14.X XS:7_Butterfly On Edge





 幼い女王は、隠微に、しかし確かに含み笑いを漏らした。
 ナイトガルド王都の彼女の居城、
玉座の広間で彼女の眼下に結集した高官達の見上げる先の
吸い込まれそうな深い赤色の絨毯の伸びる階段の上には
鉱物特有の地下から産まれ出でた命を感じさせない
冷たく白い光を放つ大理石の玉座があり──

その玉座は、その前に立つ幼い王女の小さな体と比較して滑稽なまでに大きい。

その、女王を飲み込むほどに巨大な玉座から
まろび落ちてきた彼女の笑い声に
なにか陰惨な気配を感じて【彼ら】は唾を飲む。

畏怖を感じて
彼らが視線を落としたその先…広間の床には
魔導儀式の為の魔法陣が描かれている。
魔方陣を包囲するように立ち並ぶ高官たちの体が、
背後からの微かな光を受けて影を長く伸ばす。
その光景は薄暗い広間に住む影法師たちが、
魔法陣を覗き込んでいるようではあった。
 「剣を取り
邦を治め
民を守る。

魔導と双璧を誇る我が国の柱。

それは騎士と言う人方であるとわらわは考えます。
美しく、高貴な人間であろうとする
その虚勢、勇気、自尊心。
彼らの力の源は精神の力であり──裏を返せば誇りを失う事を恐れる
その高貴な自己実現へ馳せる狂人じみた
末梢神経とも言える妄想こそが
並ならぬ精神力の源であり
騎士たちを
一騎当千の兵士にして王たらしめていると 言えるでしょう」

 「仰せられる通りです。」
王都で支配に携わる最高階級の騎士である聖騎士のうちの一人、
ソボ・コウが声を上げる。

 女王に心酔する壮年の騎士は陶酔と畏怖の
入り混じった視線を玉座の前の女王に注ぐ。
 向かって右側に宰相シツダ・ルタ
左手に宰相ヨシュア・ナザレという英傑二人を従えた
齢十一歳の高貴な女王の姿は、幼いながらも神々しささえ纏っているように彼らの眼には映る。

 女王の白いドレスの
風船を思わせるような、丸く膨らんだシルエットのスカートは
そこから伸びる華奢な上半身との優雅な対比を作り出し
花弁のような美しいラフから伸びる白く華奢な首と
すこし丸みを残した頭を
高貴な美しい黒い清流のような直毛と大きな瞳、
そして眼にも眩いナイトガルド統治者の証の神骨の王冠が飾る。

 天上の鈴の音のような、美しい女王の声がさらに言葉を紡ぐ。

 「その、人よりも強い思いが
我々と反対の方向に向かった時
何が起こるでしょうか。

──騎士クロウス・アーメイという殿方が居ます。
ナイトガルドは手を尽くして捜索しましたが、
彼がその姿を隠してもう、優に一年がすぎております。」

 ぼうッと残響を響かせて、女王臣下のもの達の
集う床に描かれた魔法陣が光を放ち始める。
光は絶えずその色を変え、
床の魔法陣の顕す色はこの世にある色全てがそこに次々と集まり
己の存在を披露しているような趣があった。

 物言わぬ光の華麗な舞踊に眼を奪われる騎士達の耳は、
やがて、異質な音を捉え出す。
聞こえてくるのはこの玉座の間の中。
しかしどこか遠くから聞こえてくるような
大気を旅してきて草臥れた、やや呆けたように聞こえる音、声
つまり音声が聞こえる。

 先ず聞こえてきた音は、鉱物を打ち合わせるような激しい物音であった。
間もなく、誰とも知れぬ男性が、
ぶぁッと耳に付く悲鳴を上げ、甲冑の
ガチャンという音がその後に続けて聞こえてきた。

 ふぅッと何者かが長く息を吐く音が聞こえてきたと思いきや、
ヂャッ…ヂャッという湿った足音がそれに続く。

 その場に居る者は、音で再現される過去、
つまり今聞かされている音が、なにごとが起こった時に
生まれ出でた音であるかを知っていた。

 いや、ナイトガルドに生を受けたもので
知らない者はいないと言っていいだろう。

 ともかく、今再び鳴らされるこの物音は
その場に居るもの達の認識を、確固たる体験に変化させる。

 ルサンチマンとの戦いの絶えぬ
この国で剣を手にした事のある者なら
誰しも聞いたことのある音。
この、耳に残る嫌な粘り気のある音。
これは血の音だ。
この足音は血溜まりを歩いている音だ。

 フッ、と鼻で笑うような音が響く。
男の声のようであったが、
これも、彼らは何者の発したものであるかを承知している。

 「ごきげんよう、女王陛下」

 声の主は、通常の階級の騎士とその階級の系列を
異にする紋階級騎士クロウス・アーメイ。

ナイトガルド以前から続く古い豪族の血筋を持つ
恐るべき騎士のものであった。

 その低い声を耳にしてその場にいるもの達は思わず固唾を飲む。

この日彼が起こした事件は、
紛れもなくナイトガルドの歴史に傷跡を残す所業だったのだ。
もし、この時に間違いが起こっていれば
ナイトガルドは、自分たちは
どうなっていたかもわからない。
それは恐るべき事であるし、
この時の記録を直視するのを
彼らが恐れるのにはもう一つ理由があった。

 「クロウス卿、
貴方が今斬り捨てたのは貴方と同じ私に仕える騎士たち。
なにゆえの所業でしょうか、
また、わらわ以外の誰がその許しを与えましたか?
剣を抜いて王の前に立つなど悪魔に唆されましたか」

 過去の記録の前に身を硬くする臣下と違い、
記録の中でクロウスに問う女王の声は一片の動揺も見せず
飽くまで冷たく、統治者の威厳を誇るようですらあった。

 一拍の間を置いて、クロウスの声が続く。

 「私に許しを与えたのは私という人間です。
私なる王が従僕たる私にそう命じました。
悪魔が助けてくれるなら、楽な話なのですが
悪魔に迷惑をかけるわけにはまいりませぬ。
人間の不始末で借金を申し入れたとて
悪魔とて、頼りないナイトガルドの人間どもに
貸しを作らぬ分別くらいはつけましょう」

 罪人の居直りか、
過度に大げさな例えを挙げる
クロウスの声は笑いを滲ませ、自嘲的ですらあった。
 女王はそれでも冷然と、ぴしゃりと問う。

 「なにゆえという質問に答えなさい」

 ハッ、とクロウスが咳払いをして、一際低い声を発する。
その声はこの男の根の部分から発した
なにか正体のわからぬ怒りのようなものが滲んでいるように
感じられる。

 「御身はまだ戯れる余裕があるのかね」

 「なにを以って戯れと申されるか」

 「憶えているだろう、御身と同じ名前を持つ騎士、
シヲンの事を!
シヲンは戦場で死んだのだ!」

 ここだ、とその場にいる臣下たちは耳を澄ませた。
一心にその身にひとびとの尊敬を集めた
クロウス卿が、なぜそのような凶行に及んだのか
クロウスは、その動機らしきものの一片を語る。
語るのは良いが、真実の一片を載せているべき
その部分のクロウスの言葉は突然連絡がなくなり
もの狂いのような突飛な言葉になった、とかれらには思えた。

 「常に騎士クロウスと共にいた
シヲン・クノウという騎士は覚えています。
かつて世に生を受けた女性の中で誰よりも美しく
高貴でいて
馬上にある全ての騎士の中で最も気高く、
ルサンチマンと戦った女性を」

 「そのシヲンは人間だった!
同じ名前の貴様はなにものであるか! 人間の王は人間であるぞ、
ナイトガルドの紋章は蝶の紋章など掲げてはおらぬだろうが!」

 わけのわからない事をまくし立てるクロウスの言葉に続けて、
鋭くヒョウッ、と風切る者音が響く。

それは、クロウスの得物である剣が振るわれた音であるという事実も、
彼らは知っていた。

 ウっ、と女王の呻く声に何か薄い布を引き裂く鋭い音が続き、
吹き飛ばされた女王が床に倒れるドンという物音が重なる。

 「無礼を!」

 記録の中で初めて女王が感情のようなものを声に漲らせて叫ぶ。

 「その、おのれの乳房の間に刻まれた蝶のしるし、
いつついたのか教えていただこうか!」

 「丸腰の女に刃を向けるばかりではない、
王を穢すような真似をして臆面もなし、
おのれ、騎士の名を、
否、人道を語ること能わず!
必至、おのれの心根は人の世のものでなし、
正体は、外道か、畜生か!
貴公は恥というのを存じなかったか、クロウス・アーメイ!」

 言語を絶する事態である。
 この時、女王はクロウスの刀にドレスを
真一文字に引き裂かれていたのだ。
 重臣らの抱く恐怖、とはこの事態を直視する事であった。

 ある日突然狂った男が女王に蛮行を働いた。
未遂に終わったとはいえ、この過去を突きつけられた彼らからすれば
抹殺したい失態である。恥である。汚点である。

 記録の中のクロウスは、
息を飲む音に躊躇いを見せて、一瞬沈黙する。

 「──然り。情けなくも吾、外道となり、人間を辞める所存である。
この太刀の生まれし東方に一言あり。
曰く、分別ありては破る事ならず、
無分別こそ、虎口前の肝要なり。
人間に、王が殺せるか!
王という化け物を殺すならば、化け物になるより他にない!」

 ほほ、と記録の中の女王がクロウスの無様を笑う。

 クロウスがその意思を語るのは心中に戸惑いが有るゆえだと
女王の笑いは言外に語る。

 彼が、彼言うところの化け物であるならばものを言う前に
すでにもう一度構えた刀を振り下ろしていれば事は済む。

彼はここまできてもまだ、尚、裏切られたかったのだ。
彼自身の抱く、女王に刃を向けさせた彼の炎、…疑念を。

 「笑止!おのれの語る言の葉なるものは
人間の操る道具ではなかったか!
言葉でなにか言うものに王が殺せるものか!」

 女王がクロウスを挑発する。

しもべの暴力に屈しないその尊厳は、おのれの決意の淀みを取り払おうとする
クロウスの意思に再びノイズを走らせたか。
クロウスは感情を声に漲らせて、叫ぶ。

「おのれがそれを言うのかっ! だが、しかし!…そうだ、もはや問答は無用!
今度は外さない、
確かに二ツに割って中身を確かめてくれる!」

 「カルマ──────ッ!」

 クロウスの言葉が終わる前に、大地が震えるかのような威厳ある男性の叫び声が、
二人の間に割って入る

 割って入ったのは宰相シツダ・ルタの声であった。

 何ッ、とエクスが驚いて短い声を上げるのと、さらに別の声
…これに関しては全く不明瞭であるが、どうやら人間の物ではなく
なにかの獣の吠え声らしきもの、と思われる…が重なり、記録はそこで終わる。
 魔法陣は徐々に光を収め、やがて沈黙し、臣下の聖騎士達は一人の例外もなく、肩を震わせた。

 …そして、この過去は今現在
報復をもう一度企てていると誰しもが考えている。
この時、彼らはクロウスを取り逃がしているのだ。

 未来、このような事態がもう一度起ったとき、
或いは起こる前に防げるのだろうか。

彼らは前例を作ってしまった。
前例は、人間の世界がある限り未来へと永遠に報復し続ける。

 しかし、防がねばならない。

 防げなかったその時は己の身の上だけではない 。
国が瀕死の重傷を負うのだ。
ナイトガルドの禄を食むならば
身命を賭して打ち消さねばならぬ未来である。
ナイトガルドの未来を刻み続けていく為にも。

 「我々臣下一同、女王陛下の心痛、お察しいたしております…」

 女王の左側に立つヨシュアが、俯いたまま、
慈悲と威厳を感じさせるその声で
その場にいるもの全ての心を掬い取ってみせる。

 ナイトガルドの誇りの一角であった最高の騎士の一人が
狂い、兇刃を振るったという事件で、
女王が受けたその心痛は確かに計りえぬものがある。
ましてその兇刃の前に命を危険に晒したのは
女王本人なのだ。
 「…しかし、彼は佳き騎士であった時、
わらわと、ナイトガルドをよく守ってくれました。
敵にあたって鬼、我が方にあっては王。
多くを語らぬながら、
人に与える事、教える事を良くする彼は
黙して生き物に命を与える
海のような騎士であったと私は思っております」
 彼の身を憂いてか、女王はつと眼を伏せる。
右手のシツダが一拍置いて深々と頷くと、静かに言葉を紡いだ。

 「──本人不在にて裁判を執り行い、
懲役八百余年の判決が確定する以前から
女王の命の下、
クロウス卿の行方を万策尽くして捜しているのは皆様もご承知でしょうし
割いて頂いた皆様のお力、
女王も感謝に絶えないと日頃から仰せになられています」

 「あの、海そのものであるような
クロウス卿にわらわはもう一度問いたいと思います。
きっと原因がある筈なのです。
彼もまた、わらわの信じた大切な臣の一人。
なんとしてもこのままにしてはおけませぬ」

 女王の大きな瞳から玉の様な大粒の涙が零れ落ちるのを見て
ソボは胸をかきむしられる様な悲しみに打たれた。
あのような眼にあってまだ、クロウスの事を思いやる
国土よりも広い心。
この女性を守る事がナイトガルドを守る事であると
ソボたちは胸中に誓いを新たにする。

 「…しかし、女王のお心と、皆様の尽力の
甲斐があって、先ほど、
遂にクロウス卿の行方を知らせる知らせを我々は手にしました。」

 ヨシュアの言葉に驚いた聖騎士達の、
おお、というどよめきが玉座の間を満たし、再び、聖騎士達の足元の魔法陣が光を放つ。

 「クロウス!これでもその名前が、新しいカリバーン、
エクスカリバーが必要だと思わんのか!
出てくるんだ!クロウス・アーメイッ!」

 しばしの沈黙の後、玉座の間に最初に響いたのは聖騎士に最も近いと評される
銀盾騎士グレン・オウディスの怒声であった。

 「なんと」

 ざわ、と一斉に玉座の間の臣下たちは気色ばむ。

 親交の厚さから誰からも一度はエクスの行方の手がかりを求められながら
しかし、女王に公然と宣誓まで立ててその関わりを否定した人物
グレン・オウディスがクロウスの名を叫んでいる。

 のみならず、その叫んでいる言葉はエクスカリバーの名を告げ、
断絶したはずのクロウスの乗機、カリバーンという名の持つ
系譜が、新たな存在を今に表している
…つまり、クロウスが女王暗殺を謀る直前に
カリバーンが失われて以降発せられた声である事…
を示している。
 何より、その重大な名前の兵器が生まれ出でている事を、
この場にいる誰一人として知らなかったのだ。

軍組織の全ての情報を把握しているべき
王都の騎士達であるにも関わらず、だ。

 その名は意図的に隠されている、
グレンには魂胆があると確信をされるのは自明の理である。

 「この記録は、ほんの少し前のものです。
現在戦闘の起こっているシール市、
同所有のスレイプニルの把握している通信の記録を
現地の騎士に転送してもらいました。」

 諸侯へ声を上げたシツダは、
脳裏に服わぬ騎士シャックスの不敵な笑みを思い浮かべる。
 (己しか信じないもの、
人の言葉の中にしか己を見つけられないこやつら。
…吾らの戦いでは、どちらの使い勝手が上かな)


 「僕ちゃん、でけえナッツが一個見えるだろう!
エネルギー収束しながら最速降下、打撃、放出、離脱!
やることは四つだ!
触手は減らしてあるんだからしくじってもらったら困るぜ!」

 高揚しているのか、早口でまくし立てるエクスの声にザノンは脂汗で湿る眉間に皺をぎゅうと寄せる。

 「肋骨に響くし、集中したいんです、
下品な事を大声で言わないで下さい!」

 「ぶち込む方がお嬢さんみたいな口を
聞いているんじゃあねえ、さっさとやれったら!」

 「…こんなに口の汚い人だったかな…」

 エクスの言葉に辟易しながらも
ザノンは、ニュクスの触手の根元、
口盤のように平たい部分の真ん中に鎮座する露出した巨大な
黒い鉱物のような光沢を持つ半球を見下ろし睨み据える。
直径にして、アイギスの四分の一はあるだろうか?
 胸の焼けるような痛みを忍ぶように長く息を吐くと
ザノンは眼を見開き、言葉を吐く。

 「いくよ、アイギス!」

 前を向くザノンのその精神は、アイギスの加速を得て空間を運動する。

 「速い!同化に集中しているとはいえ、
最初で出せるスピードってレベルじゃねえぞ!」

 さながら流星そのままのアイギスの加速に
舌を巻くエクスは、おっとと声を上げ、動きを見せた触手の一本を叩き斬る。

 叩ききった触手はずるりと音を立てて重力に引かれて落ちる、が、
落ちるその触手にエクスはデアブロウの脚をかける。

 「また昇るのはゴメンだぜ、確実に仕留めろよ」

 叫ぶと、エクスはデアブロウの爪をその触手に深々と突き立てて、
ニュクスの口盤の淵を蹴り飛ばして、
触手とともにニュクスの胴体から離れる。

 風よりも早くニュクスの中枢目掛けて
殺到するザノンを捉えんと、残った触手がアイギスへと殺到する。
巨大な流氷の中を泳ぐ北方の勇魚はこんな気持ちなのかとザノンは肝を冷やす。
 「おッ広げるぜ、ノーブル。三重偏差撃ち、篤とご覧じろ」

 通信が聞こえると共に
アイギスに肉薄していた触手がメーテの放つ砲と
ライフルの直撃を食い、軌道を狂わされ、或いは粉砕される。

 メーテが狙いをニュクスタイプに絞って、支援砲撃を放ったのだ。

 「砲手の方、助かります!」
 ばらばらと砕ける触手の肉片を一瞬のうちにアイギスは行き過ぎ、
ガツン、という強大な反動と共に
アイギスの刀はニュクスの中枢に深々と食い込んでいた。