018.5_Chaos/混沌と逆理の騎士(tuned:1)





 いまわの際、エクスは一年と少し前の、逃亡の末に辿り着いた場所で起きた事を思い出す。

 ──クロウス・アーメイは、人が足を踏み入れぬ、
ある高山の中ほどにある深い森の中で、
天を突いて聳え立つ巨大な石碑を目の前にして呆然と立ち尽くしていた。

 「リクトー殿、一万年生きる人間がいるなどとは、普段の貴方の言葉とは思えない。
が、それはいる──と貴方は仰った。
その人物の言葉は俺の道の助けになる。その言葉を信じて、この、人外魔境にやってきたわけだが」

 クロウスの横に並ぶ老人に、クロウスはぶつぶつと文句を言う。
つやつやとした長い白髪をなびかせて、どこか高貴な雰囲気のある老人は、クロウスの方を見る。

 老人の名は、リクトー・リョッソ。

彼はアーメイ家と古くから親交を持つ、隠居した騎士であり
今のナイトガルドの律法とは相容れぬ、古き賢人ムハン・マドの思想を継承する数少ない人間の一人でもあった。

 彼は幼い頃のクロウスを連れて東方の小国、
旭陽弥幡に渡って見聞を広めさせた経緯をも持ち、その関わりから窮状にあったクロウスに
今、道を示す為に手を差し伸べていると言う事にはなるが。

 「なんだこれは──生き物ですらない、巨大な石碑ではないか!」

 クロウスが上げた大声に驚いたのか、がさがさと木の葉の音をさせて、小鳥が飛び立つ。

 「だが、心は、ここにいるぞ」

 老人の言葉に、冷たい空気を戦慄かせてエクスが問う。

 「心、精神だと。となれば…墓か、これは!?
ええ、感傷はいい!しかし、感傷で墓に何を聞けと言うのです!
それは己の内になにかを聞けと言う事ですか!」

 「墓ではない。断じて、感傷でもない。聞きたい事があるのなら、聞いたら良い」

 老人は、古ぼけたリラを汚れた背負い袋から取り出す。

 「人間ならば、音楽を聞き分ける」

 リクトーは手にしたリラを奏でようと、
弦に手を掛けるが、手を滑らせてリラを取り落としてしまった。
落とした拍子にリラの弦は、その衝撃で一本切れて、リラそのものも傷がつく。

 「よい、よい、疵などついても構わん、その方が、年季が入って味が出る。──私が拾う」

 リクトーは、リラを拾い上げようとするクロウスを手で制止し、己がリラを手にとって、拾い上げた。

 クロウスは、近くの岩にどっかと腰掛けて、腕を組み、リラを奏でるリクトーを見守る。

 (へぇ、ちょっとした名手じゃないか)

 憮然としていたクロウスも、
いつしかリクトーの演奏に聞き入っていた。

音楽は、彼の思い出を想起させ、
今までの過酷だった時間と、ここまでの道のりで累積した疲労を忘れ、目を閉じたクロウスは
ひと時、優しい思い出の中を漂う。
しばし、その音楽が続いて──突然、閉じたクロウスの瞼に光が割り込む。

 何かが、強烈な光を発したのだ──
突然にこのような強烈な光を発するのは、魔装か、と現実に引き戻されたクロウスは目を開く。

眼を開いて、クロウスはすぐに異変に気づいた。
収束し始めた光の中心に、石碑が消えうせて、
代わりに、一糸纏わぬ姿の人間が立っていたのだ。

 人物は、人間のシルエットはしているが、顔はやけにのっぺりとしているし、
男か女かは判らない。
そのように、なっていた。

音楽が、いつしか止んでいる。

 ぬぅッと唸るやクロウスは右手を太刀の柄に走らせる。

 「何奴!?」

 「人に会いに来たのであろうが」

 逃亡者の過敏さで太刀を抜き払い、肩を強張らせたクロウスを、リクトーが左手を上げて制止する。

 「…は、しかし…この男?女?…この人物が、万年を生きる、賢人だというのですか?」

 「おう、人間であるなら、男か女かでなくてはなるまいな。
どちらだったか思い出せるかね、万象」

 リクトーは、人物を万象と呼んだ。

 万象。この人物の呼び名であろうか。

クロウスは手にした太刀を鞘に収めると、改めてこの人物の姿をまじまじと見る。
妙に漠然としていると言うか、全体の特徴もやはり、のっぺりとしていて、あまりにも特徴がない。
そのようにクロウスは感じた。

 「わたしの、まえに、いるのは、おとこか、おんなか」

 声も、不思議だ。男の様でもあるし、女のものにも聞こえる。
万象の声は、喋っている途中で高さや響きが変わり──誰のものでも無い様である。

 「二人とも男だ」

 「では、そのすがたをまねて、男を、おもいだす」

 「結構」

 リクトーの返答と共に万象の姿が段階的に変化し、具体性を帯びてくるのが、クロウスの目にも判った。

 「…俺は、夢を見ているのか?…本当に、言葉の通りに…男になった…あんた、何者なんだ…」

 「俺は、万象。ぜろと、いちの、あいだを、さまようもの」

 万象の声は、一定の低いトーンを持つようになっていた。
今は、どうきいても男の声だと確信できる。
クロウスは、目を白黒させながらも、問いを発する。

 「──まずは、聞こう。
万年を生きている賢人だと聞いた。一体、あんたはここで万年の間何をしていたんだ」

 「かんがえていた」

 「考えていた?一体、何を」

 矢継ぎ早に問いを発するクロウスの声に、万象は一定の間隔を置いてから答える。
抑揚のない声である。
 「このよの、すべてだ。そこで、おんがくが、きこえたので、なつかしく、おもって
ことばというのを、ひさしぶりに、はなしてみたくなった」

 あまりに抽象的な答えに呆然として、
言葉の出ないクロウスの肩を叩いて、リクトーが言う。

 「万象、答えの出ない問いをこの男は抱えておる。聞いてやってはくれんか」

 「わたしのもっている答えでよければ、おしえよう」

 「…教えてくれ、万象。俺の仕えていた王がいる。
しかし、ある事件で、その王は別の存在に存在を乗っ取られてしまった。
巧く化けてはいるが、それは、人間に害なすものなのだ。
俺は、それをなんとしても討ちたい。
その日までは、人間の社会を乱さずに。
俺に、それは成し遂げることは出来るのか?」

 「できる」

 「本当か!本当だな!?して、それはどうやって!?」

 食いつかんばかりの勢いで、クロウスは万象に問う。

 「うむ。ずっと、せかいを、みていた。
そのものは、俺もしっているが、のうりょくは、
人間でもぶきとまほうをつかえばころせるほどのものだ。
ただし、そのものは、その、お前たちの、てきを、生みだす、のうりょくに、たけており
おのれじしんも、うまれかわりつづけることで、じゅみょうを、たもっておる。
お前たちが、ろーかるまざーとよんでいるものの、ごく小さい、ものだ。
とにかく、ちかづくことが出来れば、お前ひとりでころすことは出来よう。
なんとしても、それをうたんというなら
野をさまよいながら、そのきを、うかがうがよい」

 そうか、とクロウスは深々と頷く。
話半分というわけではなかろう、とクロウスは万象の言葉を聞いて確信する。
万象が姿を現したときの不思議な様子から、というものではなく、
彼の話している言葉は、今までに彼以外知りえなかった情報と、
彼が疑問に思っていた部分をも含んでいたのだ。
頷いて、クロウスはすぐさま次の問いを発する。

 「もう一つ、聞きたい。
…出来ることなら、その人間に害なすものどもを滅ぼす方法があるなら…知りたい。
やつらは、滅びることは、あるのか?」

 「かのうせいは、有る。が、しかし」

 万象は、そこで一度言葉を切った。
クロウスは、なにか不穏なものを感じて、恐る恐る万象の貌のない顔を覗き込む。

 「…どうした?」

 「人間ぜんたいが、今の、まほうにたよった生活をすてなければならない。
そして、こころの有り様もかえなければならない。
おそらく、それは、人間が、滅びるくらいの、くつうをともなう
おまえたちのよくぼうがありつづけることをかんがえれば、それは、およそ
ふかのうに、かぎりなく、ちかいといっていい」

 「…どういう、事だ…!?」

 万象の言葉に恐ろしいものの片鱗を感じ取ってクロウスは呻いた。

   「うむ。あれらは、魔法で、汚されただいちが、
こどくにも、世界と、こころを、だんぜつしたと、思ってしまった人間の、
よきこころによって、あっぱくされていた、
おんねんに、応えて、生まれ続ける、ものである
まそうと、ひとのこころが、いっていいじょうあるかぎり
まそうがへんかさせたれいしが、ぶっしつに、むすびついて
うまれつづけるのだ。
あっぱくされた怨念が、かいほうされ、怨念にそだてられた欲望がそれを産む。
それが、おまえたちが
ルサンチマンとよんでいるものだ」

 「なん…だと…」

 クロウスの中にあった、ルサンチマンへの全ての疑問が氷解する。
その答えの持つ虚無、
全て、人間の行った行為の帰結であるという答え。
僅かに漂う、ずっと漂っていた疑問が答えにたどり着いた安堵…。

 問いを発し、しかし突如とし世界の答えを突きつけられたクロウスは、
その答えを全知とも思える万象から聞いて、膝をつく。

 「業である。わかい、男。お前は、それと、戦うのか?」

 万象の問いに、しばしクロウスは沈黙する。
それでも、何か答えようとして、クロウスが背中を震わせた。
あの日殺した騎士シヲンの亡霊が、クロウスの頬を優しく撫でる。

 絶望してもいいのよ、と彼の中の騎士シヲンが甘い声で囁いた。

 「…俺は…」

 クロウスの声は掠れ、眼に見えぬ何かに縛られて、途中で地に落ちる。

 「戦うのか?」

 万象は、クロウスの答えを求めて再び問う。

 「…」

 クロウスは、答えられなかった。
挫折者らしく自分の失敗を認めて、絶望しなさいと、
戦う事を辞めたなら、貴方の罪を許してあげると
亡霊の白く、細い腕がクロウスの胴を抱き締める。

 「戦うのか?」

 「…」

 クロウスの耳元に、亡霊が接吻する。

 『挫折の世界で、後悔に囚われて、永遠に、一緒に、ゆっくりしていってね──』  しかし、騎士シヲンの姿のその幻は。

 「戦えぬか?」

 震えるクロウスの背中を見て、初めて感情の揺らめきをその眼に見せた万象が
問いを変える。
長いこと、クロウスは沈黙していた。

 「──いや────」

 膝をつき、大地に手を着いたまま、クロウスが答える。

 「──戦う──」

 クロウスは、答える。答えて、クロウスは幻を腕を一なぎして振り払い。
ゆっくりと膝を立て──立ち上がる。

彼の今見た騎士シヲンの幻は、
甘い囁きは、彼の中の妥協の声であると断じて。

彼は、思い出したのだ。

彼の知る騎士シヲンならば何と言うかを。
眼を背けていた、彼女の、クロウスを呪う最後の言葉を。

 「0ではないなら、プラスなら──
未来に繋がる因子が小さくとも、そこにあるなら、
──いいや、たとえゼロや、マイナスだったとしても、
最後まで、俺は人間と共に──こころと、人間の負債と、戦う。
俺は、効率と、総量の世界を逆走する。
ルサンチマンが、効率と総量の因業から生まれたもので有るがゆえに」

 万象は、クロウスの言葉に何事か暫く思案している風だったが、
やがて、すとクロウスの顔を真っ直ぐに見つめる。
クロウスには、万象のその目に、力強い光が宿ったように見えた。

 「…そうか。おまえたちと、
ことばを、かわして、俺も、ひさしぶりに、人間の、世界に、きょうみが、わいた」  クロウスは、万象の顔を見つめる。

まだ、のっぺりとした印象があるが…赤毛の男の顔になった
万象は、いつしか、服をその身に纏っていた。

 旅人のようないでたちである。

 「判らない未来にだけは、歩いて見に行くだけの興味を持たざるを得ない。
お前達の世界で、お前達の戦いのすえをみてから、また考える時間にもどるとしよう。
音楽を友として」

 ずと万象が両の掌で自らの顔をこする。

貌を起した彼の顔を見て、とクロウスは目を見張る。
万象の顔は幻のように変化し、赤毛の、自分と同じ年頃の男に。
より、具体性のある、人間臭い顔つきになっていたのだ。