい。
野太刀をも凌ぐ大刀、リッパーの出力を絞れば…TSを破壊しても、パイロットの生存は見込めるかもしれない。
少なくとも、自分と同等の神速を巧みに操りながらも、一撃で両断する今のザノンに
手数でもって優位性を保つスタンスの自分が勝つ目算よりも、確率はましだとリオーネの眼には見えた。

 自分が破れ、ザノンが前に出て、自分ではなく、敵と騎士団の制裁の二正面に向き合えば、今度は間違いなく命を落とすだろう。

リオーネは考えるよりも早く、低空を飛んで下がり、さらにTSとの距離を離す。

 「坊ちゃん、悪いがズルをするぜ!」

 飛翔するltgの、上昇するジェネレータ出力がジェネレータの音を異様なものに変える。
ぐらりとltgの周囲の大気が揺らめいて見えるのは、急速に大気が圧縮されているためか。

 「うッ…痛ッ!」

 その一際尖った破壊の気配に反応してかザノンの意識が動き出す。
リオーネの推測の通りザノンはコクピットの中で朦朧としたまま我を失って戦っていたが
がんがんと頭の中で鐘の様に反響する痛みを首を振り振り払うと、
正面に距離を取ったltgを認め、気配の根元を察し取る。

 「空気が歪んでいる…!?」

 汚れた口を、白い手袋を嵌めた手の甲で拭ってザノンはええいと怒色を滲ませた息を吐く。

 「おぼろに滅茶苦茶やった覚えがあるけど…ダィンスレーは、リオーネ卿はその上を行こうとしてる!
ダィンスレーのMDMを、街中でそんなものを撃とうとしていると見たが!」

 「おうともさ!後ろは行き止まりだ!心置きなく食らうがいいぜ!」

 確かに、ザノンの背後は今切り崩した瓦礫の山が折り重なり、
それに拠って一種の壁の様になっている。

 正面からザノンが詰め寄って一太刀二太刀を見舞おうともその程度であればltgは死に物狂いで凌ぐだろうし
リオーネはその力量、技量は充分にある相手である。

 ザノンは衝撃によるダメージはあるかもしれないが上昇してやり過ごすべきかと逡巡したところで、
背後でがらりと瓦礫の崩れる音、
魔装鎧の駆動音が鳴るのを捉える。

 「壁…後ろッ!」

 TSが体半分ほど旋回させて振り向き、
見上げた先…瓦礫の山の頂点には、バッソウGFの姿が有った。
RCとRBらしき大盾と機関砲の影がGFの後方、瓦礫の向こう側に降下するのも確認した。

 僚友たちは自分とTSの位置情報を捕捉している。
先ほどのltgの仕掛けた高速降下で降下ポイントを車両が予測解析して
周辺までバッソウが飛来していたとしたなら不思議は無い。
 彼らは自分を追いかけて、捕まえに来たのだろう。
自分の無謀を案じて手を伸ばしてきた僚友を巻き込む恐怖から、
血の気の失せたザノンの顔が、更に白くなって、蝋人形の様な顔色になる。。

 「誰だ、誰が来ようとも撃つしかねえ!」

 迷いを焼き捨てたリオーネの判断は早い。

 ltgのジェネレータは音を一気に変えて、圧縮された大気がボウと震える。
ごうごうとセロの様な音が鳴っていた。

 同じく、逡巡を焼き切ったザノンが、バイザーに手を掛けて取り払う。
ネルが彼に渡した赤と青の飾り石が、彼の視界を掠める。
ザノンの左眼には、金色の焔の如し光が灯り、尾を引いて、迸って拡散するように光は空間に融けていく。
金色の光は融けて失せ、ザノンの瞳の色が元に戻る。

 かつて、彼に血を分け与えたエクスが異質なものに変貌するのに反応して彼の中のエクスの生体の記憶と
魔装は変質して、彼の攻撃性を誘発した。
しかし…今は、その、化学反応の様に融合し、変異した彼の中の古い血族の魔装も
彼の意思に拠ってもう一度決定的な変化を起こし、ここに、その変異を顕している。

 ポイゾとの交戦で、彼は理性を危ういバランスまで後退させ
それにより爆発するように生じた攻性による潜在能力の発揮に拠って勝利したが
今、リオーネと対峙する彼はその変異の助力と、
魔装にただ隷従することを拒む
自己たる意思の力もあって理性を保ちながらも、しかし
危うい攻性に頼らず…ザノンは、その性能を今また拡張させて魔装との共闘を始めつつあった。

 TSは視線を正面に戻し、僚友たちを視界から切る。
それは断絶ではない、見えないものを守る決意が逡巡を断ち切って
ザノンとTSに正面を向かせたのだ。

 「…皆。高度を落として、瓦礫の向こう…僕の背後に回りこんで!」

 「先ずお前の事!」

 「後なんだ、MDMが来る、今!」

 アッシュを制して叫び、ザノンのバッソウは、もう一度二刀を構える。

 「アンチクロージング。僕の後ろを、守る。まだ妹は笑ってはくれない!」

 「守る?馬鹿、避けないで、MDMの正面に立つって言うの…!?」

 「たとえ避けられるとしても、避けない!
君達を置いて行って、僕の受けるMDMに曝すことなんかできないからだ!
始末を、つける!」

 普段と同じく、理性に拠って己の攻性を律したザノンは、
ネルの問いに対して自らの状況を的確に答える。
 ネルは、ザノンの名を呼ぶ。呼ぶが言うべき言葉を見つけられない。
ただ、名前を呼んだ。
それでも、ザノンには伝わった。

 TSは構えを開き、真正面の姿をダィンスレーltgに晒すような姿勢のまま腰を沈め…
片膝を付くと逆手に持った太刀を石畳に対して触れるほど低く提げ
左手は拳を肩の装甲に肩の装甲に、刀は首筋に絡めて背負うようにギチリと構える、
 このTSの構えを目の当たりにして、リオーネは初めて不安らしき影を胸中に覚えるが
瞬時にこの影を吹き飛ばし充分に態勢の整ったダィンスレーに、MDM・リッパーを射出する構えを作らせて
ぐらりとダィンスレーの正面の空間の大気がいよいよ大きく、ぐらりと歪む。

 「烈して快を叫ぶ、魔の御名を唱え、
震え、喚ぶは禍ツ風一つ!那由多の死霊の怨嗟が大鎌!放て、リッパー!」

 波紋の様に波打つ大気が震え、その振動の間隔はごく短いものとなって
大気は今度は直接TSを裂く大鎌となってTSを襲おうとしていた。

 TSの受動防御能力では、万全な状態でもMDMを凌ぐ事は出来ない。
有効範囲、発動から射出までのスピードから言っても
致命的なダメージになる可能性は大きいだろう。

 必至、ザノンは、リッパーを迎え撃つ。

 「繋がりの為に、一つ、断ち切る!TSのフレームのエネルギー抑制を全て解放…
吾は双頭の嵐使い…秘スル剣、嵐顕…違う!双ツ嵐顕…でもない!名付けるなら、飛翔鎌大鼬!」

 ごうッと爆発の如し音を立てて
 「鎧を失って、吹き飛べエーッ!」

 「ブレイキング!…決して、下がるもんかあぁっ!」

 二人の絶叫と同時に、暴発する大気がぶつかる。

 大気の振動が膨張し、爆発する寸前に、ザノンは
TSを加速させて、初動をかけた。

 ダィンスレーが踏み出すと同時に、
ダィンスレーの前から超密度で圧縮された大気が射出され、共に形成されるであろう真空の刃。
それらはザノンのTSに殺到するだろう。
TSは、その前に逆手で引きずるように低く構えた太刀から、再び太刀を野太刀と化すエネルギーを極大放出して、初動の加速に利用する。
騎体の加速も限界まで発揮し、
出力されるエネルギーに耐えかねて溶解を始める寸前のところままで高めた太刀の出力によって
三次元戦闘モードに拠らず騎体は僅かに浮き上がり
武器と騎体の全てを注ぎ込んだ加速。
それを乗せて右肩から振り下ろした刀から、望み、欲した神速がその片鱗を刀に顕す。
制し、解放し、加速しつつ、飛び上がって機動を阻まれずに振り抜いた刀の先端は音速を超え…
その小さな先端の軌道は、空間を裂き、線となる。
爆発の様な音を伴って発した衝撃波と拡散したエネルギーがリッパーの行く手を塞ぐ。

 「冗談じゃない…!持ってくれるんだろうな、RB!」

 光さえ捻じ曲げる膨大な大気の運動が起こり、駆け抜ける轟音が周囲を貫く。
瓦礫が衝撃の余波で吹き飛び、それを受けた小さな石辺や木片は更に細かく砕ける。
長い黒髪を手で払い、リブラが目を見開いて縦横に手を走らせる、
バッソウの出力を防御魔法に振り分け
本体のフレームに蓄積されたエネルギーもぎりぎりまで放出しているのだ。
コンバータがインゴットを霊子エネルギー体に変換して、
ジェネレータがこれを魔装で使用する為のエネルギーとして出力する。
そうしてエネルギーを生産し、供給するそばからそれは限界近いパフォーマンスを発揮する防御魔法に拠って目に見えて減らされていく。
リブラのバッソウRBが出力を落とさぬよう範囲をごく小さく絞り、盾の結界や摩擦増加、減速の魔法までを展開して、
この嵐の如し衝撃から僚友を守るが
盾はびりびりと震え、
そこに起こっているのは盾の防御魔法でさえも許容量を越えかねない総量の衝撃であることをリブラに伝え、圧倒する。

 RBの盾と、脚の底の短いパイルを地面に打ち込んでリブラは歯を食いしばる。
 「誰が欠けてもネルは怒るよなぁ…!」

 右腕フレームへのエネルギー伝達経路をカットして、リブラはエネルギーの総量を確保し、使用するエネルギーを減却する。
当然、右腕駆動部は圧力に負けて圧し折れ、吹き飛んでしまう。
だが、僅かではあるもののRBのエネルギーが減少する割合は数を減らし、
RBは自分達を守る魔法を維持し続ける。
汎用騎、特化騎の代用品。
RBの発揮する防御能力はアレキサンダーのクイシトウに比べればその効果は比較にもならない。
能動防御能力はハインのライデントにも大きく遅れを取るだろう。
しかし、その魔法の存在が無ければ。効果の外に一歩でも踏み出そうものなら、
命も危うい嵐。
衝撃で跳ねる石柱の残骸、石塊が、RBに襲い掛かる。
 アッシュのアサルトライフルの銃剣が、身動きの取れないRBを庇って石柱を両断する。

 不恰好であっても、傷ついても、その中でただ、二本の脚で立てるのなら
最後まで、立っていられるのなら
「それで…充分すぎる!」
「最後にネルが、手を伸ばせる!」
心は、通じているのか。アッシュと、リブラが一つのところを見て、呟く。
嵐の果て。嵐の主、ツインストームの背中を。

 TSの音速を超える剣の運動の発した衝撃の総量は、
リッパーのエネルギーと運動する大気の総量、範囲を超えていた。

 出力を全て解放したltgが身を精する手段は一瞬極度に後退し、
ltgの騎体は後方にすっとぶ。

 しかし、ザノンのTSも騎体を空中で保持する事に全てを費やした為に、着地の際にバランスを崩して前のめりに
膝をついて着地する格好になる。

 駆動部の損壊した脚のせいもあってltgは制御を失ったまま都市魔法を出力するための設備を囲む高い塀に背中をぶつけ、
その勢いのまま塀をぶち破って背中から転倒して塀の、タレットの様に張り出した円筒状の部分がltgの上に落ちるが上体だけ持ち上げたltgは
両手でガシと下部に手をかけ、これを受け止める。身の丈を凌ぐ石の円筒である、ltgは騎体の受けたダメージもあって身動きすることが立ち行かなくなる。

 膝をついてltgを睥睨するTSが、太刀を収めてゆるりと立ち上がり
スタンスを開いて、TSは片手下段に刀を構え。

 「…ぐんぬーっ!詰んだワイ!」
と、リオーネは、ltgの胎内で慟哭の叫びを上げる。
ノーブルのMDMをアンコモンが物質的な制動で押し返したのだ。
リオーネでなくても驚嘆し、嘆き声の一つ二つは上げるだろう。
 いいや、リオーネに限っては心のどこかで…そういった可能性を覆す、
不可能性を逆転する未知の力を、未知の物に求めていたのかもしれない。
その、おどけるようにも聞こえる慟哭の声にはどこか安堵らしき色が漂っているような気配が有った。

 「獅子卿!僕は絶対に下がりません。貴方の気迫も、決して真似て仕る!
それに僕の分を足す。守る皆の命の切実さを背負わせて貰って立ち向かえば、きっと本物に迫る。
貴方に負けない道理となる!」

 直立して、ザノンが刀を下げる。ダィンスレーはもはや身動きは取れないと見たのだろう。
構えを解いたTSはちらりと後ろを振り返る。

さらに膨大な量が折り重なった瓦礫を掻き分け、割れ砕け地獄の悪路と貸した路上を、僚友たちのバッソウが進んでくる。

 ネルのRCと一瞬目が有った気がするのは、先ほどの飾り石の色を記憶する彼が先ずそこに目を向けたからだろうか。

 「んがッくっく…思ってみても、そんな事は普通出来ないが…だが……」

 出力を使い倒した為に腕力を中々確保できず、石の塔の重量を保持する腕力をltgに出力させる為、
様々な魔法を手動で打ち切って出力を融通する事に四苦八苦するリオーネの呻きをザノンは受け取る。

 「普通という壁は望んで捨てました。その先には未知の広がりがあります。
貴方も、デントゥス家の一件では、そうしたと伝聞しています。
望んで、破ったと!
思うことは道の始まりです!心ッ!
人は、心一つで望み、欲し、何にでもなります。
僕は此処を開いて進む事を、望む」

 ぎりと面を起こして、ダィンスレーの眼が光る。
 「…ザノン・シール卿…口の減らない、手も減らない、生意気な奴…!…ヌフッ、意気地、御見事也」

 リオーネは、悔しそうに、しかし、確かに笑い声を上げて、ダィンスレーの顎をしゃくらせて見せる。

それは、無言の合図。勝者の意思を貫徹させようとする…己の向こうに続く道への指図。

『何を企んでいるかは知らない、阻もうとするオレを、
お前は降した。
行け。さっさと行ってしまえ。
それで、お前がどんな災禍を起こそうともそれはこの勝負から連なる、
我々の招いた結果なのだ。
オレは潔く道を譲ってやる。
ここはお前の意思の通る道だ』

 南の天にある星は、生きる者の心の声を聞く。
南の天に輝く星を見上げてザノンはその伝説を思う。
星の光を目に焼き付けて、ザノンは瞬きし…
その場で心を一瞬留めてしかし、TSはその一瞬の後に飛んでいた。