015.X XS_Plus_Pras





 その男の汚らしい赤いぼさぼさの髪が二階から降りてくるのを視界の隅に入れた
温厚そうなバーの初老のマスターは、白いものの混じった口ひげを歪めて聞こえよがしに舌打ちを鳴らした。

 「昨日の婆ァちゃんは最悪だったぞ、なんてェのを寄越しやがる、J・D」

 苦しそうに声を上げる赤い髪の男のハスキー声は酒で焼けてかすれた様な声になっており、
それをろくに廻らないろれつで喋るものだから、ちょっと聞いただけでは何を言っているのかわからない。
日も高いうちからもう酔っているのだろうか、階段を降りる赤い髪の男の足取りは頼りなく、
年季が入った渋い色の柿ノ木で出来た手すりに頼らなければすぐに階段を滑り落ちてしまいそうな危うさが漂っていた。

 「しかし、やる事はやったんだろう。金を払ってから文句を云うんじゃねえや」

 腰を叩いてカウンターを拭くとJ・Dと呼ばれた男は、赤い髪の男の降りてくる階段の方をジロリと目玉をひン剥いて睨む。
随分と露骨な嫌悪の視線だ。

 「糞ッ、だから商売人てえのは嫌いなんだ!金を払うまではニコニコして尽きねえ
愛想を嘘に包んで、臆面もなくばら撒きやがる癖に、金を払って種明かしとなれば嘘も方便と居直りやがる!
だから商売人は嫌いなんだ!大体な、アッ」

 アッー!と断末魔の様な物凄い声を上げると、男は手すりから手を滑らせ、脚も滑らせ、臙脂色の肩掛けマントをひらめかせて無様に階段を五六段転げ落ちる。
バタバタ、ドシン、と音を立てて、貧相な体格の男の体躯は、嫌というほどの勢いで床に叩きつけられ、
赤毛の男はうう、とうめき声を上げて、叩きつけられた体を仰向けにすると、
吐瀉物を履くときのようなコポッという音を喉から立てる。
それを聞きつけたJ・Dがきちんと切りそろえられた口ひげに隠れた口を大きく開き、歯を見せて大声を上げる。

 「おい、吐いてくれるなよ!そこは掃除したばかりなんだ!…全く、ろくでなしなのはお互い様だ。
絵空事を美しい言葉と音楽で本当の事のように言い飾る、やくざな詩人と何が違うんだい、ラス・プラス」

 慌てて赤毛の方を振り向いたJ・Dはその男、
ラスが床を汚してはいなかったのを確かめると溜め息をついて、首を振って、禿げた己の頭をぴしゃりと平手で一つ叩く。
ううーッと嫌な声を上げてから咳を立て続けに一つ二つして、ラスがやっとの思いで上体を起こした。

 「詫びに」

 うぇっと気持ちの悪いうめき声を上げるとラスはゼーゼーと荒い息を上げながら言葉を続ける。

 「酒を出せ、いや、ただが嫌なのなら金は、後で払う。なぜなら金がないからだ。一文だってありやしない」

 言い終えて、アーと情けないため息をつくラスの言葉に嫌悪感を隠そうともせず、J・Dは眉間の深い皺を一層きつく寄せて答える。

 「寝言を言ってるんじゃない。こっちだって商売だ、金が先だ」

 脚を曲げて、床にぺたんと腰を下ろした姿勢となったラスは
ようやく落ち着いたのか長い息を吐いて額を右手の人差し指で抑える。

 J・Dはちらとラスの指を見やる。

ラスの指は、上位騎士だのが使う、滅多にお眼にかかれないような上等な陶器を思わせる白さがある。
彼の指はJ・Dの目から見ても細く、長く、芸術品のように美しく、何よりもしなやかに動いた。

 ラスは一拍の間を置いて指を額から外す。

 赤毛の下のその顔は酒のせいか肌はどす黒く変色しており、目は血走ってやけに白目が黄色い。
鼻は道化の化粧のように赤く、丸く、大きい。
唇はそれとは反対に奇妙に青白く、寝床ででも一度吐いていたのだろうか、吐瀉物が唇の端にこびりついている。

髭は不精で伸ばしているのか中途半端な長さのものが
顎と口の上に汚らしくぽつぽつと生え、見苦しさに拍車をかけている。

だが、J・Dは知っている。

彼、ラス・プラスはナイトガルドで五本の指に入る程に芸能の神の寵愛を受けた人間である事を。
その美しい指でリラを取って歌えば、
彼の酒に焼けた声は彼のリラと共振し、変質を始め、やがて天上の弦楽器となる。

そして詩は無限の風となって人の心を吹き抜け、人の想像を自在に操り、
刺激する清らかな幻の踊り子となって人の内側、影の中で踊り遊ぶ。

 すくなくとも、J・Dはそのように思っている自分を知覚していた。

そして、狡猾な事にそんな周囲の評価をしり、最大限に利用しているのがラスという男である。

 「仕方無え、昼だが、客寄せを一つやってやる。俺の音楽は、金と、等価だ。
自惚れでもなんでもない、こいつは紛れも無い事実だ。
あんたが今日も商売に拍車を掛けたいって言うならそれで手打ちで、どうだ」

 「いいだろう、ラス・プラス。
この世の背徳はなんでもやっちまってる屑があんただが、神の御心は妙、そんなあんたの歌が金になるのは事実だ。」

 「曲目は」

 「北部口伝詩篇、始まりの独神と女神の戦争」

 体の向きをラスの方に向けて腰に手を当てたJ・Dをちらりと見上げてラスは、ケッと苦笑いを漏らす。

 「昼日中から男と女の営みの詩で客を引くようじゃ世も末だな」

 笑いながらラスはまだ気分が悪いのか、ゲホゲホと咳き込んでまた、気持ちの悪い唸り声を上げる。

 「商売なんてのは儲かって悪いことは無えんだ、芸術だって利用する」

 何度か呼吸を繰り返して、息を整えると、別人のように美しい仕種でラスは立ち上がる。
二階の廊下から、ラスの唸り声やら、階段を落ちる音をを聞きつけた
泊りがけの客が一人と娼婦が一人それぞれ覗き込むように階下に目をやる。

 ラスが、目を閉じて右の掌を自分の胸板に当てて、
今度は長く、長く、息を吐く。
何かを、測っているのだろうか。
神の息遣いを聞いているのか。
まだ、その手にはリラさえ持っていないのに音楽が漂っているような、
何かラスを従わせる規律の気配があるように感じられる。
その場に居合わせた誰にも。

 思わず、J・Dが唾を飲んだ瞬間、ラスは目を見開いて胸板から手を外し、声を鳴らす。
その声は先ほどまでの、ただの、酒に焼けたハスキーな声ではなく、
高貴で、厳格な父性を感じさせる重厚な低さを持った低音に変化していた。

 「ここには、最初から人間がいたのだろうか。
人間を生んだ父と母がいた、として。
いいや、無い、と断じるのは我々が孤独であると言うのと変わりない」

 両手をゆっくりと広げ、ラスはその場でやはりゆっくりと体を回し、周囲を見渡す。

 「我々には父と母がいて、その父と母が男と女であることを知っている。
そして、またその父とその母は違う男女であることも。
想像しよう。そして、目指そう。
海を。
想像の帆を掲げ、船を出すのだ。
無限の物語がそこにある。その広がりを目指し、
我々は支流から広大な河へ、やがて源流の海へと辿り着く、我々の船。
私はこの海の物語を一つ、知っている」

 ラスは、絶対的に、誰も知りえないほどに音楽を理解している。
だから、彼は演奏さえ必要とせずに自分の声を音楽として鳴らし始める事も出来る。

 ラスの口上の心地よさに、J・Dは思わず目を閉じていた。
二階の男女は階下に下りるための身支度を始めるべきか、
それともこのままラスの歌を聴き続けるべきか迷って目を白黒させている。

「最初の男と最初の女たちの悲しい話。
その、共感と、隔絶。
今に到るまで続く普遍の隔絶。
ああ、これが悲しくないと言うなら、世の中の悲しみといわれるものは全て幻である!
貴方が、男か、女か、そのどちらかであるなら通り過ぎない、振り向くだろう物語。
物語は言葉であり
言葉とは音楽である。
私は幸いにして音楽を奏でる方法を知っている。
だから音楽にのせて歌う。
北方に伝わる、国を産んだ男と女の成り立ちの詩を」

 ぐるり、とラスはもう一度体を回す。

 「─悪くない、今日は酒場の客引きに使うにはもったいない出来の、声の調子だ」

 練習か、と目を開けたJ・Dもラスの言葉に深々と首を縦に振る。
ラスがぐいと顎をしゃくって、カウンターの中を示すとJ・Dに目配せをする。

 「良いとか悪いとか、お前だけの基準を言われたって聞くほうにしたら基準はわからん」

 J・Dはカウンターの中に脚を運ぶと真新しいウィスキーのボトルの封を切って、感想をポツリと呟いた。

 「そうだろう、しかし骨の内側から伝わる自分の声を聞いたって
錯覚をせずにオーディエンスにどう聞こえているのか理解しているのが、
俺という人間なんだ。ラス・プラスは音楽の代名詞だ」

 ラスの言葉に耳を傾けながらも、グラスに注いだ波打つウィスキーの琥珀色から視線を外さずに…J・Dは首を振って呟く。

 「他人にそう見えるとしても、言葉どおりに思っているなら、酒におぼれるものか。哀れな野郎だ」





 「極大収束…!」

 胸の痛みに体を震わせながらもじっとりと汗で湿っている詰襟の学生服の、カラーにザノンは思わず手をやって、カラーをぐいと歪めて空気を送り込む。
そうしながらも、アイギスのジェネレーターから発した
エネルギーを深く差し込んだ太刀に
ぎゅうと流し込むイメージを頭に描きながら
その、激流を思わせ、底なしかとも感じられる膨大なエネルギーの移動を感じて荒い息を発し、呟く。

 「これが、アイギス…!違う、まだアイギスは底を見せてはいない…そう、感じる…」

 先ほど、ニュクスの体を昇った時よりも何倍も大きなエネルギーを集めているにも関わらず、
アイギスのジェネレーターはまだ余力を残している。
機体から伝わる音が、気配が、計器の情報が、それをザノンに教えていた。
琥珀色の瞳は、その神力を改めて畏怖し、見開かれる。

 「アイギス、そこを墓場にしたくないんならさっさと仕留めて離脱だ!」

 エクスの吠え声を聞いてザノンは、アイギスが武器に集めたエネルギーを一気に放出する。

 「終われ!ニュクス!」

 放出されたエネルギーがバシッ、と爆ぜるような音と、強烈な光とを共に
大気中の水分を蒸発させて、それに伴って発生し、巻き上がった煙がアイギスの居た辺りを一瞬に隠す。
その煙を瞬時に突き抜けて
アイギスは今、自分がエネルギーを叩き込んで核を二つに割ったニュクスのはるか上空に居た。
質量を運動させるものが、これだけ大量に、高速に放出されればそれは爆発と変わらない現象である。
ザノンの反応に信じられない程のレスポンスを返し、その、自らの発したエネルギーの奔流からアイギスは逃れていたのだ。

 はっ、とザノンが長い息を吐く。

 「こいつ、僕が意識をするよりも早く動いていた…?無意識の領域の感覚を掬い取って。アイギス…」

 「次、行くぞ!上がってくる
フラ・ベルジャ、クワィケン、長距離砲撃と連携を取って、軸を合わせたバニシング・レイを叩き込む!
ボーナス・ゲーム、ニュクス三体は纏めていくぞ!」

 あえて、至難の業を要求しアグレッシブに周りを引っ張る歩兵部隊の長となった
エクスは核を叩き割られ崩れ落ちるニュクスの体を飛びのいて避けると再びデアブロウに構えを作らせる。

 折れた剣で、頭部から胸部にかけて滅多刺しにされたDiesの上体は
もはやミンチの様になって原型を留めない、巨大な花弁からダィンスレーの腕と足がはえているようなざまになっていた。

 一般に、中型以下のルサンチマンは身体の30%から40%に渡る面積を失うか、
或いは切創などによって断絶されると機能停止し、命を失い、間もなく消滅するといわれている。

 両断されていないながらも、Diesももはや
とっくにそれを超え、構造自体が原型を留めない程の損傷を負わされているのにも関わらず、
馬乗りになったフラ・ベルジャはまだ、恐怖からか剣を振り上げDiesを刺し続けていた。

 「無事ですかい、グレン・オウディス卿」

 もはや満足に動かないダィンスレーRの元にマルコのマツカブイが歩み寄る。

 装甲はあちこち凹み、右腕を失い、各部関節駆動系も満足に機能していないのか、
彼の機体もどうやら満身創痍であるが、どうにか、立って歩ける分グレンのダィンスレーRよりはましな有様というものである。

 「ゴールデン・コヨーテの…マルコ・ガチ殿か、かたじけない」

 グレンがかたじけない、と口にしたのには…余人の知ることのないコネクション、
グレンへ、エクスの居所の情報提供をしたのがマルコであるという事実への謝辞である。

 「金を貰っといていうのはなんだが」

 人間同士がそうするように、マルコのマツカブイは
残った左腕で以って膝をついたダィンスレーRの腰の辺りを抱えるとグと力を込めてダィンスレーRを引き起こす。

 「エクス班長は、真摯だ。戦う事に関して。
不真面目な理由で戦うような人間じゃ、ない。
理由を言わないのだとしても、…決して、それは不誠実なものなのではないはずだ」

 「そうか、クロウス・アーメイというだけではない。
現実問題、彼は今はエクスでもある。
…私は彼はクロウスだと思い込んでいた。
クロウスに聞こうと言うのが間違いなのか。エクスという偽りの名を名乗る理由、
それを知る事が…その手がかりになるはずだが…」

 マルコの言葉に、グレンが言葉を口中に溶かし、額の傷をぐいと手の甲で拭って血を払う。

 「私のことを忘れてしまうのか。私よりも罪人の方が愛されるべきなのか」

 その声にはっとなったマルコはマツカブイをDiesの方へ向け、グレンも顔を起こす。
もう動く事は無いだろうと思っていたDiesがぐしゃぐしゃになった上体──
肉の襞を震わせ、声を上げ、再び言葉を喋ったのだ。

 「皆、そうなのか。私は…私の…私はどこなのだ…
立てなくなる、押しのけられて…そうしていつか…人々に蔑まれるようになるのか…つみびとよりも…」

 「ペイン・オールトー…」

 グレンは、その言葉の、いいや、声の変質を感じ取った。

そこに見えた彼の感情に、グレンは、胸にこみ上げてくるものを抑える事が出来なかった。

 「野郎、まだ…!この戦斧で、止めを刺してくれるか!」

 「いや、違う…マルコ・ガチ。終わらせるのは、君や、私や…他の人間では、ない…」

 恐怖からか、逆上するマルコをグレンは制止する。
 グレンは、ダィンスレーRの胴を揺すってマツカブイの腕を振り解くと、
Diesの方へと片足しかまともに動かないダィンスレーRの足を引きずって、ゆっくりと歩かせる。

 「聞こえるでしょうか、ペイン卿」

 ズシン、と音を立ててダィンスレーRが片膝をつく。
勢い良く片膝をついたために、モウと砂埃が上がって、ダィンスレーの視界が少しの間曇る。

 Diesに馬乗りになった騎士は、
通信から聞こえたグレンの声に何かを感じ取ったのか、彼のフラ・ベルジャは剣を振り上げた姿勢のまま動きを止めた。

 「貴方は、ペイン・オールトーという人間だったのを私は誓って、忘れる事はありません」

 膝をついたダィンスレーRは、そのコクピットハッチを開く。開いたコクピットハッチから、生身のグレンは歩み出る。

 「名を負いし人間は、その優劣を比較する事をしてはなりません。
その人は一つで、親の愛から生まれ出たものである、その人の存在こそが、誇るべきものだからです。
もし!人間の中に騎士の敵というものがいるとするならば!
人を蔑むもの…人間の、誇りを傷つけるもの。
人の誇りを砕いて、獣に返し、世に災禍を招くものこそが、断じて、騎士の敵です。
武装した規律が戦うべき相手です。
ひとを、誰かが劣っているなどという風聞、評価、そういったものは…
それを口にするひとらが、己の事を蔑んでいるが故に出る言葉です。
哀れむべき事に、その、自らの痛みペインを、いっとき、消す為に…」

 グレンの目は、しっかりとDiesに向けられている。
そうして、グレンは深く息を吸うと言葉をさらに続けた。
言葉を紡ぎながらグレンは、コクピットハッチから大地に降り立つ。

 「ペイン・オールトー。私は、まだ、貴方ほど長くこの国に使えてはいません。
貴方は私の中で忠実な騎士の代名詞であり、年長の、尊敬すべき騎士です。
だから、私は…そんな貴方の器を壊したルサンチマンが許せません。
貴方の内側に秘めた思いがそうなのだとしても…
貴方は、長きに渡りそんな思いを抱いたとしてもそれを律し、乗り越えてきたというのに…それを…」

 もう、フラ・ベルジャのパイロットも肉眼でグレンの表情まで見える距離にまで近づいて、やっと、グレンは脚を止めた。
アア、と悲嘆の嘆息が辺りを走る。

 「そうだ、私には妻も子供もいて…私は…誇りを…
私は…何をしているんだ…何になりたかったのだ…」

 ペインが、言葉を漏らす。体はルサンチマンに成り果てたとして、命を今失ういまわの際なのだとしても、
グレンが一度は絶望したのだとしても…彼は、常世に完全に行ったわけではなかった。
常世の淵で、希望の断崖で必死に耐えていたのだ。
グレンは、その思いを胸に押し込んで、ぐ、と胸を張る。

ペインは、勝ったのだ。 彼は、たった一人で、肉体まで奪われながら、ルサンチマンに勝ったのだ。
それは、かつて誰も為しえた事のなかった偉業である。
心の底からグレンは、彼と同じ騎士である事を誇らしく思う。
人間として終わるのを見届ける事を望まれても、涙を流される事をペインは決して望んではいないだろう。
そう、グレンは感じていた。

 「幸いです、ペイン・オールトー。
…最後に貴方が自分を取り戻してくれたのなら…それだけで、ルサンチマンと戦った価値になります。
そして、一人の魂が、自己を取り戻す事で一つのルサンチマンが滅んで、人間の世界は守られるのです」

  「グレン、本当に済まない…私の誇りを守る為に、貴公は戦ってくれた。ああ、恐ろしい私の魔物と。
それなのに、私は今、貴公に頼みがある。聞いてくれるだろうか」

 「なんであろうと」

 「妻と子に、この私の累は及ばぬよう…願わくば、未来に幸多きように」

 「承知」

 「そして、騎士グレン、この呪われた体を…もう、楽にしてやってくれ…。
情けない事に私は、弱さを…言葉を、交わしてしまった…
御身らは楽ではないだろうがどうか…」

 「承知、貴方のその、誰よりも偉大な勝利を思えば、出来ないことなど、この世に有りません」

 グレンが、右腕を高々と上げると、
ペインに馬乗りになったままのフラ・ベルジャが折れた剣を捨てて、拳のマルチランチャーを構える。
マルコが思わず身を乗り出すと同時にフラ・ベルジャのランチャーが光って、
Diesだった欠片が土煙と共に巻き上がった。
地表に叩きつけられたエネルギーが旋風を巻き起こし、嵐のような風が行き過ぎる。
しかし、グレンは微動だにせずにその場に立ち尽くしていた。
胸に、ペインを抱えて。

 「見事、見事!ぼろぼろに食い破られたとはいえ、
泥試合の殴り合いで何とか勝ち目となったようだな、ナイトガルドの騎士達!」

 グングニルのコクピットの中で、シャックスは細い眼に異様な高揚の光を見せ、手を打ち鳴らす。

そうしてから、彼はそう広くもないコクピットの中でぐうと黒い防護服を前のめりにさせて、
機体透過された眼下の光景をぐるりと見回すと、先ほどからの傍観ですっかり満足したのか、
彼はグングニルに槍の黒い柄を掴ませる。

 「ここまで来たら、どちらが勝つかはもう判りきっている、なら、決着を急いでもらおうか!」

 「なんだ、この気配…なにかが、姿を隠して潜んでいる…?」

 グングニルが姿を消したままアクションを起こそうとした所で、
ニュクスの触手から距離をとるべく高度を上げたアイギスの胎内のザノンは呟く。
見回してみたとて、ザノンの瞳にはなにも写らない。
けれどもなにかが、そこに居ると言う殆ど確信に近い感触をザノンは肌で感じていた。

 「目で見えているものは同じなんだ…
けれどもアイギスの中に乗り込んだときから、僕の感覚は何か違う。
目で見えているもの、耳で聞こえるもの以外に何かを肌で感じている…そんな風に感じられる…」

 呟いたザノンのアイギスは空中で何かを探るようにもう一度周囲を見渡す。

 (ハーピータイプのルサンチマン…?違う、殆ど全滅したはずだ。
それにルサンチマンのような剥き出しの悪意じゃない…。
僕自身の幻影を見たときに感じた気配に似ている──。
自分だけの為の、攻撃の意思──?)

 すぐ真下にまで高度を上げてきたアイギスの不振な動きを見てシャックスは機体の動きを止めた。

 「なんだ?エクスカリバーのこの動き…俺を、探しているのか?」

 シャックスは仰天し、奥歯をギチと鳴らす。
相手に自分がここに居る事を知られているので有れば、なにか手を打たれているかもしれない。
そうなれば自分はどんな状況に叩き込まれるか判らない。
チィッとシャックスは舌打ちをして考えを廻らせる。

 面白くないが、ここはこうだと一計を案じて、シャックスは右手のコンソールを叩いて右手のレバーの一つを思い切り引く。


 「クロオ──ウスッ!!!」


 突然、アイギスの上空から降って来た雷鳴のような怒鳴り声に今度はザノンが仰天する。

 「何!?魔装鎧!?」

 そこに姿を表したグングニルの威容に魂消たザノンは思わず機体の動きを一瞬止める。

 「おうッ!我こそはナイトガルドの王都第十禁騎士団シャックス・ブローバとその乗騎グングニルである!
鉄の律法の名の下に、おのれの身柄を頂きに参った!神妙にしてもらおうか、クロウス・アーメイ!」

 (まるで事情の判ってない騎士が、敵対する意思を見せて飛び込んできた…!?)

 一瞬の事にザノンは混乱する頭で相手の言葉から情報を整理すると槍を構える魔装鎧から慌てて距離を取る。

 「ここに、クロウス卿はいません!僕は、ザノン・シール!盾の騎士団付属学園の生徒です!」

 「下手な嘘だな!学生がノーブルアーマーに乗っているわけが無いだろう!」

 食い下がる騎士らしき人物にザノンはもう!と向きになって肩を張って音声加工を解いた自分の声を聞かせる。

 「事情が、あるんです!僕がクロウス卿の名を借りてこの機体に乗っているのはクロウス卿と偽ってこの戦場を切り抜けなければいけないんです!」

 (この様子、敵か味方か判断できずに手の内を小出しに出していると見える。
その判断が出来ていないのなら、どうやらこちらの動きを勘付いての事ではないな?)

 シャックスはコクピットの中で会心の笑みを浮かべると槍を引く。

 「そうか…なら、しょうがないな」

 まだ一言二言あるだろうと準備を頭の中で整えていたザノンは
シャックスの言葉に、え、と肩透かしを食った気分になり不安を覚える。

 「しかし、私も騎士である以上、君が潔白だとしてもこの状況では何もせずに帰るわけでは、勿論、ない。
このルサンチマン掃討を手伝っていこう。このグングニルでノーブルは都合二機になる。
ノーブルの戦いのしざま、学生君にレクチャーしてやろう」